安部公房が対談で面白いことを言っていたのを発見。四半世紀も前なのに、現代の状況を的確に予測していて、2度びっくり。
「…ぼくは東京が好きなんだ。ぼくはなるべく写真を撮られたくない、テレビにも出たくない、自分の匿名性を失いたくない。匿名であるということは、たいへんなことなんだよね。歴史的にひじょうに進んだ段階で、はじめて可能になることなんです。むかしは、どんな人でも絶対に無名じゃなかった。姓はなくても名はあったんです」(「匿名姓と自由の原点の発想」1978年)
さらに、こんなことも言ってます。「…無名化することが効率を高くするかというと、やはり自由度が発揮されるからでしょうね。資本主義社会というと、みんなは簡単に悪い面ばかりを強調するけれど、悪いというのではなく資本主義社会の自己矛盾だと言うべきなんですね。自己矛盾はあるけれど無名化の方向がいや応なしに内部から出てきたのは、やはり資本主義社会ですよ。(略)しかし資本主義社会も成熟期に入ると国民をコントロールするのが難しく無名化の危険性を感じるんです」
無名化=匿名姓には、相反する二つのベクトルがあることを安部公房はすでに察知しているんです。そして、それが国家の問題であると同時に資本主義そのものの問題であることも。