社会

『談』no.121 特集◉「複合危機とポスト資本主義」(「ニューノーマル2・0の世界」の第1回)が7月1日(木)に全国書店にて発売になります。

書店発売に先立ち、一足先に『談』ウェブサイトでは、各インタビュー者のアブストラクトとeditor’s noteを公開します。
右メニューバーの最新号no.121の表紙をクリックしてください。

『談』no.121 特集 「複合危機とポスト資本主義」
「ニューノーマル2・0の世界」の第1回

水野和夫(著)、諸富徹(著)、酒井隆史(著)
アルシーヴ社(編集)
■企画趣旨
地球温暖化を中心とした地球環境危機と急激に増大する世界の人口に対応できないエネルギー、水や食糧などの不足というグローバルな資源危機は、同時に起こっているため、合わせて地球環境危機=複合危機と呼ぶべきだろう。現在のところ、その端緒が始まっているだけだ。本格的な被害は、今世紀の中頃から顕著になっていくと予想される。複合危機をいかにして乗り越えるか。そのためには、一刻も早く資本主義を終わらせて資本主義のオルタナティブへソフトランディングさせることだ。ポスト資本主義は、いかにして可能か。

■水野和夫インタビュー
資本主義を閉じるために今できること

資本の論理と人間らしく生活する論理が乖離している現在、資本主義を正しく終わらせる方策を見つけ出すことが急務であり、そのためには、「閉じた経済圏」をつくってヒト・モノ・カネがあまり動かないようにすることだと水野氏は説く。それは、定常社会という新たな社会モデルを構想することである。

水野和夫(みずの・かずお)
1953年愛媛県生まれ。埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。博士(経済学)。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て、内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)、内閣官房内閣審議官(国家戦略室)を歴任。現在、法政大学法学部教授。専門は、現代日本経済論。
著書に『正義の政治経済学』古川元久との共著(朝日新書 2021)、『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』(集英社新書 2017)、『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書 2014)他

■諸富徹インタビュー 
非物質主義的転回が拓く資本主義の未来

資本主義の非物質主義的転回が望ましい変化であるかどうかは、それが成長に寄与するか否かだけではなく、それが持続可能で公正な資本主義への変化を促すか否かで判定すべきだと説くのは諸富氏である。資本主義の非物質主義的転回によって、成長を維持しつつ生き残る道はあるのか。

諸富徹(もろとみ・とおる)
1968年生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。現在、京都大学大学院経済学研究科教授。専門は、財政学、環境経済。
著書に『資本主義の新しい形』(岩波書店 2020)、『グローバルタックス:国境を越える課税権力』(岩波新書 2020)他

■酒井隆史インタビュー
死してなお世界を支配し続ける資本というゾンビ

90年代猛威を振るったネオリベラリズムは、金融クラッシュの煽りを受けていったんは死んだかに見えた。ところが、2010年代を迎えると不死鳥のように蘇る。しかもより強力になって…。
〈資本〉には、「反生産」という破壊的要素があると指摘したのはドゥルーズとガタリだ。ドゥルーズとガタリによれば、「反生産の装置の浸出こそは、資本主義の全システムの特徴である。資本主義の浸出は、その過程のあらゆる次元において生産のなかに反生産が浸出することである。そして、この反生産の浸出のみが資本主義の至高の目標を実現しうるのだ」。資本主義は死なない。なぜならば、資本主義はすでに十分死んでいるからである。反生産の契機が生産を食い尽くすように、資本主義はゾンビのように死を生き続けるのだ。

酒井隆史(さかい・たかし)
1965年熊本生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。現在、大阪府立大学人間社会学部教授。専門は、社会思想、社会学。
著書に『通天閣:新・日本資本主義発達史』(青土社 2011)、『暴力の哲学』(河出文庫 2016)他

◎表紙・裏表紙は上田碌碌の水彩画、また、ギャラリーでは小村稀史の油彩を掲載

『談』no.109特集「〈ポスト真実〉時代のメディア・知性・歴史」が7月1日に発行になります。

これまで、メディアは私たちのリアリティをつくるものとして論じられてきました。情報がメディア=媒体と一体となってリアリティなるものを構築していると思われていたからです。一方、トランプ大統領の出現により、メディアに流れる情報の信頼性が大きく毀損されたと考えられます。情報が小分けになるソーシャルメディアとそれを可能にしたスマホ。「真実」が存在するという実感がすでにうすれはじめているのです。
このような事態に対して、「ポスト真実」「ポスト・トゥルース」といった言葉で現代の状況を捉えようとする見方が出てきました。客観的な事実が必ずしも重要視されない時代になったということかもしれません。
今こそ、メディアとの付き合い方を考え直さなければならないのではないでしょうか。メディアを研究してきた3人の研究者に、メディアおよびジャーナリズムの歴史を紐解いていただきながら、〈ポスト真実〉を手掛かりに、メディアの現在、メディウムそのものの未来を考察していただきます。

「ポスト真実」とポピュリズム」
西田亮介:東京工業大学リベラルアーツ研究科教育院准教授
「政治についての情報はよく吟味せよ」というメッセージそのものに実効性はないと言い切る西田先生に情報とポピュリズムの関係について論じていただきました。

「〈ポスト真実と〉メディア・リテラシーの行方」
飯田豊:立命館大学産業社会学部現代社会学科准教授
〈ポスト真実〉の時代は、真実が語られないのではなく、むしろ多くの真実が語られすぎているのではないでしょうか。このパラドックスこそデジタル社会が胚胎したものです。ポスト真実とはいかなる事態なのか、デジタル社会およびメディア環境の変容についてメディア・リテラシーの観点から考察していただきました。

「〈ポスト真実〉…日本語の特性とジャーナリズムから考える」
武田徹:専修大学文学部教授
日本語の人間関係性依存の危うさに気付かず、その土壌の上にソーシャルメディアを受け入れる日本人。共感の共同体が二重に上書きされ,両者の振幅が合えばポスト真実化は一層加速することが予想されます。そこにあるのはまさしく一億総トランプ化です。〈ポスト真実〉と意外にも親和性が強い日本語を軸に、現代のジャーナリズムについて論じていただきました。

dan109_HI_kageのコピー

「メディア化するコミュニケーション」本日、一斉発売!!

桂英史 端末市民の行方 レトリックの共同体から発話の共同体へ
インターネットがまだこれほど普及していない時代に、ヴィリリオはすでに常時接続された端末市民の行く末を見て取っていたのだ。端末市民とは誰か。ヴィリリオの直感を桂氏が換骨奪胎する。

奥村隆 不気味な怪物とハグは可能か
「誰かにとっての誰か」というかけがいのない固有性として愛すること。だが、「誰にとっても誰でもない」ただの男、ただの女として愛し合うこともできるのだ。この二重性のただなかで引き裂かれた私。モーツァルトのオペラに見るコミュニケーションの愛の不毛と幸福を奥村氏が斬る。

伊藤守  地すべりするコミュニケーション
ケータイメールはすでに過去のものとなった。ヴァーチャルなソーシャルメディアを媒介にしたコミュニケーションが常にリアルな社会と接続可能な実体として成立している社会。そこにあるのは、もう一つのリアルワールドだ。主体が客体化し、客体が主体となるdividuel(分人)世界のリアルに伊藤氏が切り込む。

右メニューバーのno.103号の表紙をすぐにクリック!!

『談』は、amzonでも買えます!!

『談』最新号を読みたいけど、近くの書店には置いてないようだ、という問い合わせを時々いただきますが、amzonでも買えます。バックナンバーも購入できますよ。















本日発売の「最新号」をアップしました。

『談』最新号「特集 誰のための公共性?」のアブストラクトとeditor's noteを「最新号」にアップしました。
右のメニューバーのno.98号の表紙ををクリックしてください。

北川フラムさんの対談、講演集が出版になりました。

『談』no90 特集「辻井喬と戦後日本の文化創造…セゾン文化は何を残したのか」にご登場いただいた北川フラムさんと発行元の美術出版社から、新刊『アートの地殻変動 大転換期、日本の「美術・文化・社会」』を贈呈いただきました。本書はこれまで数多くなさってこられたインタビューと対談、講演を収録したもの。私が企画委員と編集に携わっている『city&life』で行った辻井喬さんとの対談もおさめられています。
じつは、この対談、上記の特集(2010年12月、6、7日行った公開トークショーの採録)を企画するきっかけになったものです。本書には、「Talk:03〈共につくること、そして、町を元気にしよう〉」というタイトルで掲載されています。
美術出版社HP新刊案内より。
「「大地の芸術祭」「瀬戸内国際芸術祭」など数々のアート・プロジェクトを成功に導いたアートディレクターが語る! 越後妻有、瀬戸内の島々、大阪など近年、街ぐるみの大型アートイベントを次々と成功させているアートディレクター・北川フラム。彼がプロジェクトをともに手掛けたアート関係者や行政担当者、興味のあるクリエーターや評論家など20名以上と対談。アートと社会のかかわりだけでなく、アートの本質や文明や社会などの根源にまで迫り、アートによる社会の地殻変動を熱く説く」。


『談』no.98特集「誰のための公共性? 」が11月10日に発売になります。

『談』no.98特集 誰のための公共性?
11月10日 全国一斉発売!!
amazonにてただ今予約受付中です。



公共性をめぐる議論は、1990年代後半から政治学、法学、社会学、経済学、歴史学などのさまざまな分野で盛んになってきました。しかし、公共性論の活況にもかかわらず、公共性をめぐる議論はかえって混乱の度を深めつつあるようです。公共性という概念についてさえ共通の理解を欠いたまま、各自が独自の公共性論を立ち上げるため、その相互関係すら理解できずに狼狽えているのが現状ではないでしょうか。そこで、一度公共性概念の理論的整理を行ったうえで、なぜ今、公共性を問うことが必要なのか。端的にそれは誰にとって重要なのか。
今号は、公共性の理念に立ち返って検討します。

インタビュー者は以下の3人。
●山脇直司(星槎大学教授、東京大学名誉教授) 「3・11以後の公共性…正義のあやうさにどう対処するか」
●稲葉振一郎(明治学院大学社会学部教授) 「公共圏、人々が個性を発揮できる場所」
●橋本努(北海道大学大学院経済学研究科教授) 「ロスト近代において公共性をいかに担保するか」

談no.98












今、求められるガバナンスによる被災自治体と被災住民の相互理解

『談』の発行元であるTASCの研究員で気象大学校兼任講師の飯塚智規さんから『震災復興における被災地のガバナンス–被災自治体の復興課題と取り組み-』(芦書房)を贈呈していただきました。
被災地の復興体制として、各社会アクターが協働で復興計画の策定や復興事業の遂行を担えるローカル・ガバナンス(Local Governance)の仕組み・あり方について検討することを目的に、平時ではない、復旧・復興という危機的状況において、地方行政に何ができるのか、また、地方行政が直面する様々な復旧・復興上の問題や課題の中で、組織運営や住民との調整に関する問題・課題には、どのようなものがあるのか、そして地方行政は、この難題に対して、どのようにして住民やNPO等と協働で対処していくべきなのか、これらの問題への対応を、きわめて具体的なかたちで示しているところが本書の特徴です。
そもそも復興とは、「災害によって破壊され喪失した状態から、失ったものを回復し元の勢いを取り戻す」ことを指すのであれば、復興には、「自立」と「安心・安全の確保」と「改革」が求められるべきであり、基礎自治体が中心となるのは当然であるとしても、住民・コミュニティ・地方企業・ボランティアやNPO団体・地方議会(議員)等の協力が不可欠であり、そこで望まれるのがガバナンスであると著者は言います。
住民意識と行政対応のマッチングを本書では復興プロセスの最適化と呼び、被災地のガバナンスを構築する目的が復興プロセスの最適化であり、ガバナンスが機能することで、復興災害の被害を軽減し、未然に防ぐことも期待できるという。
本書のもう一つの特徴は、自治体の復興支援能力や支援体制の整備、住民の復興活動や行政への参加といった「ソフト」の強化に有効な知見を見出そうとする中で、それを著者の専門分野である政治学・行政学の視点から捉えているところにあります。そして、著者も言うように、防災・減災や復旧・復興の問題について、政治学・行政学から一定の方向付けを示した意義は大きい。本書が契機となって、ガバナンスによる被災自治体と被災住民の相互理解がよりいっそう深まることを期待したい。


文化人類学者の山口昌男さんが亡くなられました

文化人類学者の山口昌男さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りします。僕は、塩事業センターの仕事で山口昌男さんにインタビューをしました。とても印象的なインタビューだったので、今回改めてリンクをはらせていただきます。
Webマガジン en 2004年7〜9月号 山口昌男インタビュー「〈縁〉の人類学 上、中、下 



『TASCマンスリー』連載「特別シリーズ 現代を生きる」が書籍になりました。

これからの社会を見据え、社会との新たなかかわり方を見出すために、現代の社会が抱える諸問題の構造や背景となる思想などさまざまな論点について、思想、哲学、政治学、社会学、文化人類学などの分野から23名の識者が論じます。
植島啓司 服部英二 五十嵐武士 渡辺靖 大屋雄裕 清水雅彦 瀬戸山晃一 宮本太郎 東谷優美 鎌田慧 武田邦彦 松永和紀 佐藤卓己 上杉正幸 平川克美 佐藤純一 帯津良一 奥村康 春日武彦 飯島裕一 石井正己 萱野稔人 鷲田清一

現代社会再考  これからを生きるための23の視座』
発行:公益財団法人 たばこ総合研究センター 発売:水曜社
現代社会再考ーこれからを生きるための23の視座
現代社会再考ーこれからを生きるための23の視座

水俣病はまだ何も終わっていない。

文藝春秋発行の季刊雑誌『嗜み』の「鼎談書評 ほんの嗜み」の編集のお手伝いをしているが、その著者活字中毒者連盟のお一人千倉書房編集者・神谷竜介さんから『MINAMATA NOTE 1971〜2012 私とユージン・スミスと水俣』を贈呈していただいた。
公害病の原点であり、発生から60年近くが経過した水俣病。しかし、水俣病は本当に終わったのだろうか。本書は、ユージン・スミスのアシスタントとして水俣を取材した写真家石川武志が40年にわたる取材をまとめたフォト&エッセイだ。水俣病がまだ「何も終わっていない」ことを過去と現在を往還しながら活写する。何よりも、表紙の写真、お母さんに抱かれる孝子さんの姿がこの本のすべてを語っているといえる。
MINAMATA NOTE 1971-2012  私とユージン・スミスと水俣
MINAMATA NOTE 1971-2012 私とユージン・スミスと水俣


いかにしてわれわれは、暇な時間のなかで、自ら楽しむことができるか。

『tasc monthly』8月号で「生存の外部…嗜好品と豊かさ」というテーマで寄稿いただいた國分功一郎さんに、今度は、「豊かさとは何か、楽しむとは何か」というテーマで講演をお願いした。「豊かさは〈無駄〉と切り離せない。何もかもが必要のギリギリしかなかったら、誰も豊かさを感じることはできない。とはいえ、無駄を肯定するというのもしっくりこない。ぜいたくをして、ものを浪費して、それでいいのかという疑問は当然である」。ここに難問が生まれると國分さんは言う。じつは、この難問は「楽しむ」という行為そのものの意味とかかわっているというのが國分さんの主張だ。現代社会は私たちから「楽しむ」ことの可能性を奪っているのではないか。「〈楽しむ〉ことを巡る諸問題は、たとえば消費社会、環境問題、あるいは現代の健康志向など、さまざまな問題と絡み合っている」という。嗜好品というものをヒントにしながら、現代社会の問題点、そしてこれからの社会のあるべき姿についてお話いただいた。
講演内容は、『tasc monthly』に掲載予定。

ブックガイドにシネマガイドがうれしい!

