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『談』no.126 特集◉「リズムのメディウム(「響き合う世界」の第3回)が3月1日(水)に全国書店にて発売になります。

書店発売に先立ち、一足先に『談』Webサイトでは、各インタビューのアブストラクトとeditor’s noteを公開します。
右メニューの最新号no.126の表紙をクリックしてください(2月28日正午公開)。

『談』no.126 リズムのメディウム
企画趣旨
リズムは、音楽と最も強い結びつきのある言葉だが、もとより音楽の専門用語ではない。たとえば、言葉のリズム、心臓の鼓動のリズム、生活のリズム、潮汐の干満のリズム、あるいはたてものの柱のリズミカルな配置など。さまざまな文脈での「リズム」という言葉は、しかし、単なる比喩的な表現ではないことは言うまでもない。大きな広がりをもつ「リズム」という概念の、それぞれの特徴を示す表現なのだ。
たとえば、睡眠時間が不規則になったり食事を摂る時間が不定期になったりすると、私たちは「生活のリズムが乱れた」と表現する。日々繰り返される生活活動、その周期的な繰り返しがこの場合の「リズム」であり、その反復周期の規則性の乱れを「リズムの乱れ」と言っているわけだ。また、心筋の収縮や、潮汐の干満も一定の時間の周期をもって繰り返し起こる。すなわち、一般的に「リズム」とは、人間の活動や自然界の現象に見られる周期的反復性のことであり、その反復周期に一定の規則性が確認できる時、そのリズムが「整っている」と感じられるのである。
広義の「音楽のリズム」は、三つの下位概念、すなわち「拍」、「拍節」、狭義の「音楽のリズム」を含んでいる。音楽の構造という点から見ると、狭義の「音楽のリズム」は表層構造に属し、「拍」と「拍節」は基礎構造に属する。音楽を聴く時、実際に聴こえるのは表層のリズムである。「拍」や「拍節」は、表層のリズムの背後にある構造で、直接聴き取れるわけではない。表層のリズムにあっては、拍のさらに多様な分割から生じるさまざまな下位拍の組み合わせが複雑なパターンを形成する。音楽の表層的なリズムとは、何らかの仕方でアクセント付けられた(目立たせられた)表層拍とそうでない表層拍の組み合わせである。そして、ある拍が目立つかどうかには、その音の長さや強さだけではなく、高さ、音色などの多様な要素が同時に関与していて、一見単純な音の連なりのように聴こえる楽曲であっても、ひとたびリズムに焦点をあてれば、極めて複雑で多彩な音世界をつくり出していることがわかるのだ。
「響き合いの世界」の最終回は、この複雑で多彩な「リズム」について考察する。
参考文献『事典 哲学の木』(近藤譲執筆リズムの項目)講談社、2002

■近藤譲氏インタビュー
「音楽には二種類のリズムが内在する」
時間芸術のひとつである音楽において、時間の形式であるリズムは、当然本質的な意味をもっている。しかしそれにもかかわらず、これまでの音楽のリズムにかんする議論には、ある種の混乱がみられるという。その混乱の主因は、音楽のリズムを一般的な意味でのリズムと直接結びつけて論じようとするからにほかならない。音楽のリズムは、むしろ、音楽固有の組織体系として考察されるべきだと主張するのは作曲家の近藤譲氏だ。もとより、音楽にかかわっているリズムは、音楽のリズムのみではない。一曲の音楽は、連続的に変化するひと続きの音響事象であり、したがってそこでは、一般的な意味でのリズムの形式原理も働いている。人々が音楽に感じるリズムは、じつは、それら二種のリズムの複合なのだ。音楽固有のリズムと一般的なリズムをいかに腑分けし、検出するか。だがそもそもそのようなことにどれほどの意味があるのだろうか。リズムのメディウムの探索はここから始まる。

こんどう・じょう/1947年生まれ。現代音楽作曲家、音楽評論家。作曲作品は、オペラ《羽衣》を始めとして170曲以上。CD録音も多い。
著書に『ものがたり西洋音楽史』(岩波ジュニア新書 2019)、『聴く人(homo audiens)(アルテスパブリッシング 2014)、『線の音楽』(復刻版 アルテスパブリッシング 2013、 朝日出版社 1979)他。

■樋口桂子氏インタビュー
「日本のリズム……身体の深層にあるもの」
日本の音には雑音的な要素が多い。日本人の耳が好む音は、ヨーロッパの教会の鐘のようにどこまでも高く響いてゆくものではなく、雑音の要素を含んだ、鈍く広がって、あたりに滲みゆく音だ。日本の音は、むしろ正確な音程に正しく合わせるよりも、多少音をずらして、あるいは「ツボを外した」音を取り入れようとした。人に聴かせる語り物や講談、地唄、民謡などは、発音の仕方は音程を微妙に揺らすことを選んだ。そうした音がつくり出す気配は、整数倍音で響く音づくりをするヨーロッパの気分とは、当然違ったものにならざるを得なかった。これはリズムにおいても同様の違いを示す。ヨーロッパの人たちがとりわけ動きに対してリズムを捉えるのに対して、日本人は静かに安定したリズム感を好む。それは、「もの」の動きに目を向けるよりも、「もの」から「こと」を見てとり、「こと」のなかにリズムを感じ取ったからだろう。ヨーロッパ人の気分は運動と変化とリズムを捉えている。一方、日本人にとっての気分はあたりを見渡す「わたり」のなかにある。響き渡る、冴えわたる「気配」のなかに「リズム」もまたあるのだ。この違いは、音楽構造の「拍」の領域において、根源的な差異を見出すことになる。音楽のリズム論への果敢なる挑戦であり日本文化論の更新である。

ひぐち・けいこ/大東文化大学名誉教授。専門は美学。
著書に『おしゃべりと嘘』(青土社 2020)、『日本人とリズ感:「拍」をめぐる日本文化論』(青土社、 2017)、『イソップのレトリック』(勁草書房
1995)他。

■河野哲也氏インタビュー 
「液体のリズム、新しい始まりの絶えざる反復としての」
1963年東京生まれ。立教大学文学部教育学科教授。博士(哲学)。専門は、哲学、倫理学、教育哲学。NPO法人「こども哲学・おとな哲学アーダコーダ」副代表理事。
著書に『間合い:生態学的現象学の探究』(東京大学出版会 2022)、『人は語り続けるとき考えていない:対話と思考の哲学』(岩波書店 2019)、『境界の現象学:始原の海から液体の存在論へ』(筑摩選書 2014)他がある。

リズムは、自然と生命の波動現象であり、メトロノームが刻むような機械的な拍子とは区別されなければならない。哲学者の河野哲也氏は、生態学的現象学の立場からリズムをこう論じたうえで、私たち生き物が、緩やかなリズムで活動しているとするならば、それは私たちの身体が、柔軟で、緩やかな粘度を持った物体だからであり、一種の流体だからだという。生態学的現象学は、人間の心理を主体と環境との循環的関係のなかでの意味に満ちた経験として記述し、理解しようとする哲学である。生態学的現象学で人間を捉えるとすると、海という流体のなかで、同じくほとんど水分でできた自己の身体を、薄い膜によってかろうじて外部と分け隔てている海月(くらげ)のようなものだというのだ。あるいは、環境を卵と見立て、自分の身体がそのどろりとした半透明の粘り気のある溶液に囲まれている黄身のように考えることもできるだろう。いずれにせよ、モデルとなるのは、環境に充満する液体の一部としての、液体そのものである身体だ。
自然のなかには、純粋に反復する過程などない。自然は、新しいものを繰り返し産出する。その産出されたものの一部が互いに類似しているのである。同一性とは、思考の人工的な産物である。類似しているものは、思考の介在なしで、自然に直接的に経験される。リズムが生じるためには、見えない生命内実が不可欠であり、その後に類似のものが再帰するのである。リズムは、すでに存在している同一のものが反復するのではない。リズムとは、存在が更新されて戻ってくることである。

こうの・てつや/1963年生。立教大学文学部教育学科教授/博士(哲学)/専門は、哲学、倫理学、教育哲学。NPO法人「こども哲学・おとな哲学アーダコーダ」副代表理事
著書に『間合い:生態学的現象学の探究』(東京大学出版会 2022)、『人は語り続けるとき、考えていない:対話と思考の哲学』(岩波書店 2019)、『境界の現象学:始原の海から液体の存在論へ』(筑摩選書 2014)他。

表紙・裏表紙は菅木志雄氏の立体、ギャラリーでは、小池一馬氏の作品を掲載

『談』no.125 特集◉「ゆらぐハーモニー …調性・和声・響き」(「響き合う世界」の第2回)が11月1日(火)に全国書店にて発売になります。

書店発売に先立ち、一足先に『談』Webサイトでは、各インタビューのアブストラクトとeditor’s noteを公開します。
右メニューの最新号no.125の表紙をクリックしてください(10月31日午前公開)。

