右のメニューバーの最新号をクリックしてください。
ダイアリー
右のメニューバーの最新号をクリックしてください。
『談』本誌のコンテンツが見づらいというご意見におこたえしまして、
右サイドバーに『談』最新号およびバックナンバーを独立させました。
また、no.62号までのバックナンバーについても
内容とエディターズノートをお読みいただけるように
スクロールボックスをつけました。
↓
http://twitter.com/#!/mirouuru
今日は朝一で、まず「鈴木家住宅」を見学する。母屋は江戸時代後半に建てられたされる茅葺き屋根。重文に指定されている。現在も一部を住まいとして使用している例は全国でもここだけらしい。赤子を抱きながら、若いお嫁さんが部屋を案内してくれた。この地域は、茅葺きの民家が100棟ほど現存しているといっていた。家をぐるっと波板のようなものでつつんでいるのは積雪対策のため。連休の前後にはずすらしい。肝心の茅葺きはまだ葺き直したばかりで、今度は、私が60歳になる30年後ですと。隣接している蔵も拝見する。床に漆が塗ってあるのでぴかぴかしている。なんと贅沢な! 再びタクシー。途中でおそらく白井晟一が設計したのではないかと思しき建物を発見する。ミケーネ書店に立ち寄って「櫻山」へ。少し早いがランチをいただく。昔迎賓館として使用されていたという民家をリノベーションしたカフェ&レストラン。目の前には千坪の庭園が拡がる。「樹齢数百年を経たケヤキの巨木のほか、山のように咲き乱れる桜の木々が立ち並びます」と案内にあるように、なるほどステキな庭だ。肝心の桜は、八部咲き。おそらく今週末が見ごろだと思う。庭園から河川の土手を散策。やはり桜が美しい。なんとのどかな風景。大嫌いな言葉「癒し」が脳裏をよぎってしまったのは不覚中の不覚。それはともかく、池内紀さんのように、「山あいのちいさな村を旅してみたい」と思ったのでありました。
100年目(1976年)にして大胆な演出が注目されたバイロイト音楽祭。たまたまラジオでそのことを知って、当時前衛ものしか興味のなかった僕が、唯一ピピーンと反応したのがワグナーの歌劇だった。それから30年、バイロイト詣はいまだ果たせずにいるけれど、こうしてとにもかくにも、その1作をこの目と耳で(というか全身で)体験できたことは大変嬉しい。
今回の「トーキョー・リング」の演出は、キース・ウォーナー。76年を転機とする演出主導のチクルス(4作セットの上演)をさらに大胆に解釈してみせた。まず、物語から歴史というものを引き剥がす。登場人物たちは、時間/空間から放り出されて、いわば宙吊り状態におかれることになる。出自は十分に主張されつつも、実体感の乏しい存在。存在の有限性と無限性が、常に極端な形で表れてくるのである。たとえば、もののスケールの崩壊。たとえば、現在と過去・未来の時間性の混乱。たとえば、映写機、ストレッチャー、剣道のお面などの道具の使用…。意味の剥奪と過剰な付与。その結果、舞台そのものが重層的なものになるのだ。歓喜と悲哀という情動の崩壊と再生が「指環」のモチーフだとすれば、ミクロ/マクロ、男性原理/女性原理の意図的な変換と混同によって、むしろ曖昧になる。その曖昧な様態、その継続こそ、じつはウォーナーが今回の「指環」に込めた解釈ではなかったかと思う。
「ワルキューレ」の第1幕、舞台中央にドーンと据えられた巨大なテーブルと椅子。ジークリンデ、ジークムント、フンディングの3人は、この館の中ではまるで小人のようであったし、物語が進行するなかで、時折、天上から床から大きな矢印のオブジェが飛び出してくるが、それは、心理状態を方向づけるシーニュだともいえる。最後、ジークムントがトネリコの幹から霊剣ノートゥングを引き抜く場面は、恍惚と不安が入り交じり、これからの道程が、決して幸福なものとならないことを暗示させる。
第2幕には、白い大きな開口部をもつ光の空間が背景として大胆に設置されている。それは、いわば人間心理を映し出す巨大なスクリーンだろう。ブリュンヒルデ=ワルキューレとヴォータン(父・主神)との感情の変容。それは、忌まわしき死の到来を示す。