投稿した『バイオ化する社会 「核時代」の生命と身体』でもう一つ言っておきたかったことがあります。丁寧なブックイドがついていることです。それと、シネマガイド! 映画って、とくにサイエンス、テクノロジーを考えるには、最良のテキストだと思うのですが、まさに、それを実践したもの。映画好きの粥川さん面目躍如といったところ。

原発と社会の根源的な考察、大澤真幸さんの新刊『夢よりも深い覚醒へ 3・11後の哲学』

社会学者・大澤真幸さんの新刊『夢よりも深い覚醒へ 3・11後の哲学』(岩波新書)を岩波書店より贈呈いただきました。
大澤さんはあとがきにこう記しています。
「2011年3月11日に端を発して出来事  東日本大震災と原発事故  をきっかけにして考えたこと、考えさせられたこと、われわれ(の社会)について考えざるをえなかったことを記してある。とはいえ、「日本の原子力発電所をどうするか」は<…>本書の主題ではない。
われわれに特別の衝撃を与える出来事は常に、「それ以上のもの」としてたち現われる。原発事故にわれわれが非常なショックを受けたのは、それが「防波堤の設置についての手抜かり」や「日本の電力供給システムの失敗」を超えた何かを意味していると感じられたからである。
こういうとき、われわれは、その「超えた何か」「それ以上のもの」を言葉にし、それに対応したことを要求すべきではないだろうか。3・11の出来事を媒介にして、「東北地方の復興」や「日本の電力供給システムの改良」以上のことを  いっさいの妥協なしに〈すべて〉を  要求すべきではなかろうか。その〈すべてが〉何であるかを考察すること、これが本書のねらいであった」。
タイトルは、見田宗介氏の言葉だそうで、大澤氏によれば、3・11が現実を切り裂く(悪)夢のように体験であったとすれば、われわれがすべきは、その夢から現実へと覚醒するのではなく、夢により深く内在するようにして覚醒することではないかという意味が込められているといいいます。
ちなみに、帯にあしらわれた著者のポートレイトの撮影者は新井卓さん。『談』no.90のシンポジウムの際に撮影されたものです。
夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学 (岩波新書)
夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学 (岩波新書)
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藤原辰史先生と仲正昌樹先生がリスク社会について語ります。

『談』no.75 特集「バイオパワー…利用される生きる「力」」で、「再生産される<生命空間>」というテーマでインタビューを行った藤原辰史先生の講演会が開催されます。
「食と農という絶対不可欠な人間基盤を養分とするおぞましい暴力が生-権力のもう一つの実体」と喝破した藤原氏。ナチズムとエコロジー思想の危うい関係について、今回はリスクとのかかわりから展開されるのではないかと期待しております。
また、今回の連続講演には、『談』no.70 特集「自由と暴走」で、「虚構としての〈自由な主体〉……人間性の限界」をテーマにお話しいただいた仲正昌樹先生の講演も予定されています。
あわせてお知らせいたします。詳細は↓
●第4回 2012年2月26日(日)「エコロジー思想」に潜むリスク ―ナチスドイツの有機農業―
講 師:藤原辰史(東京大学大学院農学生命科学研究科講師)
内 容:世界にさきがけ「自然との共生」を掲げたナチス・ドイツは、なぜホロコーストに至ったのか。ナチス・ドイツの有機農業や「生物圏平等主義」の検討をもとに、エコロジー思想が併せ持つリスクを考察する。

●第5回 2012年3月10日(土)単純化される言説<神話>の受容とその背景
講 師:仲正昌樹(金沢大学法学類教授)
内 容:さまざまな「神話」化された言説の背景には、「わかりやすく」物事を二項対立で理解する図式が存在している。リスク社会をとらえる上で重要な、物事の「単純化」の構造や、それらを突き放したアイロニカルな視点について考える。
連続講演「リスク社会の<神話>を問い直す」〜安全・科学・エコロジー〜[全5回]



「空き家バンクツアー」をのぞいてきました。

全国で急増する空き家。その対策に、国や自治体は、頭を悩ませていますが、この問題に真正面から向き合い、いち早く取り組んでいるところがあります。NPO法人尾道空き家再生プロジェクトが立ち上げた「空き家バンク」がそれ。「空き家バンク」とは、空き家の大家さんと住まい手をマッチングする仕組みのこと。尾道は、坂の町として、今や人気の観光スポット。小道と石段が複雑に交差し、歴史ある仏閣も数多く点在。町歩きを楽しむ人が後を絶ちません。とはいえ、住み暮らす場所としてみると坂が多いだけでなく、クルマは入れないし建て替えも用意ではない、とくに高齢者には少しきつい場所であることも事実です。そんなことから、とくに斜面地は、近年空き家が目立ってきたのです。一方、細街路が作り出す路地空間や古い建物にむしろ魅力を感じ、移住を希望する若者たちがあらわれました。満を持して、登場したのが「空き家バンク」。買い手や借り手がいない空き家をかかえて悩んでいたオーナーさん。また、買いたくても借りたくてもどんな物件があるのかもわからず悩んでいたユーザーさん。簡単に言えば、その間をとりもつのが「空き家バンク」です。昨日は、尾道空き家再生プロジェクトが、そうした空き家をまとめて見て歩こうという、恒例の「空き家バンクツアー」。その様子を、『city&life』を一緒に編集している斎藤夕子さんと取材してきました。詳細は3月末発行の『city&life』no.103に掲載予定。乞うご期待。

植島啓司さんゲストの連続対談シリーズが開催されます。

ミヅマアートギャラリーディレクター三潴末雄さんとゲストの方が「日本」をテーマに語り合う連続対談シリーズ「日本再再再発見」の第2回が青山ブックセンターで開催されます。今回のゲストは宗教人類学者の植島啓司さんと出雲大社常陸教会教会長の高橋正宣さんです。植島啓司さんは『談』no.66、『tasc monthly』no.417(檜垣立哉さんとの対談)、 no.410にそれぞれ登場していただいております。
青山ブックセンターイベント案内より
第2回目ではゲストに宗教人類学者の植島啓司さんと出雲大社常陸教会教会長の高橋正宣さんをお迎えし、太古より続く日本の自然に対する感性を見つめなおす。日本人は自然支配的な発想をする西洋とは異なり、森羅万象に神々が宿るというアニミズムの精神を持ち、自然と共生をしてきた。現代に生きる私たち日本人は、その精神を忘れかけてしまっているかもしれない。しかし、日本の自然との付き合い方、その底を流れるアニミズムの精神に改めて向き合うことで、これからの世界や地球との向き合い方のヒントを得ることができるのではないだろうか。植島さん、高橋さん、三潴さんと共に太古より通じる精神を手繰りよせ、未来へそして世界へと繋がる日本の力を感じていただきたい。
連続対談シリーズ「日本再再再発見」
日程 2012年1月21日(土)18:00〜20:00(開場17:30〜)
出演 植島啓司さん(宗教人類学者)×高橋正宣さん(出雲大社常陸教会教会長)×三潴末雄さん
会場 青山ブックセンター本店・カルチャーサロン青山
定員 120名様
料金 1,890円(税込)
問い合わせ カルチャーサロン青山 電話 03-5485-5513 メール culture@aoyamabc.co.jp

パブリック・ディプロマシーの重要性

tascでの講演(『tasc monthly』2008年9月 No.393に収録)が好評だった慶應義塾大学教授・渡辺靖さんの新刊(ちょっと遅いですけどね)。サブタイトルにあるパブリック・ディプロマシーとは、外交的な政策目標を実現しやすくするために、相手国の政府ではなく、相手国の国民に働きかけることで自国のイメージを向上させ、自国の存在感をアピールする活動のこと。我が国ではまだそれほど一般的ではないが、今後その重要性はますます高くなるだろうと指摘する識者も少なくない。アニメ、漫画などのコンテンツをクール・ジャパンと称し、海外への売り込みに躍起になっている我が国のどこかちぐはぐな対外文化戦略。その何が問題なのか。渡辺氏が説くのは、戦略の不在だ。だからといって用意周到すぎるマーケティングにも批判的。文化相対主義に立ったうえでどう戦略化していくか、今、必要なのは透明性と対話力ではないかという。バランス感覚が冴える好著だ。
文化と外交 - パブリック・ディプロマシーの時代 (中公新書)
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人間はあそぶ。サルもあそぶ。はたして、そこに共通性はあるのか。

中央線に乗り換え上野原で下車。バスで帝京科学大学へ。島田将喜先生を訪問。あそび工学研究会の第4回にゲストスピーカーとしてお呼びするため。第一印象は、いかにもフィールドワーカーという感じの、野性味溢れるひと。もちろんいい意味で。京大のサル関係の研究者とは何人かおつき合いがあるが、島田先生もその門下生。霊長類全体を、つまりサルもヒトも同一に対象とする研究を進めたいという考えには、共感するところ大であった。島田さんは同じ京大・人環の菅原和孝先生のゼミにちょくちょく顔を出されていたという。じつは、ぼくも菅原先生の仕事から多いに刺激を受けて、ヤマハの研究会ではインタビューをさせていただいたほどだ。島田先生の研究が僕のアンテナに引っ掛かってきた理由がわかった。これからの動物行動学はジャンルを超えて、もっと大きなコンテクストから捉え直すべきだとぼくも常々思っていた。島田先生の研究に大いに期待したい。先生は、毎年行われる金華山のサルの調査に参加されるそうだが、その帰りがけに研究会へ顔を出されるとのこと。最新情報も交えての研究会になりそうで、今から楽しみだ。

