東京写真美術館での「おたく:人格=空間=都市」展へ。18時30分からの対談を期待していったら、もう締め切られていた。すごい人気。森川嘉一郎さんのほかに磯崎新さんが出演するはずだったが斎藤環さんに変更になっていた。それで満員!? 会場エレベータでカメラマンの石井宏明君と会う。彼も「遊塾」出身。何年ぶりだろう。『遊』がぼくの中で盛り上がっていたのでこの偶然に驚いた。彼はいきなり「オタクの人かと思った」だって。どういう意味よ、それ。会場はすごい人だった。オタクの個室、EXPO'70の写真と食玩類、イコンの変遷、レンタルショールーム、コミケ会場の模型、有名同人誌、秋葉原の変遷、「新横浜ありな」……。すっかり楽しんでしまった。コミケ会場の模型は、かなり正確らしい。女性同士のカップルが、出店会場の模型を一つ一つ食い入るように見て、「私の知り合いの同人誌がある!」と喜んでいた。歴代の超有名同人誌の展示は圧巻。あのよしながふみの同人誌も…。編集関係の人間がだいぶ来ている。岩*書店の樋口さんとか。会場で森山嘉一郎さんが会場撮影をしていたので挨拶をする。今回の展示は彼がいたからできたもの。彼自身が本物のオタクだからよかったのだ(もちろんいい意味で言ってるんですよ)。会場には、外国人も随分いたが、彼ら/彼女らはこの展示をいったいどうみたのか。少女、少年愛、フィギィア、機械、万博、建築、インテリア、そして都市。全体を俯瞰してわかったこと。確かにここには「わび」「さび」文化が息づいている。あるいは「見立て」文化。オタクは、日本の伝統文化の正当な嫡子だということを再認識させられた感じ。
コメント一覧 (5)
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- 2005年03月13日 13:29
- neutroさんコメントありがとうございます。
会場内に「萌え」「ぷに」「へたれ」などの用語解説に混じって「侘」「寂」もありました。ベネチアビエンナーレの展示をそのままもってきたからでしょうが、これはじつに的を射ていると思いましたね。外国人に「おたく」なるものを説明する場合、「わび」「さび」の現代的バージョンだといえば、ハハ〜ンと頷いてくれるはずです。アニメやまんがだけを見ていてはそのこころはわからない。今回の展示方法がいいんですよ。「フィギュア」「レンタルショーケース」、「おたくの個室」、「コミックマーケット」ときて「秋葉原」。この空間の拡大は、逆に辿るとみごとに「入れ子」的になっているんです。齋藤環さんが言ってたけれど、この「入れ子」的空間構造、空間認識こそ、「おたく」の精神そのものだと思います。李御寧という作家が、日本文化を「縮み志向」と喝破しました。ずっと昔から、日本人はちっちゃくすることが好きだったんですね。でも、正確に言えば、たんに小さくするんじゃなくて、「入れ子」にするんですよ。どこが違うのか。「入れ子」は、その小っちゃくなった世界に、今度は自らも小っちゃくなってその世界に入り込んでしまうことを言うんです。そして、ここが肝心なんですが、そうやって小っちゃくなった世界を、もとの大きい自分が見ているんです。自分という存在が、すでにここには二つある。東浩紀さんの方がずっと上手に表現するでしょうが、ぼく的にいえば、第三者審級(大澤真幸さん)のポジションにいる自分と、その自分に見られているもひとりの自分がいるんです。そして、自分はどんどん増えていきます。小っちