お茶の水・山の上ホテルで、大阪府立大学人間社会学部助教授・酒井隆史さんと立教大学大学院フランス文学研究科後期博士課程在籍・松本潤一郎さんに「情動の政治学……身体は何を欲しているのか」というテーマで対談をしていただいた。
規律権力から生-権力へ、そして今や「情動」のダイレクトなコントロールが始まっているとする酒井隆史さんの問題提起を受けて、ブライアン・マッスミの容易な確実性としての「情動的事実」という概念に触れつつ、「欲望」/「快楽」の再定義、コミュニケーション批判としてのドゥルーズの管理社会批判、ランシエールの感性的なものの再配分、「可能的なもの」/「実在的なもの」、「潜在的なもの」/「現働的なもの」という可能性をめぐる二つの次元の区別、『ミル・プラトー』の情動による群れの構成などについて議論していただいた。
権力を求めることと権力から逃れることは紙一重である。そこに人間の情動機能が深く関わってくるのだ。「逃走線」とは、システムから逃れるものと考えられてきたが、じつはシステムを逃がすことなのではないか。コミュニケーションを積極的に断つ先にあるもの、それこそドゥルーズの「器官なき身体」である。「情動-触発」(スピノザ)という欲望する諸機械の生産力としての「器官なき身体」。今まさに、システムそのものが逃走/闘争する「情動の政治学」の地平が開かれようとしている…。
フーコー、ドゥルーズの言説を旋回しつづけるディスカッションって、思えば久しぶり。フランス・ポスト構造主義の思想が息を吹き返そうとしているのか。