『談』no.124 ゆらぐハーモニー …調性・和声・響き
企画趣旨
ハーモニーの語源は、ギリシャ神話の調和の女神「ハルモリア(harmonia)」で、「和音」あるいは「和声」などと訳され、時には「調性(tonality)」そのものを指す場合もある。和音(chord)は、ドミソやシレソのように、複数の楽音がタテに同時に響いてひとつの集合音になっている二次元の「単体」の状態のことであるが、和声(harmony)は、和音を構成するそれぞれの音(声部)の動き方や並び方、およびその組み合わせを指し、いわば、三次元となった「複合体」のこと。ひとつの「音」の横の並びが「メロディ(旋律)」、複数の音の重なり具合が「ハーモニー(和声)」、タテに並んだ瞬間の組み合わせが「コード(和音)」、そしてそれらの体系や秩序が「調性」ということになる。つまり、西洋クラシック音楽が体系付けた「ハーモニー(調性のシステム)」というのは、複数の音が「協和する」関係にある(と人間が認識する)ことであり、「音楽表現」とは、それを人為的に変化(操作)させることだといえる。ゆえに、「協和」の探求こそハーモニーにとって最も根源的で普遍的な問題なのだ。
「響き合いの世界」の2回目は、西洋近代(=西洋クラシック音楽)を基礎付ける最重要概念「ハーモニー」を考察する。ハーモニーは、はたして「自然」なのか。そして何よりも「ハーモニー」に未来はあるのか。
■伊藤友計氏インタビュー
「和声的調性音楽は“自然”なのか…自然は楽器も音階も和音もつくらない」
現代の調性は、モンテベルディの革新によって現出し、理論面においては、1722年のラモーの『和声論』によって決定的に定位されるところとなった。もとより、音楽を考えるにあたって、拍子やリズム、音色や音色が重要であるのは言うまでもないが、西洋音楽という輪郭を明確にかたち付けたという点で、「調」「調性」「和声」の発見/発明は決定的であった。
和声的調性音楽は、ひとつの予定調和の世界をつくりあげている。しかし、予定調和の音楽が、和声的調性の音楽でなければならない理由はない。閉じられた予定調和の外には計り知れない数の音楽が存在し、現にそうした「外を目指す音楽」は、日々量産され続けていることも、事実である。にもかかわらず、人々が耳にする音楽の大半は、いまだに和声的調整音楽である。われわれの意識のなかでは、「音楽=自然」という不動の等式すらでき上がってしまっているようにも思える。
和声的調整音楽の圧倒的浸透力。「調」「調性」「和声」の誕生、成立、発展を追いながら、その浸透力の秘密に迫る。なお、サブタイトルの文言は『和声の理論』の著者M.シャーロウによる。
いとう・ともかず/1973年生まれ。明治大学非常勤講師。文学博士(東京大学)、音楽学博士(東京藝術大学)
著書に『西洋音楽の正体:調と和声の不思議を探る』(講談社選書メチエ 2021)、『西洋音楽理論にみるラモーの軌跡:数・科学・音楽をめぐる栄光と挫折』(音楽之友社 2020)、訳書に『自然の諸原理に還元された和声論』J.-Ph.ラモー(音楽之友社 2018)他。
■源河亨氏インタビュー
「悲しい時に無性に悲しい曲が聴きたくなるのはなぜ?…音楽と情動の不思議な関係」
「悲しい時には、悲しい曲を聴くのがいい」とよくいわれる。悲しみ、憂鬱、不安などネガティヴな感情を抱いている時に、陽気な曲を聴くのではなく、むしろ、自分の感情と同質の悲しい曲の方がネガティヴな感情を軽減させるからというのである。音楽療法で「同質の原理」と呼ばれているものだが、考えてみると、これは不思議な考えだ。音楽は音の配列であり、振動という物理現象であり、人間の感情とは無縁。にもかかわらず同質とみて、ネガティヴな感情を軽減するように働くというのである。人間の心的過程を問題にし人間の情動機能(=感情)に注目する心の哲学の観点から、あらためて「同質」の意味を検討し、音楽と情動の抜き差しならぬ関係について考察する。
げんか・とおる/1985年生。九州大学大学院比較社会文化研究科講師。博士(哲学)。
著書に『「美味(おい)しい」とは何か:食からひもとく美学入門』(中公新書 2019)、『悲しい曲の何が悲しいのか:音楽美学と心の哲学』(慶應義塾大学出版会 2019)、『知覚と判断の境界線:「知覚の哲学」基本と応用』(慶應義塾大学出版会 2017)他。
■沼野雄司氏インタビュー 
「響きの未来、無調、電子音響以降の表現のゆくえ」
中世以来の音楽はすべからく広義の調性をもっている。テレビやラジオで日々接する楽曲のほとんども明快な調性(和声的)音楽である。しかし、今日、「無調」は現代音楽のひとつの根を成す重要な様式的メルクマールとなっている。無調で作曲を行うとは、調性音楽からの離脱を意味するだけではなく、長い間培われてきたわれわれをとり囲んでいる音の世界そのものからの脱却をも意味している。さらに電子テクノロジーの進展は音楽環境そのものを根底から覆そうとしている。調性音楽の徹底的な浸透とそれとは相反する無調と電子音響の隆盛。現在の音楽環境のこのアマルガム状況をわれわれはどのように捉えればいいのだろうか。音楽と響きの未来を探る。
ぬまの・ゆうじ/1965年生。桐朋学園大学教授。/博士(音楽学)
著書に『現代音楽史』(中公新書 2021)、『エドガー・ヴァレーズ 孤独な射手の肖像』(春秋社 2019)、『リゲティ、ベリオ、ブーレーズ 前衛の終焉と現代音楽のゆくえ』(音楽之友社 2005)他。
表紙・裏表紙は菅木志雄の立体、ギャラリーでは、曽谷朝絵作品を掲載

スペキュレイティヴ・ターンにジェームス・ブレイクが出会う時。

そういえば、昨日のインタビューで、篠原先生の口からジェームス・ブレイクの名前が挙がった。グレアム・ハーマンやカンタン・メイヤスらのスペキュレイティヴ・リアリズム(思弁的実在論…『コラプス』、『スペキュレイションズ』をベースに生まれた新たな哲学潮流)に言及した際に、「言語的転回以降を経験した者にとっては、ひきこもることの方がよほど重要」だと指摘、その兆候はすでに随所に出始めていると述べられた時、ふいにその名前が挙がったのだった。「ジェームス・ブレイクなんてまさにそうでしょ、僕の言ってるひきこもることってブレイクの音楽のことですよ」。
ちょうど今年のフジロックで、ジェームス・ブレイクのライブを見て、ぶったまげた僕は、この発言にすぐに膝を打ったのは言うまでもない。ポスト・ダブステップの貴公子かどうかはどうでもいいことだが、そのライブの異常さは尋常ではなかった。ホワイトステージに集まった数千人の観客は、まるで夢遊病者のように踊り続けていた。沈黙より深い静謐な時間。そのなかでダンスすること。インテンシティとは、まさしくこのことだと思ったし、それこそ「ひきこもる」ことのもうひとつの意味なのだ。なにより、思弁的転回の意味を論じているまさにその論脈において、ジェームス・ブレイクが引きあいに出されること。スペキュレイティヴ・ターン(思弁的転回)は、本当に起っているのだ。

『唄は世につれ、たばこは唄につれ』が刊行されました。

著者は、音楽プロデューサーの長田曉二さん。『tasc monthly』(2009年)の連載をもとに、新たに数十篇の書き下ろしを加えたエッセイ集です。たばこが登場する歌謡曲はいっぱいあります。また、歌い手さんのなかには、たばこが大好きな方も大勢おられます。そんなたばこと唄、たばこと歌手の面白話が満載です。ちなみに、本のタイトル「唄は世につれ、たばこは唄につれ」は連載時のもの、不肖わたくしめがつけました。ちょっと自慢。
唄は世につれ、たばこは唄につれ (TASC双書)
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「群島-世界論」の音響編「楽空墨」の第2回開催!!

聖夜前日のイベントのお知らせです。
6月に行われた「群島-世界論」の音響編「楽空墨」の第2回。
今福龍太さんよりメッセージ。
「お時間あれば、おいしいワインとともに、皆様にお会いできれば幸いです」

詳細は ↓ sound cafe dzumi informationより

「クレオールの響き、あるいは高度必需」 (もっとも詩的なもの)

出演:今福龍太(人類学・批評家)× 星埜守之(カリブ海圏フランス語文学)

音=声による出演:
マルティニック<エドゥアール・グリッサン、ジャック・クルシル、アンリ・ゲドンetc.>
ジャマイカ<オク・オヌオラ、リントン・クウェシ・ジョンソンetc.>
キューバ<ニコラス・ギリェン、エリアデス・オチョアetc.>
ブラジル<ヴィニシウス・ジ・モラエスetc.>・・・

日時:2010年12月23日(水・祝日)開場15:00 開演15:30~17:30
会場:吉祥寺サウンド・カフェ・ズミ Tel:0422-72-7822
料金:一般¥2,500-/学生¥2,000-(1ドリンク付)

予約先:event@dzumi.jp
件名「楽空墨12/23」、本文「氏名、人数、電話番号」をメールにてご連絡下さい。
   会場スペースの関係上、先着20名とさせていただきます。
   吉祥寺Sound Cafe dzumi
   武蔵野市御殿山1-2-3 キヨノビル7F Tel:0422-72-7822

2010年6月16日、ジェイムス・ジョイス『ユリシーズ』の日に合わせてはじまった「楽空墨=LaKouZumi」(クレオール語で地霊を目覚めさせる場所LaKouZemiから命名)。音と声による即興的で自由な集いにとって最適な空間、吉祥寺のサウンド・カフェ・ズミで、「群島-世界論」のヴィジョンを音響によって演奏・演出するLaKouZumiの第2回を開催します。
今回は、カリブ海の口誦世界の広がりを音楽と声と朗読で聞く夕べ。その音と音のあいだを、ホスト・今福龍太とゲスト・星埜守之の即興的な対話が、思索の織物を編み上げていきます。
集いの背後に一つの思想的な横糸を忍ばせました。マルティニックの詩人エドワール・グリッサンによるマニュフェスト「高度必需」Haute Necessiteの思想です。これは、昨年のグアドループ、マルティニック労働者の対フランス政府へのゼネストを擁護しながら、「最低必需品」によって保証されるだけの世俗的生活を、「高度必需」を求める詩的な倫理へと高めていこうとする刺激的な文化運動です。高度必需とは、散文的な経済論理を越えて、もっと詩的なものによって生きることの宣言です。
「クレオールの響き、あるいは高度必需」 (もっとも詩的なもの)

阿部真理子さんご逝去の知らせに驚く。

イラストレーターの阿部真理子さんが亡くなった。

今はなき『たて組ヨコ組』の大阪特集(84年)で、「ひさびさの大型新人、彼女は絶対ブレイクするから取材したほうがいいよ」と誘われて、大阪のデザイン事務所でお会いしたのがクサレ縁の始まり。以来、うちで制作していたほぼすべての媒体に登場。苦しい時の阿部マリーと勝手に呼ばせてもらっていました。いつも元気ハツラツというより元気モリモリ、飲み方もシットリというよりガッポリ、迫力満点、豪放磊落、とにかく愉快痛快なお人でした。仕事の他にも、遅咲きのヅカファンと知って、なつめさんのワンマンショーにご一緒させていただいたり。まあ、いつも彼女のおもちゃにされていたというほうが当たっているんですが。

そんな阿部マリーさん、じつは『談』のコアなファンだったのです。会うと彼女はきまってこう言います。「こんな難しいことを言って、また人をだますんだろ」、「でも、これがわかんないやつは、マスコミにいる必要はないね」と豪語する彼女は、本当によく読み込んでいました。そして、時折、鋭い質問を投げかけて、言葉をつまらせる僕を見ながら、「だまし方もっと勉強しろよ、はっはっは」と高笑い。なんとイヤミないけすけないやつだ、と一瞬思うのですが、すぐにそれが僕への最良の励ましのお言葉だとわかります。

『談』は、そんな貴重な読者を一人失いました。こころよりご冥福をお祈りします。

「宇宙の日」のレイヴ

日比谷野音へ。「ROVO present MDT Festival」。全席自由。いつのように中央の右側通路沿いに座る。前には、カップルどうしのグループ。新ジャンルや紙ボトルのワインを、持参の手作りのおにぎりや唐揚げと一緒にほおばっていた。僕は、ジャガリコをつまみにチュウハイを飲む。まず親指ピアノのサカキ・マンゴー。まあまあ。次がDachanbo。ヘブンで観て以来だから3年ぶりくらい? 上から目線で悪いけれど、すごくうまくなったみたい。完全にノせられてしまった。とにかく、グループがいい。これぞジャムバンドというところ。そして、いよいよROVO。もう、あえていうまでもなく、今回も最高のパフォーマンスを披露してくれた。ひさしぶりにおもいっきり踊りました。雨にならないことを祈りつつの野音だったが、なんとか降られずに済んだし、時折青空も顔を出しす。「宇宙の日」のレイヴとしては、大成功だったんじゃないだろうか。

