ドキュメント
『談』が産声をあげたのは1973年。今年、通巻100号を迎えました。それを記念し、のべ400人のインタビュー、対談、鼎談のなかから、、新たな切り口から再編集し、40本をピックアップ。今だからこそ読みたい珠玉の論文集になってます。
B5判並製 620ページ
本体2,200円
[1章]自由・権力・制度
〈対談〉 大澤真幸×廣中直行 「人間的」自由と「動物的」自由
仲正昌樹 虚構としての〈自由な主体〉……人間性の限界
萱野稔人 「労働と賃金の分離」の前で資本主義は沈黙するか
小泉義之 福祉社会の桎梏……病苦がなくなることを普通に欲望できる社会へ
赤川学 人口減少、少子高齢化から考える
〈鼎談〉北田暁大×大屋雄裕×堀内進之介 幸福とパターナリズム……自由、責任、アーキテクチャ
[2章] 他者・共存
立岩真也 公共性による公共の剥奪
木村大治 どのように〈共に在る〉のか……双対図式からみた「共在感覚」
酒井隆史 匿名性……ナルシシズムの防衛
芹沢一也 〈民意〉の暴走……生命の重みが、生存への配慮を軽くする
高橋哲哉 不在の木霊を聴く……他社の無数の声
瀧澤利行 養生論の射程……個人/社会の調和の思想
河野哲也 「こころ」は環境と共にある……「自分探し」という不毛を超えて
[3章] 科学的理性
平川秀幸 科学における「公共性」をいかにしてつくり出すか……統治者視点/当事者視点の相克
金森修 生命とリスク……科学技術とリスク論
〈対談〉佐藤純一×野村一夫 健康言説とメタメディカライゼーション
〈鼎談〉千葉康則×林知己夫×難波寛次 二分法のモノサシからの脱却を求めて
高橋昌一郎 理性主義を超えて……思考停止からの出発
[4章] 情報
今福龍太 偶有性を呼び出す手法、反転可能性としての……
東浩紀 初速と暗号、マルチメディアとしてのデリダ
山岸俊男 リスク社会の条件
岡崎乾二郎 見ることの経験
石黒浩 最後に人間に残るもの、人こそが人を映し出す鏡
[5章] 人生
植島啓司 快楽のさまざまな様態
石毛直道×樺山紘一 ガストロノマディズム……食の文化、食の文明
春日武彦 無意味なことに魅せられて……ささやかだけど役立つこと
[6章] 身体
〈対談〉稲垣正浩×柳澤田実 からだのなかにヒトが在る…動物・暴力・肉体
鷲田清一 肌理、まみれる、迎える……シネステジーとしての〈触〉
岡田美智男 「愉しみ」としての身体……次世代コミュニケーション、遊び/遊ばれる、エコロジカル・マインド
安保徹 こころとからだをつなぐ免疫機能……顆粒球とリンパ球から見た人間
〈対談〉宮本省三×河本英夫 私はどのように動いているのか……運動・予期・リハビリテーション
本川達雄 身体のサイズ、身体の時間
[7章] 知覚・脳
池谷裕二 時間は脳の中でどう刻まれているのか……生命、複雑性、記憶
一川誠 「生きられる時間」はどこにあるのか……高速化の中、時計からはみ出す私
入不二基義 無内包の「現実」あるいは狂った「リアル」
下條信輔 オートマスな脳……知覚の現象学、脳の現象学
茂木健一郎 心が感じる快楽……クオリア、ポインタ、志向性
[8章] 生命
池田清彦 構造主義進化論の試み
金子邦彦 生命システムをどう記述するか
広井良典 いのち、自然のスピリチュアリティ
amazonでも絶賛発売中。
仲良く店頭に並びます。
新しい見方、考え方は、いつも雑誌から始まります。
