○○は、日本人のDNAにすでに刻み込まれているんですねとか、ホンダのDNAは○○なのでとか、昨今のDNAの乱用ぶりには目に余るものがあります。とくに最近はゲノムがインフレぎみ。『談』では、一貫して遺伝子やDNA、ゲノムの一元論には距離を置いてきたつもりです。ドーキンスについては、ちょっと評価が変わりつつありますが、いずれにしても情報はどうあがいても情報でしかありません。暗号がすべて翻訳できたとして、暗号の意味を知ること、その意味を活かすことはまったく別。どうしてそんなあたりまえのことに気付かないのでしょうか。いいかげんうんざりしていたら、団まりなさんも同じようなことを言っておられました。曰く、「ゲノムはタンパク質のアミノ酸の配列情報を保管することはできますが、だからといってそのタンパク質をつくれるわけではありません。〈遺伝子がタンパク質を作る〉という言い方は、〈レシピが台所に立って料理を作る〉とか〈設計図がカナヅチを振って家を建てた〉と言うのと同じです。ましてや、ゲノムが臓器が再生したり人の人生を決定することなどできるはずがないのです」(『性のお話をしましょう』)。まったく同感です。ところで、DNAの太さが2ナノメートルに対して長さが2メートル。これは太さをなわとびのビニールのヒモの太さ0.5センチに拡大すると、長さは5000キロメートルにもなるんだそうです。そのうちの4750キロメートルは単なる隙間の役目しかない。この隙間はなんのためにあるの? DNAがすべてを決定するなんてことよりも、このことを考える方がよっぽど楽しいですね。
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