第3幕に登場する病院、馬に乗る女性、すベてを焼き放つ火。精神分析ではありふれたイコンであるけれども、それをあえて物語のシンボルに据えてみせるところが、大胆というか、あざといというか…。愛による救済は果たして成し遂げられたのか。感情こそじつは情動に支配される機械状無意識にすぎない。ヴォータンの希望は、あらかじめ挫折させられるものとして提示されるのである。曖昧な二つの様態。それは、歌を伴うものだからこそ可能になるのだ。祝祭でなければならない意味がここにある。
いずれにしても、ウォーナーの「トーキョー・リング」は、ワグナーの祝祭(歌劇)の魅力を、初心者にも十分に伝えられたことは確かだ。だって、来年の2月3月に予定されている「指環」の後半「ジークフリート」と「神々の黄昏」を、すでに絶対に見るぞ、というモードになっている自分がここにいるのだから。
「トーキョー・リング」の今後のスケジュール
樋澤先生は、従来のパターナリズム論を整理、分類したうえで、「消極的」、「弱い」、「受動的」、さらには、「身体的・物質的」、「形式的」側面に定位し、ソーシャルワークにおいて、パターナリズムは決して否定されるものではなく、むしろ本来の意味でのクライエントの「自己決定」を支えるために必要不可欠原理ではないかと指摘する。「自己決定」を本来的で実践的なものに再構築するものとしてパターナリズムに注目する。キーワードは徹底的な「対話」。そこで、「対話」を土台とした関係構築におけるパターナリズムの可能性を探ってもらった。
樋澤先生は、「自己決定」とパターナリズムの問題に、真摯に向かい合っておられたのが大変印象的だった。パターナリズムとは単なる概念であって価値をもったものではない。自己決定とパターナリズムは相互的関係があり、パターナリズム自体が介入の根拠となった場合でも常に条件付きである。この相互的関係、言い換えれば循環的にならざるを得ない関係を所与のものとして捉えた時に、初めて自己決定/自律という問題領域を共有することができるのである。
詳しくは、『談』の次号のインタビュー記事をお読みいただくとして、パターナリズムをもう一度その原義に立ち返って考え直してみることの重要さを再認識させられたインタビューとなったことお伝えしておこう。
なお、お近くに取扱い店がない場合は、「地方小出版流通センター扱い」の『談』と言っていただければ、注文できます。
『談』取扱い店
●関東・中部・東海・東北・北海道■ 池袋/旭屋池袋書店、ジュンク堂書店池袋店/リブロ池袋店■新宿/紀伊国屋新宿店、模索舎、ジュンク堂書店新宿店■ 渋谷/放文堂、パルコブックセンター渋谷店、ブックファースト渋谷店■本郷/文泉堂、神保町三省堂、信山社■ 神田/阪急ブックファースト神田駅前店■東京駅/八重洲ブックセンター■南青山/リブロ青山店 赤坂、文鳥堂赤坂店■三田/慶応大学生協■大森/リブロ大森店■吉祥寺/パルコブックセンター吉祥寺店■三軒茶屋/リブロ三軒茶屋店■杉並/書原DX、信愛書店、高円寺文庫センター■千駄木/往来堂書店■京橋/ブックス京橋店■田無/リブロ田無店■町田/リブロ町田店■立川/オリオンノルテ■錦糸町/リブロ錦糸町店■津田沼/丸善津田沼店■大宮/ジュンク堂書店大宮店■与野/ブックデポショラク■横浜都筑区/リブロ港北店/阪急ブックファーストモザイクモール港北店■青葉台/ブックファースト青葉台店■東戸塚/リブロ東戸塚店■川崎/有隣堂BE店■小田原/リブロ小田原店■沼津/マルサン書店■長野/平安堂書店■郡山/八重洲ブックセンター郡山うすい店■名古屋/パルコブックセンター名古屋店、ちくさ正文堂、ウニタ書店、栄ブックセラーズ、文進堂、白樺書房西店■岐阜/カルコス各務原店■大垣/方円堂書店■豊橋/精文館■金沢/駸々堂金沢店、喜久屋書店金沢店■新潟/パルコ新潟店■水戸/リブロ水戸店■前橋/文真堂新前橋店■宇都宮/リブロ宇都宮店■群馬太田/ブックマンズアカデミー太田店■仙台/ジュンク堂書店仙台店、八文字書店、東北大学文系書籍部■函館/リブロ函館店
●関西・中国・四国・九州■北区/ジュンク堂書店大阪本店、丸善書店■梅田/ブックファースト梅田店■阿倍野/ユーゴー書店■難波/ジュンク堂書店難波店■八尾/リブロ八尾店■堺/リブロ上野芝店■吹田/リブロ江坂店■天王寺/富士原文信堂■西ノ宮/アシーネ甲子園店、リブロ甲子園店、関西学院大学生協■加古川/紀伊国屋加古川店■京都/ジュンク堂書店京都店、大垣書店本店、丸善京都河原町店■神戸/ジュンク堂書店三宮店、ジュンク堂書店三宮駅前店、海文堂■広島/ジュンク堂書店広島店■高知/明文堂■高松/宮脇カルチャースペース■福山/啓文社ポートプラザ店■福岡/リブロ福岡店、丸善福ビル店■小倉/小倉ブックセンター、ナガリ書店■久留米/リブロ久留米店■鹿児島/ジュンク堂鹿児島店
