桂英史 端末市民の行方 レトリックの共同体から発話の共同体へ
インターネットがまだこれほど普及していない時代に、ヴィリリオはすでに常時接続された端末市民の行く末を見て取っていたのだ。端末市民とは誰か。ヴィリリオの直感を桂氏が換骨奪胎する。

奥村隆 不気味な怪物とハグは可能か
「誰かにとっての誰か」というかけがいのない固有性として愛すること。だが、「誰にとっても誰でもない」ただの男、ただの女として愛し合うこともできるのだ。この二重性のただなかで引き裂かれた私。モーツァルトのオペラに見るコミュニケーションの愛の不毛と幸福を奥村氏が斬る。

伊藤守  地すべりするコミュニケーション
ケータイメールはすでに過去のものとなった。ヴァーチャルなソーシャルメディアを媒介にしたコミュニケーションが常にリアルな社会と接続可能な実体として成立している社会。そこにあるのは、もう一つのリアルワールドだ。主体が客体化し、客体が主体となるdividuel(分人)世界のリアルに伊藤氏が切り込む。

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