美味しさ

談』最新号 no.108 「特集:おいしいってなに?……ひとは食をどう表現してきたか」が3月1日全国書店にて発売!!

談』no.108 「特集:おいしいってなに?……ひとは食をどう表現してきたか」が3月1日全国書店にて発売になります。

書店販売に先立ち、一足先に『談』ウェブサイトでは、各インタビュー者のアブストラクトとeditor's noteを公開しました。
右のメニューバーの最新号、no.108号の表紙をクリックしてください。

人間は、生きるためだけではなくて楽しむために食べることを始めました。現代社会では、セックスがそうであるように、食べることは本来の意味を離れた快楽の世界を目指す。享楽と快楽のメカニズムがおいしい食を求めてやまない人間の業を示しています。一方で、料理を極めるきわめてストイックな食の探求も忘れてはいない。おいしさの快楽と節度や品性を求めるこころは、常に表裏一体なのです。
味覚と嗜好の生理的メカニズムを縦糸に、食の文化や社会を横糸に、食べることに潜む知の世界、およびその表現の多様さを探求します。

■〈味覚の探求〉 コク、この表現ならざるもの
伏木亨(龍谷大学教授)
脂っこいもの、甘いもの、うんとだしがきいたもの。これらは大人も子どもも誰でもわかるコク。それに比べて、コクも何もないような溶液に対して、あえてコクがあるといってみる。
日本人は酒に対して、どこまでもひねているのです。実際、酒には脂も糖分もだしも、コクの材料はほとんど含まれていない。それはもうコクのイメージというほかありません。日本人は、まさにそうした「面影」を、食に見出してきたのです。

■〈食体験の源流〉 記憶のなかの家庭料理…思い出としての〈美味しさ〉
阿古真理(ノンフィクションライター、生活史研究家)

料理メディアが花開いた昭和から平成の現在まで、雑誌や書籍、まんが、TV番組は「家庭料理」をどのように伝え、どんな食事を描いてきたのでしょうか。たとえば、昭和前期は、かまどで炊くご飯を中心にした食文化のなかに、新規なるものとして外国料理が広まった時代です。昭和中期は、敗戦によって過去の文化に自信を失った人々が、外国文化を積極的に取り入れた時代。昭和後期は、家庭料理がより手の込んだものへ向かうと同時に、外食化が進んだ時期です。1990年代は、戦後築き上げた昭和の価値観が崩れていくと同時に、新しい文化が芽吹き始めます。2000年以降は、崩壊がさらに進んで新しい現象が起こり、昔の食文化が再発見されます。
なぜ、昭和に洋食が広がり、平成にカフェ飯が支持されるのでしょうか。どうして、和食は再発見されなければならなかったのでしょうか。その理由は、長く台所仕事を担ってきた女性たちの変化にあることは間違いないでしょう。日本人は料理に何を見ていたのでしょうか。日本の女性たちの意識とライフスタイルの変化に照準しながら、家庭料理の80年を辿ることで、日本人が見出した「美味しさ」の源流を探り出します。

■〈味わいを科学する〉 〈見る〉が生み出す味わいの世界…こころと食の認知科学
和田有史(農業・食品産業技術総合研究機構 食品総合研究所 食認知科学ユニット 心理・行動科学グループ 主任研究員)

食の認知は、口に入れる前に視覚情報や嗅覚情報により始まっているといわれます。たとえば、こんな実験がある。ワインの殿堂であるボルドー大学ワイン醸造学科の学生にワインの味を評価させる時に、赤ワインのなかに、赤く着色された白ワインを紛れ込ましたところ、評価者は一貫して赤い白ワインを赤ワインに使われる典型的な言葉で評価し、白ワインに用いられる言葉を避けたというのです。ワインの味わいについて専門的な訓練を受けた人間でも、味を知覚する際に視覚情報の影響を強く受けるということを示しています。視知覚と食の感性には強いつながりがあるということでしょう。
食べものの味わいが見た目によっても大きく変化します。このことは、食べものが盛り付け方や器、パッケージによって、評価が変わることからも理解できます。和食やフランス料理では、彩り、盛り付け、食器選択において、見た目の美しさが重要視されるのです。
さらに、食べもの本来の情報を越えて、食行動場面の人の表情やしぐさが食べもの選択の判断基準になることもあります。食の認知は、未嗅覚からの情報だけでなく、視覚による色・かたち・大きさの知覚、さらには、それらから喚起する記憶や経験までもが統合された結果なのです。
視覚情報が食の認知に及ぼす影響について概観したうえで、食=味わいを人はどのように感じ、また伝えようとしてきたかについて、最新の認知科学の知見を手掛かりに解き明かします。

世界の人たちは、家で何を食べているのか。

自転車で馬事公苑へ。今日もなにやらイベントをやっている。「食育フェア」。たくさんの屋台が出ているが、やはり啓蒙ものが多い。僕は普及啓蒙の仕事はしたけれど、必ずしもその趣旨に賛同したわけではない。とくに遺伝子組み換えというだけでヒステリーになる人たちとは、距離をとっているつもり。品種改良と遺伝子組み換えの違いをちゃんと理解していれば、これまで五万となされてきた(現在もなされている)品種改良の方が、はるかに危険度では高いことなどすぐわかるはずだし、逆に遺伝子組み換えは素性が100%わかっているものだから、何ができるかも9割9分予測がつく。つまり、ずっと安全なのだ。東大の渡辺正先生の話を思い出す。それはともかく、農と食の博物館でやっていた展示は面白かった。世界各国のごく普通の家族が1週間に食べたものをテーブルに並べるというもの。材料もあれば、料理になっているものもある。アメリカの家庭は、インスタント食品や冷凍食品がどっさり並び、野菜が少ない。モンゴルは野菜はほとんどなくて、肉と粉もの。難民キャンプの家庭はの1週間の食事は、われわれの一日分にも満たない。日本人は、とにかくアイテム数が群を抜いて多い。さすが、和洋中華なんでもござれの国だ。しかも野菜も沢山とっている。ラテンアメリカ人はコーラが二ケタ並んでいたり、果物が多いとか、反対に、オーストラリアは肉の塊がど〜んと鎮座ましましていたり。案の定家族はみんな太りぎみ。家庭内食といってもこんなにバラエティに富んでいるなんて。とても勉強になりました。

韓国の小さな町で始まった「スローシティ運動」。

作家の島村菜津さんと打ち合わせ。イタリア・トスカーナ州のグレーヴェ・イン・キアンティ町長のパオロ・サトゥルニーニさんが提唱した「スローシティ運動」。「スローフード運動」を母体に、美しい村、町の環境づくりへと発展しつつある「スローシティ運動」について、その現状に詳しい島村さんに原稿をお願いしようと思ったのだ。ところが、島村さん、顔を合わすなり、「イタリアもいいけれど、韓国はどうかしら?」じつは、今、韓国がすごいことになっているというのである。
「スローシティ国際連盟」がアジアではじめて韓国の4地域を「スローシティ」に認定。それをきっかけに盛り上がり、今や、国を上げての運動にまで発展しそうな勢いだという。この4地域、いずれも韓国の南部の人口5000人未満の小さな町というところが面白い。島村さんから、その一つ新安(シンアン)・曾島(チュンド)面がつくったパンフレットを見せてもらった。伝統的な日干し塩田が盛んな地域で、それを観光客に見せ、その塩を使った韓国の伝統料理を味わうというプランが紹介されていた。まさに韓国版地産地消だ。実際に島村さんも何度か行って、韓国の料理を堪能してきたという。じつはこのいずれの地域も韓国内ではまだあまり知られていない場所らしい。だからこそなのか、いわゆる鼻の利く外国人観光者たちからは、隠れ家的な場所としてすでに十分な人気を集めているというから驚きだ。日本ではやっとその言葉をちらほら聞くようになった「スローシティ運動」だが、おとなりの国では、それを海外にまで目を向けて、新たな観光資源にしようと画策中だ。
ネタ的には断然こっちの方が面白い。当然ですが、島村さんには、韓国のスローシティ運動というテーマでご寄稿いただくことになりました。『city&life』no.93号に掲載予定。