特集、全て対談によるスペシャル・イシュー
『談』no.82 特集「おとはどこにあるのか……聴くではなく、奏するでもなく」
8月13日に発行になります。一部書店では、8月14日店頭発売。
110ベージ 800円(+税)
◆小沼純一×渋谷慶一郎 〈対談〉「聴いたことのない音楽」の方へ
◆柏野牧夫×池谷裕二 〈対談〉理性を導く音の快楽
◆粉川哲夫×廣瀬純 〈対談〉無数の眼/耳/舌あるいは闘争の劇場としての…
表紙 勝本みつる
ポートレイト 石川直樹
Gallery 新井卓
三浦しおんさんが来店されたことを大々的に宣伝するレトロな喫茶店、「珈琲の殿堂プリンス」に入りました。さて、かとうさん、とても面白い方でした。今、同人誌というとデザインもあかぬけていて、シャレている。レイアウトソフトをつかって、プロ並のクオリティのものがほとんど。そんなミニコミ界にあって『野宿野郎』は、お世辞にもきれいといえない、ワイルド系、手書き重視の、一昔前のミニコミ然とした雑誌です(もっとも、そのザラッとした手触りがたまらなくいいんですが)。
聞くと、わざわざ手貼りで版下つくって入稿しているのだそうです。かえってお金もかかるし、重版はできないし、なんでこんなふうにやんなきゃなんないんでしょうか、だって(笑)。いちいちこんな調子で、自分のやっていることを、上から目線で、おかしがっているところが面白い。そもそも大学で「頭脳パン」のサークルをつくったというところから、踏み外しています。
とにかく、野宿が好きなのです。今では、ちょっと屋根の下にいるのが長くなると、外で寝たくなるとか。居酒屋で飲んでいても、横になれないからといって外に飛び出して、野宿モードで飲みなおすというのですから。都内の野宿ベストスポットは? と 訊ねると、代々木公園だそうです。野宿野郎のほかに、バックパッカーやブルーシート系のひと、外国人も多いらしく、棲み分けができているとか。また、お台場はウォーターフロント、芝公園は東京タワーと、都会絶景ポイントを寝袋にくるまって見るのはとても愉しいですよ、とうれしそうな顔。雑誌が縁で仲間も少しづつふえているそうな。中には、アラ40もいるとのこと。彼女は、寝袋で寝ただけではなく、段ボールや新聞も経験ズミ。かなりハマっているらしく、そのまま出勤することもあるとか。
それにしても、かとうさんのこのゆるめのキャラは、とてもいいですね。現に、取材が殺到しているらしく、今年の下半期は、絶対ブレイクするでしょう。年末には紅白のゲスト審査員に選ばれるのでは、なんてことだってあるかも。
こわい事件が続きます。くれぐれも気をつけて、野宿愉しんでくださいね。
松下電工汐留ミュージアムで開催されている「アール・ブリュット/交差する魂」を見る。展覧会は、圧巻であった。新日曜美術館で取り上げた日本の作家が、みんな出品されていたのがうれしい。全体に尋常ではない過剰さ、エネルギー、細部への異常なこだわり、が目に付く。あと今回気がついたのは、空間との距離感。同じモチーフが反復される作品が少なくないのだが、微妙に大きさが違ったりする。なぜこの大きさなのか、がいまいちわからない作品も多い。あともうひとつ、突然、描き始められる。それも、唐突にこんなとこからこの絵は始まったのか!! と誰しもが驚くようなところから、実際に始まるらしいのだ。舐めるように見てしまった。となりでは、「ルオー」の常設展が開かれていたが、画家といわれている人が描く世界と、アール・ブリュットの作品では、何か決定的に違うものがある。画家は、絵を描こうとしている。しかし、アール・ブリュットの作家たちは、たまたま描かれたものが絵だった。彼(彼女)らにとって、常にすでに在るのは、ただ「世界」だけだ。
