万博記念公園内にある大阪大学コミュニケーションデザイン・センター准教授西村ユミ先生にインタビュー。「専門家であろうとなかろうと、同じ人間の苦悩である限り、〈病い〉は、私たちを執拗に引き寄せ、押し戻し、その傍らに立ちすくませる。この志向性は、私たち人間が根源的に抱えている〈病むこと〉への態度であり、そして、ともに〈病い〉を形づくることの現れではないか」。西村ユミ先生は、病む者の傍らにとどまろうとする態度にすでにケアという営みの始まりを見出す。共在感覚を手掛かりに、他者と〈共にあること〉としてのケアについてお話を伺った。ご著書にしばしば登場するメルロ=ポンティの身体論から、ご自身の看護士としての臨床体験を踏まえてご研究されているなどと思っていたら、じつは逆だった。臨床体験から得た感覚を言葉にしようとする時に、メルロ=ポンティの思想に出会ったのだ。僕自身も、「共在感覚」で、今またあらためてメルロ=ポンティを読み直しているのだが、西村先生の経験に裏付けられた具体的な言葉は、じつにいい水先案内になる。今回の取材は、そんな今回の問題意識とみごとに直結するものだった。ところで、西村先生じつは10代の頃ハンドボールの選手だったという。それもゴールキーパー。確かにそう言われてみると、先生のことばのはしばしに感じられるある種のみずみずしさ、すがすがしさは、アスリートの肉体に見出せるものと近いところがあるように思う。スポーツする身体こそ、現象学の目指す「生々しい」現場そのものだということが、今回またしても裏付けられる結果となった。
五感研究の山下柚実さんは競技スキー、オートポイエーシスの河本英夫先生は陸上競技と、身体を論ずる人にアスリートは少なくない。かくいうぼくも、中学・高校とサッカーに明け暮れた一人だったことをおつたえしておこう。
五感研究の山下柚実さんは競技スキー、オートポイエーシスの河本英夫先生は陸上競技と、身体を論ずる人にアスリートは少なくない。かくいうぼくも、中学・高校とサッカーに明け暮れた一人だったことをおつたえしておこう。
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