清水諭先生のインタビュー。朝お電話をして、研究室の所在を確認する。筑波循環バスで「筑波西」で下車してくださいとのこと。大学のHPのキャンパスマップでは体育科学系棟は「南地区」に位置する。これでは始めてくる人間は混乱してしまうだろう。聞いておいてよかった。
清水先生は会議室をとっておいてくれた。さっそくインタビュー。祝祭としてのスポーツというテーマ。こちらは祝祭を伝統的なのイメージで捉えていたが、近代スポーツでは、祝祭のレヴェルがいくつもあるところに大きな違いがある。また、身体、他者、言説、メディア性、文化産業というものが幾重にも層をなしていて、複雑に絡み合っていることも過去のスポーツ、身体行為を核とするまつりと違うところだ。アスリートにフォーカスしてみれば、偶発的な即興性が強度をともなって唐突に出現することの驚異にスポーツを観る者は驚き熱狂する。しかも、それは技術、スキルに裏打ちされ、さらには身体の美的なフォルムと一体化している。それが、単なる物語性、言説、政治、人種、民族、ナショナリティ、ジェンダーといった枠組みを、越えて表出してくるところに、スポーツのスポーツたるところがあるのだ。感情の起伏を丸ごと包み込んだ身体が他者の身体と出会いつながることの特異性についても言及された。
2時間半近いインタビューとなった。先生はクルマでつくば駅まで送ってくれた。クルマのなかで、山口昌男さんのテニスのお相手であったことを教えてくれた。なるほどそれで「中心と周縁」なんですね。
清水先生は会議室をとっておいてくれた。さっそくインタビュー。祝祭としてのスポーツというテーマ。こちらは祝祭を伝統的なのイメージで捉えていたが、近代スポーツでは、祝祭のレヴェルがいくつもあるところに大きな違いがある。また、身体、他者、言説、メディア性、文化産業というものが幾重にも層をなしていて、複雑に絡み合っていることも過去のスポーツ、身体行為を核とするまつりと違うところだ。アスリートにフォーカスしてみれば、偶発的な即興性が強度をともなって唐突に出現することの驚異にスポーツを観る者は驚き熱狂する。しかも、それは技術、スキルに裏打ちされ、さらには身体の美的なフォルムと一体化している。それが、単なる物語性、言説、政治、人種、民族、ナショナリティ、ジェンダーといった枠組みを、越えて表出してくるところに、スポーツのスポーツたるところがあるのだ。感情の起伏を丸ごと包み込んだ身体が他者の身体と出会いつながることの特異性についても言及された。
2時間半近いインタビューとなった。先生はクルマでつくば駅まで送ってくれた。クルマのなかで、山口昌男さんのテニスのお相手であったことを教えてくれた。なるほどそれで「中心と周縁」なんですね。
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。