日本で一番精力的な65歳エンテツさんに取材をお願いする。

エンテツさんと取材の打ち合せ。『city&life』特集「マチとムラの幸福のレシピ」のルポ「日本で最も美しい村」……オンリーワンの「村」として生きる」の取材をお願いしたのだ。予定では、NPO法人「日本で最も美しい村連合」に加盟する北海道美瑛(びえい)町、山形県大蔵(おおくら)村、長野県大鹿(おおしか)村の三ヶ所を訪ねてもらう。なにせどこもアクセスしにくいところなので、クルマの移動になる。カメラマンに同行をお願いすることにした。北海道は梅雨がないので、先に取材し、東北は梅雨明けを待って、7月後半にしようと。『談』でポートレイトを撮影してもらっているカメラマンの秋山君にtelすると、22日を中心に屋久島へ行くという。皆既日食を撮影するため。彼は、以前からとっている南方ものといずれ作品にし発表するという。それはともかく、撮影はオーケー。
日本の農業を憂い続けて云十年、エンテツさんなら、きっと面白いルポを書いてくれるはずだ。ところで、エンテツさんたら、打ち合わせの時に渡した『city&life』をご自身のブログで大々的に紹介してくれた。気恥ずかしいくらいの超大作で。ちなみに、この『談』のブログも時々紹介してくれてます。
『city&life』最新号「かわいいまちづくり」は、大いに、おもしろい。

昨今の雑穀ブームの真相とは…

1月に鞆の浦の取材で宿泊したホテルの朝食が、雑穀のオンパレードだった。「食事バランスガイド」に準じた「地産地消」をうたい文句に、バイキング形式で提供された料理は、なるほどどれも美味しかった。ちょっと驚いたのは、主食がお粥だったこと。しかも、雑穀を主体としたものが数種類ならんでいて、白飯もあるにはあるが麦が混ざっている。お米はすべて玄米、徹底しているのだ。それで、はっと思った。確かに、こういうタイプの朝食は、増えているように思う。昨年宿泊したホテルも、雑穀を前面に出していたところが何軒かあった。思えば、スーパーの棚でも、雑穀をよく見かけるようになった。いわゆる高級食材を扱うスーパーで、その傾向は特に強いように思う。いったいこれはどういうことなの? 猛烈に知りたくなった。 そういう時には、あの人に聞くのが一番。そうです、エンテツさんです。大衆食堂の詩人とか言われてますけど、庶民の食の事情に精通してして、自らその庶民の食を日々実践しているお方。
『談 別冊shikohin world酒』にも寄稿してもらっているが、ここは一つエンテツさんにその真相を聞いて見ようということで、今回『TASC monthly』に寄稿をお願いした。これが、なかなか面白い。そうか、そういうことだったのか。目からウロコの……というわけでもないけれど、その裏にある事情は、なるほど合点がいくものですよ。『TASC monthly』のご購読は→TASC事務局
絶対オモロイ、読んで得するエンテツさんのブログは→ザ大衆食つまみぐい
いずれも、左のメニューバーからも入れます。

有機野菜にこだわる姿勢に、ほんもののホスピタリティを見た。

門司駅へ。それにしてもモーレツな風。吹き飛ばされそうになる。

三井倶楽部とJ九州のリノベ予定物件のJRのビルを撮影し、九州鉄道記念館へ。今日は館内に入る。SLなどの本物の鉄道車両の展示。日立が車両を製造したわが国最初の寝台車「月光」も展示されていたので一生懸命(『ひたち』で使っていただけるように)撮影する。建物の中が異常に充実している。運転シュミレーターに挑戦。ホームが近づくと少し早めにブレーキをかける傾向があるためか、停車位置より手前で静止してしまう。中級という判定。マドカッチは反対に暴走系。スピード出しすぎで、ホームを通り過ぎてしまう。やはり中級。ふたりとも、性格がよく出ている?!

九州鉄道のジオラマ。一日24時間を10分間に縮小。これは面白い。それにしても、JR九州は、なぜにこんなに車両のバリエーションが豊富なんだろうか。デザイン重視の傾向著しい。鉄オタが多いからではないかという仮説。ミニ鉄道公園で、3人乗りのミニ鉄道に乗る。非常にゆっくり、夕子さんは、マイクを壊しました(内緒だっけ?)。

商店街で教えてもらった焼きカレーの店が閉まっていた。それで、海側の上戸綾が絶賛した焼きカレーの店。焼きカレーは、カレー風ドリヤのこと。これは、家庭でつくったカレーの二日目にいいんじゃないかという夕子さんの意見に同意。たまごとチーズがこの店の特徴。魔法のスパイスが決めてか。美味しかった。

タクシーで、和布刈の展望台へ。帰りに旧正月の名物神事わかめ刈の行われる和布刈へ。寒い。海峡プラザでご当地キティを買う。やはりありましたよ、バナナの叩き売りキティ。門司港レトロの展望台に上る。雨が降り出してきたので、ホテルで荷物をピックアップして門司駅へ。

三人で小倉まで。マドカッチは飛行機が飛んでいるかチェック。結局彼女は、帰りの飛行機をキャンセルして新幹線で帰ることになった。僕らは、宇佐へ。駅に降りると何もない。しかも国道を徒歩5分と書いてあったのに。それらしいものはない。ところが5分ちょっと歩くとありました。補聴器をつけているおばさんにチェックイン。周辺に食べるところがない。急遽ここで食べることに。

風呂に入る。貸切になるところはいいのだけれど、細長いあまり類例のない温泉。借りた無線LANがうまく接続できない。夕餉は、2000円にしては豪華。有機野菜にこだわる姿勢が、これでもかこれでもかと。しかし、この姿勢、僕は大いに気に入った。部屋のドアが一枚隔ててすぐに畳み部屋だし、トイレは共通、しかもウォッシュレットではない。部屋に洗面所すらない。この時点で普通はキレるのだか、料理はいいセンいってたし、何よりホスピタリティを感じる。これはこれでありかなと。

カップルはかならず別れるという噂を、みなさん信じているようで…

自転車で井の頭公園へ行くことにした。途中、TOHO bakeryt(異常に流行っている)でおかずパンを購入。井の頭公園に着くと駐輪禁止の立て札の前だけにたくさんの自転車。ガードマンと思しき人に駐輪場はどこか、と尋ねると「そんなものはないので、その辺にとめておけば」と。つまり、ここでは、駐輪禁止が駐輪場なのだ。弁天様のそばのベンチでお昼をいただく。ここのカレーパンは余り辛くなく、玉子サンドは薄味。井の頭線の井の頭公園口まで歩く。今日は、手作り系の露店がたくさん出ていた。池を見ながら気がついたこと。ボートに乗っている人でカップルが異常に少ないこと。子連れか、男同士、女同士、子供と二人という組み合わせもあった。やはり、ここでボートに乗るとわかれることになる、という言い伝えをみなさん信じているのだろう。帰りに、Cafe du Lievreでお茶する。うさぎ館というすてきなオープンカフェ。ブルターニュ風のガレットが美味しそう。フランスのレンヌでシードルを飲みながら、鴨肉の入ったガレットを愉しんだことを思い出した。

ガストロノミーたちの愉快な歓談

練馬区の白石農園のとなりに昨年できた南欧料理のレストラン「Le 毛利」で、『city&life』の次号特集「美味しいまちづくり」の鼎談。10年間にわたって鹿児島でまちづくりに腐心されてきた建築家の松永安光さん、日本のスローフード運動の牽引者でエッセイストの島村菜津さん、そして雑誌の企画委員である法政大学の陣内秀信さん。お三人ともイタリア名人であり、食べることが大好き。そこで、食を中心にきらりと光るまちづくりをしているイタリアの小さな町を紹介していただきながら、まちづくり、まちおこしに今こそ必要なのは「食」なのだ、ということをたっぷり話し合っていただきました。題して、「「ガストロノミーが町を魅力的にする」。鼎談終了時には、すっかり満腹。じつに愉しくも実りの多い鼎談になりました。

「スイーツフォレスト」はまだまだ流行っている。

自由が丘の「スイーツフォレスト」へ。コンクリート打ちっぱなしのおシャレなファッションビル。スイーツフォレストは、2階の半分につくられていた。HPのMAPでこのレイアウトを想像するのは無理だった。半分がフォレストで、もう半分はスイーツセレクト・ゾーン。チームナンジャの斎藤未来さんと打ち合わせ。エンタメ・ビジネス論のゲストにお呼びするからだ。これまでも、講演や講師などをされているので要領は得ている。全体の流れは簡単に決まる。それにしても、フォレストの出口付近の椅子席はほぼ満席状態。流行っている。それでも、今日は台風という情報もあって出足は鈍い方で、普段は入り口に列をなしているそうだ。お土産に、スイーツセレクト・ゾーンの「オリジンーヌ・カカオ」でマカロンと「カラメルとメープルシロップのケーキ」を購入。6月の授業が楽しみだ。

