「食品は、長いこと〈プレ・モダン〉の領域にとどまっていたと考えられる。それは、一つには、食品という対象が、科学的な検討を拒んできたからである。(…)食品の生命科学的な意味での人間への影響は、再現性よく分析することが難しい。それは、一つには、食品が、きわめて複雑な化学的組成を持っており、かつ、一つ一つの多様性・バラツキが大きいことによる。また受け手である人間の側の条件も、様々である。そして何よりも、食品も人間も、人間的に変化していく存在、すなわち〈生きている〉ということが大きい」(神里達博『食品リスク BSEとモダニティ』)
神里氏によれば、「食の不安」は、科学的認識が届かなくところに生じる。食品は、もともと伝統的な技術に属するプレモダンなものであったのに、生産・流通・消費の急激な近代化によって、食品自体がモダンな商品になってしまった。現在、ぼくらが漠然と感じる「食の不安」は近代化におけるひずみからくるものだと考える。もとより、加工食品だけがモダンな食品ではない。米だって牛乳だって、有機野菜だって、現代ではみな同じモダンな商品なのだ。これは、かなり面白い視点ではないか。しかも、だからこそ、食品は未だ発展途上にある。食は変わり続ける「生きもの」だとしたら、わからなくて当然だし、不安にもなる。不安になるということは、それらがまぎれもなく「生きもの」であることの証なのだ。「en」12月号
に『食品リスク BSEとモダニティ』を紹介したのでよかったら読んで下さい。