津田塾大学国際関係学科准教授・萱野稔人さんにインタビュー。これまで、『談』では、仲正昌樹さんと「暴力とセキュリティ」、澤野雅樹さんと「いかにして消尽したものになるのか」の2回対談に出席していただいた。今回は初めて単独でお話を伺いました。テーマは「「労働と賃金の分離」の前で資本主義は沈黙するか」。 カネには交換とは別の起源と機能があると萱野氏は著書で指摘しています。奪うものと奪われるものがあり、奪う側が権利関係を無理やり組み立てて、労働の成果、すなわちカネを吸い上げていく。つまり交換は、資本主義を生み出さないというのです。カネは交換のためにあるのではなく、むしろ、国家の徴収ないし収奪のためにこそあるという。たとえば、ベーシック・インカムが提起するのは、ここの問題にかかわってくる。労働と賃金のつながりを切断しようとするのが現代の資本主義だとすれば、ベーシック・インカムはまさにその関係を逆転しようとします。働かなくたってカネはもらってもいい、ベーシック・インカムは、労働と賃金が連動していないという資本主義社会の現実を、まったく裏返しのかたちで暴くというわけです。賃労働ではない労働によって支えられている資本主義。生存と労働の関係が根本から崩れたところに発生する生存の危機について考察していただきました。 インタビューの詳細は『談』最新号をお読みいただくとして、いつものように余談を一つ。萱野さんは、昔ブルースハーピストだったそうです。なるほどあの語り口は、ブラックミュージックのグループだったんだ、と妙に納得してしまいました。