地産地消は、生産-販売-消費の循環システムで決まる

昨日案内された地産地消に特化したJA農産物直販センター「さいさいきて屋」へ。やはりモノは揃っている。まず店長さんにご挨拶。撮影開始。体育館ほどのスペース全部を使って中央に平場、周囲に商品棚、冷ケース、キッチンヤードが並ぶ(コミケの会場みたい?!)。平場には豊富な野菜類。品物が減ってくると、いつの間にか農家の人がやって来て、品物を補充していく。でっかい筍、つくしや山菜なども充実している。バックヤードにそなえつけられているPCで品物の販売状態を確認、そのデータに基づいて、各農家は追加するかどうかを決める。POSを利用し、新しくシステムを組んだのだ。とにかく、みなさん生き生きしてらっしゃるのがいい。とくに女性が元気なのもうれしい。
隣接するカフェに入って、ケーキセットをいただく。でっかいイチゴの乗っかったショートケーキ。後ろに座っているご婦人のテーブルの上には、大きなお皿のサラダ。野菜がどっさりのっている。パリのカフェでは見慣れているが、こんな地方都市で(失礼)でそんなパリの雰囲気が味わえるとは思っても見なかった。
JAらしからぬ、なんて言うと怒られそうだけど、とにかくおしゃれなのだ。さらにその隣にはレストラン。ここはバイキング形式で、煮魚、焼き魚、煮物、汁物など各人好きなだけ取って食べるしくみ。どれも新鮮な農産物、海産物を使っていていかにも美味そう。生産と販売と消費が完璧にひとつながりになっている。「さいさいきて屋」全体が、まさに地産地消を絵に描いたようなところなのだ。
次に、レストラン「ティア家族のテーブル」へ。ここは地元産の有機産物を中心にしたメニューが数十種類、ビュッフェ形式で楽しめる店。ここがまたすばらしかった。和あり洋あり中華あり。デザートやドリンクすべてが有機生産物。大急ぎで撮影をし料理にありつく。またしてもたっぷりと食べてしまった。カレーにおにぎりを沈めると暴挙にでたりして。
昨日インタビューでお聞きしたところをわずかであるが、実際にこの目で見て味わってわかったこと。繰り返しになるけれど、生産-販売-消費の循環システムがしっかりできていること。そのシステムを支えているのは、生産者と流通、そしてなによりも行政がそのシステムを理解して、はっきりとした舵取りをしているから、その循環がうまく回っているのである。結局のところ、地域再生は、やはり自治体の主導力の有無にかかっているのだなと納得したのだった。

有機農法は、日々進化しているのだ。

「美味しいまちづくり」の取材で愛媛県今治市へ。松山空港からバスで松山へ。そこから列車で今治駅。市役所に行きがてら居酒屋風の店で昼食。手作りの地産地消っぽい店。もう最後だといわれたが、つくしをいただく。市役所へ。今治市企画振興部企画課・政策研究室長・安井孝さんにインタビュー。とても自由な人だ。禁煙の狭い部屋で、それをまったく無視して紫煙をくゆらせる。しかも、ひっきりなし。じつに自由かつ豪快な人だ。「食料の安全と安心供給体制を確立する都市宣言」をし、「今治市食と農のまちづくり条例」までつくって、「地産地消」の普及に努める今治市。生産者と行政がじつにいい感じでタッグを組んで取り組んでいる。一緒に取り組んでいる地産地消推進室・渡辺敬子さんのPPのプレゼンを見た後、彼女の運転でJAの農産物直販センター「さいさいきて屋」の2店舗をサーベイ。そのあと、有機産物の生産にいち早く取り組んだ今治市のキーパーソンの一人、愛媛有機農業研究会会長・長尾見二さんに彼の畑でお話をうかがう。途中から息子さんもやってくる。有機栽培といっても、化学肥料全盛時代以前に戻すというわけではなくい。あくまでも、化学肥料を乗り越えての使用なのだ。有機栽培自体が常にデベロップしているということを始めて知った。米などは、田植えをしてあとは刈り取るまで何もしないなんてこともあるのだ。雑草の真ん中で真ん丸と結球したキャベツなども見せてもらい、ぼくは心底驚いた。雑草を抜かずにほったらかし、なのに虫がまったくつかないのだという。有機農法は、日々進化しているのである。いろいろ認識を改めなければいけないなと痛感する。

朝、昼、おやつ、晩の4食すべて焼きそばの日。

焼きそばでまち起こしをする富士宮へ。東京は天気だったのに雲行きが怪しくなってきた。富士宮駅に降りるとぽつぽつくる。まず富士急東急ホテルに荷物を預ける。タクシーで浅間大社へ。とりあえずやきそばを賞味しようと、中華料理店「瓔珞」へ。ちゃんとありました。麺は硬め。ウスターソース、いわしの粉、七味唐芥子など好みでかける。確かに、普通店で食べるのとは違う。浅間神社の入り口にあるやきそば店を覗き、写真を撮らせてもらう。
13時よりやきそば学会会長渡辺英彦さんの取材。学会といっても学術学会でも、もちろんあっちの学会でもない。焼きそばの普及・発展につとめる任意団体だ。渡辺さん、著書でもインタビューでも、あまりにオヤジキャグ、ダジャレがすぎるので、カルイ人かと思ったら、ぜんぜんそんなことはかった。自分の立ち位置を自覚しながら、けっこうまじめに、戦略的に考えている人だった。
取材のあと、お宮横丁の学会の直営店で焼きそばを賞味する。鉄板焼きで焼くのを見る。富士宮の産のそばに、肉カス、いわしの粉、ウースターソース。これがメイドイン富士宮の焼きそばのベース。ここのは、麺がもちもちしている。ソースも学会のお墨付き。端麗辛口の冷が合うという。なので、大吟醸ならぬ、「だいびんじょう」で1杯やりながら。この酒、学会が富士宮の清酒メーカーにつくらせたもの。大吟醸にあやかって、「一種の便乗品です」ってまたしてもオヤジギャグ。しかし、「だいびんじょう」さすがにベスト・マリアージュだ。
普段は賑わう広場も天気が悪いためか、人影もまばら。それでも、何人かグループのお客さんがきたところで撮影をする。ぶらぶらと通りを歩く。渡辺さんご推薦の、駄菓子屋系の焼きそば店「うたちゃん」に入る。おかあさんが二人でやっている店。14年前に開業した。となりに小学校があるので生徒さんも来るのかと尋ねると、父兄同伴以外は禁止になったという。
ここのは、肉かすもベニショウガも手作り。肉かすをつまみにビールを飲む。さすがにお腹がいっぱいになった。ぶらぶら一駅分歩いてホテルに帰る。夜19時再び「つぼ半」へ。昼間最初に寄ったのだが、終っていた。ちょうどおかみさんが出てきて、「ごめんね、中見ていく?」とわざわざかぎを開けてくれて(というかぼくが開けて)、中を見せてもらう。それで、夜来るね、と伝えておいたからだ。
店は学生さんでいっぱい。ここは、各テーブルに鉄板があって(50年使い続けているらしい)、そこにザルに入れた麺と野菜を持って来て、おかみさんが焼いてくれる。すぐ焼き上がったが、撮影とまだお腹が減っていないので、躊躇していたらどんどん火が入って、すごく硬くなった。それでも、なんとなく懐かしい味がぼくにの口には合いました。というわけで、本日朝、昼、おやつ、晩と4食焼きそばづくしの一日だった。

今では珍しくなった手作りのヌーヴォーを愉しむ

夕方Parisに到着。いつも常宿にしているSaint Germain des PresのK+K K Hotel Cyreで、首都大学東京大学院准教授・鳥海基樹さんと芝浦工業大学教授・赤堀忍さんと落ち合う。留学時代鳥海さんがよく通ったというビストロ「Chez Marcel」へ場所を移し、フランス取材のスケジュール確認と、最後に予定しているLilleの見どころなどをご教示いただく。『 city&life』の特集として「「美味し国」の景観論……風土と文化が織りなす都市景観の新たな創造」を企画し、景観先進国のフランスを取材しようと思い、フランスの景観保存がご専門の鳥海さん(『談別冊 酒』にご寄稿していただいてます)に相談をしたところ、たまたま同じ時期に調査でフランスに行かれるというので、「それならば何日か一緒にまわりましょう」ということでこの企画が実現した。鳥海さんはまたソムリエの資格ももつほど食べることにも非常に熱心。リヨン風の家庭料理を堪能しつつ手作りのヴォージョレ・ヌーヴォーを開けて、打ち合わせのはずが、いつのまにか話は愉しい方へ、愉しい方へと。まあ、取材は明日からだし、今宵は美食都市リヨンの伝統料理をおおいに愉しむことにしましょう。