赤ら顔でハシゴのできるクラシックのお祭り「ラ・フォル・ジュルネ」

東京国際フォーラムへ。「ラ・フォル・ジュルネ2009 バッハとヨーロッパ」。去年始めて参加して、とても良かったので今年もまた来てしまった。「低料金で、すべての演奏は一時間以内、そして子供もオーケー」。だから、コンサートのハシゴができるクラシックの祭典。この革命的コンセプトで、新時代のクラシックコンサートをつくりだしてきたラ・フォル・ジュルネも今年で5年目。すでに開場になっているのでホールD7へ。上海出身シュ・シャオメイのビアノソロ。「平均率クラヴィーア曲集第1巻 前奏曲とフーガ」。練習曲(なんていうと怒られそうだけど)を改めてじっくり聴くのもいいものだ。シャオメイは、バッハの音楽には仏教の精神に通じるものがあると断言するように、彼女の指からは、色即是空が匂い立つ、ような気がした。なんちゃって。少しあき時間があるのでお昼というかおやつにする。シャンパンとハープチキン。丸の内のオープンエアの中庭で、これができるのが嬉しい。緑陰の立ち飲み用スタンドで日中のシャンパン。「熱狂の日音楽祭」というだけのことはあって、赤ら顔でコンサートをはしごできるのが、なんとも魅力だ。2つ目の会場ホールCへ。ピエール・アンタイ指揮古楽アンサンブルのル・コンセール・フランセで「管弦楽組曲1番ハ長調BWV1066」と「管弦楽組曲2番ロ短調BWV1067」。バッハでは、ブランデンブルグ交響曲の次によく曲。いやちがうイタリア協奏曲ヘ長調BWV971の次か。アンタイのメリハリの効いたそれでいて優美な演奏は気持ちがいい。ホントは、彼のチェンバロの演奏を聴きたかったのだけれど。きっちり1時間。フォーラム内の常設ブース「ごはんカフェ」で早い夕食。日本酒が充実していていい。ご飯も旨い。当日の公演のチケットを持っていれば、無料で入場できる映画を見る。ベルイマンの「サラバンド」。父と子、離婚した夫婦、祖父と孫娘、が織りなす人間模様。愛の葛藤と困難。学生時代に見た「野いちご」の映像が強烈に甦ってきた。ベルイマンこそ、映画にすべてを語らせてしまう天才だ。無伴奏チェロ組曲第5番BWV1011「サラバンド」が静かに流れる。今日は一日クラシック三昧でした。

ついに「トーキョー・リング」の「ワルキューレ」を観ました!!

楽劇「ニーベルングの指環」第1日「ワルキューレ」を鑑賞。ひさびさに、オペラを堪能した。通称「トーキョー・リング」は、今回で2度目。2001年から毎年1作品を上演して話題を呼んだ初演から4年をたたずに再演が実現、日本にはそれだけワグネリアンが多いということか。
100年目(1976年)にして大胆な演出が注目されたバイロイト音楽祭。たまたまラジオでそのことを知って、当時前衛ものしか興味のなかった僕が、唯一ピピーンと反応したのがワグナーの歌劇だった。それから30年、バイロイト詣はいまだ果たせずにいるけれど、こうしてとにもかくにも、その1作をこの目と耳で(というか全身で)体験できたことは大変嬉しい。
今回の「トーキョー・リング」の演出は、キース・ウォーナー。76年を転機とする演出主導のチクルス(4作セットの上演)をさらに大胆に解釈してみせた。まず、物語から歴史というものを引き剥がす。登場人物たちは、時間/空間から放り出されて、いわば宙吊り状態におかれることになる。出自は十分に主張されつつも、実体感の乏しい存在。存在の有限性と無限性が、常に極端な形で表れてくるのである。たとえば、もののスケールの崩壊。たとえば、現在と過去・未来の時間性の混乱。たとえば、映写機、ストレッチャー、剣道のお面などの道具の使用…。意味の剥奪と過剰な付与。その結果、舞台そのものが重層的なものになるのだ。歓喜と悲哀という情動の崩壊と再生が「指環」のモチーフだとすれば、ミクロ/マクロ、男性原理/女性原理の意図的な変換と混同によって、むしろ曖昧になる。その曖昧な様態、その継続こそ、じつはウォーナーが今回の「指環」に込めた解釈ではなかったかと思う。
「ワルキューレ」の第1幕、舞台中央にドーンと据えられた巨大なテーブルと椅子。ジークリンデ、ジークムント、フンディングの3人は、この館の中ではまるで小人のようであったし、物語が進行するなかで、時折、天上から床から大きな矢印のオブジェが飛び出してくるが、それは、心理状態を方向づけるシーニュだともいえる。最後、ジークムントがトネリコの幹から霊剣ノートゥングを引き抜く場面は、恍惚と不安が入り交じり、これからの道程が、決して幸福なものとならないことを暗示させる。
第2幕には、白い大きな開口部をもつ光の空間が背景として大胆に設置されている。それは、いわば人間心理を映し出す巨大なスクリーンだろう。ブリュンヒルデ=ワルキューレとヴォータン(父・主神)との感情の変容。それは、忌まわしき死の到来を示す。
第3幕に登場する病院、馬に乗る女性、すベてを焼き放つ火。精神分析ではありふれたイコンであるけれども、それをあえて物語のシンボルに据えてみせるところが、大胆というか、あざといというか…。愛による救済は果たして成し遂げられたのか。感情こそじつは情動に支配される機械状無意識にすぎない。ヴォータンの希望は、あらかじめ挫折させられるものとして提示されるのである。曖昧な二つの様態。それは、歌を伴うものだからこそ可能になるのだ。祝祭でなければならない意味がここにある。
いずれにしても、ウォーナーの「トーキョー・リング」は、ワグナーの祝祭(歌劇)の魅力を、初心者にも十分に伝えられたことは確かだ。だって、来年の2月3月に予定されている「指環」の後半「ジークフリート」と「神々の黄昏」を、すでに絶対に見るぞ、というモードになっている自分がここにいるのだから。

「トーキョー・リング」の今後のスケジュール

ほんとうのところ、ヒット曲はどうやってつくるんですか?

先日インタビューさせていただいた音楽プロデューサー酒井政利さんより校正が戻ってくる。事実関係の思い違いを若干修正されました。それを転記していたら、直接ご本人よりお電話。本ができたら「一緒にいっぱいやりましょう」といううれしいお誘い。もちろん、二つ返事でお受けしました。南沙織、郷ひろみ、山口百恵、キャンディーズ、天地真理といったアイドルだけでなく、朝丘雪路、ジュディ・オング、内田あかり、金井克子、大信田礼子といったアダルト路線の女性たちも、酒井さんのプロデュースでヒットしました。酒井さんは昭和歌謡そのものです。周囲に「ライフワークは流行歌の研究」と言ってる手前、ここは一つじっくり「ヒット曲はどうして生まれたか」、歌謡曲と売れ方の関係についてお聞きしようと思います。

「愛と死をみつめて」のプロデューサーにお会いする。

70年代アイドルものを聴きながらクルマで出社。なぜならば、今日のインタビューは音楽プロデューサーの酒井政利さんだからだ。今回は、僕の好きだった歌手、アイドルがテーマなのでわくわくする。

15時30分に文春の玄関でカメラマンの伊奈英次さんと待ち合わせ。迷路のような廊下を通って、別館応接室へ。準備をしてもう一度玄関へ。時間より少し早く酒井さんマネージャと参上。素敵な紳士だ。

インタビューは最初の仕事の紹介からスタート。青山和子のヒット曲「愛と死をみつめて」は、マコとミコが主人公。小学生の時、同じクラスに美恵子ちゃん(ミコ)というかわいい女の子がいて、僕(マコ)はよくからかわれたという話を披露する。酒井さんは、南沙織が一番のお気に入りだったのはちょっと意外だった。百恵は、別格だったようだが、南沙織は、それとは違った独特な魅力があったらしい。

アイドルとアダルトと両方を同時に手がけていて、結局プロデュースした曲は7000曲。じつは、事件屋さんで押しの強い人と書いてあったので、ちょっとどきどきしたけれど、それはまったくの取り越し苦労。腰の低い、とても柔和な紳士だった。帰りぎわ、沙織ちゃんと今でも会うから、今度誘おうかといううれしいことを言ってくれた。実現することを祈っています。

「時代は変わる」から「change」への45年間

ピーター・ポール&マリー(PPM)が1964年にオーストリアで行ったライブを見る。円形の舞台で、360度観客が取り囲む。照明を下から当てているうえに、シロクロの映像なので、なんだかものすごく怖い映像。まだ3人共20代のはずだが、みんな年齢よりずつと老けて見える。ザ・バンドと同じ? ただ、歌はバツグンによかった。ちょうどケネディが改革を謳って大統領になった時代。「change」を合言葉に、改革を始めようとするオバマ次期大統領の現代と、ものすごく似ているような気がする。PPMの歌うディランの「時代は変わる」は、まさにこの時代の気分がストレートに表現されている歌だ。アメリカは、民主主義の国。それが、歌からにじみ出てくる。なんだか、すごく感傷的な気持ちになった。そして、ちょっぴりそんなアメリカという国がうらやましくも思った。

シュリンキングする音楽市場、その原因はどこに…。

渋谷の映画館の2階にある喫茶室で、TASCのOさんと八木良太さんに会う。原稿執筆の依頼。八木さんは、音楽プロデューサーで昨今の音楽ビジネスに詳しい。98年をピークにCDの総売上はどんどん下降しているが、逆に配信はうなぎ登り。少なくともJ-POPを中心とする音楽市場はパッケージから配信へ取って代わろうとしている。と、一般的には言われている。が、じつは語られていない事実があるのだ。違法ダウンロードの横行である。PCの配信はいうまでもなくケータイの着うたフルなどでも違法ダウンロードはあとをたたないらしい。
それは別にしても、音楽市場は、今どんどんシュリンキングしているという。今年、アルバムセールスTOP50からついに洋楽が消えた。そもそも大ヒットというものが洋楽にも邦楽になくなった。ポピュラー音楽は、そして音楽市場は今後どうなっていくのか。八木さんに忌憚なく論じてもらう予定。掲載は『TASC monthly』3月号。

昭和歌謡の巨星がまたひとつ消えた。

『TASC monthly』新年度1月号からの新連載「歌は世につれ、たばこは歌につれ」の原稿がtascに届いた。執筆は、音楽プロデューサーで評論家である長田暁二さん。遠藤実さん突然の逝去。じつは、長田さんは、葬儀委員長。忙殺されたなかで、 締め切りは守っていただきありがとうございました。それにしても、また昭和歌謡の巨星が消えた。合掌。