世界の人たちは、家で何を食べているのか。

自転車で馬事公苑へ。今日もなにやらイベントをやっている。「食育フェア」。たくさんの屋台が出ているが、やはり啓蒙ものが多い。僕は普及啓蒙の仕事はしたけれど、必ずしもその趣旨に賛同したわけではない。とくに遺伝子組み換えというだけでヒステリーになる人たちとは、距離をとっているつもり。品種改良と遺伝子組み換えの違いをちゃんと理解していれば、これまで五万となされてきた(現在もなされている)品種改良の方が、はるかに危険度では高いことなどすぐわかるはずだし、逆に遺伝子組み換えは素性が100%わかっているものだから、何ができるかも9割9分予測がつく。つまり、ずっと安全なのだ。東大の渡辺正先生の話を思い出す。それはともかく、農と食の博物館でやっていた展示は面白かった。世界各国のごく普通の家族が1週間に食べたものをテーブルに並べるというもの。材料もあれば、料理になっているものもある。アメリカの家庭は、インスタント食品や冷凍食品がどっさり並び、野菜が少ない。モンゴルは野菜はほとんどなくて、肉と粉もの。難民キャンプの家庭はの1週間の食事は、われわれの一日分にも満たない。日本人は、とにかくアイテム数が群を抜いて多い。さすが、和洋中華なんでもござれの国だ。しかも野菜も沢山とっている。ラテンアメリカ人はコーラが二ケタ並んでいたり、果物が多いとか、反対に、オーストラリアは肉の塊がど〜んと鎮座ましましていたり。案の定家族はみんな太りぎみ。家庭内食といってもこんなにバラエティに富んでいるなんて。とても勉強になりました。

カツマーとカヤマー

カツマーとカヤマーという二種類の人種がいるらしい。さっそく「AERA」を買ってみる。なんか議論がかみあってないし、香山リカさんもっとケンカすればいいのに。大人の議論すぎて面白くなかった。僕はやはり、カヤマーかな。

自己啓発本こそ司牧権力から派生した「統治性」のことだ。

「勝間和代を目指さない」のコピーが目を引く香山リカさんの新刊『しがみつかない生き方』が評判だ。このブログでも、紹介したが、本書の主張は「ふつうの幸せ」こそ最高の幸福で、その基本は「しがみつかない」生き方だ、というもの。「成功を呼ぶ○○」だとか「○○で年収10倍アップ」だとか『成功のための心理学』とか、ちまたにはいわゆる自己啓発を呼び掛ける書籍があふれている。それらは、結局のところ単なる自慢競争にすぎない。「ふつう」でオッケー。むしろ「ふつう」であることをこそ貫き通すベきだ。もちろん、香山さんはそんなに強く言ってるわけではない。いや、「ふつう」でいることの方が、じつはよほど大変なんだという。だからこそ、「ふつう」でいいのだというわけだ。
ところで、自己啓発本である。今や、本屋の棚のかなりのスペースがこの類いの本で占められている。ビジネス書のコーナーに自己啓発書がいつから並ぶようになったかは定かではないが、確かなことは、その占める割合が増えていることだ。デール・カーネギーの『道は開ける』とか最近ではスティービン・R・コヴィーの『七つの習慣』とか、ベストセラーになったものもいくつかある。これら自己啓発本こそ、じつはフーコーのいう司牧権力から派生した「統治性」である。「統治性」とは、まさにビジネス書の世界に他ならない。こう断言するのが『夜戦と永遠』の著者佐々木中さんだ。
佐々木さんは言う。「歴史的事実として、ベンサムのようなリベラリズム、自由主義の元祖のような人たちが、デール・カーネギーのような「うまくやっていく」ための処世術、マネジメント、生き方の処方箋みたいな本を書いているのです。まさにフーコーが批判的に取り上げた「一望監視装置」のベンサムがね。これが、フーコーの言う宗教的な「司牧権力」の後継としての統治性の結果なのです」
そして、『七つの習慣』には、とんでもないことが書かれていると言い、それを真っ向から批判する。佐々木さんはなんと言ったか……。詳しくは『談』最新号佐々木中インタビュー「この世界における別の生……霊性・革命・芸術」をお読み下さい。

自由が丘にはkawaiiにもいろんなkawaiiがあった。

久しぶりに自由が丘を散策。早速車両基地跡を整備した商業施設を撮影。ナチュラルカワィイなショップばかり。ナチュラルカワィイは、やはり自由が丘を語る上で欠かせないキーワードなのかもしれない。ビックリしたのは羽後町にあったカフェのグループがやっている雑貨店があったこと。これでもかとばかりのプロバンスもどき。やりすぎじゃないかと思った。そのあとも、ナチュラル探し。発見があったのは、自由が丘もいくつかのゾーンが形成されていること。自由が丘=おしゃれ系、お譲さん系、マダム系という印象が強い。しかし、実際は、予想と違ってずっと多様化が進んでいる。「かわいい」といっても、「こじゃれかわいい」もあれば、「美的かわいい」もあるし、もちろん「ナチュラルかわいい」もあるといったように。吉祥寺のように、ゾーンと趣味がゆるやかに重なり合っている。それがわかっただけでも収穫だった。

今の女性たち、決して「生きやすい」なんて思っていないんです。

香山リカさんから『精神科医ミツルの妄想気分』(講談社)、『女はみんな「うつ」になる』(中央法規)の2冊を贈呈していただきました。前者は、「香山リカ初の小説!」と帯にドカ〜ンと記されていますが、確か2002年に『えんじぇる』という長編小説を出されたはず。まぁ、それはどうでもいいことで、なんといっても本書は単純におもろい。半自伝的小説だそうですが、これ完全に自伝じゃないですか。全編くすくくす笑いっぱなしでしたよ、僕は。後者は、香山さんが治療にあたっている「女性専用外来」の経験を通して、女性ならではの「うつ」の問題をあつかったもの。今、どこへいっても「草食系の男性が多い中で、女性だけは元気だね」という声ばかり。しかし、そんな女性たち、ホンネを聞けば、今を「生きやすい」なんてぜんぜん思っていないのです。そんなプチうつなどのこころの問題を抱える女性たちへのメッセージ。

精神科医ミツルの妄想気分
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女はみんな「うつ」になる (シリーズCura)
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PR誌というジャンルは命運がつきたのか。

麹町の文春へ。季刊化にあたってクリアすべき問題点を議論する。編集のKさんが、参考にといろいろな雑誌をもってきてくれる。「サントリークオータリー」が今年休刊になったことを初めて知る。その終刊号をみる。確かに、あの個性はどこにいったのといいたくなるような、普通の雑誌になっていた。これでは、出し続ける意味はないかもしれない。というか、もはや本当にPR誌の時代ではないのかもしれない。

労働と賃金はその端緒から分離されたものだった!?

津田塾大学国際関係学科准教授・萱野稔人さんにインタビュー。これまで、『談』では、仲正昌樹さんと「暴力とセキュリティ」、澤野雅樹さんと「いかにして消尽したものになるのか」の2回対談に出席していただいた。今回は初めて単独でお話を伺いました。テーマは「「労働と賃金の分離」の前で資本主義は沈黙するか」。 カネには交換とは別の起源と機能があると萱野氏は著書で指摘しています。奪うものと奪われるものがあり、奪う側が権利関係を無理やり組み立てて、労働の成果、すなわちカネを吸い上げていく。つまり交換は、資本主義を生み出さないというのです。カネは交換のためにあるのではなく、むしろ、国家の徴収ないし収奪のためにこそあるという。たとえば、ベーシック・インカムが提起するのは、ここの問題にかかわってくる。労働と賃金のつながりを切断しようとするのが現代の資本主義だとすれば、ベーシック・インカムはまさにその関係を逆転しようとします。働かなくたってカネはもらってもいい、ベーシック・インカムは、労働と賃金が連動していないという資本主義社会の現実を、まったく裏返しのかたちで暴くというわけです。賃労働ではない労働によって支えられている資本主義。生存と労働の関係が根本から崩れたところに発生する生存の危機について考察していただきました。 インタビューの詳細は『談』最新号をお読みいただくとして、いつものように余談を一つ。萱野さんは、昔ブルースハーピストだったそうです。なるほどあの語り口は、ブラックミュージックのグループだったんだ、と妙に納得してしまいました。

