どこのニュースも早朝から昨夜のオーストラリア戦の敗北ばかり。確かに悪夢ではあったが、実力では日本より上だと思っていたので、それほどショックではなかった。俊輔のゴールは、GKのポジションどりの悪さが招いた結果。リプレイを見ればわかるように、タカのキーパーチャージという抗議はまったくあたらない。むしろ、そのあとオーストラリアのペナルティエリア内でのタカへのファウルを取らなかったのは明らかに誤審。しかし、それをわざわざメディアに発表するFIFAってなんなのよ。それよりみんなも言っているように、ジーコの采配には大いに疑問が残った。いつものように大黒か玉田を投入すべきだったのではないか。まぁ、それをいっても後の祭り。ぼくはあえて声を大にして言いたい。サッカーは何が起こっても不思議ではないスポーツ。だからこそ面白い!!
カイヨワの定義に従えば、スポーツとは本来「アゴーン」に属するもの。しかし、そこに不確実な要素をどんどん注入して、「アレア」の遊戯にしてしまったのがサッカーというスポーツであり、サッカーの魅力の全てはそこにあるといってもいい。さらに言えば、ルドゥス的競技空間を一瞬にしてパイディアの空間に変質させてしまうのもサッカーの醍醐味なのだ。賭けへの陶酔、意識の放棄、身体のカオティックな擾乱。そうした蕩尽的身体それ自体を楽しむという類い稀なスポーツこそ、サッカーというものなのだ。日本代表のサポーターである前に、ぼくはサッカーという競技のサポーターでありたい。ようは、クロアチアとブラジルに勝てばいいわけだし、そういう「ありえなさ」を一挙に打ち砕いて、われわれを極楽へと導くのもまたサッカーというものなのである。
カイヨワの定義に従えば、スポーツとは本来「アゴーン」に属するもの。しかし、そこに不確実な要素をどんどん注入して、「アレア」の遊戯にしてしまったのがサッカーというスポーツであり、サッカーの魅力の全てはそこにあるといってもいい。さらに言えば、ルドゥス的競技空間を一瞬にしてパイディアの空間に変質させてしまうのもサッカーの醍醐味なのだ。賭けへの陶酔、意識の放棄、身体のカオティックな擾乱。そうした蕩尽的身体それ自体を楽しむという類い稀なスポーツこそ、サッカーというものなのだ。日本代表のサポーターである前に、ぼくはサッカーという競技のサポーターでありたい。ようは、クロアチアとブラジルに勝てばいいわけだし、そういう「ありえなさ」を一挙に打ち砕いて、われわれを極楽へと導くのもまたサッカーというものなのである。
小1から10年以上サッカーをやっていた身として、同感します。佐藤さんにかかるとサッカーもこんな風に記述されるんですね。