密息、循環呼吸による虚無僧尺八演奏は生死の間へ誘う

四谷の紀尾井ホールへ。中村明一さんの第15回リサイタル「中村明一虚無僧尺八の世界  京都の尺八 I 虚空」を鑑賞。もう何年も前から、招待状を送ってもらっていた。オフィス・サウンド・ポットの慶野由利子さんとは、おそらく白桃房関係で知り会ったと思う。が、さだかではない。やっと行くことができた。舞台にしつらえた壇上に正座をして、1曲づく全霊を傾けて吹く姿に感動する。密息、循環呼吸による演奏は、息を飲むものがある。笠井のダンスを観る時のような感覚が甦ってきた。覚醒しながらまどろむ、いや微睡みつつ覚醒するという方が正確か。半死半生のような状態で聴き続けた。面白いコンサートだった。
中村明一さんの虚無僧尺八の世界

日本歌謡界の大重鎮にお会いしました。

小竹向原の長田暁二さんのお宅を訪ねる。長田さんは、いわずとしれた日本歌謡界、いや音楽界の大重鎮。音楽に関して知らないことはないんじゃないかという百科全書的人物である。恐れ多くもその大先生に、『TASC monthly』で連載をお願いしたのである。TASCで昔『煙歌』という豆本をつくったという(うかつにも僕はその存在すらしらなかった)。そこには、たばこの出てくる歌が並んでいる。そのコピーを持参したところ、それを見ながらあっという間に12回分のコンテンツができあがってしまった。しかも第1回がいい。その記念すべき第1回は……、といいたいけれど、まだ秘密です。09年1月号をぜひ楽しみしていてください。
ところで、先生は1930年生まれというから御歳78歳。現在連載12本を抱えつつラジオに出演、講演会に出て、学校で教鞭に立ち、本職のレコーディングディレクターもこなすという超多忙の毎日。それでいて夜には行きつけの飲み屋に一日も欠かすことなく顔を出し、ビール中瓶を多い時には1ダースも飲むという生活を続けておられるという。まさしく超人だ。ちなみに、先生は仏門に帰依した人でもあることを付け加えておこう。

たばこが生んだ大ヒットソングとは。

「私はソプラノ、アルトでもムリよ」、服部良一さんから「別れのブルース」の譜面を渡された時、淡谷のり子さんはそう言って突っ返したそうです、だが、服部さんひるむどころか、「これはブルース、陰りがある歌、悲しい歌、ムリしてもキイを下げて歌ってれ」と一歩もゆずりません。さて、どうしたと思いますか。淡谷さんは、ハスキーな声にするために、吸ったこともないたばこを一晩中ふかし続けました。翌日のレコーディング、寝不足も手伝ってあの低いキイで歌うことができたのです。そして、ご存知のように「別れのブルース」は大ヒット。以来、淡谷のり子は、「ブルースの女王」として昭和歌謡史にその名を刻むことになりました。

歌謡界の生き字引といわれている大先生、長田暁二さんの『歌謡曲おもしろ話』から拾ったネタです。

ヴァーチュアリティから立ち上がる不在の記憶としての音を聴いた。

永福町のsonoriumの前にはすでに人の列ができていた。「for maria」と題ざれた渋谷慶一郎さんのライブ。100人は入るだろう会場は満員御礼。第1部は、mariaさんの音源を池上高志さん+evalaさんが新作に。そのあと、高橋悠治さんのピアノソロ。万葉集にインスパイヤされた自作の小品12曲を演奏。第2部は渋谷さんのピアノソロ。壁には、mariaさんの写真や映像が映し出される。動くmariaさんを見るのは初めて。バッハの曲やmariaさんに捧げた曲、そしてハッピーバースデー。最後はmariaさんが好きだったというブラームスのインテルメッツォ。なんだかとても感傷的になってしまった、それもしかたがないだろう。会場では鼻をすする音や嗚咽も聞こえてきた。
それにしても不思議な感じがした。mariaさんを僕は、3ヶ月前まで知らなかった。その存在すら知らなくて、こうして動いている姿を見たのは今日が初めて。アーティストであると同時にモデルでもあったmariaさん。とても美しい人だった。渋谷さんとまともにお話したのも4ヶ月前のこと。なのに、そのmariaさんは既に他界していない。そのmariaさんの誕生日で二人の結婚記念日でもあった9・11に、mariaさんにささげられた音楽を僕は聴いている。不在、音、リリシズム……。すでに記憶の中にしかいない他者に捧げられた演奏とはどういうものなのか。いや、記憶の中に確かに刻まれた現在。その記憶を音の中に聴くということ。結局、現在ただ今以外は、すべて記憶ではないか。未来ですら僕らにとっては記憶にすぎない。記憶、不在、その言働化としての音楽。今日のライブは、まさに「おとはどこにあるのか」という『談』の今号のテーマそのものだった。

フラメンコギターの池川兄弟のライブと「ゼロの庭」展を見る

恵比寿のart cafe frindsへ。西口から徒歩3分、恵比寿サウスワンビルの地下。ウェイティングバーのある広いスペース。壁には、平面作品やリトグラフなどがかかっている。真ん中の一番前に座る。しばらくするとカメラマンの村田三二さんが来る。今日は彼女の招待だ。池川兄弟のライブ。演奏が始まった。印象は、いたって正当なフラメンコギター。スタンダードナンバーを数曲演ったあと、ドラム、ボーカルそしてダンサーのローラさんが加わる。2部構成。途中休憩時に、店のオーナーと話す。オーナーの本職はプロデューサー。ここは、音楽(ジャンルにこだわらずに)とアートに触れるスペース。90席は余裕。音も悪くないし、かなり使えるハコだ。後半もやはり、ギターのみのインストロメンタルのあと、同じボーカルとローラさんのフラメンコ。演奏は抜群にうまいし、浅田真央似の弟とイケメンの兄は、いいキャラしてた。売れると思う、と僕は太鼓判。でも、ちょっとオーソドックスすぎないか、と思っていたら、アンコールにオリジナルの「兄弟JINGI」を演奏。和とフラメンコの融合。普通に調和している。確かに、オーソドックスなものをやるのとちがって、音がはずんでいるし、勢いがある。オリジナルの強み。村田さんじゃないけれど、こっちの線でもっとやればいいと思う。吉田兄弟の向こうを張るフラメンコギター。今後の展開が楽しみだ。ところで、フラメンコダンサーのローラさん、てっきりスペイン人かと思ったらちゃきちゃきの江戸っ子らしい。彼女のダンス、すごくいいです。コスタデルソルで見た地元のフラメンコダンサーより、断然彼女のほうがキレていた。フラメンコは、歓喜と悲哀が紙一重でエロスへと昇華する。その一瞬間の動き、手の指、足首、首筋、そして腰骨がそれを表現する。ぜひ、また彼女の踊りを見たいと思った。池川兄弟
帰りに、MA2ギャラリーへ。「ゼロの庭」展。勝本みつるさん(『談』の表紙)が出品しているので。勝本さん、布やキャンバスや雑貨を重ねて、その断面を見せる作品。おっ、こうきたか、という感じ。これは面白かった。ただ、今回の白眉は榮水亜樹さんのペインティング。キャンパスを覆う無数の白い点、白い線によって構成された平面作品。白の中の白の中の白、なんていう詩を思い出した。小野瀬裕子さんの針金や布とミシンと糸による作品にも感銘を受けた。このギャラリーは、いつもその企画力に驚かされる。今回もそう。タイトルもいいけれど、作家のチョイスがすばらしい。「ゼロの庭」展

若いお巡りさんが、もらいたばこ?!

昭和歌謡の連載を企画。「精選盤 昭和の流行歌」(CD15枚ボックスセット)、「青春唄年鑑」50年代、60年代、70年代、「昭和歌謡歌合戦」昭和30年代、昭和40年代などを引っ張り出して、たばこの出てくる歌謡曲をpickupしてみました。昭和歌謡といえば、涙、港、たばこは、もっともよく使われる言葉といわれていますが、いわゆるヒット曲となると思ったほどは多くない。それでも、瞬く間に12曲が集まりました。年代順に紹介しましょう。岡晴夫「上海の花売り娘」、菊池章子「星の流れに」、敷島昇、二葉あき子、伊藤久男(夢の共演!!)「僕は特急の機関士で 九州巡りの巻」、曽根史郎「若いお巡りさん」、沢たまき「ベッドで煙草を吸わないで」、いしだあゆみ「ブルーライトヨコハマ」、菅原洋一「今日でお別れ」、佐良直美「いいじゃないの幸せならば」、五木ひろし「よこはま・たそがれ」、五輪真弓「煙草のけむり」、中条きよし「うそ」、小坂恭子「想い出まくら」。
もちろん、どの曲も知っていますが、意外な発見もありました。「もしもし ベンチでささやく お二人さん」から始まる「若いお巡りさん」の4番。「もしもし たばこをください お譲さん 今日は非番の 日曜日 職務訊問 警棒忘れ あなたとゆっくり 遊びたい 鎌倉あたりは どうでしょうか 浜辺のロマンス パトロール」とあります。昭和31年のヒット曲ですが、当時の警察官は、なんと若い女性にもらいたばこしている、もう、びっくり仰天。そんな時代があったのかと。まさかそんなわけはないでしょう。「看板娘のいるたばこ屋さんでたばこを買っているんだよ」とTASCのTさん。確かに、そうですよね。いくら、国民に愛されるお巡りさんをアピールしようと躍起だった時代とはいえ、もらいたばこだなんて、ねぇ。第一若い女性の喫煙率は、今よりずっと低かったはずですし。
それでも、この歌詞、何度か読み返してみると、やっぱりちょっとへんです。「もらいたばこ」説を否定できない何かが聴こえてくる。じつに、不思議な唄です。
それはともかく、しばらくのあいだ、昭和歌謡とたばこの関わりを考えてみようと思っています。

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『談』no.82表紙

二度も夏フェスを経験してしまった。

今年ついに夏フェスを二つも経験してしまった。「SUMER SONIC 08」のインビテーション・チケットをもらったからだ。その東京第1日目に行った。old man river、PANIC AT THE DISCO、THE VERVE、SEX PISTOLS、Paul Wellerを観る。感想を一言で言うと、かつてのいわゆる「ロック フェスティバル」という感じ。フジロックフェスティバルと比較される都市型夏フェスだが、フジロックの常連としては、根本的なところで両者は、別物という印象をもった。エンタメビジネス論として、この二大夏フェスをいずれ詳細に検討するつもりでいるが、共通項より違いを際立たせて論じた方がよさそうだと思った。それは、ともかくジョン・ライドンはたいした役者だと思いましたね。不況のどん底にあったイギリスに登場したSEX PISTOLSが、この日本で演奏する意味は、二重三重に面白いのだが、そういうことは一切払拭されて、かつてのヒット曲をけれん味たっぷりに歌う姿は、完璧なフェイクであった。自らをフェイクとして演じ切るおじさんロッカー。逆の意味でとても怖い人だ。