フレンチをテーマにした町おこしの実例をサーベイ。

今日と明日は、青森県弘前市のサーベイ。「洋館とフランス料理の街 ひろさき」をテーマに、観光町おこしをしている弘前を、食をベースにした地域振興の成功例として紹介するため。実際弘前は、東北地方で、人口辺りのフレンチレストランの数はダントツに多い。どうせ洋食屋に毛が生えた程度のレストランでしょ、と思うなかれ。どれも、本格フレンチなのだ。なぜ、そんなに多いのか。その真相に迫ろうというわけだ。
青森空港からバスで弘前駅前まで約1時間。まず再開発が終わった駅前を見る。20年ほど前に訪れた時と印象はかなり変わった。再開発によって拡幅された都市計画道路が、周囲の環境とまだ馴染んでいない。なにか寒々しい感じがする。イトーヨーカドーを向こうに見ながら、再開発で生まれたポケットパークを見る。さすが青森県、林檎の木が植わっている。しかも、時期なので大きな林檎の実をつけて。
「虹のマート」へ。地元の食材を売る市場。その横には遊歩道。ほとんど通行人がいないので寂しい雰囲気が漂っている。土手町交差点から都市計画道路を北西へ。かつてアーケードだったものを新しくする。「まちなか情報センター」を横に見て「日本聖公会  弘前昇天教会」を見る。クランク状の坂を下ると大鰐線「中央弘前駅」。その向かいには「ルネス・アベニュー」。この複合型ファッションビルは、反対側の都市計画道路へ通り抜けが出来るようになっている。段差や通路が曲がっているので路地空間を彷彿させる。いい演出だ。
さて、最初に入ったのがフレンチレストラン「ポルトブラン」。ここでランチ。シャンパンを飲んでしまった。料理はかなり美味い。オードブルはフランス産鴨肉のサラダ仕立て、かぼちゃのクリームスープ、メインデッシュはすずきのムニエル、これにデザートとコーヒーがついて、約2500円。値段を考慮すれば、格安の本格フレンチだといっていい。続きを読む

「安亭」の幻の焼き餃子を食べながら考えたこと。

テーマパーク化する日本。日本の都市は、いまやテーマパークのような、安全・安心の人工空間になってしまった。人間工学を追求した果てに生まれた究極のユニバーサルデザイン都市。それこそがテーマパークなのですが、果たしてこれはわわわれの理想とする都市なのでしょうか。たぶん違うでしょう。テーマパーク化する日本というのは、東浩紀さんや稲葉振一郎さんにもっと展開してもらいたいテーマですが、逆に僕は、ビジネスとしてのテーマパークの重要性にもじつは注目しているんですね。なんと反語的な思考! これは、裏切りではありません。
僕が注目するのはナムコのチームナンジャの仕事。彼らは日本で唯一のフード・テーマパークのプロデュース集団です。「横濱カレーミュージアム」にはじまって、「ラーメンスタジアム」「池袋餃子スタジアム」「なにわ食いしんぼ横丁」「アイスクリームシティ」「自由が丘スイーツフォレスト」「明石ラーメン波止場」「東京パン屋ストリート」……、都市のど真ん中のそれもビルの内部にテーマパークをつくってしまう。そして、そのテーマパークのテーマがズバリ「食」なんです。食べることの愉しさを全面展開したフード・テーマパーク。ディズニーリゾート、USJ、ハウステンボスといった巨大御三家の足下にも及ばないテーマパークでありながらも、そこには人間の欲望に直結し、都市というカオスを見据えた仕掛けが満載です。テーマパーク化した日本の内部に、風穴を空ける、反テーマパークとしてのテーマパーク。池袋ナンジャタウン内の餃子スタジアムに復活した名店(すでにない)「安亭」の幻の焼き餃子を食べながら、そんなことをむにゃむにゃ考えてしまいました。

コーヒー店、道場破りの旅に出る時はもうすぐだ。

珈琲工房へ。豆と一緒に念願のフジローヤルの「みるっこ」を購入。ついにというか、やっとというか、待ちに待った日だ。酒井さんより購入したもので、値上がり後の値段より1万5千円近く安い。さっそく、本日買ったブラジル・カルモ農園の豆を挽いてみる。さすがみるっこ。均等にムラなく粉砕。粉のきめがきれいにそろう。熱も出ない。フィルターに移して、いよいよ抽出。美味い! 香りがとばず、スッキリとした味わいのコーヒー。もちろんこれはこのカルモ農園の豆の特徴なのだが、その個性をまったくそぐなうことなく、120%引き出した。買って正解だった。コーヒーは豆で7割、焙煎で2割、水と抽出で1割と思っていたが、挽きの重要性を忘れていた。挽き方によってこんなに変わるとは。これからは、焙煎が1割5分、挽きが1割、水と抽出は5分の割合だ。もちろん、円錐式ドリッパーを使うのが必須ですが。
これで、堀口さんのところで仕入れた豆をみるっこで挽いて、コーノ式のドリッパーで淹れれば天下無敵だ。いよいよ全国珈琲店、道場破りの旅に出る時がきたのかもしれない。これかなり本気ですから。

ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが世界を変えた?!

インターシフトの宮野尾さんから『世界を変えた6つの飲み物』を贈呈していただきました。

第1部  ●メソポタミアとエジプトのビール
第2部  ●ギリシアとローマのワイン
第3部  ●植民地時代の蒸留酒
第4部   ●理性の時代のコーヒー
第5部  ● 茶と大英帝国
第6部  ●コカ・コーラとアメリカの台頭
(目次より)
文字通り世界の代表的飲み物6つを文明史的に迫り、
飲み物がいかに世界を動かす重要な商品であったかを詳細な分析で解き明かす快著。

これは文句なく面白いです!
嗜好品や食について研究する者にとっては必読書です。
解説によれば、著者のトム・スタンデージは、歴史家であり『エコノミスト』誌のエディター。
現在15ヵ国で刊行されているそうです。
世界を変えた6つの飲み物?ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが語るもうひとつの歴史

長らく待ち望んでいた「美味しさ」の〈思考〉への批評

「美味しさの非有機的な力」という原稿が届いた。な、なんというチャーミングなタイトル!! そしてそして、内容がまたとんでもなくぶっ飛んでるのだ。長らく待ち望んでいた料理の批評にこういうかたちで遭遇できるとはなんとも幸せ。さて、この著者はいかなる人物か?  ふふふっ、『TASC monthly』の12月号をお楽しみに。

有機栽培の植物工場が……

朝の犬の散歩。野川の対岸で文理シナジー学会会長の高辻正基先生にばったり会った。東海大学退官後悠々じてきの生活を送っているとか。今日は朝の散歩らしい。あまりに暇なので、植物工場の経営を始めましたよ、って、いかにも先生らしいことをおっしゃる。従来の植物工場に有機栽培を合体させることに成功。これで、今までネックだった「美味しさ」もクリア、いよいよ本格的な植物工場の時代がきそうだよ、とうれしそう。僕は、中心市街地の中心部に植物工場をつくつてほしいと思っている。空き店舗を利用した植物工場付八百屋さん。ほんとの産直。もっとも今はまだコストがかかりすぎる。需要が増えればそれも夢でなくなる日も近い。なにせ、安全・安心の理想のような野菜ができるのが植物工場なのだから。高辻先生もぜひがんばってくださいね。

ロールキャベツを求めてデパ地下めぐり

撮影用に市販のロールキャベツを買いに開店と同時に某駅ビル内にある量販店へ向かう。食品売り場で物色するがない。そのあと成城石井、成城の丸正、下北沢のピーコックとオオゼキ、グルメ・シティ(ダイエー系)、カルディを見て回るがやはりない。渋谷にいって西武地下のシェルガーデン、東急地下のFOOD SHOWと見るが結局どこにも置いてなかった。しかたなく一昨日と同様に東急プラザ地下の渋谷市場・ニュークイックで5本250円とコンソメスーブを購入した。じつは、一昨日撮影したのだがボツってしまって再撮影になってしまったのだ。これなら最初からここで買えばよかったと後悔。
次に探すのはフライドポテト。明治通り沿いにファーストキッチンを発見。フレンチポテトのラージを一袋下さいというと、「ワンサイズしかございません」という返答。妙だなと思いつつも確かめずに買って外に出て歩きながら袋を覗いてみたら、なんとフライドチキンだった。あわててもどってメニューをよく見てみるとポテトには数種類あり、しかもフレンチフライポテトとなっている。それぞれにコンソメポテトとかバターコーンポテトとかじゃがバタポテトといった名前がついている。それで店員は聞き間違えたのであった。彼女を責めてはいけないなと思いつつ、フレッシュネスバーガーへ。ここのフライドポテトは、スティック状ではなく、櫛形切りなので形状がわかるし、美味しそうに見える。で、こっちを撮影することにした。しかし、なんでロールキャベツはなかったのだろうか。生春巻きやトルティーヤや太巻きはどこにもあったのに(巻物として同じってわけないだろうが)。今、流行らないのか、季節商品だからか。そもそも家庭でつくるものだからか。中食マーケット、意外なニッチがありそうだ。

