香山リカさんより『〈私〉の愛国心』(ちくま新書)を贈呈していただきました。まだ全部読んでいないのですが、本書は、『ぷちナショナリズム症候群』(中公新書)の続編にあたるようです。現代の若者のナショナリズムへの傾斜を論じた著者は、今や若者だけでなく日本人全体にその傾向がみられることを、「愛国心」というキーワードを手掛かりにその行方を探ろうとしています。あとがきで著者はこう書いています。「(…)自信家の国、それはアメリカであり、〈自信家にならねば〉と躍起になっている国、それは日本である。そして、日本は、その自信家になるための条件として〈愛国心〉が必要、と強く考えているようだ」。その結果、「私」を捨てても「国」として「公」として考えようではないかと言う。しかし、それはまったく逆ではないかと著者は言います。「〈私〉を大切にするあまり、公の意識を失ったことにあるのではなく、それぞれが本当の意味で〈私〉に向き合ってこなかったことにこそ、(問題が)あるのではないか」。つまり、日本人が積み残してきたのは〈私〉についての問題だったと香山さんはいうのです。これはじつは『談』の次の特集で考えてみようと思っていたこととも重なる問題で、大いに参考になりそうです。
<私>の愛国心
<私>の愛国心
香山リカ氏の「〈私〉の愛国心」の表紙を見た時、そこに書かれた要約であろう文章が、まさに今まで問題にすべきこと、そして言ってはいけないこと、と同時に何故今まで自分の頭からこの言葉が出てこなかったんだろうと、いう思いがしました。
初めのことは、つい忘れがちな「自分」と言う存在、そして「自分」からしか視られない、無知盲目な存在たる「自分」を頼りにしなければならない結果として、真剣に見なければならない「自分」の重要性を指摘して、かつ解決する道となるだろう文章だと思ったためです。
2番目については、この本が、自称愛国者にとっての「破魔矢」となって彼らを傷つけることで、アレルギーに近い過剰な反応を彼らに与え、結果、余計「愛国心」への疑問、もしくはカウンターへの圧力を促進するのではないか、と言うことです。そういうことに気がつき、適切な文章にするのはうれしいですが、自称愛国者の多くが本当の問題を解決できない駄目人間と指摘しているみたいです。辛 淑玉氏の「怒りの方法」みたいなハウツー本で「愛国心に目覚めたときに」と言う題で、軽く身の回りを見渡してごらん、とかじゃないと、この異常な社会の現象は、私は直らないと思うのですが・・・。
最後のことは、まさに自分が人をいじめていたとき、または貶した時、愛国に少し目覚めたとき、本当は自分の非が有り、直すべきなのに、または、モット真剣に考えるべきなのに、それを面倒だと思った自分の愚かさを嘆いています。
近いうちに本の中身もしっかりと読もうと思います。
では