一度都市論についてお話をうかがいたいと思っている一橋大学の町村敬志さんのHPに「都市再生」に関する論文がアップされていた。日本における「都市再生論」を批判したもの。さまざまな議論があるなかで、町村さんの批判は、明確でわかりやすかった。簡単に言うとこうだ。今日の「都市再生論」は、バブル期と基本的にはなんらかわりのない規制緩和策にすぎず、この路線に乗って突き進むと日本の都市環境は確実に悪化するだろうというのだ。とくに、バブル期の大規模再開発と今日の「都市再生」の下で進められている再開発は似ているところも多いのだが、決定的に異なるところがあるという指摘に興味をもった。都市の未来像があるかないかだというのである。バブル期はこれからの都市についてそれでもヴィジョンがあったという。知識人や有識者をかり出して「東京=江戸」論を華々しくぶちまけたり、ウォーターフロントに目をむけたり、ポストモダン論をぶったり、また、東京を文化の発信基地にしようと、さまざまなイベントも行われた。これらの試みは、ある意味で都市の未来像を描くことでもあった。ところが、今日の「都市再生」を錦の御旗に爆走する大規模再開発にヴィジョンを見出すことはできないし、「都市をどうしようか」という議論さえないというのだ。これはそうとうにヤバイことかもしれない。バブルがはじけ十数年、それでも東京にはありあまるほどの文化施設ができて、毎日どこかで膨大な数の映画、演劇、コンサート、美術展がひらかれている。これらは、バブルが残した貴重な遺産といえるだろう。文化に関していえば確かにストックはできたし、日本発の文化も醸成された。だが、これから十数年後、われわれはそうしたストックをはたして遺すことができるだろうか。どうしても悲観的にならざるをえない。日本の「都市再生」論を危惧する町村さんにぼくも同意する。いまからでも遅くない。「都市再生」の原義に立ち返って、あらためて都市をどう再生するか、議論すべきだろうと思う。