「ルネサッサンス・ジェネレーション'05」へ。気が付けば今回ではや9年目。いよいよ来年で終了だ。開演を待っていたら、Y社のH井さんから声をかけられた。2年ぶりである。セクションが変わって現場におられるとのこと。去年は、オランダ、フランスに取材旅行中でこれなかったというと、彼はあれから毎年参加しているとのこと。あれとは、4年前に、会場の下條先生を訪ねた時のこと。Y社が始めるEIフォーラムのメンバーのお一人としてぼくが下條さんを推薦したからである。定刻通りシンポが始まる。毎回満席だが、今回も空席はほとんどない状態。いつもは若い聴衆が目立つのだが、今回は比較的年代の高い層もいるようだ。各年代層にわたって女性も多い。
今回のテーマは「カタストロフィ:破断点」。近年たて続きに現代社会を襲っている突発的な事故や災害に対して、われわれのこころや身体はどのような影響うけているか、また、そうした事象はほんとうに予測不可能なものなのか。ルネ・トムのカタストロフィ理論を参照しながら、環境工学、生命科学、システム論、脳理論といった諸領域からこの問題にアプローチする。
今回のテーマは「カタストロフィ:破断点」。近年たて続きに現代社会を襲っている突発的な事故や災害に対して、われわれのこころや身体はどのような影響うけているか、また、そうした事象はほんとうに予測不可能なものなのか。ルネ・トムのカタストロフィ理論を参照しながら、環境工学、生命科学、システム論、脳理論といった諸領域からこの問題にアプローチする。
ゲストスピーカーは、国際日本文化研究センター教授・安田喜憲さんと首都大学東京 都市教養学部理工学系教授・相垣敏郎さん。それに、ビデオ取材でソニーコンピュータサイエンス研究所取締役副所長・北野宏明さん。そして、監修者はいつものカリフォルニア工科大学教授・下條信輔さんとアートディレクターのタナカノリユキさん。
まず、安田さんは環境考古学の立場から現代文明は近い将来崩壊すると予言する。気候変動が文明の興亡にカタストロフィックな影響を与えてきたが、現在の地球も危機的状況にある。このまま環境破壊が続くと2070年頃に現代文明はかならず崩壊するという。以前安田さんの著作『日本よ、森の環境国家たれ』を書評したことがある。縄文以来の自然観によって日本人だけがそうした危機を回避できるという主張には違和感をもったが、今回もそのことを強く主張された。最後のディスカッションでは案の定それが論争になった。
相垣さんは、ゲノム科学が専門で寿命遺伝子の研究に取り組んでいる。人間の寿命は寿命遺伝子の制約を受けてその限界は120才ぐらいと考えられている。しかし、死そのもののプログラムは存在しない。人間は子孫を残すために必要な生存期間が保証されていて、それが寿命の意味だという。つまり、その役目が終わればあとはすみやかに死ぬだけということになる。それをコントロールするのが寿命遺伝子だが、それはあらかじめ死を決定するようなプログラムが組み込まれているという意味ではない。ここが面白いところで、ぼくの理解では、要するにある期間経てばもう死んでよし、というプログラムはないけれども、子孫を残ために費やされる期間がすぎてしまえば、生命システム自体の性能が鈍化する。その結果生命システムは死ぬ。ということは、その性能を向上させれば寿命をもっと伸ばせるかもしれないということになる。
北野さんはシステムのロバストネスの話。ロバストネスとは、システムがその特定の機能を、外乱・内乱にかかわらず維持することができる能力のことで、生物には普遍的に存在するものだという。ロバストネスにはトレードオフが存在する。つまり、日常的な擾乱に対してロバストになるように進化・最適化したシステムは、想定しない擾乱に対してきわめて脆弱になるというわけだ。そのためには、システムが多様であることが重要。また、最適化をめざすあまりにルールを固定化し厳密化していくと、想定外の事象が発生する確率はかえって高くなる。ルールそのものを、常に変更可能にしておくことが必要なのだ。