ライブ・エンターテインメントに再び熱い眼差しが。

エンタメビジネス論でゲストにお呼びした音楽プロデューサーの八木良太さんから2本寄稿したというので『エコノミスト』を贈呈していただいた。八木さん曰く、一昔前まで音楽ビジネス?! 何それ、という状況だったのに、今は、新しいビジネス・トレンドを先取りする存在として、注目されるようになった。今回の経済誌の特集は、まさにその表れだという。八木さんは、「アーティストは〈脱レコード会社〉へ」で、レコード会社の優位性の源泉だったパッケージビジネスに、音楽プロダクションや音楽出版社、コンサートプロモーション会社が次々と参入し、音楽業界に地殻変動が起きていると指摘する。また、「大型イベントなどライブ市場は拡大」で、縮小するパッケージ(CDなど)市場を尻目に、右肩上がりを続けるライブ市場についてリポートする。
僕個人としては、たまにiTunesでDLはするものの、あいかわらずCDを買い続けているので、パッケージの衰退はあまり実感がない。しかし、周囲を見渡せば、CDは買わないけれどDL(iTunesより「着うたフル」の方が圧倒的に多いらしいが)はしょっちゅうという人は案外多いし、確実に増えている感じはある。もう一つのライブ市場の盛況ぶりは、まさに日頃実感していること。おおむね八木さんの指摘する通り、音楽ビジネスは、パッケージからライブへと大きく舵を切っている感じだ。ビジネスとして捉えるかぎり、音楽業界は、再びライブ・エンターテインメントに関心を持ち始めたということになる。音楽も他の産業と同様グローバル化の中で、「いま・ここ」というトランス・ローカルなものが再び脚光を浴び始めたということかもしれない。

いつも行くような会場ではおめにかからないタイプの人が多かったライブ

アサヒビールのメセナ活動の一環であるホールコンサート。出演はユニ・マルカ。受付にコーディネーターの小沼純一さんがおられたのでご挨拶。小沼さんの連絡先を教えもらった田井中麻都佳さんも一緒だったので、彼女に小沼さんを紹介する。田井中さんに小沼さんの存在を教えてあげたのは僕なのだが、連絡先は知らなかった。田井中さんは、調べて原稿を頼んだ。その連絡先を聞いて、今度は僕が対談に出てもらった。僕は小沼さんと面識があったが、彼女はまだ会ったことがなかった。そこで、こんなややっこしい関係になってしまったのだ。
会場を見渡すと、コンサートで見かけるような人がほとんどいない。訊ねてみると予想していた通りの答えが返ってきた。今回ですでに105回目。メセナ活動なので、地元に還元するという意味もあって、近隣に広報している。アーティスト・パトロネージュ方式なので、チケットフィーは見終わったあとにお客さんが決める。したがって入場料は格段に安い。なので、近隣からやってきた常連客がたくさんいるのだ。しかも、時間に余裕のある人、つまり高齢者が多い。なるほど、それで普段見かけない人が沢山いらしたというわけか。
さて、その音楽だが、コントラバスとボーカル、それにゲストとしてパーカッションが入った3人編成。ちょっとは期待したのだが、正直ちょっと…という感じだった。詩とうた。演劇をやっていた女性なので、ミュージカルのような感じで歌われる。面白くないかといえばそんなことはなく、面白い。でも、今のぼくに必要な音楽かといえば、申し訳ないけれどあまり聴きたい類いの音ではなかった。小沼さんの作品も演奏されたので(小沼さんは、作詩だけでなく作曲もされる方だったのだ)それは面白かったが、全体は、はっきりいって長〜く、少しばかり退屈な感じのライブでした。

音楽ビジネス環境はiPod/iTunes登場でどう変わったか

立教のエンタメビジネス論の今日のゲストは音楽プロデューサーの八木良太さん。PPデータを作ってきてくれて、それを参考にして話してもらう。パッケージビジネスを中心とする音楽ビジネス環境はiPod/iTunes登場でどう変わったか。興味深かったのは、日本では配信ビジネスというとその9割が着うたフルに代表されるケータイ。これは、かなり特殊らしい。PCの伸び悩みはなぜか。また、音楽ビジネスそのものが衰退しつつあるという話。ビジネスネタを中心に、音楽産業からみた現在の音楽環境論という様相になって、話としては非常によかった。
終了後マレーチャンで食事。彼のお姉さんがクリエティブ・マンの部長さんなので、毎年サマソニには、お手伝いでいくという。今、見たいライブはなにかときかれたのでシャディと即答すると、「いや、ぼくもそうなんですよ」と意気投合。けっこう聞いているものがおんなじだったりして。これから、長くお付きあいができそうだ。

ぼくの好きなミュージシャンを呼んできた人にお話してもらった。

立教大のエンタメ論は、今日から毎週ゲストスピーカーをお招きして、現場の話をしてもらうことにした。第1回目は、プランクトンの川島恵子さん。20年以上にわたり、ヨーロッパを中心に海外のミュージシャンを日本に招聘してきたプロモーターの社長さんだ。日本ではなじみのなかったヨーロッパ周辺の音楽、ケルトや東欧圏、バルカン半島周辺、北アフリカ、地中海周辺などで活躍するミュージシャンを発掘し、来日公演を制作してこられた。またレーベルもやっていて、そうした周辺音楽のミュージシャンのCDやDVDを精力的にリリースしている。
ユッスー・ウンドゥール、サリフ・ケイタ、ブレイブ・コンボなど当時ワールドミュージックといわれた音楽に目覚めてから、やがてヨーロッパの周辺音楽に関心をもつようになった。気が付くと、アイリッシュ・トラッドをベースにアフロでファンクでジプシーでアラブでプログレで、おまけに超トランシーなグルーブ「KILA」、バルカン・ブラスの超絶オヤジ集団「ファンファーレ・チォカリーア」、ベルギーから小型バスに乗って世界を移動しながら、トルコやブラジル、イヌイットやモロッコの音楽とミクスチャーしまくる「シンク・オブ・ワン」、ラテンアメリカの超前衛アルゼンチン音響派が続々と来日するではないか。ぼくはそれを次々に見聞きすることになるわけだが、それらは全部じつはプランクトンが招聘もとだったのである。
なんでこんなにユニークな音楽を見つけてこられるのか。そして、それをちゃんと日本に紹介し、お客さんを集めて、ビジネスとしても成功させている。そんなことがどうして可能なのか。じつは、僕自身がとても知りたくって、それで川島さんにとことん聞いてみたいと思ったわけである。
はたして、その話はみごとに面白かったのです。面白かったのだけれど、書けない話ばかり。ちょっとヤバいこともあるから。でも、今度は『談』にでも登場してもらって、あらためてじっくりお話してもらおうと思っているので、その時まで待っていてくださいな。
ところで、川島さん一押しのアーティストAsa(アシャと読む)の来日コンサートがあります。興味のある方はぜひ聴きに行ってください。ぼくも大好きです。↓
「LAFORET SOUND MUSEUM」

「ラ・フォル・ジュルネ」初体験!

老若男女が集う「ラ・フォル・ジュルネ」を初めて体験する。今日が初日、これから5月6日まで、東京フォーラムを中心会場に、200以上の公演が予定されている。「ラ・フォル・ジュルネ」、日本では「熱狂の日音楽祭」の名で知られるクラシック音楽の一大イベント。2005年に第1回が開催され、以来毎年注目度がまして、ついに昨年は来場者数が100万人を突破した。クラシックのコンサートで100万のお客さん?! もちろん、最近のクラシック音楽のブームがあってのことだが、だからといってGWに1200万都民の1割が聴きに来るなんてことがあるの? と思うだろう。じつは、ここにはちょっとしたトリックがあり、それがまた「ラ・フォル・ジュルネ」の最大の特徴でもあるのだ。というのは、この音楽祭、オーケストラであろうとソロ演奏であろうと演奏は45分、朝から晩まで、数十ヶ所で同時開催される。楽しもうと思えば、丸一日ハシゴすることが可能なのだ。また、大人から子どもまで楽しめるプログラム、さらには、無料コンサートやワークショップなども沢山開催される。つまり、延べ人数が100万人ということなのだ。今年はさらに増えて、120万にはいくだろうと予想されている。毎年テーマがあって、今年は「シューベルトとウィーン」。有楽町周辺は、GW「シューベルト」一色になるわけだ。ぼくは、東京フォーラムHall B7(820席)へ。シューベルトのピアノ連弾作品全曲シリーズ第1回 クリスティアン・イヴァルデ、ジャン=クロード・ベヌティエの連弾「シューベルト幻想曲ト長調D1 フーガホ短調D952 ロンドイ長調D951 エロルドの歌劇「マリー」の主題による変奏曲ハ長調D908。黒ずくめのオヤジ二人が弾くピアノ。そのあとHall A(5004席)へ。シューベルト交響曲第7番ロ短調D759「未完成」、シューベルト/リスト さすらい人幻想曲ハ長調D760(ピアノと管弦楽版)ミシェル・ダルベルト(P)上海交響楽団、シェヤン・チェン(指揮)を聴いた。二つの演目、昼食に飲んだ白ワインがきいてちょっと朦朧としながらだったが。でも、もちろんしっかり楽しみましたよ。思えば、夏は「フジロック」、秋は「朝霧」、冬は「渚」、そして春には「ラ・フォル・ジュルネ」。春夏秋冬、音楽フェスティバル漬けになっちゃった。

「第三項音楽」はどこへ行こうとしているのか。

公開対談2夜目は、小沼純一さんと渋谷慶一郎さんの対話。
渋谷さん目当てのお客さんが多いと思い、リップサービスもあって、今日は渋谷さんの最近の仕事、「第三項音楽」と「filmachine」のを中心に、展開していただこうと思った。ぼくが事前に作ったレジュメは、毎度のことながらチョーてんこ盛り。これひとつひとつやってたら1日喋っても終わらないよ、といわれそう。そのうえ、わけのわからない呪文のようなことが箇条書きになっているという代物。これをシナリオにお願いするオレってなに?! と思ったのだが、あららびっくり、終わってみたら、話してもらいたかったことはみごとに拾い集められて、要するに、渋谷さんのやっていることと考えていることは、こんな感じに整理できるよね、とキレイに棚に並べられて、ほらっと見せられた感じ。小沼さん、じつにみごとな話術だった。その分、小沼ファンには物足りなかったかもしれない。今度別のかたちで、小沼さんにはたっぷりお話ししてもらいますから、どうかご勘弁を。
差異と反復ではない音楽をめざす「第三項音楽」はいかにして生まれたか。作曲者にしかわからないほんとうの秘密、そして、それは次にどこに向かおうとしているのか。白熱の2時間。残念ながらここではいえません。詳しくは、6月末発行の『談』でお読みくださいね。

土取利行さんと初めてお話をした。

TASCで『談』の編集会議。次号は「音」、次々号は「パターナリズム」。その趣旨と構成案をプレゼンした。「音」の方は、昨年提案させてもらっていて、今回正式な承認を得た。当初、世界音楽という切り口に重心を置き、まだ「音楽」にこだわっていたのだが、今回構成を改め「音」そのものに照準する企画に修正した。「音」を、哲学、音響学、情動を中心とする脳科学といった観点から掘り下げようというものだ。とくに、聴こえない音、静寂、沈黙から、「音」に迫ってみたい。全て対談、ディスカッションにし、澤野×萱野対談で試みたように公開で行い、それを『談』に採録するということを考えている。できれば三日三晩、「音」にどっぷりつかるようなものにしたい。さて、その構成だが、かなり異色のキャスティングを予定していて、実現すればそうとう面白いものになるはず。乞うご期待。

会議の後、その会場になる吉祥寺sound caf? dzumiにて打ち合わせ。なんとこの日打楽器奏者の土取利行さんが来店しておられた。初対面だったのでご挨拶。長年にわたるピーター・ブルックとの作業について、また僕が芦川羊子さんらの仕事をしばらく手伝っていたと言うと、70年代からの舞踏関係とのコラボレーションについてお話してくれた。結局のところ舞踏とは本当の意味でのコラボはできないんだよ、という言葉に、ちょっとショックをうけたけど……。即興というものを常に考え抜いているアーティストの言葉は重く鋭い。貴重な会見だった。

Laboratory Cafe dzumiの店主泉秀樹さんがラジオ出演!

