上野千鶴子さんは、昨今の「承認」ブームが不快なようだ。
「…リストカットをするような子どもたちが、寝たきりとか痴呆の人たちともっと接触したら、「自分が存在するということに、他者の許可も承認もいらないんだ」って感じてくれないかな、と思う。だって、こんなに役に立たず、こんなに希望がなく、こんなに自分を自分でどうしようもない人たちが、それでも生きている。「じゃあ、この人は死んだほうがいいのか」と、そこで立ち止まる。「死んだほうがいい」といえない私にとって、最後に何が言えるのか? そういう問いが残るでしょう」。
「人間が社会的存在でなければならないということにも、わたしは深い疑問を持ってきました。なぜわたしが生きることに、他者の承認がいるのか? なぜわたしが他人の役に立つ存在でなければならないのか? そうでなくなったときのわたしは、生きる価値を失うのか? 」(『結婚帝国 女の岐れ道』上野千鶴子・信田さよ子 講談社 2004より)
じつは、昨日お会いした立岩真也さんも同じようなことをおっしゃっていたのだ。
「…リストカットをするような子どもたちが、寝たきりとか痴呆の人たちともっと接触したら、「自分が存在するということに、他者の許可も承認もいらないんだ」って感じてくれないかな、と思う。だって、こんなに役に立たず、こんなに希望がなく、こんなに自分を自分でどうしようもない人たちが、それでも生きている。「じゃあ、この人は死んだほうがいいのか」と、そこで立ち止まる。「死んだほうがいい」といえない私にとって、最後に何が言えるのか? そういう問いが残るでしょう」。
「人間が社会的存在でなければならないということにも、わたしは深い疑問を持ってきました。なぜわたしが生きることに、他者の承認がいるのか? なぜわたしが他人の役に立つ存在でなければならないのか? そうでなくなったときのわたしは、生きる価値を失うのか? 」(『結婚帝国 女の岐れ道』上野千鶴子・信田さよ子 講談社 2004より)
じつは、昨日お会いした立岩真也さんも同じようなことをおっしゃっていたのだ。
「…今は承認とかそういうのが流行りで、やはり私は人に認めてもらいたいとか、そういうことはある種流行であって、一方で僕は何かそういうのもちょっといやな感じに思ってはいるんです。(…)私はあなたを認めるよとか、何かそういうことを言われなくても、それなりにその人が生きていることが認められているという状態のほうが本当はいいはずだとするならば、そうじゃない状態ですよね。自分の生きたりするということがそのまま認められないという状況の中でその生き難さみたいなものがあって、でも生き難い自分が生きていくためには自分のことをいいと言ってくれている誰かがいないとみたいな、そういう流れで承認という話が出てきているような気がして、それはたぶんどっちかというと元が悪いのであって、その時に親は子を抱きしめてあげましょうとか、そういう話に持っていかれると、それはたぶん違うだろうと言いたくなる」。
ならば、属性を一切合切はぎ取った生の存在としての人、あなたを無条件で受け入れるのかという疑問がただちにわいてくる。しかし、立岩さんは、それにもまた異議を唱える。
「でもそれって何か嘘っぽいでしょう。それをどう言うかですよ。何か人間そのものみたいな話になっちゃうでしょう。だから人間そのものを人は愛せるかみたいな話になっちゃうんですよ。確かにこの話というのはそんな話になっちゃうわけですよね。だからそれをどういうふうに言っていくかというのは確かにちょっとややこしい話で、だから僕が今言った話をストレートに持っていくと、要するに一切の属性を除いた人間なるものがそこに立っていて、そいつを愛せみたいな話になりそうですよね。(…)だけど僕はそれはちょっと違うと思っているんですね」。
どうやら、この辺りに「公共性」の議論のある意味での核心があるように思った。
詳細は、12月発行予定の『談』no.72号に。
ならば、属性を一切合切はぎ取った生の存在としての人、あなたを無条件で受け入れるのかという疑問がただちにわいてくる。しかし、立岩さんは、それにもまた異議を唱える。
「でもそれって何か嘘っぽいでしょう。それをどう言うかですよ。何か人間そのものみたいな話になっちゃうでしょう。だから人間そのものを人は愛せるかみたいな話になっちゃうんですよ。確かにこの話というのはそんな話になっちゃうわけですよね。だからそれをどういうふうに言っていくかというのは確かにちょっとややこしい話で、だから僕が今言った話をストレートに持っていくと、要するに一切の属性を除いた人間なるものがそこに立っていて、そいつを愛せみたいな話になりそうですよね。(…)だけど僕はそれはちょっと違うと思っているんですね」。
どうやら、この辺りに「公共性」の議論のある意味での核心があるように思った。
詳細は、12月発行予定の『談』no.72号に。









