『談』no.124 特集◉「声のポリフォニー…グルーヴ・ラップ・ダイアローグ」(「響き合う世界」の第1回)が7月1日(金)に全国書店にて発売になります。
書店発売に先立ち、一足先に『談』Webサイトでは、各インタビューのアブストラクトとeditor’s noteを公開します。
右メニューの最新号no.124の表紙をクリックしてください(6月30日午後公開予定)。
『談』no.124 声のポリフォニー…グルーヴ・ラップ・ダイアローグ
企画趣旨
自然の二重分岐と呼ぶべきものがある。すなわち、意識において感知される自然と意識の原因である自然という対立を乗り越えるために生み出された考えだという。一方で、我々の前には世界のフェノメナル(驚異的)なあらわれがある。つまり、「樹々の緑、鳥たちのさえずり、太陽の暖かみ、椅子の固さ、ヴェルベットの肌触り」(ホワイトヘッド)といったように。他方、我々には隠された物理的現実があって、たとえば、「あらわれとしての自然の意識をうみだせるような心に作用する分子や電子の結びつきのシステム」がある。近代思想の多くはこの分岐にもとづいて、二つの間のさまざまな対立の形をとっているという。
ホワイトヘッドはこの分岐をまとめて手放そうとする。彼によれば、世界はさまざまなプロセスによって構成されており、決してモノからなりたっているわけではない。なにものも前もって与えられることはなく、すべてはそれがあるとおりのものにならなければならない。プロセスは、自然の分岐の両方の側面をまたいでいるのだ。
我々は自分の外にある対象世界に相対する主観ではない。主体も対象もそれ自体さまざまな生成プロセスであって、あらゆる活動的存在は、ひとしく対象であり、また主体である。その響き合い(レゾナンス)こそが、我々であり、我々が生きる世界である。世界の響き合いという視点から、私・身体・モノの関係を問い直す。
■山田陽一氏インタビュー
「「声のきめ」を聴く…グルーヴのなかへ」
声は、いうまでもなく、身体的に生み出される音であるが、それが同じく身体的に生み出された楽器の音と根本的に異なるのは、声が身体そのものにおいて生じる音であり、声を生み出すためには身体以外の何ものも必要としないという点である。声は身体と一体化しているのだ。それゆえ声は、身体と、身体が経験してきたあらゆる種類の感情をじかに表現し、伝達することができる。声は、私たちを身体と心の深部や、歌うことと聴くことの快楽へといざなう、すぐれて肉感的な響きなのだ。
やまだ・よういち/1955年生。京都市立大学芸術音楽学部教授/専門は、民族音楽学、音響人類学。学術博士(大阪大学)
著書に『響きあう身体:音楽・グルーヴ・憑依』(春秋社 2017)、編著書に『グルーヴ! 「心地よい」演奏の秘密』(春秋社 2000)他
■川原繁人氏インタビュー
「声に出すことば…言語と意味を超えて」
声に出される言葉は、いわゆる言語という枠組みや書かれた言葉以上に、生き生きと私たちの生活世界のさまざまな局面をつないでいる。アニメやゲーム、ラップなど、今、若い人たちを中心に大きな人気を博しているカルチャーを始め、玩具や人気商品、ブランド形成などには、そうした「声に出されることば」の魅力が数多く見出される。身近な言葉の音声学的、音韻学的、さらには一般言語学的観点から、声と言葉と意味の関係を探る。
かわはら・しげと/1980年生。慶応義塾大学言語文化研究所教授/専門は、音声学、音韻論、一般言語学。University of Massachusetts,Amherstにて博士号取得(言語学)
著書に『言語学者、外の世界へ羽ばたく:ラッパー・声優・歌手とのコラボからプリキュら・ポケモン名の分析まで』(教養検定会議 2022、4月28日発売)、『「あ」は「い」より大きい!?:音象徴で学ぶ音声学入門』(ひつじ書房 2017)他
田島充士氏インタビュー
「分かったつもりから」から異質な他者との声が響き合う「対話」の地平へ
他者との絶望的なまでのわかりあえなさとは、人々が既存の世界に一方的に飲み込まれることなく、ダイアローグを通して新たな意味を創出する原理であり、世界の革新性へのかけがえのない希望を示すものだ。「対話の不可能性に可能性を見る」というバフチンのダイアローグ論の逆説は、永遠に融合し得ないからこそ、常に/すでに、ダイアローグを通した更新可能性を担保しているのである。
たじま・あつし/1947年生。東京外国語大学大学院総合国際学研究院准教授/専門は教育心理学、異文化コミュニケーション。心理学博士(筑波大学)
著書に『「わかったつもり」のしくみを探る:バフチンおよびヴィゴツキー理論の観点から』(ナカニシヤ出版 2010)、編著書に『ダイヤローグのことばとモノローグのことば:ヤクビンスキー論から読み解くバフチンの対話理論』(福村出版 2019)他
表紙・裏表紙は菅木志雄の立体、ギャラリーでは、小西紀行油彩を掲載
