ドキュメント

『談100号記念選集』が発売になりました!!

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『談』が産声をあげたのは1973年。今年、通巻100号を迎えました。それを記念し、のべ400人のインタビュー、対談、鼎談のなかから、、新たな切り口から再編集し、40本をピックアップ。今だからこそ読みたい珠玉の論文集になってます。
B5判並製 620ページ
本体2,200円


[1章]自由・権力・制度
〈対談〉 大澤真幸×廣中直行 「人間的」自由と「動物的」自由
仲正昌樹 虚構としての〈自由な主体〉……人間性の限界
萱野稔人 「労働と賃金の分離」の前で資本主義は沈黙するか
小泉義之 福祉社会の桎梏……病苦がなくなることを普通に欲望できる社会へ
赤川学 人口減少、少子高齢化から考える
〈鼎談〉北田暁大×大屋雄裕×堀内進之介 幸福とパターナリズム……自由、責任、アーキテクチャ

[2章] 他者・共存
立岩真也 公共性による公共の剥奪
木村大治 どのように〈共に在る〉のか……双対図式からみた「共在感覚」
酒井隆史 匿名性……ナルシシズムの防衛
芹沢一也 〈民意〉の暴走……生命の重みが、生存への配慮を軽くする
高橋哲哉 不在の木霊を聴く……他社の無数の声
瀧澤利行 養生論の射程……個人/社会の調和の思想
河野哲也 「こころ」は環境と共にある……「自分探し」という不毛を超えて

[3章] 科学的理性
平川秀幸 科学における「公共性」をいかにしてつくり出すか……統治者視点/当事者視点の相克
金森修 生命とリスク……科学技術とリスク論
〈対談〉佐藤純一×野村一夫 健康言説とメタメディカライゼーション
〈鼎談〉千葉康則×林知己夫×難波寛次 二分法のモノサシからの脱却を求めて
高橋昌一郎 理性主義を超えて……思考停止からの出発

[4章] 情報
今福龍太 偶有性を呼び出す手法、反転可能性としての……
東浩紀 初速と暗号、マルチメディアとしてのデリダ
山岸俊男 リスク社会の条件
岡崎乾二郎 見ることの経験
石黒浩 最後に人間に残るもの、人こそが人を映し出す鏡

[5章] 人生
植島啓司 快楽のさまざまな様態
石毛直道×樺山紘一 ガストロノマディズム……食の文化、食の文明
春日武彦 無意味なことに魅せられて……ささやかだけど役立つこと

[6章] 身体
〈対談〉稲垣正浩×柳澤田実 からだのなかにヒトが在る…動物・暴力・肉体
鷲田清一 肌理、まみれる、迎える……シネステジーとしての〈触〉
岡田美智男 「愉しみ」としての身体……次世代コミュニケーション、遊び/遊ばれる、エコロジカル・マインド
安保徹 こころとからだをつなぐ免疫機能……顆粒球とリンパ球から見た人間
〈対談〉宮本省三×河本英夫 私はどのように動いているのか……運動・予期・リハビリテーション
本川達雄 身体のサイズ、身体の時間

[7章] 知覚・脳
池谷裕二 時間は脳の中でどう刻まれているのか……生命、複雑性、記憶
一川誠 「生きられる時間」はどこにあるのか……高速化の中、時計からはみ出す私
入不二基義 無内包の「現実」あるいは狂った「リアル」
下條信輔 オートマスな脳……知覚の現象学、脳の現象学
茂木健一郎 心が感じる快楽……クオリア、ポインタ、志向性

[8章] 生命
池田清彦 構造主義進化論の試み
金子邦彦 生命システムをどう記述するか
広井良典 いのち、自然のスピリチュアリティ

amazonでも絶賛発売中。

『談』2冊、同時発売!!

本日、『談』no.101号 特集「 母子の生態系」、『談100号記念選集』が
仲良く店頭に並びます。
新しい見方、考え方は、いつも雑誌から始まります。
もはや雑誌の時代ではないという声をよく聞きます。
しかし、雑誌には、常に時代精神と寄り添い、
時代のちょっと先をみる眼をもっています。
雑誌の終焉がいわれる時だからこそ、
『談』はその「さきっぽ」に触れるメディアでありたいと思っています。
初めて『談』を知った人、ずっと前からファンでいてくれた人、
今、まさにスマホやタブレットでこのブログを読んでくれている人も、
ぜひ、本屋さんで、『談』を見つけて下さい。
そして、ちょっとでも面白いかな、と思ってくれたなら、
そいつをもって、そのままレジへ直行しましょう(笑)。
みなさん、『談』をよろしくお願いします。
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誤植のお詫びと訂正のお知らせ

『談』最新号安藤泰至先生のプロフィールに関しまして、誤植がありました。
お詫びを申し上げるとともに、下記のとおり訂正させていただきます。
[誤]共著書に『スピリチュアリティの宗教史』リトン、2012、 
『宗教心理の探究』東京大学出版会、2008
[正]共著書に『スピリチュアリティの宗教史 上』リトン、2011、
       『宗教心理の探究』東京大学出版会、2001

写真機に生成変化した写真家の展覧会

畠山直哉さんの個展「Natural Stories」にいってきました。じつは、開催前日の内覧会にも行ったので2回目です。あらためてじっくり見て、一つわかったことがありました。畠山さんの写真とカメラ・オブスクラの関係です。われわれが考える以上に両者は深く結びついている。会場入り口横に、カメラ・オブスクラを使って自らが描いたドローイングが展示されています。このドローイング、一見作家の遊び心から生まれたもののようにも見えるのですが、さにあらず、畠山さんの写真制作の本質にかかわる作業なのです。今回作家の生まれ故郷である陸前高田市を撮った写真が展示されています。震災と津波の爪痕が痛々しく残る風景の連作とともに、この10年間何度か訪れその際に撮られたと思われる風景が、スライドショーのかたちで展示されていました。それを見た瞬間、これはカメラ・オブスクラの中に入り込むことで捉えることのできる写真だと思ったのです。額装されたモニターに次々と写し出される写真。そこにあるのは、まさに自らが写真機となり、オートマティックにシャッターを切ることによってのみ可能な日常の風景です。思えば、畠山さんのスナップ写真をまともに見たのはこの展覧会が始めてでした。畠山さんは、「ライム・ヒルズ」「アトモス」「もうひとつの山」「ブラスト」と次々に問題作を発表してきました。風景写真のイデオムを根底からひっくり返してしまったその作品は、しかし、写真機それ自体に生成変化した写真家の拡張された世界像だったのです。「ブラスト」=爆発写真を見てほとんどの人が口にするのは「これ、だれが、どこで撮ってるの?」。代わりに僕がお答えしましょう。まさにあの爆発現場のただ中で、僕=写真機自身がシャッターを切っているんだよ。……そんな妄想がわき上がる展覧会でした。ちなみに、畠山さんは『談』no.64「視覚論再考」で佐々木正人さんと対談をしています。また、no.71「匿名性と野蛮」で写真作品を掲載しています。
畠山直哉展 Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ

HPとブログ修復完了です!!

大変ご迷惑をおかけしました。『談』HPとブログ修復完了です。サイト管理上の単純なミスが原因でした。今後このようなことのないよう注意致しますので、これからもよろしくお願い致します!!