以前立ち上げた料理分類学研究所、再出発させようか。

廣瀬純さんの『美味しい料理の哲学』(河出書房新社)を一気に読む。数年前にぼくと安藤聡さんで雑誌『SNOW』誌上につくった料理分類学研究所の記事をぜひお見せしたいと思った。ほとんど考えていることが同じだったからだ。パスタ料理の一般文法はぼくも考えていたもの。タコヤキとかカツ丼については、ほぼ同時だ。これが本当のシンクロニシティ。と、読んでもなんのことやらとわかからないでしょうが、おいおいブログを借りて紹介していきますんで。
夜NHK「芸術劇場」を見る。ローラン・プティ振り付け「スペードの女王」。ボリショイ・バレー、ニコライ・ツィスカリーゼ、イルゼ・リエバほか。音楽はチャイコフスキーの「悲壮」より。ウラデミル・アンドロポフ指揮、ボリショイ劇場管弦楽団。プティの振り付けは、いつもかわいらしいのだが、今回はずっとシックで優美。でもやっぱり随所にプティらしい振り付けがあって、見ていてとても愉しい気分になった。
次にエドゥアール・ロックのコンテンポラリー・ダンス「アメリア」。出演ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップス。音楽、デーヴィット・ラング、詩ルー・リード。パフォーマンスを撮影し映像処理した作品。クローズアップやスローモーション、アングルをさまざまに変化させたり(CG?)、ダンスそのものよりも映像を見る楽しみ。それにしても、1.5倍速で再生してるんじゃないかと思えるような猛烈早い手足の振り。反復もあるのだけれど、インターヴァルが長いので一つの行為のように見えてしまう。ちょっと長すぎた。これでもハイライト版らしいのだが、もっと簡潔にした方がインパクトがあったように思う。

栄養重視の撮影は、かえって難しい。

「食事○○○○ガイド」の撮影。カタログ的に展開する料理と提案型の料理をすべて撮影する。管理栄養士で料理研究家でもある京須薫さんに今回は料理をお願いした。作り方が非常に丁寧。極端なものはないかわり、正当な提案だ。「美味しさ」や「見栄え」を求められるいわゆる料理写真とはちがって、栄養重視の料理は、かえって撮影するには難しい。いったい栄養ってなんだ、なんて考え始めるととたんに勢いが失せてくる。ある意味バカにならないとできないのです。写真は武井メグミさんスタイリストは三谷亜利咲さん。9時に入って終了したのは19時過ぎ。約10時間の撮影だった。

『食のクオリア』と『煙に巻かれて』の「縁」

Webマガジン「en」にて連載していただいた茂木健一郎さんの食に関するエッセイが、本になりました。タイトルは、連載と同じ『食のクオリア』。脳と舌、さらには腹も加わっての食談義。「おいしさの正体は」、「成長する味覚のなぞ」、「われわれにとっての最後の晩餐とは」、あるいは「記憶とおいしさの抜き差しならぬ関係」などなど。食は、日常生活の中でくり広げられる最も人間くさい行為。それゆえ、人間存在の不思議や機微が垣間見られます。ささやかなワンシーンを掬いだすようにして描写された食の風景、食のかたち。帯のコピーにもあるように、ほんとうに「人生が美味しく」なること間違いなし。
ところで、同じ青土社から、今月なんとカブレラ=インファンテの『煙に巻かれて』が発行されました!! これぞ煙草文学の最高傑作。キューバ生まれでのちにイギリスに亡命した作家のまさに煙に巻かれるお話。文芸エッセイという形をとりながら、葉巻きと喫煙を巡る奇妙で愉快な幻想世界が展開していきます。愛煙家必読の一冊です。ぼくにカブレラ=インファンテが「葉巻きのとても面白い本を書いているよ」と教えてくれたのは今福龍太さん。そう、茂木さんの連載を引き継いで「en」で始まった食のエッセイ「リングア・フランカへの旅」の作者。「en(えん)」がとりもつ不思議な「縁(えにし=えん)」を感じました。
それにしても青土社さん、いい仕事してますね。
食のクオリア

煙に巻かれて

高千代酒造さん主催「五月まつり」に参加する

越後湯沢へ。『談shikohin world 酒』で取材をさせていただいた高千代酒造さん主催の「五月まつり」に参加するため。高千代ファンのために年に一度開催されていて、今年で15回目。会員のエンテツさんに誘われて斎藤夕子嬢と初めて参加したのだ。駅でエンテツさんと合流しタクシーで高千代酒造へ。途中倒壊している家屋があった。運転手さん曰く、そのほとんどは空き家や高齢所帯の家屋。この冬の豪雪で倒壊してしまったのだと。なにせ4m以上の雪、雪下ろしができなかったために被害を被ったという。高千代酒造さんの所在地は、南魚沼郡塩沢町。正真正銘魚沼産「こしひかり」の産地。雪が多かったために例年より遅れて、今やっと田植えが済んだところ。日本一美味しい米だが、地元の人たちの口には入らないらしい。あまりに高いから。直に買っても30kgで3万円。市場に出ればこの3倍にもなるといわれている。どうやらそのほとんどは、都市部の料亭とかにいってしまうようだ。南魚沼は市町村合併したが、それで漁夫の利をえたのは隣まち。それまで表示できなかった米が、魚沼産と銘打って売ることができるようになったから。販売価格がそれまでの倍にもったところもあったとか。ブランド力は凄まじい。高千代酒造につく。すでに受付を始めていた。受付番号36。名札をもらう。続きを読む

玉村豊男さんのワイナリーで食事

タクシーでヴィラデストガーデンファームアンドワイナリーへ向かう。ここは、ご存知のように玉村豊男さんのワイナリー。『酒』の対談で、ワインは連休まで残っていないかもしれないといっておられた。長野にきたからには、ぜったいにいってみようと思っていたのだ。ランチは完全予約制。約束した13時30分に斎藤夕子嬢と席につく。部屋からはり出したサンルーム。ちょうど窓から陽が差し込んでいて心地よい。なにせ菅平では雪が降ったそうな、寒かったのですよ。続きを読む

感激!! 料理文化史の重要本だって

エンテツさんの書評 がアップされました。こういうのは大歓迎。みなさんもヨロシク!

今福龍太さんの食をめぐる連載始まる

今福龍太さんの「リングア・フランカへの旅……〈自由な舌〉を求めて」の連載が「en」 にて始まりました。LIgua francaとはラテン語で共通語を意味しますが、舌が言語と食の両方にかかわるという事情を込めて、今福さんは「自由な舌」と意訳しました。「自由な舌」、なんともステキな言葉! これから、この舌が、さまざまな場所に出没し、さまざまな言語と出会い、さまざまな食と交歓し、さまざまな「生のかたち」を見出していきます。そもそもこの企画、数年前に「世界料理宣言」というテーマでぼくが今福さんはインタビューをしたのが発端です。今福さんは、そのインタビューで「ぼくは分節化される以前の舌がどんなものだったかということをずっと考えている。それは主食の舌のことです。料理というのはおかずのことで、主食の舌を無視している! 」とおっしゃった。「えっ主食の舌だって?!」。じつは、ぼくも同じことをずっと考えていたのでした。おかず=グルメの舌の陰で、今ではすっかり小さくなってしまっているもう一つの舌。それこそが主食の舌です。主食の舌は、食の原理原則に忠実です。つまり、「保守的ってこと?」 いやいやまったくその反対。主食の舌こそ、類い稀なる多様性をもった自由な器官なのです。普遍性と多様性を同時にもつ言語と、それはまったく同形なのです。食と言語が口腔内にセットされた舌によってもたらされるという事実。この偶然を、ぼくたちはもっと注意する必要があります。今福さんの新しい連載は、まさにこの主食の舌の解明へと向かう、あらたな思索の旅でもあるのです。期待しましょう。「en」4月号には、他に金森修さんの「ビッグブラザーの、自由な末裔」を掲載。今後、続々と『談』でインタビューなり対談した人が登場しますので、こちらもこうご期待!!

