●ロシアの未来派の詩人たちは、ザーウミ(超言語)などの誌的実践の背後にいくつかの音の関係の論理を想定していたが、その一つが「ズドーヴィク(位置ズラシ)」であったという。「…音の内的な構成のずらしが、言葉の運動という出来事を生じさせる。地震の振動という偶発事によってずらされた建物の内的構成、そこからその崩壊という出来事をとらえようとしたヴィゴツキー…。ズドーヴィクは既成の音構成の把握とその変形可能性がセットとなって詩的言語の内的論理となっている…」。
●クラシックバレエのにおけるダンサーの動きは、基本的には「パ(pas)」という単位に分節されている。「あらかじめ規定された構造と機能をもつ〈パ〉。これを基本単位としてクラシックバレエはさまざまな動きのバリエーションをつくり出し、その文法を歴史的に蓄積してきた」。しかし、ウィリアム・フォーサイスは、この身体-意味関係の惰性と転倒であるクラシックバレエに「…一つの〈パ〉に別の〈パ〉を〈貫入〉させることで、その安定した運動の輪郭を崩し、そこに非定型的に振動する眩暈のような身体の生成的運動を現出させようとした」のだ。「…倒れつつある身体のそのもののメカニズムの解明。すなわち崩れの論理の形式的把握。この地点でわれわれはダンスにおけるフォーサイス的な問題設定と発達心理学におけるヴィゴツキー的な問題設定が交差することな気づく」。
●『談』no.58でインタビューをさせていただいた高木光太郎さんの著書『ヴィゴツキーの方法』を読み返していたら、こんなすごいことが書かれていたのを発見した。ヴィゴツキーに「ベルジバーニエ」という、一種の意識の単位があるとおっしゃっていたのが佛教大学教授の神谷栄司さんだった。それからずっとこの言葉が気になっていたのだが、どうも、これはズドーヴィクと関連付けることで、とてつもない概念に発展するような予感を得た。まだ、予感にすぎない。しかし、ベルジバーニエが、ズレ、差異、ゆらぎ、よどみへと連続する、生命に根源的な振動性と接触する概念であるように思えるのだ。言語、身体、行為、そしてカオス脳……。まだよくはわからないが、何かが来ていることは間違いない。
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