某大学の留学生から、超高層の観光における可能性、というユニークな研究で、僕に意見を求めてきた。台湾出身で、日本の高層建築は台湾のそれと違い「街」のようになっている。これは、都市観光資源として見ると面白いのではないかというのである。
超高層がなぜ東京で80年代以降ドドッと建てられるようになったのか、まずその社会的な背景を述べた。バブル経済の真っただ中にあった日本は、アジア地域の都市間競争に勝ち抜くために、まず規制緩和をし都市再生の名のもとに都市再開発を強力に進める必要があった。なかでもその中心となる東京は、インフラ整備、高度情報化、高密度化を推進し、高付加価値型都市へと転換することが求められた。日本経済の発展という錦の御旗のもと、都市の建物は高層化せざるを得なかったのだ。
次に超高層とは何か、ヨーロッパの近代建築史の中ではきわめて特殊なものであることを論じた。トップとボトムとそれをつなぐ中間体の三層構造からできているのがヨーロッパ建築における高層建築(アパートメントなど)であるが、アメリカを起原とする超高層は、トップとボトムにほとんどを意味をもたせない、いわば中間体がただダラーっと間延びしただけの建築であると説明。だから、いくらでも高くできるのだ。その意味で、近代建築における高層建築が進化してものではなく、あくまでも新種の建築であることを強調した。モダニズムからポストモダンへという建築思潮の流れにのりつつも、超高層においてはそれとは別の論理が働いていたことを確認した。
ヨーロッパの高層建築が主にボザール系のアーキテクトによるものだったのに対して、アメリカの超高層はビルダーによるものが主流。建築家不在の、したがって建築的意匠の希薄な間延びした塊が沢山建てられることになる。東京の超高層は、このアメリカの「間延び構築物」を引き継ぐものだった。これまでの単機能型(オフィスならオフィスだけといった)の超高層から、近年六本木ヒルズのように「街」を意識した多機能型超高層に変化しつつある。しかし、これは容積率を確保するための処置であり、都市計画上の縛りからくる必然的な帰結でしかない。ゾーニングの考えが、平面からエレベーションへと変わっただけである。縦へ積上げられるゾーンという発想は、日本の場合すでに戦前から百貨店の平面計画として実行されていた。過去の参照であり、そこだけ見れば、確かにポストモダン建築を踏襲しているといえなくもない。
ジェイコブス派を自認する僕としては、超高層に何も魅力を感じていない。むしろ「街」などといわれると「じょうだんじゃない」と腹立たしくなると言っておいた。結局のところ、観光という観点から見れば、かつてから言われている展望がやはり有力だろうと結論。話としては、いささか陳腐なものになった。しかし、俯瞰(都市を)するというのは視覚の欲望であり、快楽である。そこで、ハッと思った。鳥瞰図絵師・吉田初三郎的世界観を、観光資源としての超高層という観点から捉え直してみてはというアイデアだ。もともと観光地を極端にデフォルメして描き、クライアントを喜ばせた吉田の鳥瞰図。特に俯瞰マニアの僕としては、すごくいけそうな気がした。俯瞰、縮みの思考、フィギュア。超高層の観光資源化を捉えるキーワードはこの三つだ。