今さら、木桶を見直します。

『酒』で取材をさせていただいた桝一村酒造場のセーラさんが、「いよいよたちあげるのよ」とおっしゃっていた木桶で日本酒をつくるプロジェクト、そのオープニングを飾るシンポジウムが、六本木ヒルズで開催されます。伝統の技術を復活させて、日本酒を世界商品として売り出す。なんとも心躍る企画ではないですか。すっかり日本酒党の仲間入りをしてしまった僕。陰ながら応援します。シンポジウム は4月8日土曜日って、来週じゃん!
セーラさん、小泉武夫さんも出るよ。

「食のクオリア」のごくろうさん会、あとは出版を待つばかり

『酒』の校正が上がってくる。それを著者チェックに回す。FAXで送り本日中か明日までにご返却下さいと上書き。けっこう横暴。と思っていたら、『論★』とか『現代★★』とか『世★』、みんなそんならしい。インタビュー原稿など通常は、1週間ぐらいの余裕をみて返却をお願いしているが、相当にのんびりしていると思われているようだ。とくに、インタビューの場合はほとんどメールに添付で送る。次の日には朱が入った原稿が戻ってくる。もちろん再三再四督促をしても返してくれない方もいるが、おおむね数日でチェック完了。それというのも、一般誌がかつかつのスケジュールで動いていて、みなさんそれにならされてしまっているからだろう。『談』も、このくらいかつかつの方がいいのだ。などと開き直ったりして。続きを読む

舌が紡ぎ出す豊穣な食=語りの世界

数寄屋橋のLois CAFEで今福龍太さんとまちあわせ。いつものようにかっこ良く帽子をかぶって登場。連載の打ち合わせ。月末の25日周辺は、『すばる』と『世界』の連載であわただしい。その間をぬって書きますから、ってほんとうですか。期待しちゃいますよ。今回は僕が担当で、今福さんを追い回すことになるのだろう。コンテンツに「リンガ・フランカ-自由の舌」ということばを発見。奴隷たちの多様性に満ちた舌をそう呼んでいるというが、美しい響きをもった言葉だ。これをそのままタイトルにしよと提案してみる。ググッてみたら同名の漫画があるみたい(しかもお笑い芸人の話?!)。ル・クレジオを呼んだ時の公式パンフを見せてもらう。和紙のようなテクスチャーの紙を使用したそれはそれは美しい書物。細長い形状で、もう一つのテキスト=台本=詩(台形?!)がそれを包む構造。今福さんの学生たちが手作りしたらしい。300部発行。これだけでもほしかった。連載については、たとえば移動しながら書き、一回の原稿が途中で……、おっとこれはまだいえない。webマガジンならでは試みを試そうと意気投合。4月1日公開の「en」から連載スタート、どうぞお楽しみに。

ミクロクリマのエンジニアリング

うちで制作しているあるメーカー系のPR誌のブレスト。「天気」が面白いという話になった。気象と気候は違うのか。気象は大気現象それ自体が対象だが、気候は人間が関与する現象も対象となる。かつてはそうした区分けが必要だったのだろうが、今はむしろ両者の融合が望まれる。気象の総合化が重要なのだろう。僕は、ミクロクリマ(微小気候/葡萄畑)、テロワール(風土)のエンジニアリングの時代なのだと思っている。
そういえば、玉村豊男さんからこんな話を聞いた。
「最近はワインの世界ではこの山じゃなくて、この葉っぱの列のここがミクロクリマだというようになってきてるんですよ。カリフォルニアなんかだとそういうことをコンピュータで全部計測する会社があるんですよね。そこが請け負っていて、お宅の何列目のここら辺が一番湿度が高くなっているからと知らせてくれると、そこだけ消毒する。そうすると全体をしなくて済むので率がいいと。消毒も減るし、コストも減るということで、全部センサを張り巡らして、警告を発する会社があるんですよ。契約料は高いんだけど、でも得をするんだって。それでお宅の何の畑のここら辺が今湿度が急に高くなってるから消毒したほうがいいよとか教えてくれるんですね。本当のミクロクリマですよね」
これをミクロクりマの工学といわずしてなんといおう。驚くべき時代だ。

必須ではないが、ないと寂しい「嗜好品のような会議」

「第5回 嗜好品文化フォーラム 〈嗜好品の人類文明史〉」に参加する。協賛しているTASCの方々と挨拶を交わす。はじめに共立女子大学教授・鹿島茂さんの記念講演「嗜好品と人類の近代」。続いて嗜好品文化研究会代表幹事で武庫川女子大学教授・高田公理さんの基調報告「嗜好品の誕生とメカニズム」。休憩を挟んでパネルディカッション。パネリストは、堺市博物館館長・角山榮さん、国際日本文化研究センター教授・白幡洋三郎さん、武庫川女子大学助教授・藤本憲一さん、コメンテーターとして国立民族学博物館名誉教授・栗田靖之さん、司会は甲南大学教授・伊野瀬久美惠さん。このディスカッションひさびさに面白かった。続きを読む

ワイナリーのオーナーとスペシャルティコーヒーの専門家による対談

京王プラザホテルのスウィートルームにてエッセイスト・玉村豊男さんと堀口珈琲研究所所長・堀口俊英さんの対談。玉村さんとは、じつに10年ぶり。玉村さんがオーナーのワイナリー「ヴィラデストワイナリー」の紹介から口火を切ってもらう。自分の畑で収穫した葡萄をその場で醸造しその様子をみながら食事までできてしまう、個人経営のワイナリー&カフェ。それを一昨年スタートさせた玉村さんの苦労話から話ははじまった。片や堀口さんは、日本で本格的なスペシャルティコーヒーの輸入・焙煎・販売を始めたコーヒーのスペシャリスト。ワインとコーヒー、産地も飲まれ方もマーケットもまったく異なるが、農産物としてみると意外に共通点が多い。今回のテーマである風土・気候との関わりからみると、両者ともにテロワール、ミクロクリマを重要視する。ワインもコーヒーもあらたな農業的価値観を発見するいい素材になるのだ。続きを読む

ディオニュソスとは何もの?

横浜の朝カルで作家の楠見千鶴子さんから依頼していた原稿をいただく。やった!! 神楽坂山田製の400字づめ原稿用紙に万年筆書き。物書きの原稿はこうでなくっちゃ。さて、原稿はというとこれがとても面白かった。「葡萄の樹・狂気の神ディオニュソス」というテーマで、酒神といわれるディオニュソスはそもそもどのような神だったのか、ギリシア神話に則して紹介してほしいとお願いした。その内容は本誌で読んでいただくとして、ひとことだけいうと、ディオニュソスは生まれながら酒神だったのではなく、もしかすると神という存在であったかどうかも疑わしいというのである。その生誕から成長過程に至る過酷な神話(八つ裂きにされ殺され、母を替えて再生する)は、極端にディフォルされた人間社会そのものかもしれない。ディオニュソスという存在が「酒」のもつ両義性、陶酔性をじつによくあらわしているのだ。楠見さんの原稿が入ったことで、いよいよ「アルコオロジィ」らしくなってきた。

「コクがあるのにキレがある」というなぞ

京都大学大学院農学研究科教授・伏木亨さんのインタビュー。コクとキレという本来対立する概念が酒においてなりたつか、というテーマ。コクがあるのにキレがある、TVにはじめてこのキャッチコピーが登場した時、「そんなばかな」と思ったものだ。しかし、飲んでみるとわかるように確かに共在しているではないか。ならばビールだけでなく醸造酒の清酒やワイン、焼酎などの蒸留酒でもそれはいえるのだろうか、コクの研究の第一人者である伏木先生をお訪ねした理由だ。伏木先生は面白いことをおっしゃった。たとえば、清酒のコクは、だれでもわかるようなコクではなく、ある意味ではイメージとしてのコクだというのである。伏木先生はコクを三層構造から捉える。糖、脂、ダシからなる第一の層。食感や香り風味といった第二の層。そして精神性からなる第三層。たとえば清酒は、コクの基盤となる第一の層はほとんど面影のようにしか存在しなくて、むしろコクのもつ芳醇な膨らみといったイメージが先立つというのである。言い換えれば、実体のないコクが清酒を清酒たらしめている。しかも、われわれはそこに品位すら感じとっているというのだ。「淡麗辛口」の酒を求めるわれわれの味覚は、じつは大変に高次なことをしているということになる。「コクがあるのにキレがある」。このキャッチはとても奥深い酒の味わい方、奥義のようなものなのだよ皆の衆。おそれいったか。というわけで、小泉武夫さんの酒論は、伏木コクの理論によってもみごとに立証されたというわけである。それにしても、実体のないものに風味や旨味を感じるなんて、いやはやなんとも。日本人はとんでもない舌を発明してしまったものだ。