もはや雑誌の時代ではないという声をよく聞きます。
しかし、雑誌には、常に時代精神と寄り添い、
時代のちょっと先をみる眼をもっています。
雑誌の終焉がいわれる時だからこそ、
『談』はその「さきっぽ」に触れるメディアでありたいと思っています。
初めて『談』を知った人、ずっと前からファンでいてくれた人、
今、まさにスマホやタブレットでこのブログを読んでくれている人も、
ぜひ、本屋さんで、『談』を見つけて下さい。
そして、ちょっとでも面白いかな、と思ってくれたなら、
そいつをもって、そのままレジへ直行しましょう(笑)。
みなさん、『談』をよろしくお願いします。
お詫びを申し上げるとともに、下記のとおり訂正させていただきます。
[誤]共著書に『スピリチュアリティの宗教史』リトン、2012、
『宗教心理の探究』東京大学出版会、2008
[正]共著書に『スピリチュアリティの宗教史 上』リトン、2011、
『宗教心理の探究』東京大学出版会、2001
畠山直哉展 Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ
佐々木中です。
この度の東北地方太平洋沖地震と続く一連の震災に際しまして、チャリティ小説を書くことにしました。
いとうせいこう氏と私で、リアルタイムで一章ずつ即興的に書いていくという試みです。
あえて募金窓口を新設せず、直接支援団体のリンクのみ貼ることにしました。
みなさまに置かれましては、すでに募金をされている方もおられるかと思います。
ですが、ルワンダ支援にかかわっている知人から聞いたところ、
募金先として、大きな組織は信頼できるが小回りが効かず硬直化し、分配に時間がかかるのも確かであって、
小さな組織のほうが募金するのにはいいのだが、しかしそうすると信頼度が問題になる、というジレンマがあるそうです。
日赤とそれ以外にリンクを設けました。あまり小さな組織はピックアップできませんでしたが、
よろしければすでに募金された方も別の窓口からお願い出来ればと思います。
タイトルは「Back 2 Back(仮題)」。これは複数のDJが1曲ずつ交互に曲をつないでいくというDjingのスタイルのことで、われわれにはふさわしいタイトルであると思われます。
ぜひお楽しみ下さい。また、お手間をとらせて恐縮ですが、ブログやツイッターなどの独自媒体をお持ちのかたは、この試みを告知し、広めていただけると幸いです。
いとう氏との話し合いのなかで、二人のあいだで流れができたら他の作家さんに飛び入りしていただくことも考えていますし、
ひとめぐり終わったらどこからか出版し、そのいとう氏と私との印税分は全額寄付することも合意しています。
また、一応万全を期してはいますが、即興的な試みゆえの誤字脱字や不穏当な表現などございましたら、ぜひご指摘をたまわりたく思います。
寄付窓口についてもご忠告がありましたら是非。
URLは以下から。
画面左側のメニューバーから「最新号」へアクセス。
カーテンを開けたら、一面銀世界。しかも、まだふり続いている。
豊後高田「昭和の町」の「昭和ロマン蔵」へ。まず、「駄菓子屋の夢博物館」にお邪魔する。04年に斉藤夕子さんが取材させていただいた夢旅案内人藤原ちず子さんがやってきて、ご挨拶。にこにこしながら機敏に対応してくれる元気のいいおばちゃんだ。ざっと博物館を見る。昭和30年代のものを中心にポスターや印刷物に生活雑貨、電化製品、レコードやおもちゃといったグッズ類,ありとあらゆるものが所狭しと並べられている。昭和の遺品を集めた一大倉庫、豊後高田のスミソニアンといった感じ。館内には昭和歌謡が流れている。「お〜、これは僕のもっているコンピレーションアルバムだな」と感動してみたり。