Laboratory Cafe dzumiへ。エレベータの7階扉が開くと、数人なにやらごそごそやっている。moonksのお二人と女性ディレクター(?)が、HDとレコーダーをつないでマイクセッティング中。店主の泉さん、挨拶しながら、「これからラジオの収録になっちゃってさ」と。一週間前に、FM東京のスタジオで録音したのだけれど、わけあって録り直しになり(すでに11月1日に放送が決定している)あわててdzumiで出張レコーティングとあいなったのだそうだ。
Music Birdというデジタル・ラジオ放送局で、毎週moonksのDJがやっているJAZZのレギュラー番組。そのゲストにdzumiの泉さんが出演されるというわけである。お客さんも普通にいれて、臨場感たっぷりに放送しようという魂胆。録音の様子をしばし見学することに。moonksの大河内さんと前泊さん、マイクのスイッチが入ってない時は普通のお客さんのようにおしゃべりをするのだが、いざ録音になると、しっかりディスクジョッキーの声に変わる。話し方まで、アナウンサー・モード。さすが、プロ(アマチュア界の?!)だと感心する。泉さんの定義する「自由音楽」の膨大なアーカイヴから、数曲チョイスし、それを聴きながらの語らいとなった。
今回の録音は、Music Bird「moonkstyle」 11月1日、8日22時よりon air。
         ↓
MOONKSTYLE

14歳の公立中学校に通う女の子と30歳のリーマンの……

『談別冊 たばこ』で「チェリー」にまつわるステキなエッセイをお書きいただいた前川麻子さん。彼女の小説『パレット』の主人公は、14歳のフツーの女の子。だが、恋人が30歳のリーマンという想定。歳の差がダブルスコアというのは、今ではそんなに珍しいことではありませんが、自分が30の時に中学生の娘と付き合えたかというと、やはり躊躇したでしょうね。もちろん逆の立場もしかりです。そんなことを思いながら、たまたま北原ミレイの『懺悔の値打ちもない』を聴いたんです。この歌、じつはこんな歌詞なんですが知ってましたか。「あれは二月の 寒い夜 やっと十四に なった頃 窓にちらちら 雪が降り 部屋はひえびえ 暗かった 愛と云うのじゃ ないけれど 私は抱かれて みたかった」。14歳で成人男性と恋愛するというシチュエーションは、別に目新しいことではなかったんだって、あの慟哭ともいえる歌声を聞き入りながら思いました。結局この女の子は、十九歳で捨てられて、細いナイフを持ってその男の帰りをまち続け、懺悔の値打ちもないけれど、打ち明け話を聞いて欲しいと言って、歌は終わります。わずか3分半の中に女の性が凝縮しているすごい歌。この歌をつくった人はというと、先日亡くなった阿久悠さんでした。やはり、この人はただ者ではなかったな、とつくづく思ったのでした。

なんてステキなフェスティバル・ライフ

27、28、29日とFUJI ROCK FESTIVALに行ってきました。2001年からFUJI詣を初めて今年で7回目。FUJI自体も11年目に突入しました。
ところで、FUJIってなんですか、とよく聞かれます。さて、説明しようとすると、じつはこれがなかなかむつかしいのです。一言で言えば、苗場スキー場を会場に行われる日本最大の野外フェスティバルということになりますが、千〜万人単位が収容できる野外ステージが4つ、屋内ステージ1つ、百人単位の小さいステージが3つ、内外の百数十組のアーティストが出演し、飲食関係だけでも100以上が出店、サーカスにダンスホール、ゲームセンターにキッズランド、さらには、映画上映や大道芸などもあり、入場者数は10万人をゆうに越え、三日三晩ほぼ24時間態勢で盛り上がるという巨大なお祭り、といったところでしょうか。
期間中キャンプサイトで寝泊まりする人だけでも数万人。色鮮やかなテントが1万以上並ぶ姿は、日本広しといえどもFUJI以外にはないそうです。今年は、幸い天候に恵まれてウィンドウェアの世話になる機会はほとんどありませんでした。しかし、毎年必ず一日は雨にたたられ、各会場はまるで湿地帯。それでも負けじと踊りまくる数万人の熱気で、屋外であるにも関わらず湯気が立ちこめる光景を目にした時は、感動すら覚えました。
そんな巨大イベントにもかかわらず、ゴミの分別収集が徹底し、喫煙者の誰もが携帯灰皿を持参。ソフトエネルギーを積極的に活用し、あるブースは電力をほぼすべてクリーンエネルギーで賄うという試みすらなされています。あくまでも公式的にではありますが、暴力事件や事故もなく、海外のフェスティバルではつきもののドラッグも皆無、酔っ払いすらほとんどいないという、まるで嘘のようなhappyでpeacefulな三日間なのです。
肝心の音楽はというと、いわゆるロックだけではなく、ワールドミュージック、ジャズ、スカ、ファンク、ブラックミュージック、テクノ、エレクトロ、さらには、クラブミュージックに日本ではFUJIから火がついたジャム系ミュージックまで、とにかく、ありとあらゆる音楽が会場を埋め尽くします。個人的に嬉しいのは、Jポップが少ないこと。かわりに、今年はダンス系のバンドが多く、最後は踊りまくって深夜を迎えるというステージが多かったのはなお悦ばしいことでした。
と書いてはみましたが、もちろんこれらはFUJIの全体のほんの断片に過ぎません。とにもかくにも、体験せずにFUJIを知ることは無理。でも、こんなに愉しく、身も心もフレッシュになれる3日間が世の中にあるということだけは伝えておきましょう。
最後に、僕の今年のベスト5は、The John Butler Trio、Groove Armada、Battles、V∞redoms、Gov't Mule。もちろんみんな踊っちゃいました。

「渋さ知らズ」を見る鷲田清一大阪大学総長

C.C.Lemonホールへ。「渋さ知らズ」ライブ。「渋さ知らズ」こそ、祝祭として身体、祝祭としての音楽の実践者たちだ。原稿を書くためにもこのライブは必見。まず開演に当たってと、白塗りの男性が注意事項を読み上げるというなんともおかしな風景に会場から笑いが。いつものように、客席後方出入り口から、それぞれ管楽器を吹きながら登場。今日は、演奏を聴かせる方にぐっと力点を置いたライブだった。片山広明さんを始めとする管楽器のメンバーみんなにソロパートが用意されていて、それもかなり長いアドリブ。エレキギター4本というのも凄いし、ドラムス(パーカッション)も3セット。白塗りは男性2女性2、おしゃもじ隊2にダンサー2、それに兄貴は、お馴染の紅褌に玄界灘の法被姿。
いつにもましてボリューム感があり、大河のような太い音のうねり。なによりもアンサンブルがいいのと全体の構成がよかった。途中で本日のゲスト、ジェームス・チャンスが登場。へんてこな踊りと甲高いい音をキンキンいわすサックスプレイは、おそらくチャンス独自のもの。面白かったが、サックスからキーボード、キーボードから歌、再びキーボードへ、またまたサックスへと目まぐるしく楽器を取り換えながら演奏する。じつに落ち着きがないのだ。それがかえって興味を削がれる原因に。演奏についても、渋さとどうしても比較してしまう。圧倒的に渋さの方がうまいし面白い。申し訳ないが、こういうゲストならば渋さオンリーの方がよかったかも、などと思ってしまった。後半また、渋さ全面展開。片山さんがブリブリすっ飛ばす。約2時間以上のライブだけど、とても満足した。本日も「Nadam」で巨大風船が天上を浮遊し、ラスト主題歌「本多工務店」で巨大な手の風船が舞ったことを報告しておこう。
終了後、ホワイエでメンバーが引続き演奏しているのを遠巻きに観ているお客さんの中になんと鷲田清一さんを発見! 阪大総長は渋さのファンなのか。

カフェ・ドゥ・ズミで聴くPaul Gigerの「Chartres」

カフェ・ドゥ・ズミへ。お客さんは僕だけ。さっそくChateau Haut Mayor02 をあけて、マスターと乾杯?!。オーディオ装置の前にアナログ盤「john meets Sun Ra」のジャケットがたてかけてある。ぼくが興味を示すと、「これは、ある意味シンボリックだよね、聴いてみる?」とレコードに針を落す。
宇宙サウンドの創始者サン・ラのピヨーン、キューン、プニュプュというシンセの音がしばらく続く。短い沈黙のあと、静かにジョン・ケージのパフォーマンスが始まった。ウ〜ム、ウンニョラ、フリュラ、モゴゴゴ、ズンビラ……と、なんとボイスだ。お経のような念仏のような、ポエトリー・リーディングのような声が数分間続く。そして再び、ピヨーン、キューンのシンセである。
86年にNYでふきこまれた貴重な音源。現代音楽の源流であるケージとフリージャズの源流であるサン・ラの出会い。いわばルーツ同士の出会い系といったところか。なるほどそれでシンボリックというわけなのね。しかし、この臨場感ハンパじゃありません。いいオーディオで聴くということは、全く違う経験をすることだと納得する。まさに音のサプライズだ。
次は、ラテンもいいかなとCharlie Haden&Christian Escoudeのデュオ。John Lewisの「Gitane」、Django Reinhardtの「Balero」とか。3杯目のワインはおなじボルドーでも、ややボディのあるChateau Gachaw96 に(ぼくはこれが好き)。このワインならこの音、泉さんのチョイスはバイオリンのソロときた。Paul Gigerの「Chartres」。パリのシャトレでの88年のライブ録音。こりゃ、スゲー!!。グルーヴが半端じゃない。オールオーバーな音の世界。音の内部にはい込んでいく感覚だ。耳の肥えた人が言うところの「いい音」というのを、始めて自覚的に感じ取ることができた。でも不思議なことに生演奏を聴いている感じではない。全く新しい経験なのだ。目の前でたった今繰り広げられているはずの即興演奏。それはギーガーによるものだが、肝心のギーガーがいない。演奏者がいないまま、ギーガーのつくりだす音だけが、空間を埋め尽くしていく。不在のサウンド、演奏者のいないワンダーランド。つねに/すでに痕跡であることを運命付けられた音、の現前、としてのエクリチュール。デリダならこの事態をなんと評するだろうか。
なんであれ新しい経験をすると、生まれ変わったような気になるものだ。今日、ぼくは、カフェ・ドゥ・ズミで、新しい自分になったのだ。河本英夫流にこの経験を「気づき」と言っておこう。
サウンド・イメージ研究所/ラボ・カフェ・ドゥ・ズミ 
武蔵野市御殿山1-2-3 キヨノビル7F pm2:00〜10:00頃まで 月曜日定休
フリージャズを中心にクリエイティヴ・ミュージックばかりアナログ5000枚、CD3000枚のコレクション。6月から、7月17日のコルトレーン命日まで、いよいよ泉さん選曲による「フリージャズ」をその誕生期から聴きなおすプログラムがスタートする。

