「第5回 嗜好品文化フォーラム 〈嗜好品の人類文明史〉」に参加する。協賛しているTASCの方々と挨拶を交わす。はじめに共立女子大学教授・鹿島茂さんの記念講演「嗜好品と人類の近代」。続いて嗜好品文化研究会代表幹事で武庫川女子大学教授・高田公理さんの基調報告「嗜好品の誕生とメカニズム」。休憩を挟んでパネルディカッション。パネリストは、堺市博物館館長・角山榮さん、国際日本文化研究センター教授・白幡洋三郎さん、武庫川女子大学助教授・藤本憲一さん、コメンテーターとして国立民族学博物館名誉教授・栗田靖之さん、司会は甲南大学教授・伊野瀬久美惠さん。このディスカッションひさびさに面白かった。
角山さんからアナール学派の重鎮ブローデルが大著『物質文明・経済・資本主儀』の中で、茶についてわずか数行しか触れていないのは、いったいどういうことか。生活史の名に恥じることではないかと疑問を表明した後、お得意の「茶の文化史」から、日本が茶を「もてなしの文化」にまで高めた意義を語られた。白幡さんは、拒絶の対象であったものがだんだんと浸透していくところに嗜好品の特徴と面白さがあると指摘。ある種のアブナイ感覚がつきまとい、常に「どこまでイケルか」と試しているところがあるという。嗜好品は供給が完全に禁止されても需要がなくならない不思議なモノ。マルクスの言う商品というものから完全にハズれていると指摘するのは鹿島さん。だからだろうか、嗜好品にはある種の「口実」が必要で、それを開発することが重要と言う。栗田さんが、嗜好品には、「親しんでなれず」という近代人特有の感性が反映されている反面、おつきあいをとりもついい小道具にもなりうる面の両面あるところが面白いと言うと、角山さんは、嗜好品を個食化させてはならず、「共に愉しむ」=コミュニケーションにこそ嗜好品の魅力があると強調された。藤本さんは、今や嗜好品というカテゴリーが拡大しているという高田さんの報告を受けて、ケータイも今では立派な嗜好品。興味深いのは、今までの嗜好品はダンディズムの象徴でずっと男目線で語られてきたが、ケータイに代表されるような新種の嗜好品はみんな女性がリードしている。男目線から女目線で嗜好品を捉え直す時代になってきたのではと言う。伊野瀬さんから、嗜好品には常に禁止がついてまわったという発言を受けて、嗜好品の受容と拒絶の関係について議論をという提起がされたが、討論時間の制約もあって議論は煮詰まらないまま終息。しかし、全体としては、実りの多いディスカッションになっていたと思う。毎年開催されていた「嗜好品文化フォーラム」も今回で終了。高田さんが開会の挨拶でいみじくも「嗜好品のような会議」と称していたが、人間にとって必須ではないが、ないと寂しいものの代表格である嗜好品。来年はないと思うとやはり寂しいと思うのは、ぼくだけだろうか。