生-権力は社会を安定させる機能でもある。その生-権力によって維持されてきた現代社会が、不可視の暴力によって機能不全を起こし始めている。歩道橋から、突然自転車や消化器が投げ落とされたり、突如おんぶをしていた子どもを背後から刃物で切りつけられるなどということは、それ自体予測不可能なことだ。暴力のセキュリティが著しく低下しているのである。言い換えれば、社会を低位安定的に維持させる方向で機能してきた生-権力が、まったく別の位相へ、たとえば、あからさまな物理的暴力機構として再組織化され始めたということを意味しているのではなかろうか。生-権力の発現それ自体が、今、大きく変わろうとしているのかもしれない。生-権力をセキュリティの管理技術と再定義し、それを暴力装置との関わりから捉え直す必要がありそうだ。