センの潜在能力アプローチの重要性にあらためて気づく。

京都へ。立命館大学大学院先端総合研究科後藤玲子教授にインタビュー。テーマは、「〈生存〉、潜在能力アプローチから考える」。アイザイア・バーリンは自由には積極的自由と消極的自由があると分類して、自由の平等な保証は、消極的自由に限定すべきだと主張した。それに対して、アマルティ・センは、むしろ積極的自由の概念に着目する。センによれば、自由とは「本人が価値をおく理由のある生を生きられる」ことを意味し、「自己にも他者にもその理由をつまびらかにしながら、ある生を価値あるものとして選び取っていくという個人の主体的かつ社会的な営みが、実質的に可能であることを意味する」という。後藤玲子氏は、「このような広義の自由を人々に平等に保障すること、そのために必要な制度的な諸条件の整備……生存を支える物質的手段の保障から個人の主体的な生を支える社会的諸関係や精神的・文化的諸手段を整えることまで……を的(object)とした」として、センの経済学において、「自由」がキー概念になると指摘する。経済システムの分析・評価・構築にあたっては、広義の意味での自由の保障……意思・利益・評価主体である個人を尊重すること……を外的視点として明示的に導入すること。センの経済学の中心にある社会的選択理論&潜在能力アプローチの重要性は、まさにその「自由」の概念にあるというのだ。人間における生存とは、また、その条件とは何か、アマルティ・センの思想をたどりつつ考察していただいた。

宝塚にフォーカスしてあらためて小林一三のビジネスを検討すると…。

今日の授業は、最も尊敬する経営者小林一三の年譜をたどりながら、そのビジネスモデルを検討する。一時間半びっちり喋り続ける。宝塚歌劇って、小林にとっては、決して周辺的なものではなくて、事業の核だったことをあらためて力説してしまった。

エンタメと金融をドッキングさせた男たちの本

R大へ。教室へ行くとティーチャーズ・アシスタント(TA)のYさんが来ている。学部の4年生。就活は、エンタメ系を目指しているようで、それでこの授業のTAを選んだとのこと。手伝ってくれるのはありがたいけれど、彼女にとってメリットがあるかはわかりませんが。さて、その授業、今年は6人。全員男性で、なかにはベンチャー系の金融機関に所属しているひと、ある特殊なマーケットを開拓してマスコミにも登場したことのある社長さんなんかがいる。予想外な展開になりそう。
ところで、エンタメ・ビジネスのとてもよい参考書が発行された。『文化に投資する時代』(朝日出版社)。著者は、元広告マンで、エンタメと金融を融合させるビジネスを始めた亀田卓さんと元金融マンでエンタメのファンドを立ち上げた寺嶋博礼さん。二人は、金融とエンタメは水と油という常識をみごとにひっくり返して、エンタメに投資する仕組みをつくりあげた。「エンタテインメントの証券化」というアイデアに始まったその冒険の苦労と成功のドキュメントである。本書は、その中身もいいけれど、それと同じくらい本のつくり方が気が利いている。エンタメと金融のいまさら聞けない用語が、丁寧でわかりやすい脚注とコラムで解説されていたり、まるで二人が順番に講演をやっているような構成になっているのだ。微妙なドライブ感があって、このネタに直接関心のない者も読者にさせてしまうような説得力がある。で、奥付をみたら、な〜んだ、第2編集部の若い編集者Aさんの仕事ではないですか。この人のつくるもの、ほぼまちがいなく面白い。


文化に投資する時代 (カルチャー・スタディーズ) (カルチャー・スタディーズ) (カルチャー・スタディーズ)
文化に投資する時代 (カルチャー・スタディーズ)
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昨今の雑穀ブームの真相とは…

1月に鞆の浦の取材で宿泊したホテルの朝食が、雑穀のオンパレードだった。「食事バランスガイド」に準じた「地産地消」をうたい文句に、バイキング形式で提供された料理は、なるほどどれも美味しかった。ちょっと驚いたのは、主食がお粥だったこと。しかも、雑穀を主体としたものが数種類ならんでいて、白飯もあるにはあるが麦が混ざっている。お米はすべて玄米、徹底しているのだ。それで、はっと思った。確かに、こういうタイプの朝食は、増えているように思う。昨年宿泊したホテルも、雑穀を前面に出していたところが何軒かあった。思えば、スーパーの棚でも、雑穀をよく見かけるようになった。いわゆる高級食材を扱うスーパーで、その傾向は特に強いように思う。いったいこれはどういうことなの? 猛烈に知りたくなった。 そういう時には、あの人に聞くのが一番。そうです、エンテツさんです。大衆食堂の詩人とか言われてますけど、庶民の食の事情に精通してして、自らその庶民の食を日々実践しているお方。
『談 別冊shikohin world酒』にも寄稿してもらっているが、ここは一つエンテツさんにその真相を聞いて見ようということで、今回『TASC monthly』に寄稿をお願いした。これが、なかなか面白い。そうか、そういうことだったのか。目からウロコの……というわけでもないけれど、その裏にある事情は、なるほど合点がいくものですよ。『TASC monthly』のご購読は→TASC事務局
絶対オモロイ、読んで得するエンテツさんのブログは→ザ大衆食つまみぐい
いずれも、左のメニューバーからも入れます。

「クール・ジャパン」の現状と未来は、なかなか厳しいかもしれない。

『TASC monthly』に掲載する今年度第2回の公開対談をやりました。テーマは、「オタクは日本を救えるか……「クール・ジャパン」の現状と未来」。出席者は、マンガ評論家の永山薫さんと同じくマンガ評論家で武蔵野美術大学非常勤講師の伊藤剛さん。
「マンガ」「アニメ」「ゲーム」などのコンテンツを「クール・ジャパン」と称し、国策として世界に売り出そうとしています。「クール・ジャパン」、その中核にあるいわゆる「オタク」文化は、はたして本当にグローバルになれるのでしょうか。
オクシデンタリズム(反西洋主義)/ナショナリズム、萌え、ハリウッド方式、キャラ、文化産業論、セクシュアリティ……といったキーワードを手がかりに、主に「マンガ」を中心に、「クール・ジャパン」の現状、問題点、将来像について議論していただきました。
「マンガ」において常に問題となる表現と規制の関係は、たばこと規制の関係に置き換えて見ることもできます。一見接点のなさそうな「マンガ」と「たばこ」ですが、グローバリズムや健康(精神面も含めて)という文脈では、共通する課題もあるようで、ばこの置かれている社会状況を検証するうえでも、ヒントを与えてくれるものとなりました。
詳しくは、『TASC monthly』(たぶん、7.8月号ぐらいだと思いますが)をお読み下さい。
今後も、年に数回こうしたディスカッションをやって、活字化していこうと思っております。なお、『TASC monthly』はTASCの「個人会員」になられた方に配布される会員誌です。年会費3000円で、1年間ご購読いただけます。お問い合わせは、TASCまで。左のメニューバー「TASCについて」から入れます。

問題は、Aha!体験のあと、どうするかだ。

突然、雲がす〜っとなくなって青空が顔を出した。じつはずうっとわからなかったところがあって、それをどう書こうか逡巡していたのだが、わかったのである。書きながら、悩みながら、また書きながら…、しているうちに、はっと閃いたのだ。茂木健一郎先生いうところのAha!体験。やはり、書かないとダメなのだよ。書くことで、ようやく理解が届く時があるのだ。しかし、まだそれをどう表現するか、つまり、どう書くか、これからが至難のしどころなんだけどね。

パラドクスを説明しようとすることがそもそも逆理なのかもしれない。

原稿のプロットづくりを始めようと思っていたら、濱野さんから最終修正稿が届く。その転記になってしまった。おやまあ、前半部分にも再び手が入っているではありせんか。たっぷり1時間以上かかってしまった。すぐに、TASCで編集企画会議。やはり、3本目の檜垣先生の原稿の説明で紛糾。ぜんぜん言っていることがわからないとキツいご意見。ここは最も説明しにくいところになるとふんでいたが、案の定、きた〜っ!!という感じ。じつは、僕もちょっぴりそう思っていました。反省。それでも、なんとか話して、とりあえずは了承していただいた。表紙の絵やヴィジュアルについて説明する。びっくりしたのは、今号のヴィジュアル、松江泰治さんの写真作品が、意外にも好評だったこと。やはり、人の好みというのはわからないものですなぁ。

