『談』no.103 特集「メディア化するコミュニケーション」が7月10日発売になりますが、
一足先に『談』ウェブサイトでは、アブストラクトとeditor's noteを「最新号」にアップしました。
右のメニューバーのno.103号の表紙をクリックしてください。
これまでのメディア研究は大きく二つの流れがあったといいます。一つは19世紀に始まる報道を主たる対象とするジャーナリズム研究や文化研究などの社会学的な知見、もう一つは、20世紀以降のエレクトロニクスや情報通信技術などの制御や通信、あるいは情報を数学的に処理する情報学的知見ですが、両者に共通するのは、大量かつ即時的にメッセージを伝達することの利便性や効用を「期待(expectation)」することです(桂英史)。そして、ここで注目すべきは、伝える/伝えられるという行為や関係は「期待」があってこそ成り立つものだということです。コミュニケーションとは、言うなればこの期待に賭ける行為そのものであり、期待があるからこそ、コミュニケーションはメディア的性格をもち、逆に言えば、メディアは限りなくコミュニケーションへとメタモルフォーゼするのです。
今、再びコミュニケーションに関心が集まっています。無縁社会とは、コミュニケーションが途絶えた社会であり、コミュ力のない人間は、社会と適応できない人間を指す。今や、コミュニケーションは、人間にとって人間存在そのものを規定するような重要なものになっています。人間にとってコミュニケーションとは何か。メディア環境が激変しつつある現代社会にあって、コミュニケーションは何を意味するのでしょうか。人間・社会・メディアの関係から、コミュニケーションについて考察します。
表紙は、木本圭子さんです。
amazonで予約発売中!
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これまでのメディア研究は大きく二つの流れがあったといいます。一つは19世紀に始まる報道を主たる対象とするジャーナリズム研究や文化研究などの社会学的な知見、もう一つは、20世紀以降のエレクトロニクスや情報通信技術などの制御や通信、あるいは情報を数学的に処理する情報学的知見ですが、両者に共通するのは、大量かつ即時的にメッセージを伝達することの利便性や効用を「期待(expectation)」することです(桂英史)。そして、ここで注目すべきは、伝える/伝えられるという行為や関係は「期待」があってこそ成り立つものだということです。コミュニケーションとは、言うなればこの期待に賭ける行為そのものであり、期待があるからこそ、コミュニケーションはメディア的性格をもち、逆に言えば、メディアは限りなくコミュニケーションへとメタモルフォーゼするのです。
今、再びコミュニケーションに関心が集まっています。無縁社会とは、コミュニケーションが途絶えた社会であり、コミュ力のない人間は、社会と適応できない人間を指す。今や、コミュニケーションは、人間にとって人間存在そのものを規定するような重要なものになっています。人間にとってコミュニケーションとは何か。メディア環境が激変しつつある現代社会にあって、コミュニケーションは何を意味するのでしょうか。人間・社会・メディアの関係から、コミュニケーションについて考察します。
表紙は、木本圭子さんです。
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