眞嶋亜有さんの水虫の研究、「香港、16℃の誘惑」、「愛にさまようモテオヤジに捧ぐ?」などを読む。眞嶋さん、論文だけでなくエッセイもとっても面白い、なにより文章がお上手。新たな論客の登場だ。これから、ぼくは、全面的に応援をしていきたいと思います。なんて、ひとりで興奮してどうする。
演劇評論家・田之倉稔さんにお電話。原稿を依頼。二つ返事で引き受けてくれた。ちょうどイタリアへドン・ジョバンニのことを調べにいってたところなので、そのことについて書こうかなと。よかった。
日本総合研究所の富永さんと筑波大学の好井裕明さんのところへ。今回の面会目的である「喫煙の愉しみ」についてのグルイン実施の内容について説明する。実施にあたって、社会調査をされてきた専門家の立場からアドバイスをもらおうというもの。
好井さんは、喫煙そのものがもっている文化と喫煙者の文化をまず分けて考える必要があるとしたうえで、「喫煙の社会性」というものに目を向けてはどうかとおっしゃった。「たばこと社会」というと、とかく喫煙者の社会性、社会的行為にばかり関心が寄せられるが、たばこそのものがすでに社会性をもった「もの」であるという視点を、もっと考えてみなくてはいけないのではと。シガレットから葉巻まで、大衆的な商品でありながらも社交的小道具、高度な文化的商品という性格ももっているたばこは、きわめて多義的で多様性豊かな「もの」である。マナーや節度の問題は、「たばこと社会」のある一面でしかない。人間のもつ社会性のより根源的な問題として、たばこをきちっと位置づけ直す必要があるという提言、とぼくは受け取った。「人はなぜたばこを吸うのか」、結局この問いにまだ誰も答えられていないということなのだろう。
情動商品としてのたばこというアイデアが閃いた。たばこは人間の情動と深い関わりがあるし、情動に直接作用する物質といってもいいだろう。たばこをなぜ吸うのか、という問いに答えを見出せないのは、情動とは何か、ということに容易に答えを見出せないのと同じではないか。情動のわかりにくさは、たばこのわかりにくさにちかい。両者は、とてもよく似ている。たばこを知るためには、まず情動の解明が先決だ。
演劇評論家・田之倉稔さんにお電話。原稿を依頼。二つ返事で引き受けてくれた。ちょうどイタリアへドン・ジョバンニのことを調べにいってたところなので、そのことについて書こうかなと。よかった。
日本総合研究所の富永さんと筑波大学の好井裕明さんのところへ。今回の面会目的である「喫煙の愉しみ」についてのグルイン実施の内容について説明する。実施にあたって、社会調査をされてきた専門家の立場からアドバイスをもらおうというもの。
好井さんは、喫煙そのものがもっている文化と喫煙者の文化をまず分けて考える必要があるとしたうえで、「喫煙の社会性」というものに目を向けてはどうかとおっしゃった。「たばこと社会」というと、とかく喫煙者の社会性、社会的行為にばかり関心が寄せられるが、たばこそのものがすでに社会性をもった「もの」であるという視点を、もっと考えてみなくてはいけないのではと。シガレットから葉巻まで、大衆的な商品でありながらも社交的小道具、高度な文化的商品という性格ももっているたばこは、きわめて多義的で多様性豊かな「もの」である。マナーや節度の問題は、「たばこと社会」のある一面でしかない。人間のもつ社会性のより根源的な問題として、たばこをきちっと位置づけ直す必要があるという提言、とぼくは受け取った。「人はなぜたばこを吸うのか」、結局この問いにまだ誰も答えられていないということなのだろう。
情動商品としてのたばこというアイデアが閃いた。たばこは人間の情動と深い関わりがあるし、情動に直接作用する物質といってもいいだろう。たばこをなぜ吸うのか、という問いに答えを見出せないのは、情動とは何か、ということに容易に答えを見出せないのと同じではないか。情動のわかりにくさは、たばこのわかりにくさにちかい。両者は、とてもよく似ている。たばこを知るためには、まず情動の解明が先決だ。
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