上田で下車しタクシーで長野大学へ。福祉学部福祉学科講師の樋澤吉彦先生のインタビュー。樋澤先生は、社会福祉がご専門で精神障害者の支援を中心に仕事をしておられたが、クライアントの自己決定をどう考えるかということから、パターナリズムの問題に関わるようになった。Web上に公開されている論文で、とくに「同意」は介入の根拠足り得るかという問題意識から、パターナリズムの正当化について検討されているのを知って、『談』でぜひその議論を紹介していただこうと思ったのである。
樋澤先生は、従来のパターナリズム論を整理、分類したうえで、「消極的」、「弱い」、「受動的」、さらには、「身体的・物質的」、「形式的」側面に定位し、ソーシャルワークにおいて、パターナリズムは決して否定されるものではなく、むしろ本来の意味でのクライエントの「自己決定」を支えるために必要不可欠原理ではないかと指摘する。「自己決定」を本来的で実践的なものに再構築するものとしてパターナリズムに注目する。キーワードは徹底的な「対話」。そこで、「対話」を土台とした関係構築におけるパターナリズムの可能性を探ってもらった。
樋澤先生は、「自己決定」とパターナリズムの問題に、真摯に向かい合っておられたのが大変印象的だった。パターナリズムとは単なる概念であって価値をもったものではない。自己決定とパターナリズムは相互的関係があり、パターナリズム自体が介入の根拠となった場合でも常に条件付きである。この相互的関係、言い換えれば循環的にならざるを得ない関係を所与のものとして捉えた時に、初めて自己決定/自律という問題領域を共有することができるのである。
詳しくは、『談』の次号のインタビュー記事をお読みいただくとして、パターナリズムをもう一度その原義に立ち返って考え直してみることの重要さを再認識させられたインタビューとなったことお伝えしておこう。
樋澤先生は、従来のパターナリズム論を整理、分類したうえで、「消極的」、「弱い」、「受動的」、さらには、「身体的・物質的」、「形式的」側面に定位し、ソーシャルワークにおいて、パターナリズムは決して否定されるものではなく、むしろ本来の意味でのクライエントの「自己決定」を支えるために必要不可欠原理ではないかと指摘する。「自己決定」を本来的で実践的なものに再構築するものとしてパターナリズムに注目する。キーワードは徹底的な「対話」。そこで、「対話」を土台とした関係構築におけるパターナリズムの可能性を探ってもらった。
樋澤先生は、「自己決定」とパターナリズムの問題に、真摯に向かい合っておられたのが大変印象的だった。パターナリズムとは単なる概念であって価値をもったものではない。自己決定とパターナリズムは相互的関係があり、パターナリズム自体が介入の根拠となった場合でも常に条件付きである。この相互的関係、言い換えれば循環的にならざるを得ない関係を所与のものとして捉えた時に、初めて自己決定/自律という問題領域を共有することができるのである。
詳しくは、『談』の次号のインタビュー記事をお読みいただくとして、パターナリズムをもう一度その原義に立ち返って考え直してみることの重要さを再認識させられたインタビューとなったことお伝えしておこう。
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。