とある学会に発表する原稿のプランを考える。「ぽたらいぶ」の体験を頭に、これまでいくつかのぞいてきた路地とリヨンのクロワ・ルスが、なぜぼくをして興奮させ魅了させるのか。それは、そこに人の気=龍脈が流れているからであり、なによりも都市の魅力とは、その龍脈の湾曲と螺旋が、われわれの歩行(行為)を誘発し続けるからである。どんなに美しく、便利であっても、それがない都市には、魅力は感じない。まち歩きがブームである。小さなまちにも、それぞれ固有の歴史があり、民俗文化がある。それを観光資源と捉えて、ボランティアによる、まちおこしに乗り出したところがある。それをただ紹介するだけでは観光地リストにあらたな名前を加える(しかも小さな)意味しか生まれないだろう。もう一歩踏み込んで、人の気配、龍脈の発見に向かうべきではないか。ピーター・ブルックのいう「何もない空間」が大いに参考になる。ソンタグは、この「何もない空間」にブレヒトの「叙事詩的演劇」とアルトーの「残酷演劇」がフーガ的に交錯し結合する演劇の未来型を見出した。すでに古典化しつつある演劇理論から読み出し、都市の理論へダウンロードしてみたい。それは、21世紀の「今日の世界は、演劇によって再現できるか」の再演、いいかえれば、中国の気、龍脈の理論の象徴としての「壷中天」を都市論として読み替えることである。
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