下條信輔さんとタナカノリユキさんの対論は、トムのカタストロフィ論に焦点をあてて、カタストロフにはネガティヴな面だけではなくポジティヴな面もあり、むしろその多様性にこそ注目しようというものだった。ジーマンの機械を実際につくって、カタストロフの現象を説明。個体の突然死、種の絶滅、バブルの崩壊、戦争の勃発、巨大ハリケーンの発生…、どれもカタストロフィの例として同列に捉えられることがカタストロフィ理論の真骨頂なのだ。
いつものようにパフォーマンスがあった後、最後に全員で総括討議。安田さんの声が相当に大きかったが、終わって見れぱいつものように下條さんの独壇場だった。まあ、「ルネサッサンス・ジェネレーション」は、最初から下條さんのためにあるような企画だからぼくはぜんぜんOKだけれど。今回、じつはあんまり期待していなかったのだが、意外に面白かったというのが正直な感想。トムの理論は、今かえって使えるかもしれない。それがわかっただけでも行った価値があった。
まず、安田さんは環境考古学の立場から現代文明は近い将来崩壊すると予言する。気候変動が文明の興亡にカタストロフィックな影響を与えてきたが、現在の地球も危機的状況にある。このまま環境破壊が続くと2070年頃に現代文明はかならず崩壊するという。以前安田さんの著作『日本よ、森の環境国家たれ』を書評したことがある。縄文以来の自然観によって日本人だけがそうした危機を回避できるという主張には違和感をもったが、今回もそのことを強く主張された。最後のディスカッションでは案の定それが論争になった。
相垣さんは、ゲノム科学が専門で寿命遺伝子の研究に取り組んでいる。人間の寿命は寿命遺伝子の制約を受けてその限界は120才ぐらいと考えられている。しかし、死そのもののプログラムは存在しない。人間は子孫を残すために必要な生存期間が保証されていて、それが寿命の意味だという。つまり、その役目が終わればあとはすみやかに死ぬだけということになる。それをコントロールするのが寿命遺伝子だが、それはあらかじめ死を決定するようなプログラムが組み込まれているという意味ではない。ここが面白いところで、ぼくの理解では、要するにある期間経てばもう死んでよし、というプログラムはないけれども、子孫を残ために費やされる期間がすぎてしまえば、生命システム自体の性能が鈍化する。その結果生命システムは死ぬ。ということは、その性能を向上させれば寿命をもっと伸ばせるかもしれないということになる。
北野さんはシステムのロバストネスの話。ロバストネスとは、システムがその特定の機能を、外乱・内乱にかかわらず維持することができる能力のことで、生物には普遍的に存在するものだという。ロバストネスにはトレードオフが存在する。つまり、日常的な擾乱に対してロバストになるように進化・最適化したシステムは、想定しない擾乱に対してきわめて脆弱になるというわけだ。そのためには、システムが多様であることが重要。また、最適化をめざすあまりにルールを固定化し厳密化していくと、想定外の事象が発生する確率はかえって高くなる。ルールそのものを、常に変更可能にしておくことが必要なのだ。
下條信輔さんとタナカノリユキさんの対論は、トムのカタストロフィ論に焦点をあてて、カタストロフにはネガティヴな面だけではなくポジティヴな面もあり、むしろその多様性にこそ注目しようというものだった。ジーマンの機械を実際につくって、カタストロフの現象を説明。個体の突然死、種の絶滅、バブルの崩壊、戦争の勃発、巨大ハリケーンの発生…、どれもカタストロフィの例として同列に捉えられることがカタストロフィ理論の真骨頂なのだ。
いつものようにパフォーマンスがあった後、最後に全員で総括討議。安田さんの声が相当に大きかったが、終わって見れぱいつものように下條さんの独壇場だった。まあ、「ルネサッサンス・ジェネレーション」は、最初から下條さんのためにあるような企画だからぼくはぜんぜんOKだけれど。今回、じつはあんまり期待していなかったのだが、意外に面白かったというのが正直な感想。トムの理論は、今かえって使えるかもしれない。それがわかっただけでも行った価値があった。
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