昨日今福龍太さんと雑談していた時に出たネタをひとつ。例の如くサッカーの話。サッカー談義というと、かならずといって個人技か組織かという話題になる。個人技において世界最高を誇る選手といえばロナウジーニョということになるが、今福さん、ある試合でロナウジーニョの得点シーンをみた時、これは昔どこかでみたことがあるぞと思ったのだそうだ。そして、それがすぐに58年W杯の決勝、ブラジル・スウェーデン戦のペレのシュートだとわかった。もちろん50年も前のサッカーのこと、スピードにおいても全体の技術においても、現在のものとは比較にならない。今福さんは、そこで試みに、ロナウジーニョがゴールをきめた映像をスローモーションにしてみたところ、なんとそのペレの問題のシュート・シーンとそっくりだったというのだ。今福さん曰く、個人技の中には、サッカーの記憶が脈々と息づいている。サッカーという技芸そのものが、そうした記憶の堆積の上に成立しているものではないか。逆に組織力の重要さをいかに強調しても、その根底にあるのは個人を分割し、別々に統治するという思想だ。つまり、組織サッカーとはいえ、じつは個に解体されバラバラになった集合体にすぎない。個人技の中にサッカーという集合の記憶が畳み込まれていて、反対に組織にはもはや集合体としての恊働はない。個と組織のなんとも皮肉なパラドックス。この分析、なかなか面白いと思いませんか。眼をジーコジャパンに転じてみると、このパラドキシカルな組織と個人の反転をまさに意識的にやろうとしているのがじつは日本サッカーではないか、というわくわくするような仮説が生まれるのである。ところで、今福さん今月末にル・クレジオを日本に呼ぶ企画でいま奔走している。29日に記念シンポをやるらしい。