佐々木中×いとうせいこうのチャリティ小説

さっそく佐々木中さんから震災後を踏まえた新たなプロジェクトのお知らせをいただきました。そのままコピーします。↓

佐々木中です。

 

この度の東北地方太平洋沖地震と続く一連の震災に際しまして、チャリティ小説を書くことにしました。

いとうせいこう氏と私で、リアルタイムで一章ずつ即興的に書いていくという試みです。

あえて募金窓口を新設せず、直接支援団体のリンクのみ貼ることにしました。

 

みなさまに置かれましては、すでに募金をされている方もおられるかと思います。

ですが、ルワンダ支援にかかわっている知人から聞いたところ、

募金先として、大きな組織は信頼できるが小回りが効かず硬直化し、分配に時間がかかるのも確かであって、

小さな組織のほうが募金するのにはいいのだが、しかしそうすると信頼度が問題になる、というジレンマがあるそうです。

 

日赤とそれ以外にリンクを設けました。あまり小さな組織はピックアップできませんでしたが、

よろしければすでに募金された方も別の窓口からお願い出来ればと思います。

 

タイトルは「Back 2 Back(仮題)」。これは複数のDJが1曲ずつ交互に曲をつないでいくというDjingのスタイルのことで、われわれにはふさわしいタイトルであると思われます。

ぜひお楽しみ下さい。また、お手間をとらせて恐縮ですが、ブログやツイッターなどの独自媒体をお持ちのかたは、この試みを告知し、広めていただけると幸いです。

 

いとう氏との話し合いのなかで、二人のあいだで流れができたら他の作家さんに飛び入りしていただくことも考えていますし、

ひとめぐり終わったらどこからか出版し、そのいとう氏と私との印税分は全額寄付することも合意しています。

また、一応万全を期してはいますが、即興的な試みゆえの誤字脱字や不穏当な表現などございましたら、ぜひご指摘をたまわりたく思います。

寄付窓口についてもご忠告がありましたら是非。

 

URLは以下から。

 

http://www.atarusasaki.net/back2back/

『談』最新号をHPにアップしました!!

『談』最新号 特集「辻井喬と戦後日本の文化創造 セゾン文化は何を残したのか」のアブストラクトとeditor's noteを「最新号」にアップしました。

画面左側のメニューバーから「最新号」へアクセス。

『談』最新号「ゲニウス・ロキと空間論的転回」が24日に発売になりました。

『談』最新号「ゲニウス・ロキと空間論的転回」が発行になりました。
立命館大学文学部准教授・加藤政洋さんの「お茶屋、席貸、ラブホテル……空間レンタル業の系譜学」
神戸大学大学院人文学研究科准教・大城直樹さんの「場所と記憶……「郷土」表象はいかにしてつくりあげられたか」
明治学院大学国際学部教授・原武史さんの「土地の忘却……体感としての空間・政治・歴史」
表紙は、吉澤美香さんです。
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辻井喬さんと北川フラムさんの対談が実現した。

詩人の辻井喬(堤清ニ)さんとプロデューサーの北川フラムさんという超ビックなお二人の対談。いちおう僕が司会進行役のつもりでいたら、北川さんが聞きたいことがたくさんあるので僕からぜひ質問させてほしいと。驚いたことに辻井さんまでも、僕もおしえてほしいことがあるからと。結局、お二人に任せることにした。北川さんでなくとも、70年代、80年代、90年代と西武(セゾン)文化に影響されまくっていた人間は多い。その西武文化を回顧しながら、日本における文化と創造行為についてたっぷり話し合っていただいた。北川さん普段はとても鼻息が荒いのに、今日はじつに謙虚な態度で、お言葉を拝聴するという感じだったのが面白かった(失礼)。一通りすんだところで、僕もいろいろ質問させてもらった。ぼくの結論としては、堤さんはやはり生粋のモダニストで戦後世代の良識派知識人。モダンなものが文化の先端であった時は良かったけれど、ポストモダンの時代になって、それは内部破綻を起こす。西武文化イコール堤さんというわけでは全くないけれど、堤さんの絶対矛盾の自己同一的な側面(失礼)は、その方向をより強烈に推し進めてしまった。一方、フラムさんは、徹底的にフィールドの人だ。そうした堤さんをいわば仮想敵にしつつ、周辺へ、境界領域へ、マージナブルところへその触手をどんどん広げていった。そして、本当の地方の時代が始まった。文化の中心は、もはや中心にはない。そしてどうなったか。北川さんの文化戦略が勝ったのである。少なくとも、越後妻有トリエンナーレと今年から始まった「水と土の芸術祭」を見る限り、僕にはそう見えた。

なんだかんだで、結局天文ショーを見てしまった。

皆既日食のテレビの中継を見る。あいにくの天候だが、見れるところはあったようだ。奄美大島でフジの大村アナがはしゃいでいる。ワールドカップよりすごいと。それよりNHK。自衛隊か観測目的でないと上陸できない硫黄島からの中継。観客がゼロ、静かな天文ショー。本当に真っ暗になっている。圧巻は洋上(観光船)から見たダイヤモンドリング。女性アナは、黒い太陽になるとウォーウォーいうだけ。コロナとプロミネンスには驚いた。それと周囲360度水平線上がオレンジに輝き、上空は暗いという、皆既日食にならない限り絶対に見えない風景。黒い太陽もすごいけれど、確かにこれを生で見たら人生観変わるかもしれないと思った。メキシコのユカタン半島に行った時、ピラミッド、ティツンイツアーの頂上で360度の地平線を見てえらく感動したのをおぼえている。あれが水平線でしかも輝くのだから、とうてい比較にならないだろう。皆既日食は、太陽と月と地球の関わりを考えさせてくれるいい機会になった。

一日3本の打ち合わせとインタビューは、なかなか忙しい。

明治大学生田校舎の農学部へ。橋口卓也先生と面会。「「農」から「都市」を考える」というテーマで、主に生産の場としての役割を担う「村」と、消費する場である「都市」との望ましい関係性を、「農」の側からコメントしてもらおうというもの。先生のご専門は、農業政策論。先生の学生時代はバブル絶頂期。農学部は冬の時代だった。ところが、昨今の農業ブーム。農学部は、今や人気学部の一つなのだという。そうした状況を踏まえながら、農業の課題と将来について、都市との関わりから論じてもらおうというわけだ。午後からJTで「嗜み」の企画会議に出席。夕方、丸の内で真鶴町まちづくりの会「海緑鳥(うみどり)」代表の平井宏典さんにインタビュー。なかなか忙しい一日だった。

二度あることは三度ある、とはいえ、すっぽかされるのはねぇ。

明治大学のHT教授と待ち合わせたが、みごとにすっぽかされた。同席した森美術館キュレーターのT女史は渡すべき資料を抱え、また、平凡社のSさんはケツカッチンで落ち着かず、待つこと2時間。研究室に連絡してもご返事なし。結局仕切り直しということでとりあえず散会することに。しかし、待っている時間、お互い自分のことをいろいろ話すと、共通の知り合いが何人もいることが判明。知り合いの知り合いをたずねていくと5人目で必ず共通の友人にいきあたるという法則があるけれども、まさにそれを地で行っているようだ。Sさんが今担当している2冊の書籍の著者が、いずれも良く知っている人と最近インタビューした人だったのには驚いた。良く知っている人は、『談』でインタビューをさせていただいたのをきっかけに、かなり親密におつきあいをさせてもらっている人だ。T女史の大学院時代の先生も、『談』で何度かお世話になった人だった。世の中せまいですねぇと盛り上がり、すっぽかされても、時間は無駄になりませんでした。(じつは、翌日ご本人と連絡がとれて、聞けばその時間、事故発生で対策にてんやわん、連絡どころではなかったらしい)。ちなみに、T先生とは都立大学(現首都大学東京)時代に一冊聞き書きの本をつくったのだけれど、その時も一度すっぽかされたことがありましたっけ。

なぜ日本には海洋文学が少ないのか。

京王プラザホテルで、三浦雅士さんと西成彦さんの対談。西さんとは、じつは30年ぶりの再会。今日のカメラマン、伊奈英次さんも同じ。その昔、今はテレビのコメンテーターをやったりCMにもででいる荒俣宏さん宅へ一緒に尋ねていった仲なのだ。今や、向こうは大学院の教授。エッセイが映画の原作にもなって、一時期マスコミにも登場することもあったが、今は、ご自身の研究で世界を飛び回っている。なぜ日本には海洋文学が少ないのか。言語とクレオール、海と文学の関わりについて、あっと驚く理論的展開。文藝春秋発行『嗜み』第4号に収録予定。乞うご期待。