たばことオーガニック&エコロジーの微妙な関係

アースガーデンの南兵衛さんの事務所へ。アースガーデン
は、「オーガニック&エコロジーとライフスタイル」をメインテーマに『アースデイ東京』『ライフスタイル・フォーラム』『国連大学 世界環境デ ー』など、数多くのイベントで、企画提案や制作運営をおこなっているところ。ぼくは、フジロック・フェスティバルのアヴァロンというスペースのコーディネイトでその活動に興味をもっていたのだ。 弊社から徒歩3分。1階がアースガーデンがやっている立ち飲みバー・お弁当カフェ「キミドリ」。階段を上ってドアをあけると6畳ほどのスペース。「ちょうどきりがついたところ、スタバで待っててください」と。スタバの2階へ。すぐに現われる。南兵衛さんとお会いしたのは、立教の講義のゲストスピーカーにお呼びしたからである。招聘書に名前・住所などを書いてもらう。概要を話し終えると、『談』のことをきっかけにJTについて。じつは自分はタバコ吸いで、エコ・オーガニック系のひとの中にはまるでダメなひともいるけれど、逆にたばこ吸いもけっこういるという。とくに自分たちの事務所は喫煙率が高い。南米をずっと自転車で旅していた時も、一生懸命走って休憩した時に一服するたばこのうまさは格別だったと、懐かしそうにおっしゃる。たぱこには不思議なパワーがあると眼を輝かせてお話しされた。 南兵衛さん自身が主催しているフェスティバル「アースガーデン」で、たばこをきっかけとするようなコラボでもやりましょうと約束してわかれた。たばこを通した「オーガニック&エコロジーとライフスタイル」の実践。確かに、これまでない切り口だ。よし、今度まじめに企画してみよう。

サウンドイメージ研究所/ Laboratory Cafe dzumiのオープニングパーティ

成城石井でヴーヴクリコ・イエローラベルを購入。吉祥寺へ。サウンドイメージ研究所/Laboratory Cafe dzumiのオープニングパーティ。といっても、まだ正式な開店ではない。7階のエレベータの扉が開くとすでに数人が歓談中。インターシフトの宮野尾充晴君の顔も。
jazz評論家、クラヴィスのサイトの女性管理人。月光茶房のご夫婦とか。田井中女史を知っているという堀内さんと挨拶。話しているうちに89年にわずか半年ではあるが工作舎にいたということがわかった。ぼくら遊塾組とこの狭い空間に工作舎関係者が3人も。そのあと、『ジャズ批評』の元編集長さんとかそっち関係の人がぞくぞくと現われる。『月刊販売革新』の「マーケティングのものさし」が好評の深澤徳さんと売れっ子デザイナー中島浩さんも。深沢さんからポタライブ
の存在を初めて知る。これはかなり面白そうだ。まち歩きそのものを演劇空間にして、しかも土地の記憶を縦糸にしてその場所の過去へと入り込んでいくというパフォーマンス。あいかわらず深澤さんのアンテナは鋭い。一方の宮野尾君は近刊の『世界を変えた6つの飲み物』がすごく好調で、いよいよ再刷決定。今後も翻訳物で当たりそうなのを企画中だとか。
さて、本日の主役Cafe dzumiのオーナー泉秀樹さん、昨夜からセッティングしているサウンド機材の調子がよくないとこぼす。肝心の音が全くダメなんだよと。どのくらいひどいのかととっておきのプレーヤーでアナログ盤を1枚かけてもらう。えっ?! ぜんぜんいいじゃないですか!! 100万円もするCDプレイヤーもついでにかけてもらうと、こっちもすごくいい音。CDの音ではなくアナログ、いやそれ以上かもしれない。これまで体験したことのない音。泉さんも昨夜一人で聞いた時は本当に聞けたものではなかったが、今はいくらかいいという。それはなぜかというと、人が沢山いて身体が音を吸収するからという説明。な〜るほど。ぼくはこれでも十分満足です。サウンドイメージ研究所/Laboratory Cafe dzumi の正式オープンは5月23日。泉さんは、音楽文化のあらたな拠点としてさまざまな実験や催し物を展開していく予定。ぼくは1週間に一度コーヒーを淹れに行こうと思っています。応援しますんで、頑張ってください。

こどもの日は宇宙の日。

こどもの日は宇宙の日。毎年恒例の野音詣。最初に登場したFlying Rhythmsにはイマイチのれなかった。タワーでは試聴して「おぉこれはいい!」と買おうと思ったくらいだったのに、ライブはあれれって感じでした。次にSpecial 0thers。歌ものもあるが、これはイマニくらい? 芯が見えない。トランスなのか、 Jamなのか、もしかしてロック?  とにかく、のれませんでした。日がそろそろ沈みかけるといよいよROVOの登場。あいかわらず最初からすっ飛ばす。もう座ってられない。すぐに立つと、自然にからだが動き出す。セットリストを確認したわけではないが、聴いたことのない曲(つまり新曲?)が多かったように思う。いや、たんにアレンジを変えただけなのかもしれない。そんなことはどっちでもいい。とにかくアゲアゲで押しまくり、僕らはすぐに宇宙へ飛び出した。いつになく、トランシーでスペイシー。ノイズの洪水で終わるSonic Youthぽい曲もあったりして。今回のライブ、音のバランスがすごくよかった。骨太でドラマチックな!!!!!サウンド。やはり、ROVOは最高じゃ!

「KoNuMu」から踊り始めて5年、早いものですね。

新木場のスタジオ・コーストへ。ROVOのツアー最終日。スタジオ・コーストは始めて。倉庫をそのまま再利用した感じのハコ。音響設備のクオリティもいいし、天井の高いフロア。踊るにはいい感じだ。
「Aires」、「Popo」、「Land」とニューアルバム『Condor』から3曲。どれも長尺でこれで1時間以上演奏。「Land」でフロアは爆発寸前。エクスタシー・生トランスの醍醐味。
アンコールで今回のツアーで完成しつつある新曲を披露。なんとファンク、というかデジタルロック。原点回帰といったところか。さらに、締めくくりは、 ROVO名義で初めて演奏した「KoNuMu」。来年2月に結成10周年記念のライブをリキッドルームでやる予定。その時に演奏するつもりだったが、前倒しで演奏することにしたと勝井さん。これが、抜群によかった。思えばこの曲でぶっ飛び、足しげくROVOのライブにかようようになったのだなあと述懐。まだ当分ROVO詣では続きそう。

白熱した討論が実現しそうだ

荻窪ルミネのアフタヌーン・ティー・カフェで東京国際大学人間社会学部専任講師・柄本三代子さん、TASC新留さんとで打ち合わせ。『TASC monthly』の座談会について。出席者として予定していた日文研の栗山茂久さんが今年ハーバード大学へ異動、代わって日本学術振興会PD特別研究員・眞嶋亜有さんになったことを報告すると、柄本さんも以前研究会で一緒になったことがあるとのこと。身体の社会学という分野では同じ研究をされている御両人であるが、アプローチも拠り所もまったく異なる。司会と進行役をお願いしている國學院大学の野村一夫さんの舵取り次第では、面白い討論になりそうだ。
ところで、これ言っちゃっていいのかな。来年の『TASC monthly』、音楽評論家で翻訳者、一昨年26年ぶりにアルバムを発表、ミュージシャンとしても復活を果たした中川五郎さんの連載が始まります。五郎さんの69年にURCで発表した『終わり はじまる』をリアルタイムで買った僕の懇願で実現したのだ。請うご期待。

愉しきかな我がmusic life!1

アサヒ・アートスクエアでONJO(Otomo Yoshihide's New Jazz Orchestra)のライブを見る。今回のライブは2部構成。前半のセットは、今年発表されたEric Dolphyの『Out to Lunch』をまるごとコピーした同名のアルバムから、「Hat and beard」、「Something sweet something tender」、「Gazzelloni」、「Out to lunch」、「Straight up and down」(ということは全曲か)。後半のセットでは、「11pm」のダバダバダで有名なスキャットの女王伊集加代さんをゲストに迎えて、山下毅雄の曲から『プレイガール』、『七人の刑事』、「スーパージェッター」(流星号を呼ぶリモコン付きリストウォッチをもってたので、とてもなつかしい!)、それから、カヒミ・カリィの「mayonaka no shizuka na kuroi kawa no ue ni ukabiagaru shiroi yuri no hana」など。そしてアンコールは、ジム・オルークの「eureka」。
ONJOのアルバムは何枚ももっているし、浜田真理子のバックミュージシャンとして加わった演奏は見ているが単独のライブは初めて。どんな感じかと内心どきどきしながら聴いていたのだけれど、期待どおりの、いや期待以上の素晴らしい演奏だった。メンバーいずれもROVO、DCPRG、渋さ知らズ、ビンセント・アトミックス、warehouseなどいろいろなユニットを掛け持ちしている。そのために、それぞれのミュージシャンの出す音はおおよそ見当はついている。しかし、やはりONJOとなると違った。大友良英の個性が前面に出ていて、ジャズの形式を残しつつ、過激に逸脱する独自の音空間をつくり出していた。特に、アルフレート・ハルトのテナーのアプローチに不思議な魅力を感じた。個人的には、水谷浩章のベースが好きですけどね。
それにしても、「eureka」は何度聴いてもいい。月並みすぎる感想だけれど、今回の演奏はっきり言って「泣けました」。ONJOとしてのライブは年内はなさそうだけど、またやるようなことがあったらいの一番で駆けつけるつもりだ。続きを読む

