高木史朗著『レビューの王様…白井鐡造と宝塚』」を読み直す。小林一三が「国民演劇」に託した意味を高木さんは推理しているが、それによれば、小林は真に日本に根ざした歌劇の誕生を夢見ていたらしい。和魂洋才は、決して恥じることではなく、むしろそこから新しい日本文化は生まれるだろうと確信していたのだ。これは、もとより歌劇だけに特有なものではない。戦後の現代美術、現代音楽、映像、音楽、ダンス…、すべての創作活動に共通することだろう。形式と内包量の問題だ。形式は真似事でも極端に言えば、フェイクでもかまわない。そして、その内容もオリジナリティというよりは、質が問題になる。つまり、クオリティなのだ。質とはこの場合強度のことをいう。宝塚の類い稀なる面白さは、やはりその強度にあった。すでに25年も前に、宝塚の魅力は、直感的に「愛のシンクロトロン」と言ってみたことがあるが(拙著「天使の誘惑」『小説月光』所収)、まさにそのことが裏付けられたのである。
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