赤ら顔でハシゴのできるクラシックのお祭り「ラ・フォル・ジュルネ」

東京国際フォーラムへ。「ラ・フォル・ジュルネ2009 バッハとヨーロッパ」。去年始めて参加して、とても良かったので今年もまた来てしまった。「低料金で、すべての演奏は一時間以内、そして子供もオーケー」。だから、コンサートのハシゴができるクラシックの祭典。この革命的コンセプトで、新時代のクラシックコンサートをつくりだしてきたラ・フォル・ジュルネも今年で5年目。すでに開場になっているのでホールD7へ。上海出身シュ・シャオメイのビアノソロ。「平均率クラヴィーア曲集第1巻 前奏曲とフーガ」。練習曲(なんていうと怒られそうだけど)を改めてじっくり聴くのもいいものだ。シャオメイは、バッハの音楽には仏教の精神に通じるものがあると断言するように、彼女の指からは、色即是空が匂い立つ、ような気がした。なんちゃって。少しあき時間があるのでお昼というかおやつにする。シャンパンとハープチキン。丸の内のオープンエアの中庭で、これができるのが嬉しい。緑陰の立ち飲み用スタンドで日中のシャンパン。「熱狂の日音楽祭」というだけのことはあって、赤ら顔でコンサートをはしごできるのが、なんとも魅力だ。2つ目の会場ホールCへ。ピエール・アンタイ指揮古楽アンサンブルのル・コンセール・フランセで「管弦楽組曲1番ハ長調BWV1066」と「管弦楽組曲2番ロ短調BWV1067」。バッハでは、ブランデンブルグ交響曲の次によく曲。いやちがうイタリア協奏曲ヘ長調BWV971の次か。アンタイのメリハリの効いたそれでいて優美な演奏は気持ちがいい。ホントは、彼のチェンバロの演奏を聴きたかったのだけれど。きっちり1時間。フォーラム内の常設ブース「ごはんカフェ」で早い夕食。日本酒が充実していていい。ご飯も旨い。当日の公演のチケットを持っていれば、無料で入場できる映画を見る。ベルイマンの「サラバンド」。父と子、離婚した夫婦、祖父と孫娘、が織りなす人間模様。愛の葛藤と困難。学生時代に見た「野いちご」の映像が強烈に甦ってきた。ベルイマンこそ、映画にすべてを語らせてしまう天才だ。無伴奏チェロ組曲第5番BWV1011「サラバンド」が静かに流れる。今日は一日クラシック三昧でした。

おりこうさんの原稿とそうでない原稿は何が違うのか

山崎正和先生と五百旗頭真先生の対談原稿を仕上げる。ポイントは一応押さえられたと思う。対談原稿の場合は、対話のリズムを大切にしている。すると、内容的には、若干軽くなる。リズムをとるか重さをとるか、そのバランスが大事。でも、対話の名手というのは、そんなこと考えずに書いても、ちゃんと小気味よく流れ、伝えたいことはちゃんと伝えられる。今回のお二方の対談もまったくそうだった。おりこうさんの原稿になってしまった。もちろん、それはいいことですが。

ほんとうのところ、ヒット曲はどうやってつくるんですか?

先日インタビューさせていただいた音楽プロデューサー酒井政利さんより校正が戻ってくる。事実関係の思い違いを若干修正されました。それを転記していたら、直接ご本人よりお電話。本ができたら「一緒にいっぱいやりましょう」といううれしいお誘い。もちろん、二つ返事でお受けしました。南沙織、郷ひろみ、山口百恵、キャンディーズ、天地真理といったアイドルだけでなく、朝丘雪路、ジュディ・オング、内田あかり、金井克子、大信田礼子といったアダルト路線の女性たちも、酒井さんのプロデュースでヒットしました。酒井さんは昭和歌謡そのものです。周囲に「ライフワークは流行歌の研究」と言ってる手前、ここは一つじっくり「ヒット曲はどうして生まれたか」、歌謡曲と売れ方の関係についてお聞きしようと思います。

昭和30年代ブームの先にあるのは、豊後高田市の新たな戦略。

カーテンを開けたら、一面銀世界。しかも、まだふり続いている。

豊後高田「昭和の町」の「昭和ロマン蔵」へ。まず、「駄菓子屋の夢博物館」にお邪魔する。04年に斉藤夕子さんが取材させていただいた夢旅案内人藤原ちず子さんがやってきて、ご挨拶。にこにこしながら機敏に対応してくれる元気のいいおばちゃんだ。ざっと博物館を見る。昭和30年代のものを中心にポスターや印刷物に生活雑貨、電化製品、レコードやおもちゃといったグッズ類,ありとあらゆるものが所狭しと並べられている。昭和の遺品を集めた一大倉庫、豊後高田のスミソニアンといった感じ。館内には昭和歌謡が流れている。「お〜、これは僕のもっているコンピレーションアルバムだな」と感動してみたり。

事務所で豊後高田市観光まちづくり株式会社の代表取締役・野田洋二さんと豊後高田市商工観光課・安田祐一さんにお話しを伺う。観光振興をはかりつつもそれだけに留まるのではなく、周辺の地域と協力して、新たな産業の掘り起こしと育成をはかりながら持続可能なまちづくりをめざしていくという、構想、将来像について、ヒヤリングした。たまたま昭和の町が注目されて観光客が予想をはるかにこえてやってきた。しかし、しょせんは商業活性化策の一つでしかない観光を、より継続的にさらに他の産業と連携させていくためには何が必要か。いろいろかんがえているのですよ、彼らは。豊後高田の戦略は、ずっと先を見ていることに驚き、共感する。

外は雪もやんで、陽がさしている。商店街へ。たばこの自販機に、昭和を代表する「わかば」「しんせい」「ゴールデンバット」が並んでいる。「大寅屋食堂」で、昭和58年より値段据置きで消費税もとらない、「350円」のちゃんぽんめんを食べる。少し小ぶりではあるけれど、これが美味い。野菜もたっぷり、海老だってちゃんと入っている。特にスープが美味しかった。プラスティックの柄付きカラーコップに麦茶のサービスというのも泣かせるぜ。感激しました。

そのあと、学校給食の店とか、高田テント店とか森川豊国堂とか「昭和の店」を覗く。「二代目餅屋清水/杵や」へ。ここのおかみさん(ひまわり娘と呼びたい元気一杯の女性)にお話しをうかがいながら、かきもちをご馳走になる。サソリを樹脂で固めたキーホルダーなどを売っている昆虫の店とか「おからコロッケ」が美味しかった「肉のかなおか」、昭和のおもちゃ・グッズの専門店「雑貨商/古美屋」などなど、一軒一軒覗きつつ撮影しながら歩く。

昭和の洋菓子店を彷彿させる「かいえ」でコーヒーとお菓子。再び商店街を戻りながら撮影。すると、団体客が次々にやってくる。「野郎の集団じゃなぁ」と思っていたら、ちゃんとおばさん、お譲さんの団体もやってきて、コロッケを立ち喰いしたり、給食メニューに歓声をあげたり。「杵や」でお土産を買おうと入ると、博物館の 小宮さんがたむろっていた。そして、本日最後の撮影、「昭和ロマン蔵」内の「昭和の夢町三丁目館」と「昭和の絵本美術館」を撮っておしまい。帰りに藤原さんにたっぷりと駄菓子のお土産をいただいた。

帰りは、クルマで宇佐に出てここからJRで朽網(くさみ)下車。クルマで北九州空港へ。小雪の散る空港で食事をして無事帰宅。

有機野菜にこだわる姿勢に、ほんもののホスピタリティを見た。

門司駅へ。それにしてもモーレツな風。吹き飛ばされそうになる。

三井倶楽部とJ九州のリノベ予定物件のJRのビルを撮影し、九州鉄道記念館へ。今日は館内に入る。SLなどの本物の鉄道車両の展示。日立が車両を製造したわが国最初の寝台車「月光」も展示されていたので一生懸命(『ひたち』で使っていただけるように)撮影する。建物の中が異常に充実している。運転シュミレーターに挑戦。ホームが近づくと少し早めにブレーキをかける傾向があるためか、停車位置より手前で静止してしまう。中級という判定。マドカッチは反対に暴走系。スピード出しすぎで、ホームを通り過ぎてしまう。やはり中級。ふたりとも、性格がよく出ている?!

九州鉄道のジオラマ。一日24時間を10分間に縮小。これは面白い。それにしても、JR九州は、なぜにこんなに車両のバリエーションが豊富なんだろうか。デザイン重視の傾向著しい。鉄オタが多いからではないかという仮説。ミニ鉄道公園で、3人乗りのミニ鉄道に乗る。非常にゆっくり、夕子さんは、マイクを壊しました(内緒だっけ?)。

商店街で教えてもらった焼きカレーの店が閉まっていた。それで、海側の上戸綾が絶賛した焼きカレーの店。焼きカレーは、カレー風ドリヤのこと。これは、家庭でつくったカレーの二日目にいいんじゃないかという夕子さんの意見に同意。たまごとチーズがこの店の特徴。魔法のスパイスが決めてか。美味しかった。

タクシーで、和布刈の展望台へ。帰りに旧正月の名物神事わかめ刈の行われる和布刈へ。寒い。海峡プラザでご当地キティを買う。やはりありましたよ、バナナの叩き売りキティ。門司港レトロの展望台に上る。雨が降り出してきたので、ホテルで荷物をピックアップして門司駅へ。

三人で小倉まで。マドカッチは飛行機が飛んでいるかチェック。結局彼女は、帰りの飛行機をキャンセルして新幹線で帰ることになった。僕らは、宇佐へ。駅に降りると何もない。しかも国道を徒歩5分と書いてあったのに。それらしいものはない。ところが5分ちょっと歩くとありました。補聴器をつけているおばさんにチェックイン。周辺に食べるところがない。急遽ここで食べることに。

風呂に入る。貸切になるところはいいのだけれど、細長いあまり類例のない温泉。借りた無線LANがうまく接続できない。夕餉は、2000円にしては豪華。有機野菜にこだわる姿勢が、これでもかこれでもかと。しかし、この姿勢、僕は大いに気に入った。部屋のドアが一枚隔ててすぐに畳み部屋だし、トイレは共通、しかもウォッシュレットではない。部屋に洗面所すらない。この時点で普通はキレるのだか、料理はいいセンいってたし、何よりホスピタリティを感じる。これはこれでありかなと。

レトロがトレンドの時代、門司港レトロは何を狙う?

北九州空港には定刻着。バスで門司港レトロへ。

まず、門司港ホテルに荷物を置いて、ランチタイム。海峡プラザ内の「瓦そばたかせ」に入る。思い出したが、斉藤夕子さんと以前取材で来た時にもここに入った。瓦の上に茶そばと錦糸玉子、カルビと海苔を乗せて火にかけたものそれをめんつゆにレモンを絞っていただく。一人一つではなく、3人分を一つの瓦に出す。まぁ、一回食べればいいや、と思う名実共にB級グルメ。

跳ね橋の開閉を見て、旧門司税関でお茶。彼女たちは取材、僕は門司港レトロの建物や環境を撮影する。旧大阪商船のビルが一番見ごたえがあった。九州鉄道記念館に展示されているSLがよかった。

春にはトロッコ列車が走るという廃線を撮影していたら、ジャージのおじさんがうれしそうに「ここに列車がまた走るんだぞ」と話しかけてきた。そう、今年、廃線を復活させて、関門架橋までトラムが走るのだ。これはいい企画だ。

跳ね橋で取材を終えた彼女たちと合流して、今度は栄町銀天街から清滝かいわいの路地を散策。かつて娼館だったであろう3階建て木造建築が残っている。坂の路地は、疲れるけれどその迷路を歩くのは楽しい。どうみてもポメラニアンではないワンちゃんをそういいきるおばちゃんに遭遇。そこには、2匹の猫がこちらを睨んでいた。

商店街の路地を入ったところにある「放浪記」というレトロな店に入って、コーヒーと昔風のロールケーキを食べる。FUMIKOの林(ハヤシ)ライスのもとをお土産に買う。そう、ここはその生家といわれる林芙美子にちなんだ店なのだ。

第一船だまりの夜景を撮影。シロートには、なかなか敷居の高い撮影であった。asa感度を上げて、露出をマイナスにして撮ると、それらしき撮れることを発見。

一度チェックインして、夕餉にでかける。紹介された三井倶楽部内のレストランは休業。しかたがないので、「トラットリアバルク」に入る。期待もしなかったが、ホスピタリティが著しく欠けた店だった。いきなり箸を出すし、赤ワインは平気で冷蔵するし、そのワインをめぐって何人もの店員が右往左往するし、カード決済すらまともにできない店だった。味も、町の洋食屋程度。こんなことなら、商店街そばの居酒屋に行くんだった。

ところで、「観光でまちづくり」というけれど、いったいどの程度投資をしているのだろうか。TDRは、毎年コンスタンスに追加投資をしているが、シルクドソレイユでは300億近くを新たにつっこんでいる。だから、リピーターが来て2500万人以上の集客を得ることができるのである。もっとも、そのためには業績を上げて資金を集めなければならない。資本主義のいたちごっこをやり続けなくてはいけないのだ。必要なのは智恵よりもカネ。結局は、事業をホンキでやるかどうかにかかっているわけで、ガバナンスこそが問われている、と行政は真剣に考えなくてはいけないのである。

「愛と死をみつめて」のプロデューサーにお会いする。

70年代アイドルものを聴きながらクルマで出社。なぜならば、今日のインタビューは音楽プロデューサーの酒井政利さんだからだ。今回は、僕の好きだった歌手、アイドルがテーマなのでわくわくする。

15時30分に文春の玄関でカメラマンの伊奈英次さんと待ち合わせ。迷路のような廊下を通って、別館応接室へ。準備をしてもう一度玄関へ。時間より少し早く酒井さんマネージャと参上。素敵な紳士だ。

インタビューは最初の仕事の紹介からスタート。青山和子のヒット曲「愛と死をみつめて」は、マコとミコが主人公。小学生の時、同じクラスに美恵子ちゃん(ミコ)というかわいい女の子がいて、僕(マコ)はよくからかわれたという話を披露する。酒井さんは、南沙織が一番のお気に入りだったのはちょっと意外だった。百恵は、別格だったようだが、南沙織は、それとは違った独特な魅力があったらしい。

アイドルとアダルトと両方を同時に手がけていて、結局プロデュースした曲は7000曲。じつは、事件屋さんで押しの強い人と書いてあったので、ちょっとどきどきしたけれど、それはまったくの取り越し苦労。腰の低い、とても柔和な紳士だった。帰りぎわ、沙織ちゃんと今でも会うから、今度誘おうかといううれしいことを言ってくれた。実現することを祈っています。

能動性は、圧倒的な受動性のもとにしか発生しない。

今週1週間で『談』no.84の三人のインタビューをしてしまう。初日は、大阪大学大学院人間科学研究科准教授檜垣立哉先生。no.83号で取材させていただいた先生の研究室はすぐそばにある。じつは、まだチェックが戻ってこないのである。いっそ、みんなで押しかけようかと冗談じゃなく思ったけれどやめました。研究室にお邪魔すると、机に『談』が数冊積んである。一番上に「バイオパワー」。先制パンチをくらった感じでインタビューが始まる。先生は、予想とまったく違って、非常に気さくな方でした。フーコーの思想は、前期と後期に分けられるが、生権力、生政治を問題にする前期と違って、後期ではその中心は自己のテクノロジー。一方に自然史的物質としての身体があり、他方に自己=主体がある。この二重性に注目しないと、後期の仕事は理解できないだろうという話から始まって、生権力論から人間の根源としての生存の問題がテーマに。次々に話題はシフトして行き最後に賭けの問題へ。『賭博/偶然の哲学』で「リスクの社会論はフーコーの自己とはベクトルが逆」という一つの結論が明らかにされた。能動性は、圧倒的な受動性のもとにしか発生しない。そして、責任とは、賭けとその忘却という関係性において成立するという。やはり、現代思想は面白い。『談』のポジションは、やはりここにこそベースがある。

