東京都庭園美術館で26日より開催される「建築の記憶 写真と建築の近現代」展の内覧会へ。この展覧会は、記録として撮影された明治期の建築写真から現代の写真まで、近現代の日本の建築を、同時代の写真家がそれをどのように捉え、どう表現したかをたどりながら、建築の歴史と写真の関わりを探ろうというもの。写真家の畠山直哉さんからご招待いただいた。会場に入ると、横山松三郎撮影(1871年)の「旧江戸城」や小川一眞撮影(1901年)の「乾清宮」を食い入るように眺めている人たちがいた。建築史の研究者なのだろうか、こういう鑑賞を誘発するのが今回の展覧会のユニークなところだ。ぼくは、やはり戦後の写真に興味が湧いたが、今回初めて気が付いたことがあった。最近、写真家の畠山直哉さんが東武ワールドスクェアの建築模型をまるで実物の建築のように撮影した写真集を出版した。この中の一枚、マンハッタンの摩天楼の写真をあるギャラリストに見せたら、「えっ、いつNYにいらしたんですか」と言われて笑っちゃったよ、と畠山さん。彼のスタジオにお邪魔してそのプリントを見せてもらった時のこと。建築模型を建築写真のように撮るというのは面白いものだなぁとその時思ったのだが、じつはこういうことは建築写真の初期からやられていたことだったのだ。展示構成の「写真家の目、建築家の仕事」で、渡辺義雄撮影(1962年)「前川國男設計/東京カテドラル 指名コンペ応募案模型」や村井修撮影(1962年)「丹下健三設計/東京カテドラル 」などを見て、正直驚いた。彼らは、まるで実際に立ち上がった建築物を見るような視点で模型を撮影していたのだった。特に後者は、模型と実物写真を並べ、模型本体もその前に置かれている。三者の関係を考える上で、非常に興味深い展示方法がとられた。しかもモノクロ写真なので、いよいよその違いはぼやけてくる。鉄とコンクリートを材料として使うようになってから、自覚的にそういう撮り方をするようになったのではないか。そんな勝手な想像をしてみるのだ。ジオメトリックでマッシブな造形とコンクリートの肌合いが、縮尺率を超えて実物と模型の際を曖昧にさせるのだろう。建築家は竣工間際の、人間のいない建築物を撮影したがる。人のぬくもりは、建築にとってはまるで邪魔もの扱いである。人などいない方がフォトジェニックだからだ。当たり前のことだが、建築模型にも人はいない。オブジェとしての建築こそ、彼らの理想なのだろう。つまり、建築は建築模型の「模型」なのかもしれない。ところで、畠山直哉さんが撮影した「せんだいメディアテーク」(伊東豊雄設計)の一連の写真も展示されている。建設中のプロセスを時系列的に撮影したシリーズ写真は、後に『UNDER CONSTRUCTION』という写真集になった。なにを隠そうこの本を編集したのはぼくである。今回、プリントの他に、スライドショーによる展示もある。また、『談』と縁の深い写真家・鈴木理策さんが撮影した「青森県立美術館」(青木淳設計)のシリーズ写真も展示されている。展覧会は、1月26日から3月31日まで。 東京都庭園美術館