事務所で豊後高田市観光まちづくり株式会社の代表取締役・野田洋二さんと豊後高田市商工観光課・安田祐一さんにお話しを伺う。観光振興をはかりつつもそれだけに留まるのではなく、周辺の地域と協力して、新たな産業の掘り起こしと育成をはかりながら持続可能なまちづくりをめざしていくという、構想、将来像について、ヒヤリングした。たまたま昭和の町が注目されて観光客が予想をはるかにこえてやってきた。しかし、しょせんは商業活性化策の一つでしかない観光を、より継続的にさらに他の産業と連携させていくためには何が必要か。いろいろかんがえているのですよ、彼らは。豊後高田の戦略は、ずっと先を見ていることに驚き、共感する。
外は雪もやんで、陽がさしている。商店街へ。たばこの自販機に、昭和を代表する「わかば」「しんせい」「ゴールデンバット」が並んでいる。「大寅屋食堂」で、昭和58年より値段据置きで消費税もとらない、「350円」のちゃんぽんめんを食べる。少し小ぶりではあるけれど、これが美味い。野菜もたっぷり、海老だってちゃんと入っている。特にスープが美味しかった。プラスティックの柄付きカラーコップに麦茶のサービスというのも泣かせるぜ。感激しました。
そのあと、学校給食の店とか、高田テント店とか森川豊国堂とか「昭和の店」を覗く。「二代目餅屋清水/杵や」へ。ここのおかみさん(ひまわり娘と呼びたい元気一杯の女性)にお話しをうかがいながら、かきもちをご馳走になる。サソリを樹脂で固めたキーホルダーなどを売っている昆虫の店とか「おからコロッケ」が美味しかった「肉のかなおか」、昭和のおもちゃ・グッズの専門店「雑貨商/古美屋」などなど、一軒一軒覗きつつ撮影しながら歩く。
昭和の洋菓子店を彷彿させる「かいえ」でコーヒーとお菓子。再び商店街を戻りながら撮影。すると、団体客が次々にやってくる。「野郎の集団じゃなぁ」と思っていたら、ちゃんとおばさん、お譲さんの団体もやってきて、コロッケを立ち喰いしたり、給食メニューに歓声をあげたり。「杵や」でお土産を買おうと入ると、博物館の 小宮さんがたむろっていた。そして、本日最後の撮影、「昭和ロマン蔵」内の「昭和の夢町三丁目館」と「昭和の絵本美術館」を撮っておしまい。帰りに藤原さんにたっぷりと駄菓子のお土産をいただいた。
帰りは、クルマで宇佐に出てここからJRで朽網(くさみ)下車。クルマで北九州空港へ。小雪の散る空港で食事をして無事帰宅。
門司駅へ。それにしてもモーレツな風。吹き飛ばされそうになる。
三井倶楽部とJ九州のリノベ予定物件のJRのビルを撮影し、九州鉄道記念館へ。今日は館内に入る。SLなどの本物の鉄道車両の展示。日立が車両を製造したわが国最初の寝台車「月光」も展示されていたので一生懸命(『ひたち』で使っていただけるように)撮影する。建物の中が異常に充実している。運転シュミレーターに挑戦。ホームが近づくと少し早めにブレーキをかける傾向があるためか、停車位置より手前で静止してしまう。中級という判定。マドカッチは反対に暴走系。スピード出しすぎで、ホームを通り過ぎてしまう。やはり中級。ふたりとも、性格がよく出ている?!