「なぜ人々はゼロリスクを願うのか」という対談をやりました。

『TASC monthly』への掲載を目的とした公開対談をやりました。テーマは「なぜ人々はゼロリスクを願うのか」。対談者は東京大学生産技術研究所教授・渡辺正先生と帝塚山大学福祉学部教授・中谷内一也先生。 渡辺先生には、『談』no.69で「環境問題を科学はどう伝えているか…ダイオキシン神話を例に」というインタビューをしています。地球温暖化論や健康リスク論の誤りをサイエンスの立場から、批判し論証してきたお一人です。中谷内先生は、社会心理学の立場からリスクコミュニケーションの必要性を説き、リスク論においては何よりも「信頼」が鍵を握ると主張してこられました。 ●対談は、まず、中谷内先生が、専門家と一般の人々のあいだにあるリスクにおける認識のギャップを認めたうえで、一般の人々には、事実を正確に伝えるだけでなく、心理的バイアスを考慮したうえで、信頼性を軸にした価値の共有が重要と指摘。渡辺先生は、定量的に扱う訓練を科学教育はきちっとしていない。そのためには、何よりもまず一般市民が科学的なリテラシーをもつことだと言います。 ●たとえば、摂取物の発がんパワーの横綱はエタノール(酒)。エチレンチオ尿素、ダイオキシンと比べると1000倍近い。仮に、酒を化学物質なみに規制すると、一日の摂取許容量は、日本酒換算で0.1mL。 5年間毎日飲み続けてやっと一升になる計算。一日に一合とっくりをあける御仁だと、それだけで1800倍になるのです。ちなみに、発がんパワーだけでみると、普段食べているりんご、セロリ、にんじん、ジャガイモなども、ダイオキシンの200倍以上あるといいます。また、酸性・アルカリ食品などいう概念は、環境ホルモン同様そもそも世の中に存在しないものなのに、いたずらに危険視される。これなども、科学リテラシー不在の現状を如実に示しているといえます。 ●ただ、中谷内先生が強調するように、人々は感情に作用される面が強く、理性的・合理的説明をいくらされても、いったんそうだと思い込むと容易に考え方を変え難い側面をもっています。感情システムを取り込んだうえでリテラシー+信頼の関係をいかにして築くか、そのためには感情あるいは価値の共有をベースにした合意形成が必要だといいます。 ●今回の対談で、一つ印象に残ったのは、リスク論の常識として「リスク評価」に重点がおかれますが、これは、あくまでも理性的システムに基づく評価。感情システムに働きかける方途なしには、有効性は期待できないということでした。経済においても、感情が大きく左右することが近年の研究でわかってきましたが、リスクの問題も例外ではないということでしょう。『談』では、以前から情動機能に注目してきましたが、それはここでいう感情と同義です。「知・情・意」でいえば「情」。「情」とリスクの関わりについて、今度は『談』でじっくり考察してみようと思います。

「特集 パターナリズムと公共性」、全国有名書店にて本日発売!!

『談』no.83「特集 パターナリズムと公共性」、全国有名書店にて本日発売!!

最新号の書店さん用のチラシです。

no.83広告用表紙は、齋藤芽生さんの作品「徒花図鑑」より。

齋藤芽生さんは、国立新美術館で開催される「アーティストファイル2009」(3月〜5月)の出品作家として選出されました。その告知用のポスターにも使用されています。

また、ヴィジュアルページには、アール・ブリュットの作家、ヤン・ドムシッチ、オーギュスタン・ルサージュ、ジョルジーナ・ヒュートンの作品を掲載しています。

 

大阪の再生に命をかける、今大阪で最も多忙な仕掛け人とは。

新大阪から御堂筋線で本町へ。久太郎町にある橋爪紳也先生の研究室へ。先生は、目下、大阪府立大学特別教授、大阪府立大学観光産業戦略研究所長、大阪市立大学都市研究プラザ特任教授で、今年、橋下知事の政策アドバイザーに就任。八面六臂の活躍中である。

今度は、「石畳と淡い街灯まちづくり支援事業」の審査委員長として、まちづくり事業を手助けしていくことになった。 1.「まちの眠っている資産を掘り起こしてストックにしていくためのプラットホームづくり」 2.「大阪ミュージアム構想」 3.「コミュニティ・ツーリズム」この3本の柱をもとに、橋爪先生は、大阪の再生に本格的に乗り出したのだ。

かつて繊維産業で栄えた大阪・船場地区。産業の空洞化現は船場地域をも直撃している。なんとか往時の賑わいをとり戻そうと、さまざまなグループが活動を始めている。が、いかんせん、行き当たりばったりでもう一つ大きな力にならない。そこで、足並みを揃えることでシナジー効果をあげようと始まったのが「まちづくりプラットホーム」。戦前の近代建築が多く残っていることに注目し、リノベ、コンバージョンにより再生を試みるグループ、商店街の活性化を目指す若いオーナーたち、町の美化運動を続けている団体などが連携し合って、船場地域の価値を高めようというわけだ。「大阪ミュージアム構想」とは、まちすべての一つのミュージアムとみなし、まちに眠っている「人、モノ、価値」を掘り起こそうという試み。とにかく、町に飛び出して、コミュニティそのものを体験する面白さを発見する「コミュニティ・ツーリズム」。橋爪先生のアイデアは、じつは僕らも「C&L」でずっと主張してきたことだ。ただ、先生の場合は、それを頭の中にしまっておくのではなく、手や足、そして口を使って、実践しているのである。そこが偉いです。

大阪は、かつて日本のベニスと呼ばれたほど、運河が縦横無尽に交差する水の都であった。何よりもそうした歴史的記憶が大きな財産である。記憶を蘇らせればいい。東京とはちがった可能性があるように思う。先生にそう言うと、「確かにそうだけど、いったん動き出すと東京は早いんだよね。神田川のクルージングなんか、川めぐりというアイデア自体はうちの方が早かったのに」と悔しそうだった。しかし、いずれにしても、先生の構想する大阪の再生は、夢があって面白そう。しばらくは、その動向を見守っていたいと思う。帰りは、船場地区再生の一つ、三休橋筋をガス灯にするプロジェクトを視察。途中、「rucola」でワインを飲む。

「クールジャパンはほんとうなのか」というテーマの対談。

海外で大モテのまんがやアニメなどのコンテンツ産業。さぞや潤っているのだと思いきや、実態はかなりさびしい状況らしい。まんが評論家・永山薫さんから聞いた話。あいかわらず、ほんの一握りの売れっ子をのぞけば、月収10万円ぐらいでくらしている漫画家さんがほとんどだとか。ページ1万から1万5千円。これは、版下おさめのギャラ。見方によっては、ライターさんより悲惨かも。コミックの印税(初版印税)を想定して、それでやっと食える状態とのこと。確かに外国では流行っているけれど、こっちはこっちで契約関係や権利関係が未整理なために、結局ハリウッドにまるごともっていかれておしまいらしい。すでにこの分野でも頭脳流失が始まっているとのことだ。「クールジャパンはほんとうなのか」というテーマの対談を思いついた時、じつはそうとうヤバイんじゃないかと思っていたのだが、どうもその予想は本当らしい。3月に予定している永山薫さんと同じくまんが評論家・伊藤剛さんの対談で、そのあたりのことをじっくり語り合ってもらおうと思っている。

不況の波がいよいよここまできたかという事態発生。

『談』の印刷をお願いしている恒陽社さんが東京地裁へ再生法の適用を申請し、昨日保全命令を受けた。負債総額は79億円。日経に出ていた記事によれば、売上は、一番良かった時に140億あったそうだが、その半分にまで落ち込んだらしい。運用に失敗したとかではなく、事業を広げすぎたというわけでもないらしい。いよいよここまできたかという印象。『談』についてだが、とりあえず今月発行は大丈夫。ただ、弊社では『談』の他にも幾つかやっていただいているし、『談』の次々号を来月発行する予定でいる。なんとか、これまでと同じ環境でがんばってほしいと切に願うだけだ。

パリで始まったレンタサイクル「ヴェリブ」のその後について。

新宿サザンタワーで首都大学東京准教授・鳥海基樹先生さんと一昨年のパリ探訪以来の再会。あいかわらずお元気そうだ。それもそのはず、今年に入ってまだ1月足らずだというのに、2度も渡仏している。一昨日トゥールーズから帰国されたばかりという。トゥールーズのトラム事情をサーベイしてきたとのこと。なんでも、地下鉄の各駅舎を、複数の建築家、アーティストがコラボでつくっていて、非常に面白かったと、そのドキュメンテーションを見せてくれながら説明してくれた。日本でも横浜の「みなとみらい線」で伊東豊雄さんや内藤廣さんらとデザイナーやアーティストがコラボをして注目されたけれど、規模や予算のかけ方がぜんぜんちがうみたい。

ところで、先生への原稿依頼は、パリで始まったレンタサイクル「ヴェリブ」のその後について。ちょうど、一緒にパリに滞在した頃に始動したこのシステム、予想どおりの成功をおさめ、さらに利用範囲を拡大中という情報を得たので、その実情をレポートしてもらおうと思ったためだ。鳥海さんの目にも、やはりこれからのモビリティの可能性を感じさせるものと映ったようで、ぜひ日本にも普及してほしいと熱く語っておられた。

