ナチズムと優性学の深い関係について、以前研究者のインタビューに基づいてeditor's noteに書いたことがあった。ナチズムは生命というものにただならぬ関心をもち続けていた。しかもそれを称揚してきたという事実。ナチズムを単に全体主義と理解しただけでは見落とされてしまうこと。ナチズムが孕んでいたより根源的な病巣がこの事実から透けて見えるのである。それは何か。自然への共感、自然との共生という思想だ。今日私たちは「自然環境の保全」という問題に関心をもっているが、ナチスもまた生命を中心に置いた「自然環境の保全」に強い意欲を示していた。そしてナチスは、その一環としてバイオ・ダイナミック農法という有機農業を再構築し、実践していたのであった。こうしたナチズムの自然観は、今でいうディープ・エコロジー運動と強い親和性をもつ。人間非中心主義=生物圏平等主義であるディープ・エコロジー運動と、ナチズムはきわめて近接した関係にあるのだ。しかし、なぜナチスは、そうした平等主義を自ら裏切るような大量虐殺という暴挙に突き進んだのか。ここにこそ、ナチズムの最も本質的な問題が潜んでいる。そして、生命=いのちを考える重要な鍵もここにあるといってよい。藤原辰史さんの『ナチス・ドイツの有機農法』(柏書房)を読んで、こんなことを考えた。この本は、自然との共生という言葉の裏に潜む、恐るべき思考の退落を詳細な資料読解から明らかにした。『談』のテーマと大いに関連するので、ぜひ機会があれば著者にお話をうかがいたいと思っている。
ナチス・ドイツの有機農業―「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」