「資源化するからだ」というテーマでインタビューをさせていただいたジャーナリストの粥川準二さんから新刊『バイオ化する社会 「核時代」の生命と身体』(青土社)を贈呈していただきました。
粥川さんは、「バイオテクノロジーの人間への応用と、それを受容し始めている社会を考察し、その輪郭を描くこと」を目的に本書を書いたと述べています。これまで、バイオ技術が社会に及ぼす歪みを論じてきたのですが、むしろ事態は逆ではないか。問題は社会の歪みの方であり、バイオ技術はそれと寄り添う形で発展してきたのではないか。これまでのまなざしを逆転させることで、問題のありようがより鮮明になったと言います。
たとえば、バイオ医療を批判するには、「医学や生物学のまなざしだけでは不十分であり、必然的に社会学や人類学、そしてジャーナリズムといった外部のまなざしが必要になる」はずだというのです。さらに粥川さんは、ピエール・ルジャンドルの言葉を引きながら、次のように言います。「再生可能エネルギーも再生医療も、新たな資源の採取と消費  前者は地球から、後者は人体から  を最低限にできる可能性があるという意味では、希望を持ってよいものである。しかしながら、過去の科学技術において、それらをめぐる事故や事件で浮かびあがった〈痛点〉を忘れてしまい、ただ代替案にとびつくだけでは、また同じことがくりかえされるだろう」と。重要なのは、「痛点」から目をそむけないことだというのです。
バイオ化する社会あるいは社会のバイオ化。この事態を精確に探査し批判するためには、「痛点」とは何か、それはどこに存在し、何を意味しているのか、そのことをまず見極めること。批判のための批判ほどむなしいものはありません。わかっちゃいるけどやめられないあなた(というか私)、はやく「今・ここ」にある痛点を見つけましょうよ。

バイオ化する社会 「核時代」の生命と身体
バイオ化する社会 「核時代」の生命と身体
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