九州鉄道のジオラマ。一日24時間を10分間に縮小。これは面白い。それにしても、JR九州は、なぜにこんなに車両のバリエーションが豊富なんだろうか。デザイン重視の傾向著しい。鉄オタが多いからではないかという仮説。ミニ鉄道公園で、3人乗りのミニ鉄道に乗る。非常にゆっくり、夕子さんは、マイクを壊しました(内緒だっけ?)。
商店街で教えてもらった焼きカレーの店が閉まっていた。それで、海側の上戸綾が絶賛した焼きカレーの店。焼きカレーは、カレー風ドリヤのこと。これは、家庭でつくったカレーの二日目にいいんじゃないかという夕子さんの意見に同意。たまごとチーズがこの店の特徴。魔法のスパイスが決めてか。美味しかった。
タクシーで、和布刈の展望台へ。帰りに旧正月の名物神事わかめ刈の行われる和布刈へ。寒い。海峡プラザでご当地キティを買う。やはりありましたよ、バナナの叩き売りキティ。門司港レトロの展望台に上る。雨が降り出してきたので、ホテルで荷物をピックアップして門司駅へ。
三人で小倉まで。マドカッチは飛行機が飛んでいるかチェック。結局彼女は、帰りの飛行機をキャンセルして新幹線で帰ることになった。僕らは、宇佐へ。駅に降りると何もない。しかも国道を徒歩5分と書いてあったのに。それらしいものはない。ところが5分ちょっと歩くとありました。補聴器をつけているおばさんにチェックイン。周辺に食べるところがない。急遽ここで食べることに。
風呂に入る。貸切になるところはいいのだけれど、細長いあまり類例のない温泉。借りた無線LANがうまく接続できない。夕餉は、2000円にしては豪華。有機野菜にこだわる姿勢が、これでもかこれでもかと。しかし、この姿勢、僕は大いに気に入った。部屋のドアが一枚隔ててすぐに畳み部屋だし、トイレは共通、しかもウォッシュレットではない。部屋に洗面所すらない。この時点で普通はキレるのだか、料理はいいセンいってたし、何よりホスピタリティを感じる。これはこれでありかなと。
北九州空港には定刻着。バスで門司港レトロへ。
まず、門司港ホテルに荷物を置いて、ランチタイム。海峡プラザ内の「瓦そばたかせ」に入る。思い出したが、斉藤夕子さんと以前取材で来た時にもここに入った。瓦の上に茶そばと錦糸玉子、カルビと海苔を乗せて火にかけたものそれをめんつゆにレモンを絞っていただく。一人一つではなく、3人分を一つの瓦に出す。まぁ、一回食べればいいや、と思う名実共にB級グルメ。
跳ね橋の開閉を見て、旧門司税関でお茶。彼女たちは取材、僕は門司港レトロの建物や環境を撮影する。旧大阪商船のビルが一番見ごたえがあった。九州鉄道記念館に展示されているSLがよかった。
春にはトロッコ列車が走るという廃線を撮影していたら、ジャージのおじさんがうれしそうに「ここに列車がまた走るんだぞ」と話しかけてきた。そう、今年、廃線を復活させて、関門架橋までトラムが走るのだ。これはいい企画だ。
跳ね橋で取材を終えた彼女たちと合流して、今度は栄町銀天街から清滝かいわいの路地を散策。かつて娼館だったであろう3階建て木造建築が残っている。坂の路地は、疲れるけれどその迷路を歩くのは楽しい。どうみてもポメラニアンではないワンちゃんをそういいきるおばちゃんに遭遇。そこには、2匹の猫がこちらを睨んでいた。
商店街の路地を入ったところにある「放浪記」というレトロな店に入って、コーヒーと昔風のロールケーキを食べる。FUMIKOの林(ハヤシ)ライスのもとをお土産に買う。そう、ここはその生家といわれる林芙美子にちなんだ店なのだ。
第一船だまりの夜景を撮影。シロートには、なかなか敷居の高い撮影であった。asa感度を上げて、露出をマイナスにして撮ると、それらしき撮れることを発見。
