永福町のsonoriumの前にはすでに人の列ができていた。「for maria」と題ざれた渋谷慶一郎さんのライブ。100人は入るだろう会場は満員御礼。第1部は、mariaさんの音源を池上高志さん+evalaさんが新作に。そのあと、高橋悠治さんのピアノソロ。万葉集にインスパイヤされた自作の小品12曲を演奏。第2部は渋谷さんのピアノソロ。壁には、mariaさんの写真や映像が映し出される。動くmariaさんを見るのは初めて。バッハの曲やmariaさんに捧げた曲、そしてハッピーバースデー。最後はmariaさんが好きだったというブラームスのインテルメッツォ。なんだかとても感傷的になってしまった、それもしかたがないだろう。会場では鼻をすする音や嗚咽も聞こえてきた。
それにしても不思議な感じがした。mariaさんを僕は、3ヶ月前まで知らなかった。その存在すら知らなくて、こうして動いている姿を見たのは今日が初めて。アーティストであると同時にモデルでもあったmariaさん。とても美しい人だった。渋谷さんとまともにお話したのも4ヶ月前のこと。なのに、そのmariaさんは既に他界していない。そのmariaさんの誕生日で二人の結婚記念日でもあった9・11に、mariaさんにささげられた音楽を僕は聴いている。不在、音、リリシズム……。すでに記憶の中にしかいない他者に捧げられた演奏とはどういうものなのか。いや、記憶の中に確かに刻まれた現在。その記憶を音の中に聴くということ。結局、現在ただ今以外は、すべて記憶ではないか。未来ですら僕らにとっては記憶にすぎない。記憶、不在、その言働化としての音楽。今日のライブは、まさに「おとはどこにあるのか」という『談』の今号のテーマそのものだった。
それにしても不思議な感じがした。mariaさんを僕は、3ヶ月前まで知らなかった。その存在すら知らなくて、こうして動いている姿を見たのは今日が初めて。アーティストであると同時にモデルでもあったmariaさん。とても美しい人だった。渋谷さんとまともにお話したのも4ヶ月前のこと。なのに、そのmariaさんは既に他界していない。そのmariaさんの誕生日で二人の結婚記念日でもあった9・11に、mariaさんにささげられた音楽を僕は聴いている。不在、音、リリシズム……。すでに記憶の中にしかいない他者に捧げられた演奏とはどういうものなのか。いや、記憶の中に確かに刻まれた現在。その記憶を音の中に聴くということ。結局、現在ただ今以外は、すべて記憶ではないか。未来ですら僕らにとっては記憶にすぎない。記憶、不在、その言働化としての音楽。今日のライブは、まさに「おとはどこにあるのか」という『談』の今号のテーマそのものだった。
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