「今まで、物理や化学で捉えてきた階層は、一つの階段を一本道で登っていくというイメージでした。しかし、生物の場合はそうではなくて、生物の段階に入ったところから階層がパーっと複数に重なってくるのです。たとえば熊手のように、幾つもの構造や機能の階層がそれぞれに並行に階層を作っていて、それを横から全部重ねて見るので、生物は捉えようもなく複雑なものに見えてしまう。この熊手のイメージを、もっとみんなに判ってほしいと思っています」。
団まりなさんのインタビュー(「en」9月号 )より。
われわれの思考は、ちょっと油断をするとすぐにリニアー(単線的)になろうとする。思惟の経済(効率化)が働いているからだろうか。しかし、思考はその端緒から、つまり個体の誕生期から拡大、増加、複雑化へ向かって走り続けることを運命づけられていたのだ。今見えている事象のすぐ裏側には、たくさんの姿を見せない事象が、それこそ無数に存在しているかもしれない。生きものの思考、階層、進化を、試みにヒュー・エベレットの「パラレルワールド論」と対比法的に考えてみる。団さんのいう熊手というイメージがあまりに的を射ていることに驚くだろう。
団まりなさんのインタビュー(「en」9月号 )より。
われわれの思考は、ちょっと油断をするとすぐにリニアー(単線的)になろうとする。思惟の経済(効率化)が働いているからだろうか。しかし、思考はその端緒から、つまり個体の誕生期から拡大、増加、複雑化へ向かって走り続けることを運命づけられていたのだ。今見えている事象のすぐ裏側には、たくさんの姿を見せない事象が、それこそ無数に存在しているかもしれない。生きものの思考、階層、進化を、試みにヒュー・エベレットの「パラレルワールド論」と対比法的に考えてみる。団さんのいう熊手というイメージがあまりに的を射ていることに驚くだろう。
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