関東学院大学法学部教授・浅野俊哉さんを小田原キャンパスに訪ねる。「〈喜び〉と集団的協同(アソシエーション)の理論……スピノザの「情動」から考える」というテーマでインタビュー。浅野さんは、先頃『スピノザ 共同性のポリティックス』(洛北出版)を上梓されたばかり。それがめっぽう面白く、今回の『談』特集「情動回路」で取り上げようとしていたことと、まさに問題を共有していたので、さっそくお話を伺うことにしたのだ。
スピノザについては、『談』では過去に2回取り上げている。故竹内良知さんにスピノザの異例性について、また、鷲田小弥太さんにスピノザの民主主義論について。今回は、スピノザ思想の革新性をその特異な「情動」論から解き明かしてもらった。
スピノザは、「〈私たちの身体の活動力を増大し、あるいは促進する感情〉を〈喜び〉と呼び、その逆の場合を〈悲しみ〉と呼んだ。それと同時に、〈喜びとは人間がより小さな完全性からより大きな完全性へと移行することである〉とも述べ、それが達成感や到達感のような、ピークの感情ではなく、移行の感情であることに注意を促している。スピノザにおいて〈活動力〉とは、(…)〈生命力〉と私たちが呼んでいるものと、ほぼ同義と考えてよい。つまり、〈喜び〉とは、〈生命力が、身体において、より全面的に展開する過程で生じる感情〉」であり、そして、「そうした〈喜び〉としての能動性を一個人のみならず、集団的なレベルで実現する場合にはいかなる条件が必要か」を問い続けた。浅野さんがここで言う〈喜び〉〈悲しみ〉こそ、「情動」のことである。管理社会は、「情動」管理社会のことだとすれば、われわれはそこからいかにして抜け出すことができるのか。
じつは、その手がかりは「情動」それ自体にあったのだ。ドゥルーズ=ガタリ、ハート・ネグリの思想を参照しながら、浅野さんはスビノザ思想の核心に迫る。約2時間半のインタビューであったが、間違いなく今回の特集の核心を突くものとなった。
十川幸司さんも言っておられたように、スピノザを知れば知るほど、ダマシオのスピノザ解釈の軽薄さが露になってくる。哲学は自然科学より、遥かに射程が深く鋭い。神経科学も脳科学もちゃんと哲学に耳を傾けるべきだと思う。「情動」の時代ならばこそ、情動に訴える科学を企図してほしい。
ところで、浅野俊哉さんの奥方は、「純情きらり」や「大奥」、「ラブ・ジェネレーション」の脚本家浅野妙子さんでした。「純情きらり」見てますよ! と言ったらとても喜んでくれました。
スピノザについては、『談』では過去に2回取り上げている。故竹内良知さんにスピノザの異例性について、また、鷲田小弥太さんにスピノザの民主主義論について。今回は、スピノザ思想の革新性をその特異な「情動」論から解き明かしてもらった。
スピノザは、「〈私たちの身体の活動力を増大し、あるいは促進する感情〉を〈喜び〉と呼び、その逆の場合を〈悲しみ〉と呼んだ。それと同時に、〈喜びとは人間がより小さな完全性からより大きな完全性へと移行することである〉とも述べ、それが達成感や到達感のような、ピークの感情ではなく、移行の感情であることに注意を促している。スピノザにおいて〈活動力〉とは、(…)〈生命力〉と私たちが呼んでいるものと、ほぼ同義と考えてよい。つまり、〈喜び〉とは、〈生命力が、身体において、より全面的に展開する過程で生じる感情〉」であり、そして、「そうした〈喜び〉としての能動性を一個人のみならず、集団的なレベルで実現する場合にはいかなる条件が必要か」を問い続けた。浅野さんがここで言う〈喜び〉〈悲しみ〉こそ、「情動」のことである。管理社会は、「情動」管理社会のことだとすれば、われわれはそこからいかにして抜け出すことができるのか。
じつは、その手がかりは「情動」それ自体にあったのだ。ドゥルーズ=ガタリ、ハート・ネグリの思想を参照しながら、浅野さんはスビノザ思想の核心に迫る。約2時間半のインタビューであったが、間違いなく今回の特集の核心を突くものとなった。
十川幸司さんも言っておられたように、スピノザを知れば知るほど、ダマシオのスピノザ解釈の軽薄さが露になってくる。哲学は自然科学より、遥かに射程が深く鋭い。神経科学も脳科学もちゃんと哲学に耳を傾けるべきだと思う。「情動」の時代ならばこそ、情動に訴える科学を企図してほしい。
ところで、浅野俊哉さんの奥方は、「純情きらり」や「大奥」、「ラブ・ジェネレーション」の脚本家浅野妙子さんでした。「純情きらり」見てますよ! と言ったらとても喜んでくれました。










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