ボランティアガイドのKさん(72歳)がロビーにきてくれる。「むろの木歌碑」。朝鮮通信使が毎回宿泊した「対潮楼・福禅寺」を見学。日本一の景勝地「日東第一形勝」と書き残す。目の前に弁天島。鞆の裏の商家は、土台が長さ2m以上の花崗岩。商人の信用と見栄。坂道の路地。石畳は、20年程前にやった広島博覧会の時に、コンクリート舗装だったものを石畳に貼り替えたらしい。この石畳が意外にいい感じで、鞆の裏のまち歩きに花を添えているように思った。
神社に奉納された力石(120kg〜260kg)。雁木と船の係留止。いろは丸展示館。龍馬・土佐海援隊が乗り組んだ機帆船・いろは丸が紀州藩の軍艦と鞆沖で衝突。その時の遺品などを展示。常夜燈、太田家住宅(重文)、その向かいの「げんちゃんのいりこ屋」でいりこなどを買う。
鞆の浦の町屋づくりの特徴をうかがう。間口三軒だが、たてに細長い、鰻の寝床風。これは、税金は、間口の広さで決められたという当時の名残。つまり、節税のため。「田淵屋」でハヤシライスを食べようと思ったが準備中。「潮待ち茶屋」で昼食。畳にテーブルと椅子。気の流れがよくなるらしいサウンドスケープが流れているかと思うと、たくさんのレスラーの色紙とミニカーやフィギュアのコレクション。なんかおかしな店だ。でも、ごはんは美味しかった。
リノベした御船宿「いろは」の二階宿泊施設を撮影。テレビも冷蔵庫もなくて、2食付で22000円はちょっと……。コーヒーを飲む。サーベイ終了。ホテルへもどり、タクシーで福山へ。広島だから「牡蛎キティ」があると思ったがさすがになかった。そのかわり原爆ドームの「折り鶴キティ」にする。家のものにいつものお土産と言ってあけると、「うへっ、くらい!」と叫んだが、顔は笑っていた。
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