一度チェックインして、夕餉にでかける。紹介された三井倶楽部内のレストランは休業。しかたがないので、「トラットリアバルク」に入る。期待もしなかったが、ホスピタリティが著しく欠けた店だった。いきなり箸を出すし、赤ワインは平気で冷蔵するし、そのワインをめぐって何人もの店員が右往左往するし、カード決済すらまともにできない店だった。味も、町の洋食屋程度。こんなことなら、商店街そばの居酒屋に行くんだった。
ところで、「観光でまちづくり」というけれど、いったいどの程度投資をしているのだろうか。TDRは、毎年コンスタンスに追加投資をしているが、シルクドソレイユでは300億近くを新たにつっこんでいる。だから、リピーターが来て2500万人以上の集客を得ることができるのである。もっとも、そのためには業績を上げて資金を集めなければならない。資本主義のいたちごっこをやり続けなくてはいけないのだ。必要なのは智恵よりもカネ。結局は、事業をホンキでやるかどうかにかかっているわけで、ガバナンスこそが問われている、と行政は真剣に考えなくてはいけないのである。
70年代アイドルものを聴きながらクルマで出社。なぜならば、今日のインタビューは音楽プロデューサーの酒井政利さんだからだ。今回は、僕の好きだった歌手、アイドルがテーマなのでわくわくする。
15時30分に文春の玄関でカメラマンの伊奈英次さんと待ち合わせ。迷路のような廊下を通って、別館応接室へ。準備をしてもう一度玄関へ。時間より少し早く酒井さんマネージャと参上。素敵な紳士だ。
インタビューは最初の仕事の紹介からスタート。青山和子のヒット曲「愛と死をみつめて」は、マコとミコが主人公。小学生の時、同じクラスに美恵子ちゃん(ミコ)というかわいい女の子がいて、僕(マコ)はよくからかわれたという話を披露する。酒井さんは、南沙織が一番のお気に入りだったのはちょっと意外だった。百恵は、別格だったようだが、南沙織は、それとは違った独特な魅力があったらしい。
アイドルとアダルトと両方を同時に手がけていて、結局プロデュースした曲は7000曲。じつは、事件屋さんで押しの強い人と書いてあったので、ちょっとどきどきしたけれど、それはまったくの取り越し苦労。腰の低い、とても柔和な紳士だった。帰りぎわ、沙織ちゃんと今でも会うから、今度誘おうかといううれしいことを言ってくれた。実現することを祈っています。
JTアートホール「アフィニス」へ。「たばこと塩の博物館30周年記念シンポジウム「四大嗜好品にみる嗜みの文化史」に参加する。
プログラムは、まず館長の大河喜彦さんの開会挨拶から。ここでいう嗜好品、コーヒー、茶、酒、たばこの定義付けから。次に、養老孟司さん、イ・ドンウクさんの記念講演。養老さんは、マイクをもって歩き回りながらの講演。あいかわらず語尾がよく聞き取れない。しかし、内容はとても面白かった。
大脳皮質と辺縁系の関係を図式化してみると、辺縁系自体はどの動物も余り変わらない、ということはどういうことになるかというと、大脳と辺縁系の割合が、脳の小さい動物では相対的に大きくなるのだ。たとえば、猫と人間では、辺縁系は、相対的に猫の方が大きくなる。だから、あれだけ情動的、感情的行動に出るというわけ。
また、y=axの公式を発案したとして、aは一種の重みづけ。aがおおきくなればy=出力(x=入力)は早くなる。つまり、好き/嫌いという重みづけがはっきりしているほど出力が早いというわけ。で、このaは、「現実」でもあるという。情動がいかに生き物にとって重要か、ということについての養老さんの仮説である。この説には、ちょっと興奮した。次の、イ・ドンウクさんのは韓国の四大嗜好品について。それらを一つづつ概観していく。もう少し焦点を絞った方がよかったのでは。
