浅野俊哉さんより『思想』6月号を贈呈していただく。浅野さんの論文「〈良心〉の不在と遍在化」が掲載されている。今日「良心」という言葉を自ら口にすることも、また他者の口から聞くこともほとんどない。こうした「良心」の不在という状況において、スピノザの論究する「良心」について、あらためて問い直そうというもの。
スピノザは「良心の呵責」について、「悲しみ」という情動に解消したと言われている。そのことが、人間の社会的・倫理的な行動契機を奪うことにつながりかねないと研究者から指摘されていた。浅野さんは、そこに注目して、「その考えが従来型の良心論が持つ、個人という枠内の自意識の問題にそれをとどめてしまう傾向を突破して、汎化された〈環境に対する能動的な関心と反応能力〉を私たちにもとめていくものではないか」と、むしろそこにこそ可能性を見出そうというのである。
「今日の様々な社会闘争の直接のきっかけとそれを持続する意志に力をあたえているのは、〈悲しみ〉という情動なのではないだろうか。言い換えれば、自己や他者の生命が何らかの形で傷つけられていくことに対する、ほとんど身体レベルから発せられる異議申し立てーーすなわち媒介を経由しない直接的・一時的かつ否定することの不可能な情動ーーなのではないだろうか。しかもそれは同時に、能動的な〈喜び〉の情動の増殖を求めて自らを貫通する関係性を構成し直し、新しい共同体を構築しようとする、個人性にはけっして限界づけられない集団的欲望なのではないだろうか」
浅野さんはこの論文で、『談』インタビューのその次を展開しているのである。