ひさびさに連ちゃんでインタビュー

ホテルニューオータニで山崎正和先生のインタビュー。部屋につくなりさっそくマルボロに火をつける。さすが自他共に認める愛煙家、どのような状況におかれても自らに課した儀礼をおこたることはない。煙草呑みを名乗るのであれば、こうでなくっちゃ。テーマは「酒、うちなる祝祭…酩酊の現象学」。あらかじめ送ってあいた質問項目について、先生監修の著書『酒の文明学』の論文「酔いの現象学」と重複するところが多いので(そりゃそうです、このテキストを参考にしたのですから)、それをもとにしながらもう少し新しいことを盛り込みましょう、とインタビューは静かに始まった。生産と消費という対立軸をたてて、消費の徹底としての酒という視点から、「酔い」とは意識が無意識をコントロールする「二つの人格」による愉しみであり、人類にのみ許された高度な文化である、という山崎先生独自の酒論が展開された。続きを読む

大事なのは酒と肴との相性

東京農業大学教授小泉武夫先生のインタビュー。酒造りの極意をおしえて下さい、と頼んだら、「ぼくは杜氏じゃないからそんなことはわからん。ただこういう極意ならわかるぞ」と話してくれたのが、酒を美味しくいただくコツ。美味しい酒をもっともっと美味しくするとっておきの極意を開陳していただいたのだ。一に肴二に肴。なんといっても肴。そして大事なのは酒の肴との相性。それから粋というのも忘れてはならない。美味い料理としゃれた空間があれば、そこにある酒はあなたのためにとっておきの秘密をみせてくれる。なんじゃこりゃ、恋愛指南かいな。というわけで、酒造りとは、飲み手側の、またサーブする側の知恵や技術と相まってはじめて発揮されるものなのであり、あえていえば極意とはその三者の恊働そのものなのである。当たり前と言えば当たり前。でも、原点はやはりそこにあるんでしょうね。インタビューに同行していただいた大衆食の会代表エンテツさんに「あなたにこれをあげましょう」と差し出されたのが焼酎。これは小泉さんお薦めの一本。琉球泡盛・八重泉(沖縄県石垣市)。それと桐の箱に入った清酒粕・銀花水月(松本市岩波酒造/1985)。なんとカストリ焼酎の古酒だ。で、エンテツさんを強引に事務所にひっぱってきて、ご相伴にあづかった。もちろん美味しかった! エンテツさんごちさそうさま。

江戸期の日本人の食生活は

食文化の研究と実践レベルの「食文化ベースのマーケティング」を提唱されているI Tさんより、書き下ろしの江戸の食卓に関する原稿を送っていただく。まだ出版の予定はなく、編集者の立場から評価・感想がほしいとのことであった。そんなことできるような立場ではないが、とりあえずどんなものか読み始めるとこれがすこぶる面白い。これまで定説とされていたことが、ことごとく覆され、あっと驚くような推理や仮説が飛び出すのだ。江戸期の日本人はどのようなものを食べ、調理し、味わっていたのか、じつはまだまたわからないことだらけである。食の近世史は、今後期待される分野だと常々思っていたが、ようやくこうした本格的なアプローチがでてきた。うれしい限りだ。きちっと読んだうえで、著者とも相談して、可能ならばこの場で紹介したいと思っている。

鷲田清一さんと茂木健一郎さんの対談

大阪中之島のリーガグランドホテルにて鷲田清一さんと茂木健一郎さんの対談。
鷲田先生、18時ぴったりに到着。先生は1階フロアのソファの横に設けられた喫煙スペースに直行。ご挨拶。個室でたばこを吸うとみなさんに迷惑だから、ここで一服していくとおっしゃる。ありがたいご配慮だが、今回はTASCのお二人も斎藤さんもそして茂木先生も喫煙者。どうぞ遠慮なくお部屋でお吸い下さいと伝える。茂木先生30分遅れて到着。さっそく対談をはじめていただく。鷲田さんと茂木さんはお会いするのは今回が2度目。山本耀司さんのパーティーで一度お会いしているとのこと。鷲田さんは、その時の様子をとてもよくおぼえていらっしゃった。というのも……。
続きを読む

ワインもしくは酒の資本主義的展開

今、ワインの世界で何が起こっているのか。ボルドー、ブルゴーニュ、ナパ、トスカーナ、アルゼンチンと世界各国のワインの現場を巡ったドキュメンタリーフィルム「モンドヴィーノ」を見る。グローバリズムかテロワール主義か。ワインコンサルタント・ミシェル・ロランとワイン批評家・ロバート・パーカーの出現によって、ワインづくりは根底から変わってしまったのだ。世界基準の美味しさを求め、同時に付加価値の高い高級ワインをつくる作り手と風土に根ざしその土地の固有性にこだわる作り手との、国家や地域を越えた闘いが始まっている。農産物という本来地域性の代名詞のような商品が市場経済に組み込まれた時にそれまでとはまったく異なる意味をもち始めるのだ。地域性は唯一無二のブランドでもあるが、同時に自らをノンマルケ(無印良品!)なグローバルスタンダードに開放していくことでもある。農産物とはその意味で、市場が成熟化していく過程で、グローカル(グローバルかつローカル)になることを最初から運命付けられた商品なのだ。つまり、ワインとは矛盾そのものなのだ。ワインもしくは酒の資本主義的展開。この映画は、嗜好品の未来を考える、絶好のテキストになる。

「食の不安」はどこからくるのか

「食品は、長いこと〈プレ・モダン〉の領域にとどまっていたと考えられる。それは、一つには、食品という対象が、科学的な検討を拒んできたからである。(…)食品の生命科学的な意味での人間への影響は、再現性よく分析することが難しい。それは、一つには、食品が、きわめて複雑な化学的組成を持っており、かつ、一つ一つの多様性・バラツキが大きいことによる。また受け手である人間の側の条件も、様々である。そして何よりも、食品も人間も、人間的に変化していく存在、すなわち〈生きている〉ということが大きい」(神里達博『食品リスク BSEとモダニティ』)
神里氏によれば、「食の不安」は、科学的認識が届かなくところに生じる。食品は、もともと伝統的な技術に属するプレモダンなものであったのに、生産・流通・消費の急激な近代化によって、食品自体がモダンな商品になってしまった。現在、ぼくらが漠然と感じる「食の不安」は近代化におけるひずみからくるものだと考える。もとより、加工食品だけがモダンな食品ではない。米だって牛乳だって、有機野菜だって、現代ではみな同じモダンな商品なのだ。これは、かなり面白い視点ではないか。しかも、だからこそ、食品は未だ発展途上にある。食は変わり続ける「生きもの」だとしたら、わからなくて当然だし、不安にもなる。不安になるということは、それらがまぎれもなく「生きもの」であることの証なのだ。「en」12月号
に『食品リスク BSEとモダニティ』を紹介したのでよかったら読んで下さい。

料理撮影こそコラボレーションだ

瀬尾さん宅にて撮影2日目。「ガイド」の残りぺージをいっきにやる。今日も順調。一昨日とは違って、今回のは、料理提案ページ。この前のようにはいかないと思っていたら、あらあら、こいつらも早いぞ。献立が3種類、みるみるうちに、朝食と夕食、それにお昼のお弁当ができあがる。提案といっても今回はおかず、お惣菜の世界。創作料理や本格的な料理をやるわけではないのだけれど、素人だったらやはりそれなりに時間がかかるものだと思う。それが、パパパッとできちゃうのだ。カメラマンの武井メグミさんによれば、瀬尾さんは、料理研究家の中でも早い方だという。とにかく、今回もそのミラクル・スピード・クッキングを目の当たりにしました。続きを読む

居酒屋的スピード料理術

料理研究家・瀬尾幸子さん宅にて撮影。「ガイド」の指標となる料理を片っ端から撮影していく。スタイリストからすでに食器類はとどいている。使用する食器にはポストイットがはってある。丁寧な仕事だ。白を基調にしてどれもシンプル。シンプルなものを選ぶのは簡単なようで意外に難しい。しかし、センスがひかるセレクションだ。すでに大量に食材を購入し(スーパーの籠7つ分とか)、さらに撮影中にも途中で買い出しにいく。僕もたこ焼きやフライドポテト、ロールパン、バンズ、さらには天ぷら盛り合わせにチンゲン菜などを買いにいく。そして撮影は、モーレツなスピードで進行したのである。続きを読む

若けりゃいいってもんじゃない

東大経済学部助手の宮地英敏さんと面会。「酒」への原稿依頼の確認。雑談のなかで、最近の学生はあまり酒を飲まないとおっしゃる。彼らはとにかくお金がないというのだ。ケータイやPCなどの情報機器に金がかかるからではないかと。確かに。僕らが学生の時、毎週のように飲みにいっていた。当時、居酒屋で飲んで2、3千円。それが4回あるとして月に1万円。物価の違いを考慮するとケータイなどの通信費とちょうどトレードオフの関係にあることがわかる。なるほどねぇ。酒飲みながら顔つきあわせてのコミニュケーションよりも、顔の見えないメールや書き込みの方がいいということなのだろうか。続きを読む

