筑波大学大学院人文社会科学研究科教授・好井裕明さんから新刊『ゴジラ・モスラ・原水爆 特撮映画の社会学』(せりか書房)を贈呈していただきました。好井さんは「人びとの社会学」の立場から、差別や排除問題を研究されておられます。「人びとの社会学」とは、「人びとの日常に埋め込まれ、痕跡をとどめないほどにまで溶け込んでいる"ものの見方や感じ方"、その影響のありようや影響の"根拠"を探り出そうという営み」ですが、好井さんがとくにこだわって考察されておられるのが映画体験です。
本書は、いわば映画体験の社会学という視点から氏が子供の頃から親しんできた「怪獣映画」を読み解こうというもの。「怪獣映画」は、子供にとっては娯楽映画の花形。氏(1956年生まれ)と同世代の筆者も怪獣にどっぷり浸かったくちですが、ここで取り上げているのは、その怪獣映画に色濃く影を落としている原水爆のイメージです。特撮怪獣映画そのものが核のイメージによって成立している。ところが、怪獣映画にとって重要な要素であった原水爆のイメージが、最近作ではみごとに払拭されている。それはどういうことなのか。そこにどのような力が働いているのか。
原水爆のイメージが、日常生活を通してどのように浸透していき、またそれが今日どのようなかたちで変容、終焉していったか、映画体験を通して例証しようというのが本書の試みです。「怪獣映画」「特撮映画」が純粋に好きな人には、ここでの読解が偏って見えるのでは、と著者は心配しているけれども、そんなことはないですよ。だって怪獣というもの自体がそもそも偏奇なものの代表のような存在ですし、その意味ではそのバックグラウンドを知ることなしに、「怪獣映画」を楽しむということ自体筆者(おそらく怪獣ファンのかなりの人も)には考えられないことなのですから。
「映画の社会学」だけでなく、メディアリテラシー、あるいは生-権力の言説研究に関心のある人にも読んでいただきたい一書です。ゴジラ・モスラ・原水爆?特撮映画の社会学
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