
3・11後の思想家25 (別冊大澤真幸THINKING O 1)
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南山大学人文学部准教授・柳澤田実さんから『3・11後の思想家 25』(左右社)を贈呈いただきました。本書の中で柳澤さんは、25人の重要な思想家の一人ティム・インゴルド氏について執筆しておられます。「<生きていること>から始める」と題された文章で、インゴルドを「私たちヒトも含めた生きものの生を、完結した存在beingではなく、始まりも終わりもない絶え間のない生成becomingとして捉える」ことを提案した思想家と簡潔に紹介しています。インゴルドによれば、「生とはその都度その都度が誕生birthである運動movementそのものであり、この生成・運動は<線line>を成」し、その意味で「世界とは、こうした複数の生成がからまりあって成る線の<束bind>であり、またそれらが絡まり合って出来上がる<網meshwork>」だという。しかも、インゴルドは「線(の束)としての生」というモデルを、徹底して自分自身の経験や人類学のフィールドワークの成果によって語り出していく。凡百の文明批判と一線を画するところだと柳澤さんは述べています。
ところで、インゴルドは世界を運動として見ていることを、インゴルドの文章を引きながら紹介しているのですが、僕は、これにえらく驚いてしまった。インゴルドはこんな比喩を使ってそのことを表現しているというのです。
「私たちは、風は吹く存在(the wind isa being that blows)で、雷は鳴る存在(thunder is a being that claps)だと信じる必要はない。むしろ風は吹いている(the wind is blowing)のであり、雷は鳴っている(the thunder is clapping)のであり、それと同様に有機体と人々は互いに独自な仕方で生きている(organism and persons are living)のである」(Tim Ingold,Being Alive,Routledge,2011,p73)
このフレーズどこかで聴いたことがありませんか。そうです、ディランです。ボブ・ディランの「風に吹かれて(Blowin' In The Wind)。
二番の歌詞はこうです。
How many years can a mountain exist/Before it's washed to the sea?
How many years can some people exist/Before they're allowed to be free?
How many times can a man turn his head,/And pretend that he just doesn't see?
The answer, my friend, is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind
インゴルドは、風はあるものというよりは吹いているもの、つまりダイナミクスそのものだというところに眼目を置いている。それに対してディランは、答えは風の中に舞っていると言っているわけで、その意味は当然違います。しかも、ディランの主眼は反戦にあります。しかし、その違いを理解したうえでなお、何かこの二つのフレーズには共通するものがあると思えてならないのです。
僕は、そのヒントをインゴルドの「organism and persons are living」に見出しました。「生きること」それはすなわち「生きている」という現在形です。生命はつねに現在形でしか表現できないものです。一方、ディランが歌詞の中で希求する「自由」もまた、常に変動する世界の中では現在形であることにおいて意味をもちうる概念です。
世界は絶えず動き続け、そのなかに共にあるいのちも決して静止することはありません。風は常に吹き続けているのであり、我々もまたその風と共に在り続ける。風は吹き続けているからこそ、われわれはそこに生命の自由を見出すことができるのです。
インゴルドが3・11後の重要な思想家の一人として取り上げられたことは、まったく正しい。なぜならば、「生きていること」とは、それ自体政治であり、世界への自由の行使そのものだと思うからです。インゴルドをディランのように読むこと。
blowin' in the wind / the wind is blowing
線Lineとは、まさしく逃走の線。
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