玉川大学へ。文学部人間学科准教授・河野哲也先生にインタビュー。人間の行動の原因はその人の内面にある。だから、行動を変えるには、その人のこころを変えなければならない。社会現象を社会や環境からではなく個々人の性格や内面から理解しようとし、また、「共感」「ふれあい」「自己実現」といった言葉で解決を図ろうとする。こうした考えが今われわれの周囲にはびこっていないだろうか。これを「心理主義」と呼んで、本来は、社会的・政治的であるはずの問題を、個人の問題へとすり替えていると河野哲也氏は厳しく批判する。なによりも「自分探し」という言葉が問題なのだ。みうらじゅんの言葉にならえば、ヒデがしなくてはならなかったのは「自分探し」ではなく「自分無くし」、久米田康治的に言えば「自分さらし」だ。そして、ほんとうに彼は十分に自分を無くしているし晒している! と、これはどうでもいい話。
河野哲也先生は、ぼくを見下ろすような背の高い人で著書のイメージと違っていた。あとから伺うと先生は剣道をずっとやられていたとのこと。またしてもアスリートだ。以前から『談』を何冊か買っていただいていたようで、大変うれしい。著書の趣旨をまずお話いただく。教育と福祉、J.J.ギブソンとノーマライゼーションをメルロ=ポンティでつなぐ試み。何が知能なのか。それは、身体と環境のセッティングによって変わっていくものだ。何が価値なのか。それは、行為の多様性から生まれてくるものだ。学習の問題、成長の問題、環境の問題、さらには法の問題。いずれも身体とニッチの関係から読み解くことができるという。非常に有意義なインタビューとなった。しかし、またしてもメルロ=ポンティ。メルロ=ポンティの哲学とアスリートは相性がいいのかもしれない。ついでに言うと、ギブソンもそうだ。アフォーダンスを一発で理解するには、まず400mを全力疾走してみるといい。あるいは、クロールで2000m泳ぐのもいいし、もちろん竹刀で面打ちを決めるのでもいい。中井正一ではないけれど、スポーツ気分が了解できた時に、キアスムもアフォーダンスも自らの体験として会得できるはずだ。今度、「スホーツ気分」の研究でもやってみることにしよう。
河野哲也先生は、ぼくを見下ろすような背の高い人で著書のイメージと違っていた。あとから伺うと先生は剣道をずっとやられていたとのこと。またしてもアスリートだ。以前から『談』を何冊か買っていただいていたようで、大変うれしい。著書の趣旨をまずお話いただく。教育と福祉、J.J.ギブソンとノーマライゼーションをメルロ=ポンティでつなぐ試み。何が知能なのか。それは、身体と環境のセッティングによって変わっていくものだ。何が価値なのか。それは、行為の多様性から生まれてくるものだ。学習の問題、成長の問題、環境の問題、さらには法の問題。いずれも身体とニッチの関係から読み解くことができるという。非常に有意義なインタビューとなった。しかし、またしてもメルロ=ポンティ。メルロ=ポンティの哲学とアスリートは相性がいいのかもしれない。ついでに言うと、ギブソンもそうだ。アフォーダンスを一発で理解するには、まず400mを全力疾走してみるといい。あるいは、クロールで2000m泳ぐのもいいし、もちろん竹刀で面打ちを決めるのでもいい。中井正一ではないけれど、スポーツ気分が了解できた時に、キアスムもアフォーダンスも自らの体験として会得できるはずだ。今度、「スホーツ気分」の研究でもやってみることにしよう。
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。