ボランティアガイドのおじさんと、もう一度細かく見て歩く。

ボランティアガイドのKさん(72歳)がロビーにきてくれる。「むろの木歌碑」。朝鮮通信使が毎回宿泊した「対潮楼・福禅寺」を見学。日本一の景勝地「日東第一形勝」と書き残す。目の前に弁天島。鞆の裏の商家は、土台が長さ2m以上の花崗岩。商人の信用と見栄。坂道の路地。石畳は、20年程前にやった広島博覧会の時に、コンクリート舗装だったものを石畳に貼り替えたらしい。この石畳が意外にいい感じで、鞆の裏のまち歩きに花を添えているように思った。

神社に奉納された力石(120kg〜260kg)。雁木と船の係留止。いろは丸展示館。龍馬・土佐海援隊が乗り組んだ機帆船・いろは丸が紀州藩の軍艦と鞆沖で衝突。その時の遺品などを展示。常夜燈、太田家住宅(重文)、その向かいの「げんちゃんのいりこ屋」でいりこなどを買う。

鞆の浦の町屋づくりの特徴をうかがう。間口三軒だが、たてに細長い、鰻の寝床風。これは、税金は、間口の広さで決められたという当時の名残。つまり、節税のため。「田淵屋」でハヤシライスを食べようと思ったが準備中。「潮待ち茶屋」で昼食。畳にテーブルと椅子。気の流れがよくなるらしいサウンドスケープが流れているかと思うと、たくさんのレスラーの色紙とミニカーやフィギュアのコレクション。なんかおかしな店だ。でも、ごはんは美味しかった。

リノベした御船宿「いろは」の二階宿泊施設を撮影。テレビも冷蔵庫もなくて、2食付で22000円はちょっと……。コーヒーを飲む。サーベイ終了。ホテルへもどり、タクシーで福山へ。広島だから「牡蛎キティ」があると思ったがさすがになかった。そのかわり原爆ドームの「折り鶴キティ」にする。家のものにいつものお土産と言ってあけると、「うへっ、くらい!」と叫んだが、顔は笑っていた。

崖の上のポニョが生まれた港町「鞆の浦」を散策する。

福山駅で初めて下車。駅前に城が建っている。昼食。魚の切り身が三切れ並んでいるというのは珍しい。

タクシーで鞆の浦へ。まず、路地の階段を上って圓福寺・大可島城跡。猫がたくさんいる。ミケ、シバトラ、黒白など。みんな愛想がいい。寄ってきては、すりすりする。ワンちゃんも数匹。芭蕉の句碑。

「鞆まちづくり工房」を探すがわからないので、「御船宿いろは」へ。NPO法人鞆まちづくり工房代表理事の松居秀子さんにinterview。埋め立て架橋反対派のリーダ格のお一人だ。途中で、カメラマンの伊奈英次さんと僕は撮影に。空き家再生プロジェクトの物件を片端から撮る。

鞆の寺町通りから明円寺、「さらすわてい」と「茶房セレーノ」と眺めのいい場所を眺めのいい場所から撮影。鞆の小魚通り。屋台のおばちゃんが、箱から取り出したシャコをむいて食べさせてくれた。塩茹でしただけだと思うけれどこれがむちゃくちゃ美味い。「明日会に来るよ」といったら、「明日のことは知らん」とつれない返事。

「村上パン」と船のメンテナンスの場「焚場」跡を見る。安全パトロールのおじさんに、目の前の県道の渋滞の話を聞く。片側一車線のこの細い道路が県道で、鞆の浦を通過するには、この道を通る以外にない。16時だというのにすでに数台が渋滞に巻き込まれている。夏休みになるともっとひどいらしい。埋め立て架橋推進派の言い分も理解できる。

いろは丸展示場前で編集部の斎藤夕子さんと合流。再び町を散策。保命店「保命酒屋」のかわいい店員さん。試飲させてもらい、保命酒の梅と杏の二種類セットを買う。ホテルに帰ってチェックイン。大浴場に入る。ここは温泉なのだ。

18時半に食事どころ「おてぴ」へ。居酒屋風食堂といったところ。奥の座敷には、地元の人たちが宴会中。定食もあるけれど、カウンター前にずらっと並んだおばんざい。それをそれぞれ取っていただく。2,30種類はあったと思うが、すべてを食べ尽くす。おそらく2級酒だと思うが燗酒が異常に美味い。三人で一升瓶を開けてしまった。帰りがけに訊ねると、、おかみさんも推進派。この地域はまだ下水道が完備していない。埋め立て架橋は、下水道整備事業と抱き合わせになっているとのこと。だからはやく着工してほしいと力説された。

すっかり酔っぱらう。ホテルに帰って部屋でテレビをつける。さあ「ありふれた奇跡」を見ようと思うが早いか爆睡。気がつくととうの昔に終わっていた。

英と決別する米、田中宇さんはとっくに指摘していたことだ。

「サンデープロジェクト」に08年ノーベル経済学賞受賞したポール・クルーグマン教授が出演。この人、本のタイトルこそ過激だが、意外にものいいは常識的。田原さんの質問にも、当たりえの答えしか返ってこなくて、ちょっと拍子抜け。また、もう一人のゲスト、佐藤優さんは、「オバマの演説で印象に残ったのは、ついにイギリスと訣別することを表明したことだ」と言い放って、田原さんや他の出演者を驚かした。が、このことは田中宇さんが昨年からずっといい続けていたことなので、僕にはちっとも新鮮には聞こえなかった。というより、田中宇さんのキャッチ能力に改めて脱帽。

「時代は変わる」から「change」への45年間

ピーター・ポール&マリー(PPM)が1964年にオーストリアで行ったライブを見る。円形の舞台で、360度観客が取り囲む。照明を下から当てているうえに、シロクロの映像なので、なんだかものすごく怖い映像。まだ3人共20代のはずだが、みんな年齢よりずつと老けて見える。ザ・バンドと同じ? ただ、歌はバツグンによかった。ちょうどケネディが改革を謳って大統領になった時代。「change」を合言葉に、改革を始めようとするオバマ次期大統領の現代と、ものすごく似ているような気がする。PPMの歌うディランの「時代は変わる」は、まさにこの時代の気分がストレートに表現されている歌だ。アメリカは、民主主義の国。それが、歌からにじみ出てくる。なんだか、すごく感傷的な気持ちになった。そして、ちょっぴりそんなアメリカという国がうらやましくも思った。

民主主義の暴走が始まったのはいつからだろうか。

SYNODOSは、オシャレなマンションの1階。本日のインタビューイーは慶應義塾大学、京都造形芸術大学講師、「SINODOS」代表の芹沢一也さん。ちなみにとてもイケメンだ。取材は、ご著書を例に出しながら、その動機とテーマについて、順番にお話していただくところから始まった。もともと臨床心理を学んでいたことから、精神医療に関心があった。フーコーは、精神医療を貫く権力の構造を析出するが、日本では、そうした権力構造を精神医学に見出すことはできなかった。その違いがどこからきているのか。その構造自体が、しかし変容する。狂気あるいは精神病の患者さんは、治療の対象から犯罪者の予備軍に仕立てられていく。日本では生-権力が、まさに下からやってくる。そこから民主主義の暴走が始まる……。『談』の最後を飾るには、じつに当を得たインタビューとなった。3月末発行予定なので、ぜひ期待してください。

パターナリズムの正当化原理の検証から「動物化」問題へ。

tascにて企画編集会議。『談』no.83の二つのインタビューと一つの鼎談の内容を整理して報告する。それをもとに、editor'snoteの説明。beforeでは「余計なお世話」、「おせっかい」として忌避されるパターナリズムを、主に干渉の理由と関連付けて分類し、侵害行為、不快原理、道徳原理(モラリズム)とのつながりから概説する。その後、今回の特集の企画意図とそれぞれのインタビュー、鼎談の問題意識をすり合わせて、導入部分にする構成案の説明。afterでは、まず、パターナリズムの法的介入の正当性を明らかにし、「法と経済学」における反パターナリズムから行動心理学的「法と経済学」の反-反パターナリズムが出てくる背景を、主に近代経済学の「合理人仮説」の是非から説明する。次に、ソ−シャルワークの現場でのパターナリズム的実践という現実に定位して、パターナリズムの正当化原理を検討。さらに、バイオテクノロジーの進歩がパターナリズムとどう交錯するかを考察し、リスク社会化の中で急速に進む「アーキテクチャー」による管理を批判的に検討する。そして、今後の問題として、パターナリズムが「動物化」と結びつく現状を検証する。editor'snoteで展開した行動心理学的「法と経済学」、「アーキテクチャー」、「動物化」の諸問題は、no.84の特集「真逆のセキュリティ?!」で引き続き議論することになる。