さて、第二部はシンポジウム。シンポジウムは出席者の顔ぶれでほぼ決まるといっていいが、今回はまさにベストといっていい人選。コーヒーの臼井隆一郎さん、お茶の角山榮さん、酒の神崎宣武さん、たばこの半田昌之さん、そして司会が高田公理さん。臼井さんから順番に、15分ほどのプレゼンテーション。臼井さん、初っぱなからコーヒーをコーヒーハウスと社会関係にからめて論じるので、いきなり話が難しくなってしまった。ぼくは、臼井さんのこの議論が公共性という問題の本質を炙り出すので、非常に面白いと思っているのだが、他のパネリストの関心と若干のズレがあり、実りのある議論へは発展しなかったのが惜しまれる。
角山さんは、コーヒーハウスが男性社会のものであったのに対して、お茶は家庭内のものであり、基本的に女性の文化であったことを報告。しかし、それが、近代社会の成立以降、女性の社会参加等で崩壊していく様子を論じる。角山さんの、ホーム・スウィート・ホームの文化論は、理想主義の典型。87歳という年齢にもかかわらず、机を叩きながら女性の応援歌を謳い上げる姿は、知識人のあるべき姿をみた思い。胸が熱くなった。
神崎さんは、宮司さんでもある。たとえば、新年の初めにいただくおとその習慣が急速に失われている。清酒は古来よりハレの場での飲み物であった。その意味をあらためて考えてみる必要があるのではないか。「百薬の長」といわれる酒は、他方、「きちがい水」とも言われる。この両極端の間に、儀礼、社交、嗜みなどのさまざまな酒の意味がある。そのことをかみしめてみようという。今、儀礼が残っているのは、あっちの世界だけ。もう一度、こっちの世界にも取り戻そうと提言する。同感だ。
半田さんは、「ものごと」という言葉に注目する。嗜好品は、まさに「ものごと」だ。ものとしての側面に関心をもつのが博物館(学)であるが、「こと」のもつ意味も忘れてはならない。嗜好品に対する評価も、「もの」と「こと」が重なり合った時、確かなものになるだろう。
そのあと、三村奈々恵さんのマリンバと天野清継さんのギターによるコンサート。三村さんは、ジャンルにこだわらず、クラシックから世界の音楽、ラテンミュージックまで演奏する。しかし、マリンバというのはなかなか難しい楽器だ。ニュアンスが表し難いように思うからだが、演奏はその微妙なニュアンスをみごとに伝えていた。
懇親会に参加させてもらった。臼井さん高田さんらと歓談。webマガジン「en」で「塩の博物誌」を連載されていたたばこと塩博物館の高梨浩樹さんと、久しぶりにゆっくりと話をした。嗜好品の世界は深い。それを突き詰めようとすれば、テーマや課題が次々に出てくる。やれることはまだまだいっぱいあるのだ。『談』の特集になりそうなヒントもたくさんもらいました。
それにしても不思議な感じがした。mariaさんを僕は、3ヶ月前まで知らなかった。その存在すら知らなくて、こうして動いている姿を見たのは今日が初めて。アーティストであると同時にモデルでもあったmariaさん。とても美しい人だった。渋谷さんとまともにお話したのも4ヶ月前のこと。なのに、そのmariaさんは既に他界していない。そのmariaさんの誕生日で二人の結婚記念日でもあった9・11に、mariaさんにささげられた音楽を僕は聴いている。不在、音、リリシズム……。すでに記憶の中にしかいない他者に捧げられた演奏とはどういうものなのか。いや、記憶の中に確かに刻まれた現在。その記憶を音の中に聴くということ。結局、現在ただ今以外は、すべて記憶ではないか。未来ですら僕らにとっては記憶にすぎない。記憶、不在、その言働化としての音楽。今日のライブは、まさに「おとはどこにあるのか」という『談』の今号のテーマそのものだった。