桑山君、この近作をやって、若い連中の映画づくりに、激しくギャップを感じたらしい。しきりに「モチベーションがないとつくれないよ」を連発していた。そして、いよいよほんとうにやりたい映画をつくる時がきたと自覚したらしい。つまり、やりたい本で、資金調達から製作まで、場合によってはメガフォンもとる。本来の意味でのプロデューサーになる時がついにやってきたというわけだ。そして、今の関心は、「国境なき医師団」だという。これをテーマに、1本つくってみようかという気になっているらしい。機は熟した。僕も応援するのでがんばってください。
会場を見渡すと、コンサートで見かけるような人がほとんどいない。訊ねてみると予想していた通りの答えが返ってきた。今回ですでに105回目。メセナ活動なので、地元に還元するという意味もあって、近隣に広報している。アーティスト・パトロネージュ方式なので、チケットフィーは見終わったあとにお客さんが決める。したがって入場料は格段に安い。なので、近隣からやってきた常連客がたくさんいるのだ。しかも、時間に余裕のある人、つまり高齢者が多い。なるほど、それで普段見かけない人が沢山いらしたというわけか。
さて、その音楽だが、コントラバスとボーカル、それにゲストとしてパーカッションが入った3人編成。ちょっとは期待したのだが、正直ちょっと…という感じだった。詩とうた。演劇をやっていた女性なので、ミュージカルのような感じで歌われる。面白くないかといえばそんなことはなく、面白い。でも、今のぼくに必要な音楽かといえば、申し訳ないけれどあまり聴きたい類いの音ではなかった。小沼さんの作品も演奏されたので(小沼さんは、作詩だけでなく作曲もされる方だったのだ)それは面白かったが、全体は、はっきりいって長〜く、少しばかり退屈な感じのライブでした。
休憩時間に、会長の河本英夫さん、廣中直行さん、十川幸司さんらに挨拶。花村誠一さんの顔も見えたが、お話はできなかった。
そのあと幾つかのセッションのあと、河本さん作の映像作品「ホモ・エクササイス」が上映された。これは以前DVDに落としたものをご本人から送っていただき見てたのだが、今回は、舞台に3人の演者をあげて、生のナレーション付きで公開された。
そして、最後、今回の特別講演、荒川修作さんによる「天命反転…New Science of Life」が行われた。河本英夫の紹介が終わると、三鷹の住宅の映像が流されて、突然話が始まる。ろれつがまわっているんだか回っていないんだかわからない話し方で、放言を連発。古典なんてものは、全部ダメ。ぼくたちは、身体の可能性をまだまったく使っていない。0.000001%も使っていない。ところが、人間はばかなことばかりをやっている。戦争はその最たるもの。今から半世紀も前に、NY郊外で赤ちゃんを何百人も集めていろいろな実験をした。赤ちゃんは、成人と違って身体の可能性を無限に知っているしそれを可能にしようとしている。なのに、成長とともにその可能性をどんどん狭めてしまう。なんとばかなことをわれわれはやっているのか。人類はみんな等しく狂っているという。というようなことを、もごもごと喋るのである。今回の基調講演者加藤敏さんが、この学会は創造行為というものと狂気の関わりを考える学会であると会場から質問をすると、ここにいるみんな狂っている。患者さんばかりではなく、お医者さんも、学生もみんな狂っていると応答。会場の一部からは失笑もでたが、そこは世界の荒川。その特異なキャラで、オーディエンスを納得せしめたのだった。
ところで、荒川さん、昨日NYから来日されたといっておられたが、飛行機はもちろんFクラスやBクラスじゃないですよね、三鷹天命反転住宅をつくるお人ですから、Eクラスをかえって愉しんでいるはずですもの。
終了後マレーチャンで食事。彼のお姉さんがクリエティブ・マンの部長さんなので、毎年サマソニには、お手伝いでいくという。今、見たいライブはなにかときかれたのでシャディと即答すると、「いや、ぼくもそうなんですよ」と意気投合。けっこう聞いているものがおんなじだったりして。これから、長くお付きあいができそうだ。
ユッスー・ウンドゥール、サリフ・ケイタ、ブレイブ・コンボなど当時ワールドミュージックといわれた音楽に目覚めてから、やがてヨーロッパの周辺音楽に関心をもつようになった。気が付くと、アイリッシュ・トラッドをベースにアフロでファンクでジプシーでアラブでプログレで、おまけに超トランシーなグルーブ「KILA」、バルカン・ブラスの超絶オヤジ集団「ファンファーレ・チォカリーア」、ベルギーから小型バスに乗って世界を移動しながら、トルコやブラジル、イヌイットやモロッコの音楽とミクスチャーしまくる「シンク・オブ・ワン」、ラテンアメリカの超前衛アルゼンチン音響派が続々と来日するではないか。ぼくはそれを次々に見聞きすることになるわけだが、それらは全部じつはプランクトンが招聘もとだったのである。