デザインを一新した『TASC monthly』

『TASC monthly』の最新号が届く。今回、デザインのリニューアルのお手伝いしました。無礼を承知で、「今どきの学会誌でも、もうすこしあかぬけてますよ」、と申し上げて、プレゼンをさせていただいたのですが、やはり、やってよかった。手前みそですが、見違えるようによくなりました。内容も、ますます充実。ぜひ、みなさん一度手に取ってみてください。といっても、書店では販売していませんので、購読を希望される方はTASCまでご連絡下さい。

仕事始めは、校正ゲラのチェックから。

今年最初の『談』の仕事は、年末にみなさんに送っておいた校正ゲラのチェック。といっても、年明けすぐに送ってくれたのは、お一人だけでした。そもそも原稿をあげたのが遅かったといわれればそれまでですが、それにしても、みなさんもう少し迅速に対応していただけると嬉しいんですが。こんなのんびりした調子でやっていると、発行はいつになることやら。来週から、次号のインタビューが始まるというのにね。

アセっているはずが、どこかで気を抜こうとしている。

昨夜つくった『city&life』の企画書を読み直しブラッシュアップ。かなりくどい。「つかえねぇ〜」やつがつくったバットな企画書ナンバーワンにえらばれますね、これだと。でも、企画書に常識はないのです。これでいくことにする。次に、テープおこしの続きを読み始める。と、ようやく待ちに待ったKさんのチェックが戻ってくる。なんと、完膚無きまでに変形。別物になっているではないか。やれやれ、他の二人にもう一度見せて、再チェックか。『談』の進行がまたまた遅れる。身から出た錆とはいえ、いくらなんでもこれはまずい。はやる気持ちだけが空回りする。ところが、去年の日記を読んだら、年内にアポとってインタビューまで終わっていたと思っていた『談』のインタビューが、年明けだとわかって、それでまた落ち着いてしまった。どうも、僕の場合、このパターンが多すぎるようだ。

四大嗜好品をテーマにしたシンポジウム

JTアートホール「アフィニス」へ。「たばこと塩の博物館30周年記念シンポジウム「四大嗜好品にみる嗜みの文化史」に参加する。

プログラムは、まず館長の大河喜彦さんの開会挨拶から。ここでいう嗜好品、コーヒー、茶、酒、たばこの定義付けから。次に、養老孟司さん、イ・ドンウクさんの記念講演。養老さんは、マイクをもって歩き回りながらの講演。あいかわらず語尾がよく聞き取れない。しかし、内容はとても面白かった。

大脳皮質と辺縁系の関係を図式化してみると、辺縁系自体はどの動物も余り変わらない、ということはどういうことになるかというと、大脳と辺縁系の割合が、脳の小さい動物では相対的に大きくなるのだ。たとえば、猫と人間では、辺縁系は、相対的に猫の方が大きくなる。だから、あれだけ情動的、感情的行動に出るというわけ。

また、y=axの公式を発案したとして、aは一種の重みづけ。aがおおきくなればy=出力(x=入力)は早くなる。つまり、好き/嫌いという重みづけがはっきりしているほど出力が早いというわけ。で、このaは、「現実」でもあるという。情動がいかに生き物にとって重要か、ということについての養老さんの仮説である。この説には、ちょっと興奮した。次の、イ・ドンウクさんのは韓国の四大嗜好品について。それらを一つづつ概観していく。もう少し焦点を絞った方がよかったのでは。

さて、第二部はシンポジウム。シンポジウムは出席者の顔ぶれでほぼ決まるといっていいが、今回はまさにベストといっていい人選。コーヒーの臼井隆一郎さん、お茶の角山榮さん、酒の神崎宣武さん、たばこの半田昌之さん、そして司会が高田公理さん。臼井さんから順番に、15分ほどのプレゼンテーション。臼井さん、初っぱなからコーヒーをコーヒーハウスと社会関係にからめて論じるので、いきなり話が難しくなってしまった。ぼくは、臼井さんのこの議論が公共性という問題の本質を炙り出すので、非常に面白いと思っているのだが、他のパネリストの関心と若干のズレがあり、実りのある議論へは発展しなかったのが惜しまれる。

角山さんは、コーヒーハウスが男性社会のものであったのに対して、お茶は家庭内のものであり、基本的に女性の文化であったことを報告。しかし、それが、近代社会の成立以降、女性の社会参加等で崩壊していく様子を論じる。角山さんの、ホーム・スウィート・ホームの文化論は、理想主義の典型。87歳という年齢にもかかわらず、机を叩きながら女性の応援歌を謳い上げる姿は、知識人のあるべき姿をみた思い。胸が熱くなった。

神崎さんは、宮司さんでもある。たとえば、新年の初めにいただくおとその習慣が急速に失われている。清酒は古来よりハレの場での飲み物であった。その意味をあらためて考えてみる必要があるのではないか。「百薬の長」といわれる酒は、他方、「きちがい水」とも言われる。この両極端の間に、儀礼、社交、嗜みなどのさまざまな酒の意味がある。そのことをかみしめてみようという。今、儀礼が残っているのは、あっちの世界だけ。もう一度、こっちの世界にも取り戻そうと提言する。同感だ。

半田さんは、「ものごと」という言葉に注目する。嗜好品は、まさに「ものごと」だ。ものとしての側面に関心をもつのが博物館(学)であるが、「こと」のもつ意味も忘れてはならない。嗜好品に対する評価も、「もの」と「こと」が重なり合った時、確かなものになるだろう。

そのあと、三村奈々恵さんのマリンバと天野清継さんのギターによるコンサート。三村さんは、ジャンルにこだわらず、クラシックから世界の音楽、ラテンミュージックまで演奏する。しかし、マリンバというのはなかなか難しい楽器だ。ニュアンスが表し難いように思うからだが、演奏はその微妙なニュアンスをみごとに伝えていた。

懇親会に参加させてもらった。臼井さん高田さんらと歓談。webマガジン「en」で「塩の博物誌」を連載されていたたばこと塩博物館の高梨浩樹さんと、久しぶりにゆっくりと話をした。嗜好品の世界は深い。それを突き詰めようとすれば、テーマや課題が次々に出てくる。やれることはまだまだいっぱいあるのだ。『談』の特集になりそうなヒントもたくさんもらいました。

一山越えると、そこにはまた一つ高い山が……

対談原稿をようやく書き上げてチェックに回す。結局、なんだかんだで今月は100枚書いた。まぁ、自慢するような枚数ではないけれど、仕事の遅い僕にとっては、なかなかきついものではありました。とはいえ、当面あと1本50枚というのがあるんで、もうひとふんばりしなくっちゃ。

ヴァーチュアリティから立ち上がる不在の記憶としての音を聴いた。

永福町のsonoriumの前にはすでに人の列ができていた。「for maria」と題ざれた渋谷慶一郎さんのライブ。100人は入るだろう会場は満員御礼。第1部は、mariaさんの音源を池上高志さん+evalaさんが新作に。そのあと、高橋悠治さんのピアノソロ。万葉集にインスパイヤされた自作の小品12曲を演奏。第2部は渋谷さんのピアノソロ。壁には、mariaさんの写真や映像が映し出される。動くmariaさんを見るのは初めて。バッハの曲やmariaさんに捧げた曲、そしてハッピーバースデー。最後はmariaさんが好きだったというブラームスのインテルメッツォ。なんだかとても感傷的になってしまった、それもしかたがないだろう。会場では鼻をすする音や嗚咽も聞こえてきた。
それにしても不思議な感じがした。mariaさんを僕は、3ヶ月前まで知らなかった。その存在すら知らなくて、こうして動いている姿を見たのは今日が初めて。アーティストであると同時にモデルでもあったmariaさん。とても美しい人だった。渋谷さんとまともにお話したのも4ヶ月前のこと。なのに、そのmariaさんは既に他界していない。そのmariaさんの誕生日で二人の結婚記念日でもあった9・11に、mariaさんにささげられた音楽を僕は聴いている。不在、音、リリシズム……。すでに記憶の中にしかいない他者に捧げられた演奏とはどういうものなのか。いや、記憶の中に確かに刻まれた現在。その記憶を音の中に聴くということ。結局、現在ただ今以外は、すべて記憶ではないか。未来ですら僕らにとっては記憶にすぎない。記憶、不在、その言働化としての音楽。今日のライブは、まさに「おとはどこにあるのか」という『談』の今号のテーマそのものだった。

