よく原稿をお願いするライターI女史は、何かと言うと「記憶力がなくなった!」を連発する。とくに短期記憶がダメ。30分前の記憶すら思い出せない。最近もっとひどくなって、字まで思い出せなくなっている。さっきも、「む」の字が思い出せなくて、そうとう焦ったらしい。とにかく心配なんだそうだ。たぶん彼女も荻原浩さんの『明日の記憶』を読んだのだろう。若年性アルツハイマーを宣告された50歳の広告マンの物語。確かに、この本、ミステリー並に怖い本。記憶が消滅していくことは、自らの存在を失っていくに等しいらしい。
彼女は、しきりに「名前が出てこないってない?」かとぼくに聞く。ふふふ、もちろん、
of course、naturally そんなのしょっちゅう。でも、ぼくの場合、今に始まったことではない。子どもの頃から、記憶力にはまったく自信がなかった。18歳をすぎた頃から、その日食べた晩ご飯、「なんだっけ?」なんて言って、母をあきれさせていた。というか、母は本当は心配していたのかもしれない。ぼくは、だから、記憶がなくなっていくことがそんなに怖くもないし、心配もしていないのです。幼年性アルツハイマーだと思っているくらいだから(そんなのないけど)。
DID(解離性同一性障害)は、一種の記憶喪失症でもあるという。身体と記憶は深く関わっている以上、記憶障害は身体の障害でもある。記憶を失うことは、それだけ身体にまつわるしがらみからも自由になること。やがて、短期記憶ばかりでなく、生活記憶も消えていけば、身体そのものからも自由になれるかもしれない。それはそれで楽しいことではないかとぼくは思うんだけどなぁ。近頃の記憶喪失への恐怖は、やはりどこかアンチ・エイジングへの関心と一脈通じるところがあるようだ。ところで、『明日の記憶』のカバー写真の後ろ姿の男性誰だと思いますか。じつは、友人のフォトグラファー伊奈英次君なんですよ。

明日の記憶