観光学から見た三木鶏郎のCMソング

東京立正短期大学現代コミュニケーション学科講師・秋山綾さんとエクセル東急ホテルのカフェで待ち合わせ。約束の時間をちょっぴり遅れたら、秋山さん、TASC専務理事・岡本光義さん共にすでにいらっしゃっていた。みなさんなんて時間に正確! 昨年まで院生だった秋山さん、すっかり先生らしくなっていた(どんなだ?!)。今日は、『TASC MONTHLY』ヘの原稿依頼。観光学の理論的なフレームワークづくりに腐心しておられる秋山さんですが、今回はちょっと視点を変えたテーマでお願いした。なにせ、フィールドワークしまくっている彼女のこと、ネタに事欠くことはない。
この前もそのひとつ上山田温泉で入手したという「戸倉上山田音頭」(唄は村田英雄と花村菊江)をmp3で送ってくれた。そのお礼もあって『三木鶏郎音楽作品集~トリローソングス~』を教えてあげたら、えらく感激された。すぐに『トリローボックス』を買うぞ!! と息巻いていたけれど、ゲットした? このCDには、国鉄のCMソング「 僕は特急の機関士で」の「東海道巡りの巻」の他に、「北海道巡りの巻」「東北巡りの巻」「九州巡りの巻」が収録されている。1950年代の飛びっきりの観光案内になっているのだ。いずれ、「トリローのコマーシャルソングに描かれた観光名所」というテーマの共同研究を発表するつもり(ほんとに?!)。
三木鶏郎音楽作品集~トリローソングス~

「情熱の花」「恋のバカンス」は逆輸入だった

NHKの「ザ・ピーナッツ」を見る。彼女たちは59年にデビュー。60年代初頭にすでに海外進出を果たしていたなんて知らなかった。「情熱の花」「恋のバカンス」は、てっきりカバーだと思っていたら、逆で彼女たちが海外でヒットさせて、それを海外のミュージシャンが歌い、逆輸入したものだったのだ。「ウナ・セラ・ディ東京」は最初「東京たそがれ」というタイトルだったことなど。デビュー16周年目で引退。それ以降TVには一度も出ていない。ザ・ピーナッツから見た戦後史って誰かやってましたっけ?

今年で6回目、年中行事のFRFへ行ってきました。

28.29.30日と年中行事のフジロックフェスティバルに行ってました。雨に降られたのは奇跡的に1日だけ。最終日は梅雨もあけて真夏の太陽が照りつける下でのフェスとなりました。見て聴いて踊って愉しんだアーティスト、全17組を挙げておきましょう。()内はステージ名。
28日、from大阪のニューオリンズ系ブラスバンド「ブラック・ボトム・ブラス・バンド」(オレンジ・コート)、ハワイのルーツ・ミュージックとフラダンスの「sandii」(フィールド・オブ・ヘブン)、サイゲデリック・ポスト・ロックの急先鋒「NATSUMEN」(オレンジ)、オシャレ系インテリ派「Tommy Guerro」(ホワイト)、「クレイジー」が大ヒット中の「Gnarls Barkley」(ホワイト)、オールスターなのに3ピースの「North Mississppi Allsters」(ヘブン)、矢野顕子ちゃんと「相合い傘」をデュエットした「ハリー・ホソノ・クインテット」(オレンジ)、十年一日まったく変わってなかった「上々颱風」(ヘブン)。
29日、わずか二人のJamバンド「The BENEVENT/RUSSO DUO」(ヘブン)、東京在住ジム・オルークが飛び入りした「Sonic Youth」(グリーン)、延々3時間30分の長尺ライブ、jamバンドの真骨頂「String Cheese Incident」(ヘブン)。30日、西アフリカ・シエラレオネ共和国の難民のバンド「The Refugee all stars of Sierra Leone」(グリーン)、iPod + iTunes CF曲の「キューピクル」が大ヒットの「ライノセラス」(以下すべてホワイト)、ガレージ的大所帯&不定形バンド「Broken Social Scene」、「ユーフォリカ」からムーグが叫ぶ「Baffalo Daughter」、キテレツさがカッコイイ、ウェールズの「Super Furry Animals」、ほとんどの曲が静寂から始まって轟音のエクスタシーで終わる「Mogwai」。とまあ、こんな感じで3日間見まくりました。レッチリとかフランツ・フェディナンド、マッドネス、ストロークスとか出てんのにこのメンツ。それだけFRFは、懐が深いということですね。Jamやオルタナティヴ、ミクスチャーが大好きな僕にはたまりません。今回は万歩計を持参。なんと3日で9万歩、約40km歩き回ったことになります。それも起伏のある山道でっせ、朝から夜中の2時まで。我ながらご苦労さんでした。

アルゼンチン音響派とROVOのフリー・セッションが教えたものとは

鶯谷の「東京キネマ倶楽部」へ。どうやらここはかつてグランドキャバレーだったビルのようだ。三層吹き抜け、ステージの高さも高い。サイドに階段があって一段高くなった小さなサブステージが設えてある。もちろん天井にはミラーボール。レトロな感じがぼく好み。
20時を少し回ったところでROVOのメンバーと今回の来日メンバー、フェルナンド・カブサッキ、サンチャゴ・ヴァスケス、アレハンドロ・フラノフの3人が現れる。演奏が静かに始まる。じつは、始まってすぐ後悔した。イスの前が通路のようになっていて、演奏が始まっても観客が行き来している。となりのスモーキングスペースでは、紫煙をくゆらせながら大きな声でおしゃべりしている一群がいるし。まったく緊張感がない。なんか演奏がBGMみたいに聞こえる。いい加減我慢も限界にきて、席をたち前方のフロアで見ることにした。カブサッキらは、日本ではアルゼンチン音響派と呼ばれているミュージシャンたち。ジャンルにとらわれない姿勢と即興に重心を置いた演奏スタイルで、あらたなムープメントをつくり出している。ロック、ジャズ、エレクトロニカなどを解体・融合し、みずからのアルゴリズムで編成し直す彼らのアプローチは、音楽界のデコン派と呼んでもいいだろう。そんな彼らと、すでに東京とアルゼンチンで二度のセッションを行いCDをつくってきたROVOとのフリー・セッション。面白くならないわけがない。続きを読む

禁煙施設でレイヴ・パーティ

ROVOのイベント「Man Drive Trance」に参加するため日比谷野音へ。16時会場で、着いたのは16時半。NATSUMENのTシヤツを買って席を探す。中央の中央よりだいぶ前の左側。まず、サム・ベネット。リズムマシーンとエレクトリック・パーカッションの弾き語り。NYを中心に活躍し最近は東京を拠点に活動するインプロバイザー。全曲歌もの。正直あまり面白いとは思わなかった。演奏時間も20分と短い。その次は、DIDGERIDOOのGOMA+JUNGLE RHYTHM SECTION。確かに、超絶グルーヴかもしれない。でも、やっぱり飽きちゃうんだなぁ、こういうの。いよいよ次はNATSUMEN登場。こいつは凄かった。サックス2本、トランペット1本にギターが二人(うち一人は女の子)、ベース、キーボードにドラムスという編成。全曲変則ビートで、リズムが次々に変わっていく。そこに、ジミヘンみたいなエンターテイメント丸出しのギターにフリーキーなホーンが絡む。プログレがファンク化しフリーインプロビゼーションに昇華した感じか。踊るのにはちとつらいが、それでもみんなからだを揺すっていた。初NATSUMEN、とりあえず満足。そしていよいよ、ROVO。いつものようにじわじわと盛り上げて行って、最後はコスミックなダンスチューンに。最初の曲で昇天峠行き。圧巻は、3曲めにやった新曲。非常にゆっくりしたテンポと美しいメロディのチルアウトっぽい曲。ぼくなんか座ってみていて、半分微睡ろみながら聴いていた。それが次第にテンポをあげていって、最後にはいつものトランシーなグルーヴで会場は爆発寸前。レッドラインも完全に振り切った。気が付くと50分の演奏。いや、すげーっす!! またまた踊り狂ってしまった。千代田区の公共施設でレイヴ・パーティ。禁煙なんてどこ吹く風で、みんなモクモクたばこの煙が心地良かった。

アイスランドの音響派

Sigur Rosのライヴ(SHIBUYA AX)を見る。Sigur Rosは、アイスランドの4人組アーティスト。ダークネスで深淵で唯美主義的なメロディと爆音の合体。音響派の異端児ともいえるその特異なパフォーマンスは、常に称賛で迎えられてきたという。実際に彼らの演奏に接してみて、それがウソでもお世辞でもないことがわかった。オールオーバーな音響世界は、あたかも氷の神殿の聖歌のようだった。去年FRFに出てたんだよな。ロスロボスのステージと重なり、そっちを優先したことが今になって悔やまれる。これを霧雨に包まれた山岳地の野外ステージで、しかも雨雲が低くたちこめるまったき夜に聴いたとしたら…。ほとんど立ち直れずに、しばらくそのまま立ち尽くしていたにちがいない。とにかく凄いの一言。アイスランドといえばビョークが有名だが、この北方の国には、まだ知られていない怪物たちがたくさんいるのかもしれない。北極圏を越えたことはあったが、アイスランドにはまだ足を踏み入れていない。こんな音をつくり出すアーティストが暮らす土地とは、いったいどんなところか、俄然興味がわいてきた。Sigur Rosの音の源流を訪ねるという企画書でもつくってみようか。氷の国のまちづくりとか。

年甲斐もなく踊る

自転車で多摩美術大学上野毛校舎へ。学園祭でDachamboと渋さ知らズがライブをやるというので。多摩美に着いた時には、すでにDachamboの演奏が始まっていた。今日のDachamboは、FRFの時のように始めっから終わりまでトランスですっ飛ばすのではなく、途中にメロディアスな曲や「アイコ」(1?)なんかも飛び出してちゃんとジャムバンドしていた。最後の曲は転調が多く壮大なシンフォニーという感じ。でも、ぼくはいまいちのれなかった。やっぱり、ガンガン踊らせてくれる方がいい。そのあといよいよ渋さの登場。オープニングは新曲? 今日は時間がそれなりにあるからか、それぞれのソロパートが異常に長い。こうやってソロをじっくり聴いていると、渋さのベースはやはりフリージャズなんだなとつくづく思う。美大だから、お祭りで踊らせて、ではなく、ちゃんと聴くところは聴かせようと不破さんは考えたのかもしれない。片山広明さんもブリブリ吹いていた。陽が沈みだんだんと暗くなってくると舞台も暗くなる。照明がない! 広場を取り巻く、教室には灯りがついているのに、肝心の舞台には光がない。舞台のみが暗いステージというのを見たのは今日がはじめてかも。そのあと1本照明が立って、ようやく不破さん以下メンバーの姿がよく見えるようになった。本日の最後は、本多工務店のテーマ。渋さのエンディングはやっぱりこれでなくっちゃ。すっかり踊ってしまって、ごきげんな一日でした。
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