セレブ気分もつかの間、いきなりビンボー編集者に。

昨日の対談の会場は大阪ウェスティングホテルのエグゼグクティヴ・スウィート。そのまま、僕はここに宿泊。朝食は、エグゼグクティヴ・ラウンジだし、にわかセレブは楽しい。しかし、すぐにビンボー暇なしの編集者モードに。12時のチェックアウトまで原稿書き。何処にも寄らず、新幹線に乗って、車中で再び原稿書きの続き。帰宅後、食事もそこそこに原稿書きを継続。ホテル、車中、自宅とパソコンと向き合ったまま、一日が終わってしまった。

「第三項音楽」はどこへ行こうとしているのか。

公開対談2夜目は、小沼純一さんと渋谷慶一郎さんの対話。
渋谷さん目当てのお客さんが多いと思い、リップサービスもあって、今日は渋谷さんの最近の仕事、「第三項音楽」と「filmachine」のを中心に、展開していただこうと思った。ぼくが事前に作ったレジュメは、毎度のことながらチョーてんこ盛り。これひとつひとつやってたら1日喋っても終わらないよ、といわれそう。そのうえ、わけのわからない呪文のようなことが箇条書きになっているという代物。これをシナリオにお願いするオレってなに?! と思ったのだが、あららびっくり、終わってみたら、話してもらいたかったことはみごとに拾い集められて、要するに、渋谷さんのやっていることと考えていることは、こんな感じに整理できるよね、とキレイに棚に並べられて、ほらっと見せられた感じ。小沼さん、じつにみごとな話術だった。その分、小沼ファンには物足りなかったかもしれない。今度別のかたちで、小沼さんにはたっぷりお話ししてもらいますから、どうかご勘弁を。
差異と反復ではない音楽をめざす「第三項音楽」はいかにして生まれたか。作曲者にしかわからないほんとうの秘密、そして、それは次にどこに向かおうとしているのか。白熱の2時間。残念ながらここではいえません。詳しくは、6月末発行の『談』でお読みくださいね。

メディアのalternativeが結晶化と共鳴する時…

『談』公開対談第1夜。「粉川哲夫さんと廣瀬純さんの対話」

トピックな話題から入ればいいと思いネグリ来日中止の話から始めてもらう。ネグリ、ガタリときて自由ラジオへつなぎ、そのままラジオアートに流れていけばいい、と思ったからだが、やはり、そうは問屋が卸さなかった。ネグリの話がとぐろを巻くごとく、ぐるぐる回り出す。まさに「ネグリでんぐり」。

粉川さんは、中止にいたった経緯とその対応へのコメント、またネグリ個人に対する感想を述べると、廣瀬さんは、ネグリの思想は、ネグリ・ハートの三部作「帝国」「マルチチュード」「コモン」で捉えるべきで、そこでネグリが一貫してとっているのは、「逆手にとる」という方法ではなかったと指摘。この意見に対して、粉川先生はすでにその「逆手にとる」ということが古いのではないか。返り咲いたベルルスコーニが画策しつつあるグローバルなメディア戦略に対しては、「逆手」では対抗できない、もっと別のこと=「オルタナティヴ」を考えなくてはならない。たとえば、粉川さんのドメイン名である「translocal」、サイト名である「polmorphous」がそのヒントになる。

インターネット環境以降のトランスメディアの可能性として、ラジオのミクロ性に改めて注目し、インターネットとそれを接続することで、グローバルかつミクロなオルタナディメディアを作り出していけるのではないか、と提言する。alternativeとは、alter=変える、とnative=土着の、が合体したことばだとイマジネーションを働かせれば、それはまさに土着性それ自体を更新するという意味になる。「グローカル」がすでに権力に取り囲まれている概念とすれば、むしろ、無数の土着=最小のコミューンをネット上にリンクすること、それが今のalternativeだ。この発想は、廣瀬さんの闘争の「最小回路」=結晶化という考えと共鳴するものだとぼくは理解した。途中、「美味しい料理の哲学」を巡って、大声を張り上げての激しいやり取りが展開されたが、これはライブならではの醍醐味。こういうことがあるから、面白いのだ。さて、明日はどんな話が展開するか、楽しみ。

瀬戸際でバタバタしちゃって、まるで去年と一緒じゃん

明日入稿なので、最後の原稿書きに追われる。編集会議でお茶を濁したので、なんとか期日は守らないといけない。そのためには、夕方までに書き上げて、デザイナーへ送って、レイアウトしてもらって、校正して、修正して、再校とって、明日朝には入稿、となっていないといけない。なのに、気ばっかり焦って、筆は進まず……。

凄いDVD『ホモ・エクササイズ 生き抜くことへの讃歌』

河本英夫先生からDVD作品『ホモ・エクササイズ 生き抜くことへの讃歌』(作・演出◎河本英夫)を贈呈いただく。さっそく見ると、これが面白いのだ。「リハビリの現場をアートとして活用するもので、リハビリとエコを組み合わせたもの」と紹介されていたが、まったくそのとおりである。48分の中に、さまざまなシーンがモンタージュされて、比較的ゆっくりとしたリズムに同期するように、医療と人間、自然とアートが交錯する。なかでも、障害をもった児童とダンスをオーバーラップさせたシーンが強く印象に残った。「病みの身体は闇の肉体に通じ、その極北に舞踏するからだがある」という舞踏家の遺言を座右の銘にしていたぼくにとって、ダンスとはすべからく病いのことであると思い続けてきた。ところが、逆なのだ。いや、逆転することがあるというほうが正確だろう。病いこそダンスそのものであり、すべての身体表現の原基である。ダンスとは、環境に拡がる病みそれ自体なのである。ぼくは、このDVDを見て始めてaffordの意味を、具体として掴むことができた。本来のエコロジーとはこうでなければいけない。それは、身体と環境の終りなきエクササイズのうちに開きゆくものなのだ。次回作は、『メメント・イマジカ 身体の記憶へ』だそうです。
ところで、本編は3月29〜30日に東京芸術大学主催の「ネグリさんとデングリ対話 マルチチュード饗宴」で上映が予定されている。ていうか、アントニオ・ネグリの初来日するこのイベントもすごいぞ。
→ 「ネグリさんとデングリ対話 マルチチュード饗宴」

「ART UNLIMITED」で伊奈英次さんの展覧会

乃木坂のギャラリー「ART UNLIMITED」で写真家・伊奈英次さんの展覧会。81年の「in Tokyo」から06年の「Watch」まで。ちいさな回顧展といったところ。こうして通してみて見ると、それぞれのテーマに一貫性はないものの対象への向かい方、視線には、がんこなまでのこだわりが感じられる。前から言っていることだが、どんなにフォトジェニックにみえても、そこに出現する写像には、現代という時代の相が映し出されている。社会批評としての写真を、美意識に寄り添いながら丁寧につくりあげる彼の手法は、今や「カタ」の域に達している。その「カタ」を、ぼくは眼でなぞるように、繰り返し繰り返し見るのだ。
ところで、「ART UNLIMITED」では、12月に荒川修作の個展をやるとのこと。倉庫に眠っていたネオダダ時代の彫刻作品が偶然発見された。それを、1年がかりで修復、当時とまったく同じ状態で展示されるのだとそうだ。そんなうれしい話をギャラリー社長の高砂三和子さんから聞いていたら、荒川さんの事務所ABRFの本間さんと松田さんが現れた。三鷹の「天命反転住宅」に事務所を構えておられるので、見学のお願いをしたところ、快く承諾してくれた。有志を募って、見学会を催すことにしよう。