なんでこんなにユニークな音楽を見つけてこられるのか。そして、それをちゃんと日本に紹介し、お客さんを集めて、ビジネスとしても成功させている。そんなことがどうして可能なのか。じつは、僕自身がとても知りたくって、それで川島さんにとことん聞いてみたいと思ったわけである。
はたして、その話はみごとに面白かったのです。面白かったのだけれど、書けない話ばかり。ちょっとヤバいこともあるから。でも、今度は『談』にでも登場してもらって、あらためてじっくりお話してもらおうと思っているので、その時まで待っていてくださいな。
ところで、川島さん一押しのアーティストAsa(アシャと読む)の来日コンサートがあります。興味のある方はぜひ聴きに行ってください。ぼくも大好きです。↓
「LAFORET SOUND MUSEUM」
13時よりやきそば学会会長渡辺英彦さんの取材。学会といっても学術学会でも、もちろんあっちの学会でもない。焼きそばの普及・発展につとめる任意団体だ。渡辺さん、著書でもインタビューでも、あまりにオヤジキャグ、ダジャレがすぎるので、カルイ人かと思ったら、ぜんぜんそんなことはかった。自分の立ち位置を自覚しながら、けっこうまじめに、戦略的に考えている人だった。
取材のあと、お宮横丁の学会の直営店で焼きそばを賞味する。鉄板焼きで焼くのを見る。富士宮の産のそばに、肉カス、いわしの粉、ウースターソース。これがメイドイン富士宮の焼きそばのベース。ここのは、麺がもちもちしている。ソースも学会のお墨付き。端麗辛口の冷が合うという。なので、大吟醸ならぬ、「だいびんじょう」で1杯やりながら。この酒、学会が富士宮の清酒メーカーにつくらせたもの。大吟醸にあやかって、「一種の便乗品です」ってまたしてもオヤジギャグ。しかし、「だいびんじょう」さすがにベスト・マリアージュだ。
普段は賑わう広場も天気が悪いためか、人影もまばら。それでも、何人かグループのお客さんがきたところで撮影をする。ぶらぶらと通りを歩く。渡辺さんご推薦の、駄菓子屋系の焼きそば店「うたちゃん」に入る。おかあさんが二人でやっている店。14年前に開業した。となりに小学校があるので生徒さんも来るのかと尋ねると、父兄同伴以外は禁止になったという。
ここのは、肉かすもベニショウガも手作り。肉かすをつまみにビールを飲む。さすがにお腹がいっぱいになった。ぶらぶら一駅分歩いてホテルに帰る。夜19時再び「つぼ半」へ。昼間最初に寄ったのだが、終っていた。ちょうどおかみさんが出てきて、「ごめんね、中見ていく?」とわざわざかぎを開けてくれて(というかぼくが開けて)、中を見せてもらう。それで、夜来るね、と伝えておいたからだ。
店は学生さんでいっぱい。ここは、各テーブルに鉄板があって(50年使い続けているらしい)、そこにザルに入れた麺と野菜を持って来て、おかみさんが焼いてくれる。すぐ焼き上がったが、撮影とまだお腹が減っていないので、躊躇していたらどんどん火が入って、すごく硬くなった。それでも、なんとなく懐かしい味がぼくにの口には合いました。というわけで、本日朝、昼、おやつ、晩と4食焼きそばづくしの一日だった。
企画委員会は、まず、もうすぐ発行の号の色校正お見せして始められた。今回は力作、写真がとてもいいと絶賛。うれしいやら恥ずかしいやら。クライアントに満足してもらえれば半分成功したものだ。なにより励みになるし。企画委員の皆様方も熱心にみておられた。ということで、新企画を2本提案し、両方ともオーケーをもらう。皆さん食べることがお好き、食にからめた企画はうける。もう一つの「外から」企画も興味津々だった。いつものように、いろいろな意見が出されて(それにしても皆さんバックナンバーを読んでませんね)、とても参考になった。瀬戸内の新鮮な魚介類を味わいつつ語り合うってのはどう? といううれしい提案をなさる先生が一人おられて、もう大拍手!! また、楽しみな特集になりそうだ。