イギリスの野外ロックフェスティバル「グラストンベリー」。30年以上の長きにわたり開催されてきたこの伝説的野外フェスのドキュメンタリー映画を観た。過去の資料映像も交えて、ジュリアン・テンプルが監督したライプ映像満載の映画だが、UKの若者文化を活写しているところが面白かった。 FUJI ROCK FESTIVALに代表される日本の野外フェスを体験したことのない人がこの映画を観るとどんな反応をするだろうか。おそらく野外フェスというものはとんでもない「祭り」に映るだろう。トラヴェラーズという得体のしれない連中が闊歩しているかと思えば、ヒッピー、ドラッグ、セックス、暴力のてんこ盛り。裸の男女が泥まみれになって踊り、騒ぎまくる3日間。こんな危険極まりない乱痴気騒ぎが苗場で行われているのだとしたらとんでもないこと、うちの村では絶対反対、と地元の人は思うに違いない。しかし、一度でもFUJI ROCK FESTIVALに行ったことのある人ならば、その反応は全く逆なはずだ。グラストンベリーと比べて、なんとFUJIはきれいで、おとなしくって、ピースフルな祭典、と思うに違いない。日本の野外フェスは、こういってよければテーマパークだ。主催者もアーティストもオーディエンスも、安全・安心のセキュリティ空間の中で身の丈にあったビジネスをし、演奏し、愉しむ。関わったすべての人間が何がしかの満足感、達成感、感動を得れば、とりあえず成功。なにより怖いのは事故であり、リスクを完全にヘッジできれば大成功なのだ。生-政治が完璧な形で貫かれているのが日本の野外フェスなのである。それに比して、「グラストンベリー」の3日間は、いまだ規律権力が力を発揮するイベントである。そこには、他者がいるし、暴力が横行する。しかし、それと同じだけの剥き出しの「生」が存在することも事実だ。「ビオス」を食い破って現出する「ゾーエー」が、裸の状態で乱舞する空間。だからこそ、「グラストンベリー」には、そうした荒ぶる身体の横溢を囲い込むために、高さ5メートルのフェンスが必要なのだろう。さて、われわれはどっちをよしとするか。そりゃ「グラストンベリー」でしょう、と言いたいところだけれど、やっぱりシャワーも浴びたいしお布団で寝たいし、乱暴者はごめんだし……、カンファタブルな空間で普通に音楽が愉しみたいので、テーマパークのFUJIがいいや。なんと軟弱なぼくだこと?!