「強度」のある対談、「消尽したもの」から遠く離れて。

サウンド・イメージ研究所ラボ・カフェ・ズミとのコラボレーション企画 『談』公開対談 「いかにして消尽したものになるか…死の贈与、生の贈与」を開催した。なにせ初めてのイベントなので、みなさん本当に聴きにきてくれるのか、内心ドキドキしていたが、開場してみると、応募者で欠席された方は一人だけ。立ち見でもいいからぜひ参加させて、といううれしい強引組をあわせると17人(既に定員オーバー)。それに、『談』の発行元のTASCの方々やスタッフが加わって、気が付けば、会場は立錐の余地もない。トイレに行くのもままならない感じ。さて、そんな中で公開対談は始まった。今回の特集を思いついた一つのきっかけが澤野雅樹先生の『不毛論』。時あたかも2001年、9.11の年に発行。何かリンクするものがあったのではないかという問い掛けから対談をスタートさせた。議論は、有用性/無用性の話からダメ連に。それを受けて赤木智弘さんの論文「気分は、戦争」をネタに、若者は、無用であることに絶えられなくなっている。自分の承認がモーターにならないと現状を分析。しばらくそのあたりの議論が続いたところで、ドゥルーズのベケット論『消尽したもの』に。そこから、器官なき身体、同一性、資本主義、スピノザからヘーゲルへ(?!)。澤野さんがルジャンドルを持ち出すと、じつは萱野さんも関心をもっておられて、宗教、ドグマ、国家というキーワードから、さらには暴力の問題へと議論は展開していった。たっぷり2時間の対談は、予想通り非常に内容の濃い、強度に満ち満ちたものになった。やはり、「ドゥルーズと子供たち」(スピノザ論的に)は、そもそも何かが根本的に違う、それがなんなのかはいまだにわからないのだが、少なくとも言語/論理の強烈な磁場を現出させる「力」は、今、この周辺からしか生まれないような気がする。それに立ち会えただけでもぼくはとてもうれしかった。 当日来て頂いたみなさん、ありがとうございました。

世の中を作るのは数字(効果)ではなく理念、これが今回の結論

昨日は、 JT会議室でTASC談話会の二回目。東京大学大学院社会学研究科准教授赤川学さんに講演をお願いした。テーマは、「社会のなかの統計 リサーチ・リテラシーのすすめ」。1統計は社会をかけめぐる 2.リサーチ・リテラシーの必要性 3.少子化をめぐる統計 4.たばこ・地球温暖化をめぐる攻防 5.世の中を作るのは数字(効果)ではなく理念という順番でお話していただく予定だったが、実際には、地球温暖化ははしょって、最後は駆け足で5の結論になだれ込んだ。しかし、聴衆の反応は大変良くて、今回もひとまずは成功といっていいだろう。講演の後の談話会でも、赤川さんの周りには常に人だかり。次回は誰をお呼びするのかと、みなさんの関心はすでに第3回に向けられている。企画する立場としてこういう反応は、大変うれしい。いつも言うことだが、JT、TASCの人たちは本当に勉強家だ。期待に応えるよう、こっちもがんばらなくちゃ。

渋谷のど真ん中でヘビと佐藤良明先生に遭遇。

イラストレーターのアラタノリユキさん、ノンフィクション作家の山下柚実さん来社。斎藤さんを含めてざっと打ち合わせをしていざ出発。今日は渋谷五感ツアーの本番。予定を変更して、実践女子から渋谷図書館経由で氷川神社へ。右回りでいくことにした。明治通り沿いの氷川神社は始めて。ちょっとした森のようなたたずまい。2度は気温が低いねと山下さんがいうように、こころなしかひんやりして気持ちが良い。ここには、公園が併設されていて、なんと土俵があった。子供相撲でもやるのだろうか。参道にヘビを発見! 渋谷のど真ん中でヘビ。アラタさんは、巳年でヘビはぜんぜん苦手じゃないという。オシャレな都会っ子風なのに、意外に野生的な一面をもっていて、一同ちょっと驚く。
明治通りから渋谷川沿いを見る。今でこそコンクリート三面バリの河川だが、古くは河岸がならぶ舟運の要所だった。八幡通りのすぐ脇にある「さかえ湯」から裏渋谷を散策。古い木造をリノベした建物がけっこうあった。オシャレなカフェや雑貨屋に変身している。セルリアンタワーから陸橋を渡って東急裏へ。さらに道玄坂から百軒店へ。
麗郷で食事。百軒店を見る。BIGや名曲喫茶「らんぶる」は顕在、しかしその周囲はラブホテルばかり。そのはずれに千代田稲荷がある。そのとなりにベビーカーで入れるカフェが。誰が利用するのか。もしかしてafter Hotel? どんなひとが利用しているのかじっくり視察して東急本店へ。途中、SHIESPAの爆発現場を見る。SHIESPA本体は無傷で残っているが、看板にでっかい噴煙を上げる火山の写真。これはしゃれになりません。だんだん事件観光になってきたので、気を取り直す。
本店からハンズ方面へ、宇田川町を見てお茶する。東武ホテルの滝の音にしばしなごみ、「たばこと塩の博物館」から、明治通りへ。飲み屋横丁をのぞいていたら、なんと佐藤良明先生とばったり会う。今年東大を退官されてフリーになったというお手紙をもらったばかり。ならば、原稿でも書いてもらおうと思っていた矢先のこと。これは運なのか。いったん渋谷駅裏の焼き鳥屋を見て、事務所へもどる。
五感ツアーというよりは、トマソン、木造物件、レトロ建築散策の旅という感じになってしまったが、愉しい一日だった。みなさんご苦労様でした。

吉祥寺駅を中心にぐるっと一周小さな旅。

吉祥寺をサーベイする。ユザワヤの前でいきなり楳図先生に遭遇。トレードマークの赤いボーダーのTシャツ姿、さすが吉祥寺の広告塔だわと関心。もとキャバレーだったらしいオシャレ雑貨の「round about」を皮切りに、南東エリアで50's、60'sファッション「ヤング・ソウル・レベル」ととなりのレコードショップ「BallHole」を覗き、水門通りを北上。JR高架下の古書店「リブル・リベロ」、「吉祥寺シアター」,焼き鳥の老舗「いせや総本店」(仮店舗)、「基地バー」の天上円窓。蔦の絡まる昭和建築を眺めた五日市街道手前の「Lyly-Pad」などが入っているリニアショップ(一坪ショップ)、英米圏専門古書店「Bondi Books」から、再び南下して、フィギア店「ToyCats」、Jazzの老舗「Meg」とClassic音楽の「バロック」へ。6月29日にオープンしたばかりの「ヨドバシカメラ」から大通りを渡って、サンロードに入り、日本一有名な小児科「真弓小児科医院」、月窓寺、「バウスシアター」と見て、吉祥寺通りを横切り旅の本の専門店「のまど」を覗こうと思ったら移転してなかった。第一ホテル地下の「Tokyoボーリングセンター」、伊勢丹新館F&Fの「武蔵野市立吉祥寺美術館」の案内板のみ見て、すでに行列のできるているメンチカツの「サトウ」と開店と同時に売り切れごめんの「小ざさ」の横の細い路地からハモニカ横丁へ。いったん「ハモニカキッチン」で休憩。奇跡的に、11席分のテーブルが空いていた。小腹を満たして再び出陣。まず、小さな吉祥寺タウン的様相を呈する「ヴィレッジバンガード」で買い物して、オシャレゾーンと化した東急裏の大正通り、昭和通り、中道通りを駆け足で回る。ブティックのようなたたずまいのパン屋さん「Dans dix ans」でお土産にパンを購入。炭火焼きのお魚がいい匂いの路地を抜けて藤村女子中・高校の横の「風呂ロック」で有名な弁天湯、ヴィレッジの食料品バージョン「カーニバル」、レンタルボックスを覗き南口に出て、七井通りの「いせや総本店公園店」の焼き鳥の匂いにビールが恋しくなるも、邪念を振り払って井の頭公園。野外ステージではジャグリングのスクール、周辺にはさまざまなパフォーマー。弁天さまに焼きもちを焼かれたカップルたちを載せた白鳥ボートを横目に見ながら、お茶の水へ。このわき水が、神田川になると知って一同びっくり。ホテル井の頭で休憩し(うそ)、本日のディストネーション「サウンド・イメージ研究所Laboratory Cafe dzumi」へ。話が弾んで、結局閉店10時30分までたっぷりいてしまった。みなさんお疲れさまでした。

Webマガジンは、新聞より早刷り?!