渋谷さん目当てのお客さんが多いと思い、リップサービスもあって、今日は渋谷さんの最近の仕事、「第三項音楽」と「filmachine」のを中心に、展開していただこうと思った。ぼくが事前に作ったレジュメは、毎度のことながらチョーてんこ盛り。これひとつひとつやってたら1日喋っても終わらないよ、といわれそう。そのうえ、わけのわからない呪文のようなことが箇条書きになっているという代物。これをシナリオにお願いするオレってなに?! と思ったのだが、あららびっくり、終わってみたら、話してもらいたかったことはみごとに拾い集められて、要するに、渋谷さんのやっていることと考えていることは、こんな感じに整理できるよね、とキレイに棚に並べられて、ほらっと見せられた感じ。小沼さん、じつにみごとな話術だった。その分、小沼ファンには物足りなかったかもしれない。今度別のかたちで、小沼さんにはたっぷりお話ししてもらいますから、どうかご勘弁を。
差異と反復ではない音楽をめざす「第三項音楽」はいかにして生まれたか。作曲者にしかわからないほんとうの秘密、そして、それは次にどこに向かおうとしているのか。白熱の2時間。残念ながらここではいえません。詳しくは、6月末発行の『談』でお読みくださいね。
『談』公開対談第1夜。「粉川哲夫さんと廣瀬純さんの対話」
トピックな話題から入ればいいと思いネグリ来日中止の話から始めてもらう。ネグリ、ガタリときて自由ラジオへつなぎ、そのままラジオアートに流れていけばいい、と思ったからだが、やはり、そうは問屋が卸さなかった。ネグリの話がとぐろを巻くごとく、ぐるぐる回り出す。まさに「ネグリでんぐり」。
粉川さんは、中止にいたった経緯とその対応へのコメント、またネグリ個人に対する感想を述べると、廣瀬さんは、ネグリの思想は、ネグリ・ハートの三部作「帝国」「マルチチュード」「コモン」で捉えるべきで、そこでネグリが一貫してとっているのは、「逆手にとる」という方法ではなかったと指摘。この意見に対して、粉川先生はすでにその「逆手にとる」ということが古いのではないか。返り咲いたベルルスコーニが画策しつつあるグローバルなメディア戦略に対しては、「逆手」では対抗できない、もっと別のこと=「オルタナティヴ」を考えなくてはならない。たとえば、粉川さんのドメイン名である「translocal」、サイト名である「polmorphous」がそのヒントになる。
インターネット環境以降のトランスメディアの可能性として、ラジオのミクロ性に改めて注目し、インターネットとそれを接続することで、グローバルかつミクロなオルタナディメディアを作り出していけるのではないか、と提言する。alternativeとは、alter=変える、とnative=土着の、が合体したことばだとイマジネーションを働かせれば、それはまさに土着性それ自体を更新するという意味になる。「グローカル」がすでに権力に取り囲まれている概念とすれば、むしろ、無数の土着=最小のコミューンをネット上にリンクすること、それが今のalternativeだ。この発想は、廣瀬さんの闘争の「最小回路」=結晶化という考えと共鳴するものだとぼくは理解した。途中、「美味しい料理の哲学」を巡って、大声を張り上げての激しいやり取りが展開されたが、これはライブならではの醍醐味。こういうことがあるから、面白いのだ。さて、明日はどんな話が展開するか、楽しみ。
ところで、本編は3月29〜30日に東京芸術大学主催の「ネグリさんとデングリ対話 マルチチュード饗宴」で上映が予定されている。ていうか、アントニオ・ネグリの初来日するこのイベントもすごいぞ。
→ 「ネグリさんとデングリ対話 マルチチュード饗宴」
ところで、「ART UNLIMITED」では、12月に荒川修作の個展をやるとのこと。倉庫に眠っていたネオダダ時代の彫刻作品が偶然発見された。それを、1年がかりで修復、当時とまったく同じ状態で展示されるのだとそうだ。そんなうれしい話をギャラリー社長の高砂三和子さんから聞いていたら、荒川さんの事務所ABRFの本間さんと松田さんが現れた。三鷹の「天命反転住宅」に事務所を構えておられるので、見学のお願いをしたところ、快く承諾してくれた。有志を募って、見学会を催すことにしよう。