インフォームド・コンセントは、時と場合によるという話。

我が家の愛猫が突然血尿。あわてて、動物病院へ。診察が始まる。といっても、愛猫はキャリーバックの中。先生の説明はとてつもなく長い。いきなり腫瘍の恐れもあるといって脅かしておいて、しかし、その確率はきわめて低いと付け加える。さらに、膀胱炎、尿結石、腎臓病、いろいろな可能性を示唆する。ところが、肝心の治療方法については、何も言ってくれない。超音波をとろうかとかレントゲンを撮るのもいいかもしれないとか、この機会に精密検査ばりに調べた方がいい、でも、ストレスがかかるからやはりやらない方がいいのではとか……、とにかく、決定的なことを言ってくれないのだ。結局、「決めるのはあなたです」といわんばかり。これをインフォームド・コンセントというのなら、僕はパターナリズムの方がずっといいです。パターナリズムでどんどん押し切ってほしい。自己決定なんて、必要ねぇ、とその時はマジで思った。20分以上、愛猫そっちのけでディスカッション。院中だけでなく、外にまでお客さんが溢れている。結局、薬を飲ませることになった。でも、これはこれまで飲んでいたもの。最初から、継続しましょうといってくれれば1分以内に診療は終わっていましたよ。今日を機会に僕はパターナリストになることに決めました。

80年、90年代の文化創造に大きな影響力を残したあるグルーブ企業の検証

dzumiへ。毛○君、宮○○君、深○君、そして○川さん、それに店主のIさん。Tさんの研究会の発起集会になるはずの今日の集まりが、延期の報告集会になった。S文化とはなんだったのか、体系的に理論立てて整理することはとても重要だと思う。だから、ぼくも関心をもったわけだが、内部にいた人たちとはだいぶ温度差があることがわかった。
上○さんとTさんの対談で、僕が一番不満に思ったのは、上○さんは結局のところ、消費者の立場からSと向き合っていたわけではなかったことだ。消費者といういうのは、Sグルーブのお客さんという意味。上○さんが、S文化の誕生と成熟を評価しながら……それは小売業として文化に関わり続けたTさんを高く評価してという意味でが……、その本業が立ち居かなくなって、最終的に解体していくその過程をみながら、Tさんの経営能力のなさ、経営感覚のなさを批判する。何か上から目線で、文化には理解があったのに、商業者として経営者としてのTさんをダメだったと断罪するその姿勢そのものに、ぼくは強い違和感をもった。
上○さんは、いったいいつSのお客さんだったのか。消費意欲を駆り立てられない、少なくともその意識、無意識の希薄な人間が、一方でハイカルチャーを享受し礼賛する、そして、その落差に失望する、この構図自体が、僕にはとてもインチキ臭くみえてしまうのだ。しょせんは、学者の目線でしかないな、という感想。毛○君も、同じようなことを言っていた。上○さんは、グッチもビトンももってないし、興味も関心も薄いんじゃないかなぁって。だから、この研究会でそこを埋めたかったのだ、僕としては。
しかし、こういう気持ちは、じつは内部の人間は、むしろあまり本気で思っていなかったようだ。内部の人間は、逆に世間のSに対する評価と内側の評価のギャップに戸惑っていたのだ。Sは暴走していた。プロジェクトを起こす時、これならTさんは喜ぶ、これはSぽい、もっとラディカルじゃないとTさん的じゃない、といった言動が内部ではいきかっていた。でも、それはTさんの真意ではなかった。周囲の人間たちがかってにT像をつくり、S文化幻想をつくりあげてしまった。そして、それにみずから振り回されていく。Sグルーブの代理店にもとんでもない勘違いオジサンがいた話。みんな暴走していて、その暴走をTさんも見て見ぬふりをした。その意味では、Iさんも暴走組の一人だった。
香○さんは、S文化に幻惑されていた。「決してサブカル好きを喜ばすだけがSではなかったのに、香○さんはまちがっているな」という人が案外いたらしい。だが、僕から見れば、外の人間の多くは、香○さんと同じように見ていたんじゃないだろうか。みんな幻惑されていたのだ。
そういえば、弊社のKちゃんのお姉さんをIさんと取材したことがあった。彼女もS文化に幻惑された一人で、その夢を実現させたくてSに就職する。いつか文○事業部への異動を希望しつつも、結局、SYの紳士売り場の店員に甘んじざるを得なかった。そういう社員がたくさんいたはずだ。毛○君の見方も、決して内部の声を反映しているものではないように思う。だからこそ、内部と外部の境界を取っ払って、S文化を正面から研究してみたかったのだ。それもかなわぬことになりそう。再びこのメンバーで集まれることをただただ願っている。

たばこ規制が強まる映画産業の何をどの角度から批評するか。

『TASC monthly』で1年間連載していただいたお礼と感謝の意味で、TASCさんに執筆者の粉川哲夫先生を囲んで一席もってもらいました。「シネマ・シガレッタ」は当初の予想通り、とても面白くかつ刺激に満ちた内容になって、満足しましたとお伝えすると、とにかくたばこへの規制がよりいっそう厳しくなったのか、たばこのシーンそのものがスクリーンから抹殺されようとしていると報告。そのために、回を追うごとに書きにくくなっていったよ、とおっしゃっておられました。でも、そうした状況とはうらはらに、先生の筆は、冷徹に、時に若干の同情を込めて、映像とたばこの交錯するその一瞬を切り取ってくださった。映画シーンの中のたばこ、たばこと映画の親和性といった題材の読み物は過去にもあったけれども、今回のように、映画のコンテクスト(ストーリーだけでなく映画産業というコンテンツも含めて)そのものに働き掛けるする作用因子(オブジェ)としてのたばこを、あくまでも映画的感性で読み解く、というものはなかったように思います。粉川先生にお願いして、ほんとうによかったと思いました。先生には、他に『談』にも対談者としてご出席いただきましたし、何かと縁の深かった一年でした。今度は、メディアアーティストとしてまた何かやってもらおうと思っています。「シネマ・シガレッタ」を面白いと思ってくださった皆さん、楽しみにしていてくださいね。

今、あらためて「解放の神学」を問う意味は…。

工作舎時代からの友人K君から突然電話。手紙の続きを書いたから読んで、という報告。思想的モティーフに若干の変更あり。彼にとっては宗旨替えするほど重要な路線変更らしいのだが、本質においてまったく変わっていないよ、と正直に感想を言う。しかし、イリイチはともかくとして、「ガンジーについてどう思う? 」と聞かれた時には驚いた。だって僕にとっては、ガンジーは唯一尊敬できる人だもの、キング牧師とともに。しかも、アッシジの聖フランチェスコ、スピノザ、ドゥルーズ系列で。もちろんK君も同じ。われわれは、正真正銘の同志であることを再確認した。ついでに、マザーテレサも好きなんだと告白したら、あたりまえじゃないか、と速攻応えが返ってきた。まったく僕らは、非暴力のゲバリスタだ。そして、僕らの関心は「解放の神学」へと向かう。『談』のno.47で「南における解放 解放の神学から考える」というテーマで、上智大学教授の山田經三先生にインタビューをしたことを突然思いだした。「解放の神学」を、また本気で考えてみようか。

「知的資産経営」をまちづくりに活かそうというアイデア

本日の『city&life』の企画委員会のために、資料に目を通す。企画会議の提案は、ディテールへのこだわりがポイント。しかし、あまりマニアックすぎてもいけない。その度合いがむつかしい。16時から企画委員会。「都市彩譜」「〈美しい町と村〉で変わる都市」の二案を提案する。「都市彩譜」(「まちのいろどりのふ」と読みます)は、経済企画省の「知的資産経営」をまちづくりに活かそうというもの。「崖の上のポニョ」で宮崎駿監督が構想を練った場所としてすっかり有名になった鞆の浦や門司港レトロ地区を取材しようという企画。一方の、「〈美しい町と村〉で変わる都市」は、日本で最も美しい村連合に加盟している北海道美瑛町、長野県大鹿村などを紹介するもの。大鹿村は、一度途絶えた大鹿歌舞伎を復活させて村を再生させたところ。そのきっかけになったのがこの村歌舞伎を題材にした映画「Beauty」の上映だが、この映画のプロデューサーが親友の桑山和之さんだった。そんな縁もあって、個性豊かな「村」の存在を知ってもらおうというのが今回の意図である。〈美しい町と村〉は、すんなり通ったが、彩譜と知的資産がどう結びつくかわからないという指摘が企画委員からでる。もっともな意見である。若干手直しすることになった。とはいえ、二つとも承認される。これで、3月と6月までの2号分の特集が動き出す。『談』も同じ間隔で企画が進行する。来年も忙しくなりそうだ。
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