ARICA第14回公演「キオスク・リストラ」を観る。今年の9月ニューヨークのJapan Society の企画「BEYOND BOUDARIES:GENRE-BENDING MAVERICKS」のオープニングとして上演された作品の、帰国公演。キャスター付きの椅子に座ったまま移動し、左右の壁に長いゴムを結びつけ、その伸縮を利用して飲み物と新聞を売るという行為が1時間の中でたんたんと行われる。主役を演じるのは安藤朋子さん。転形劇場に所属していた時に、何度かその演技は見ていた。その後、20年以上ご無沙汰をしていた。今回、キオスクの店員役で現れた時には、「あっ懐かしい!」と思い、同時に、年齢とは全く別の形で肉体というものは更新していくものなのだということを強烈に感じた。もちろん演技の成熟もあるだろうし、経験の堆積による表現の豊かさもあるだろう。しかし、僕の目の前にいる彼女の肉体は、そんな自分史の進化論を乗り越えて余りあるものだった。それは、あえていえば「肉体の自己超出」だ。幾重にも重なり合う情動と感情、行為が労働へと集約していく社会というものを、切り捨てながらつくり続けていくそういうねじれた肉体。20年間というトンネルの入口と出口は、僕にとっては終りの始まりであり、始まりの終りだったのだ。安藤朋子というトンネルに素朴に驚いた。労働というものが、あるいは演劇というものが、すでに自らの姿を映し出す鏡となっているということに、素朴に驚いたのである。なぜ、僕は芝居を観るということから遠ざかってしまったのだろうか。少なくとも、安藤朋子という肉体を再び僕はみ続けることになるだろう。