サウンド・イメージ研究所ラボ・カフェ・ズミとのコラボレーション企画 『談』公開対談 「いかにして消尽したものになるか…死の贈与、生の贈与」を開催した。なにせ初めてのイベントなので、みなさん本当に聴きにきてくれるのか、内心ドキドキしていたが、開場してみると、応募者で欠席された方は一人だけ。立ち見でもいいからぜひ参加させて、といううれしい強引組をあわせると17人(既に定員オーバー)。それに、『談』の発行元のTASCの方々やスタッフが加わって、気が付けば、会場は立錐の余地もない。トイレに行くのもままならない感じ。さて、そんな中で公開対談は始まった。今回の特集を思いついた一つのきっかけが澤野雅樹先生の『不毛論』。時あたかも2001年、9.11の年に発行。何かリンクするものがあったのではないかという問い掛けから対談をスタートさせた。議論は、有用性/無用性の話からダメ連に。それを受けて赤木智弘さんの論文「気分は、戦争」をネタに、若者は、無用であることに絶えられなくなっている。自分の承認がモーターにならないと現状を分析。しばらくそのあたりの議論が続いたところで、ドゥルーズのベケット論『消尽したもの』に。そこから、器官なき身体、同一性、資本主義、スピノザからヘーゲルへ(?!)。澤野さんがルジャンドルを持ち出すと、じつは萱野さんも関心をもっておられて、宗教、ドグマ、国家というキーワードから、さらには暴力の問題へと議論は展開していった。たっぷり2時間の対談は、予想通り非常に内容の濃い、強度に満ち満ちたものになった。やはり、「ドゥルーズと子供たち」(スピノザ論的に)は、そもそも何かが根本的に違う、それがなんなのかはいまだにわからないのだが、少なくとも言語/論理の強烈な磁場を現出させる「力」は、今、この周辺からしか生まれないような気がする。それに立ち会えただけでもぼくはとてもうれしかった。 当日来て頂いたみなさん、ありがとうございました。
明治通りから渋谷川沿いを見る。今でこそコンクリート三面バリの河川だが、古くは河岸がならぶ舟運の要所だった。八幡通りのすぐ脇にある「さかえ湯」から裏渋谷を散策。古い木造をリノベした建物がけっこうあった。オシャレなカフェや雑貨屋に変身している。セルリアンタワーから陸橋を渡って東急裏へ。さらに道玄坂から百軒店へ。
麗郷で食事。百軒店を見る。BIGや名曲喫茶「らんぶる」は顕在、しかしその周囲はラブホテルばかり。そのはずれに千代田稲荷がある。そのとなりにベビーカーで入れるカフェが。誰が利用するのか。もしかしてafter Hotel? どんなひとが利用しているのかじっくり視察して東急本店へ。途中、SHIESPAの爆発現場を見る。SHIESPA本体は無傷で残っているが、看板にでっかい噴煙を上げる火山の写真。これはしゃれになりません。だんだん事件観光になってきたので、気を取り直す。
本店からハンズ方面へ、宇田川町を見てお茶する。東武ホテルの滝の音にしばしなごみ、「たばこと塩の博物館」から、明治通りへ。飲み屋横丁をのぞいていたら、なんと佐藤良明先生とばったり会う。今年東大を退官されてフリーになったというお手紙をもらったばかり。ならば、原稿でも書いてもらおうと思っていた矢先のこと。これは運なのか。いったん渋谷駅裏の焼き鳥屋を見て、事務所へもどる。
五感ツアーというよりは、トマソン、木造物件、レトロ建築散策の旅という感じになってしまったが、愉しい一日だった。みなさんご苦労様でした。
夜、横浜で科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業下條潜在脳機能プロジェクトの廣中直行さん、日本総研のTさん、JTのAさんと例の集まりのためのミーティング。予定しているフォーラムの候補者を提案する。一人ひとり名前を読み上げながら、はっと思った。ここに挙げた研究者で新しい大学つくったら凄いことになるなって。空想博物館ならぬ、空想大学の提案。
「二つの山」展