「en」10月号の公開に合わせてブックレビューの校正を送る。今福龍太さんの原稿、塩事業センターにも届いていない。今福さんに問い合わせてみたところ、木曜日に名古屋で集中講義があって、そこから送ったとのこと。なぜか、うちにも、塩事業にも届かなかった。何かのトラブルか。いずれにしても、公開まであと数時間しかない。あわてて問い合わせると、すぐに再送してくれた。バタバタと校正などして、滑り込みセーフ。公開に無事に間に合いました。Webマガジンは、公開=発行日に原稿を入れてもOKってことなの?!

笑顔を見せられるとすべてがちゃらになってしまう。

4ヶ月かけてつくった『食事※※※※ガイド』が完成。『談』の印刷をお願いしているK社のIさんとクライアントへ見本を届けに上がる。担当者※※さん、表紙を見るなり、「なんてステキ!!」とため息。居合わせたみなさんの顔から笑みがこぼれ落ちる。ご満悦。とりあえず、Iさんともども肩をなで下ろす。これまで、何度か書いたように、この冊子は大変な問題作で、紆余曲折してようやく発行にこぎつけたのだ。言いたいことは山ほどあるけれど、そんなに満面の笑顔で喜んでくれちゃうと、こっちも「まぁいいか」となってしまう。もう二度とやるもんかと啖呵をきったことなど、どこ吹く風だ。あ〜ぁ、僕って、これだからダメなのね。
夜、横浜で科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業下條潜在脳機能プロジェクトの廣中直行さん、日本総研のTさん、JTのAさんと例の集まりのためのミーティング。予定しているフォーラムの候補者を提案する。一人ひとり名前を読み上げながら、はっと思った。ここに挙げた研究者で新しい大学つくったら凄いことになるなって。空想博物館ならぬ、空想大学の提案。

ブルクハルトより安藤忠雄の方に関心が向かってしまった

仙川のTAM(東京アートミュージアム)で、「二つの山」展を見る。今回は、スイス人作家・パルタザール・ブルクハルトの展覧会。世界遺産の熊野と高野山を撮影したもの。日本の山の内包する「信仰」、「神秘」をダイナミックに表現したという。確かに、神々しい。が、何かピンとこない。作家には申し訳ないが、写真作品より、安藤忠雄の建築の方に眼がいってしまった。そう、TAMは仙川で続けているプロジェクトの一つなのだ。外観も美しいのだが、展示空間が気に入った。とくに階段を上りきったところ、内部に突き出した2階部分がある。それは、吹き抜けの展示物を見るためだけにつくられたような場所。ちょうどブルクハルトの大きな縦長の滝の写真を真正面から見れるようになっている。滝を見ながら、結局、僕の心の眼は、ずっと自分の立っている建築物にそそがれていたことを素直に告白しよう。早く、第二部の畠山直哉さんの新作が見たい!!だって、ポスターからしてすごいんだもん。
「二つの山」展

アイスランドの音響派のライヴ

Sigur Rosのライヴ(SHIBUYA AX)を見る。Sigur Rosは、アイスランドの4人組アーティスト。ダークネスで深淵で唯美主義的なメロディと爆音の合体。音響派の異端児ともいえるその特異なパフォーマンスは、常に称賛で迎えられてきたという。実際に彼らの演奏に接してみて、それがウソでもお世辞でもないことがわかった。オールオーバーな音響世界は、あたかも氷の神殿の聖歌のようだった。去年FRFに出てたんだよな。ロスロボスのステージと重なり、そっちを優先したことが今になって悔やまれる。これを霧雨に包まれた山岳地の野外ステージで、しかも雨雲が低くたちこめるまったき夜に聴いたとしたら。ほとんど立ち直れずに、しばらくそのまま立ち尽くしていたにちがいない。とにかく凄いの一言。アイスランドといえばビョークが有名だが、この北方の国には、まだ知られていない怪物たちがたくさんいるのかもしれない。北極圏を越えたことはあったが、アイスランドにはまだ足を踏み入れていない。こんな音をつくり出すアーティストが暮らす土地とは、いったいどんなところか、俄然興味がわいてきた。Sigur Rosの音の源流を訪ねるという企画書でもつくってみようかな。「氷の国のまちづくり」とか。

木村伊兵衛のスナップが意味するもの

ブログを過去に遡って更新する。日々綴っている日記から書き写すわけだが、時々これをやると妙に客観的になって面白い。日記は、一見リニアなドキュメンテーションのようにみえるけれど、じつはさまざまな時間が交差する一種のノードなのだ。未来からの視線や現在を過去から覗き見るなどということも日記では普通に行われている。いわゆる「偽りの過去」なんて日常茶飯だし。日記をメディアとして一度ちゃんと考えてみる必要があるかもしれない。そんなことを考えながら、NHK ETV特集「木村伊兵衛の13万コマ〜よみがえる昭和の記憶」を見た。木村伊兵衛はスナップというモダニズムに根ざした写真技法を深化させた写真家だ。彼の生涯のテーマは東京の下町と秋田の農村であったが、両者を捕獲するまなざしには共通点がある。モダンというポジションの一貫性だ。現在あるいはほんのちょっと未来の視点から、世界を眺め直すこと。それをまったく意識しないでやってしまったところに木村という写真家の特質がある。徹底的なモダニズムゆえに、かえって伝統や慣習といったものを写像に蘇らせてしまったのだ。新しさ新奇さを追求することは、新しい「絵」をつくることでは必ずしもない。時にそれは、古いものに目を向けさせることにもなる。木村伊兵衛のモダンの眼は、現在の中に畳み込まれた過去の陰影をあぶり出すのだ。モダニズムのまなざしがなければ、われわれは永遠に文化の古層に出会うことはなかったのではないか。モダニズムを過去へ向かう反対の時間と捉え直して見る。それは、時間を空間化することだ。潜在性の問題系がここにも表出している。

『酒』の入稿作業も佳境を迎える

エンテツさんが来社。高千代酒造ルポのレイアウト校正を弊社でやってもらう。エンテツさん、写真をサーバーに上げてそれをチェックしてもらうという方法に出た。このやり方は賢い。ところが、モノクロだと言い忘れたためにちょっと混乱が生じた。それにしても、高千代さんはとても熱心だ。やはり、メディアに紹介されるとなると意気込みが違う。夜遅くなって、出張先のロンドンから毛利嘉孝さんがメールで校正を送ってくる。頭が下がります。そして、ついに澤野雅樹さんからも。これでほぼすべてそろう。デザイナーの河合さんに送る手配。バイク便がきたのが12時過ぎ。それを見届けてからクルマで帰宅。河合さんは、これから徹夜で作業だ。ごくろうさんです。

印刷会社の神業に期待

『酒』のレイアウト校正が一部出る。それをもってTASCへ。納品日(発行)と定価の検討。まだレイアウトもすんでいないのに、27日には発行しないとならない。これまでで一番すごいスケジュールだ。しかも、200ページ以上、しかけもたくさん盛り込まれている。もはや印刷をお願いしている恒陽社の神業にたよるほかない。

とうとう梅雨入り

今日は蒸し暑いです。東京もどうやら梅雨入りのようですね。鬱陶しい日々が続くのかと思うと気が重いです。
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トライコトミー……二項対立を超えて
 
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