ブルゴーニュワインのリージョナリズム

シンポジウム「飲むことの様態とその世界:グローバリゼーションにおけるワインと酒」の第1セッション「ワインと酒:文明的な飲料」、第2セッション「地方と味覚」に参加する。このシンポは、ブリア・サヴァラン生誕250周年を記念して日仏会館と東京日仏学院が合同で行う「飲むことと食べること〜Boire et Manger〜」の企画の一つ。会場には、今回の司会のお一人早稲田大学教授の福田育弘さんがいらっしゃった。福田さんには、『談』no.61「ワイン、身体、ピュシスの力」でピアニストの横山幸雄さんと対談をしていただき、その後も、雪印のPR誌『SNOW』で2年間連載をお願いした。ご挨拶をすると、ちょっと驚いた様子。それもそうだろう、たぶん最後にお目にかかったのは前世紀末だから。続きを読む

ジンギスカン・キャラメルはいやだけど嫌羊権なんて主張しませんから

ジンギスカン・キャラメルをもらう。北海道のお土産。いくら流行っているからといって、キャラメルにまですることはないだろうにと思いつつ、一粒口に入れてみた。最初は確かにキャラメル。ところが、すぐにあのラム肉の味が口腔内に広がる。甘いけれどベースは獣系、かすかに肉汁の香りもする。とにかく、奇妙きてれつな味覚体験だ。ぼくは、断言します、二度とジンギスカン・キャラメルを食べることはないと。でもね、こうやってお土産として売ってるんだからファンがいるんだろうね。この味がたまらないってひとが千人、いや万人単位でいるのかもしれない。もちろん、ぼくはそういう人たちに食べるななんてぜったいに言いません。美味しいと思っているなら、どうぞご自由に。
ところが、世の中には、人の味覚の好みに口を出す人たちがいるのです。「私は、おいしいからショートピースを喫う。体質に合っているから喫う。箱のデザインが抜群だから喫う」。だから、「(…)おいしくないと喫わない。主義ではなく、生理の欲求である」。草森紳一さんは、こう言って、なぜ人が好きで、美味しいといって呑んでいるものに文句をいうのだ、と怒るのです。挙げ句の果てに、「(…)あまりにも激烈なデザインの破壊ぶり。〈ショートピース〉は、アメリカの著名なデザイナーの手になる傑作である。世界のデザイン会議はこのまま黙って見過ごし、なにも抗議しないつもりなのか」と、パッケージの警告表示が、そのすぐれたデザインを台無しにしていることに、また怒るのです。この気持ち、わかるなぁ。健康リスク、受動喫煙、路上喫煙、匂い迷惑などなど、たばこ嫌いの鼻息はますます荒くなっている今日この頃(草森さん曰く、彼らの鼻息の方がよほどケムいと)。それをとりあえず受け入れたとしても、人が美味しいと言って口に入れているものに、なぜに赤の他人が文句をつけてくるのか。たばこは、口に入れるものであって「美味しい」ものなんです、たばこのみにとっては(そうでない人もいるけれど)。それを、からだに悪いからやめなさいとか、匂いが嫌だからよそへ行ってくれだとか、ハッキリ言って余計なお世話です。禁煙ファシズムの猛威に対して、喫煙派がどんなに論理的に反駁しても形勢は悪くなる一方。一度、たばこは口にいれるもの、その意味では立派に「食」のひとつだとぼくは思っていますが、この観点から、喫煙の自由を主張したらどうでしょう。たばこは、delicious、delicioieux、buonoなのよ!! ピエール・エルメの「ミルフィユ・カラメル」やアンリ・シャルパンティエの「ふじりんごのジブースト」のように。そして、ある種の人々にとってのジンギスカン・キャラメルのようにね。
草森紳一さんの上記の文章は、『随筆 本が崩れる』所収の「喫煙夜話 「この世に思残すこと無からしめむ」」より。これは『談』の広告を出稿する話もあった雑誌『ユリイカ』2003・10「喫煙異論」初出の随筆。
随筆 本が崩れる

ブリア・サヴァラン生誕250周年

今年は、ブリア・サヴァラン生誕250周年ということで、興味深い記念行事が予定されている。一つは、日仏会館主催の「食とグローバリゼーション」をテーマに「国際シンポジウム:歴史的観点から見る料理:モデル・味覚・交流」(10/15、16)。1.人間と味覚、2.革新・借用・交流、3.料理のモデル・食のシステム。もう一つは、「シンポジウム:「〈飲む〉ことの様態とその世界……グローバリゼーションにおけるワインと酒」(11/6、7)。1.ワインと酒:文明的な飲料、2.地方と味覚、3.危機と発展の要因。期間中に、食品・食の技術・食習慣をテーマにしたドキュメンタリー映画の上映も予定されている。東京日仏学院でも同様の企画が予定されている。いくつかある企画のなかの一つが「討論会:東京におけるフランス料理の発展」(10/19)。東京の代表的フレンチ・レストランのシェフが語り合うという。今回の記念行事の総合タイトルは、「飲むことと食べること〜Boire et Manger」。来年2月に『談』別冊の第3弾の発行を予定している。テーマは、「酒」。今回の企画、おおいに参考になりそうだ。

ひさしぶりの料理撮影

あるクライアントの料理撮影で、瀬尾幸子さんのキッチンスタジオへ。今回のスタッフは、カメラマンが武井メグミさん(ググルと美人カメラマンでヒットします)、スタイリストがしのざきたかこさん、そして料理は、『たまごのうふふ。』や『毎日、とうふ!』の著者、瀬尾幸子さん。着くなり「いただいているレシピの分量でつくると杏仁豆腐がかたくなりすぎてしまうんですがどうします? それと、秋刀魚のフライの粉にまぜるスキムの分量もおおすぎません? 」といきなり質問ぜめ。瀬尾さんに出していただいた料理はバッチリなのだが、クライアントから提案されたメニューをつくってみたところ問題があったというわけ。まあ。簡単に解決しちゃいましたが。
さてさて、料理撮影に立ち会うのは、何年ぶりだろうか。食品会社のPR誌を編集していた関係で、一時、毎月のように料理撮影があった。ちょうど、料理写真が大きく変わった時期で、撮影そのものが刺激に満ちていた。毎回けっこうワクワクしてスタジオに向かったことをよく覚えている。あれから、もう5年は経っているな。今回、問題のメニューを含めて、13品目。一日かかると思っていたら、夕方には終わってしまった。みなさんとても要領がよいのだ。まず写真家の決めたレイアウトでポラを切る。そのあと、スタイリスト、デザイナー、編集者がそれを見ながら意見を出し合い、最後は再び写真家の判断でフィニッシュ。撮りなれているといえばそれまでだけど、こんなにスムーズに進むとは思っていなかった。やはり、料理のヴィジュアルは、根本のところで何かが完全に変わったのだと思う。ひさしぶりに立ち会ってみて、あらためてそれを確信した。なんかまた、こういう仕事やりたいなと思うのでありました。

最高級のコロンビアの豆

珈琲工房ホリグチへ。イルガチェフを買ったが、今年入ってくるのはあまりよくないという。どう? と酒井さんがカッピングをすすめる。両方飲んでみた。最初に飲んだのが今出している珈琲工房さんのもの。ぼくにはやはりこっちの方が美味しい。先日買ったニュークロップ、コロンビア・オズワルド農園がとても美味かったといったら、5月に入ってくるのはもっと美味いと。コロンビアの奥地の農園30カ所だかと契約したそうな。おそらく日本に入ってくるものでこれを超えるものはないと断言できると自信たっぷり。それは楽しみ。ところでブラジルのはなぜ1200円? と訊ねると、セラードで行われたコンテストで1位と2位に入賞した豆は値段を下げられないらしい。珈琲工房ホリグチ
それとまた来年もがんばって下さいというご褒美でそういう値段をつけているとのこと。な〜るほど。そういえば、『ブルータス』が「COFFE AND CIGARETTES」の特集。ジャームッシュの映画にひっかけてなのか、なかなかよい企画。でも、『談』ではすでにどっちも別冊でやってますよ、はい。

スイーツの精神分析

とある食品企業の広報誌の企画会議。今度の特集は「スイーツ」。自由ケ丘「モンサンクレール」の辻口博啓や吉祥寺「アテスウェイ」の川村秀樹、尾山台「オーボンヴュータン」の河田勝彦とか、カリスマ・パテイシエが活躍する時代に、手作り系の巻き返しはあるのでしょうか。その秘策は、というのが今回私たちに与えられたミッションなのです。そこで考えたのが、現代のスイーツこそ精神分析的対象なのではないかという仮説です。続きを読む
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