書店発売に先立ち、一足先に『談』Webサイトでは、各インタビューのアブストラクトとeditor’s noteを公開します。
右メニューの最新号no.124の表紙をクリックしてください(6月30日午後公開予定)。
『談』no.124 声のポリフォニー…グルーヴ・ラップ・ダイアローグ
企画趣旨
自然の二重分岐と呼ぶべきものがある。すなわち、意識において感知される自然と意識の原因である自然という対立を乗り越えるために生み出された考えだという。一方で、我々の前には世界のフェノメナル(驚異的)なあらわれがある。つまり、「樹々の緑、鳥たちのさえずり、太陽の暖かみ、椅子の固さ、ヴェルベットの肌触り」(ホワイトヘッド)といったように。他方、我々には隠された物理的現実があって、たとえば、「あらわれとしての自然の意識をうみだせるような心に作用する分子や電子の結びつきのシステム」がある。近代思想の多くはこの分岐にもとづいて、二つの間のさまざまな対立の形をとっているという。
ホワイトヘッドはこの分岐をまとめて手放そうとする。彼によれば、世界はさまざまなプロセスによって構成されており、決してモノからなりたっているわけではない。なにものも前もって与えられることはなく、すべてはそれがあるとおりのものにならなければならない。プロセスは、自然の分岐の両方の側面をまたいでいるのだ。
我々は自分の外にある対象世界に相対する主観ではない。主体も対象もそれ自体さまざまな生成プロセスであって、あらゆる活動的存在は、ひとしく対象であり、また主体である。その響き合い(レゾナンス)こそが、我々であり、我々が生きる世界である。世界の響き合いという視点から、私・身体・モノの関係を問い直す。
■山田陽一氏インタビュー
「「声のきめ」を聴く…グルーヴのなかへ」
声は、いうまでもなく、身体的に生み出される音であるが、それが同じく身体的に生み出された楽器の音と根本的に異なるのは、声が身体そのものにおいて生じる音であり、声を生み出すためには身体以外の何ものも必要としないという点である。声は身体と一体化しているのだ。それゆえ声は、身体と、身体が経験してきたあらゆる種類の感情をじかに表現し、伝達することができる。声は、私たちを身体と心の深部や、歌うことと聴くことの快楽へといざなう、すぐれて肉感的な響きなのだ。
やまだ・よういち/1955年生。京都市立大学芸術音楽学部教授/専門は、民族音楽学、音響人類学。学術博士(大阪大学)
著書に『響きあう身体:音楽・グルーヴ・憑依』(春秋社 2017)、編著書に『グルーヴ! 「心地よい」演奏の秘密』(春秋社 2000)他
■川原繁人氏インタビュー
「声に出すことば…言語と意味を超えて」
声に出される言葉は、いわゆる言語という枠組みや書かれた言葉以上に、生き生きと私たちの生活世界のさまざまな局面をつないでいる。アニメやゲーム、ラップなど、今、若い人たちを中心に大きな人気を博しているカルチャーを始め、玩具や人気商品、ブランド形成などには、そうした「声に出されることば」の魅力が数多く見出される。身近な言葉の音声学的、音韻学的、さらには一般言語学的観点から、声と言葉と意味の関係を探る。
かわはら・しげと/1980年生。慶応義塾大学言語文化研究所教授/専門は、音声学、音韻論、一般言語学。University of Massachusetts,Amherstにて博士号取得(言語学)
著書に『言語学者、外の世界へ羽ばたく:ラッパー・声優・歌手とのコラボからプリキュら・ポケモン名の分析まで』(教養検定会議 2022、4月28日発売)、『「あ」は「い」より大きい!?:音象徴で学ぶ音声学入門』(ひつじ書房 2017)他
田島充士氏インタビュー
「分かったつもりから」から異質な他者との声が響き合う「対話」の地平へ
他者との絶望的なまでのわかりあえなさとは、人々が既存の世界に一方的に飲み込まれることなく、ダイアローグを通して新たな意味を創出する原理であり、世界の革新性へのかけがえのない希望を示すものだ。「対話の不可能性に可能性を見る」というバフチンのダイアローグ論の逆説は、永遠に融合し得ないからこそ、常に/すでに、ダイアローグを通した更新可能性を担保しているのである。
たじま・あつし/1947年生。東京外国語大学大学院総合国際学研究院准教授/専門は教育心理学、異文化コミュニケーション。心理学博士(筑波大学)
著書に『「わかったつもり」のしくみを探る:バフチンおよびヴィゴツキー理論の観点から』(ナカニシヤ出版 2010)、編著書に『ダイヤローグのことばとモノローグのことば:ヤクビンスキー論から読み解くバフチンの対話理論』(福村出版 2019)他
表紙・裏表紙は菅木志雄の立体、ギャラリーでは、小西紀行油彩を掲載
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。