『談』no.96「特集 痛みの声を聴く」のインタビューが始まった。今日は、その第1日目、つまり今回の特集の皮切りだ。大阪大学大学院国際公共政策研究科特任准教授・篠原雅武さんにお話をうかがった。近著『全-生活論 転換期の公共空間』の一つのカギが「痛み」である。「痛み」の感覚の麻痺、鈍麻からの可能性を促し、「痛み」それ自体が麻痺させられていることの仕組みを明らかにしていただこうというのが今回の趣旨だ。生活世界を「包み込む全体性」として取り戻すこと。それはいかにして可能か。もろさ、脆弱さ、あやうさがもたらすであろう私たちの未来に対して、その予兆が「痛み」ではないかという指摘は、アガンベンのいう装置としての例外空間が偏在する時代にあって、きわめて示唆的であるといえる。環境はいうまでもなく社会も精神も壊れていく実在空間において、今、私たちにできることは、「痛み」の声を聴くことなのではないか。この問いかけは、次にインタビューする粥川準二さんに引き継がれるであろう。
ところで、一昨日別の媒体(『city&life』)の対談(千葉大学教授・木下勇さんと東京学芸大学教授・松田恵示さん)で、お二人が指摘された社会に多義的な意味を了解してくことの重要性は、まさにここでいう「痛み」と呼応するように思われる。手前味噌ながら、「痛み」という言葉は、今を語るうえで重要なキーワードなのかもしれない。
ところで、一昨日別の媒体(『city&life』)の対談(千葉大学教授・木下勇さんと東京学芸大学教授・松田恵示さん)で、お二人が指摘された社会に多義的な意味を了解してくことの重要性は、まさにここでいう「痛み」と呼応するように思われる。手前味噌ながら、「痛み」という言葉は、今を語るうえで重要なキーワードなのかもしれない。
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