鷲田小弥太さんから最新刊『現代思想の「練習問題」 キーワードの発見と使用方法』を贈呈していただく。「かつて思想とは、知的態度決定のための必需品であった。何かの〈看板〉を自分の頭上高く掲げなければ、自分に対しても、他人に対しても、態度表明がしにくかったのである。この知的〈儀礼〉、〈仕切〉としての思想が必要でなくなった。しかし、私たちの大部分、つまり大衆は、自分の態度表明を、明かな言葉と論理で表現しなければならない現実のなかにいるのである。知的アクセサリーとしての思想ではなく、ビジネスでも、学校でも、家庭でも、誰にでも通じる思考と論理を発揮しなければならない場面に、常に立たされているのである。/考えるとは、自分の足で立つことだ。私たちの時代の大衆が、初めて、この思考の自律を生きはじめたのである」。
鷲田さんにスピノザ思想の異例さをお聞きしたのはもう20年も前のことだ。鷲田さんさんはこうおっしゃった。「スピノザは、人間の幸福はいかなる社会において可能かを徹底的に考え抜いた思想家だったが、その時スピノザの頭にあったのは大衆である。幸福とはスピノザにとっては、なによりも大衆の幸福でなければならなかったのだ」。スピノザは、それゆえに希有な思考者(デンケン)と言われたのだと。鷲田さん、20年前からぜんぜん変わってないですね。そこにおられるのは、一人のデンケンです。そうである限り、ぼくはずっと鷲田さんの著作を読み続けます。
現代思想の「練習問題」―キーワードの発見と使用法
鷲田さんにスピノザ思想の異例さをお聞きしたのはもう20年も前のことだ。鷲田さんさんはこうおっしゃった。「スピノザは、人間の幸福はいかなる社会において可能かを徹底的に考え抜いた思想家だったが、その時スピノザの頭にあったのは大衆である。幸福とはスピノザにとっては、なによりも大衆の幸福でなければならなかったのだ」。スピノザは、それゆえに希有な思考者(デンケン)と言われたのだと。鷲田さん、20年前からぜんぜん変わってないですね。そこにおられるのは、一人のデンケンです。そうである限り、ぼくはずっと鷲田さんの著作を読み続けます。

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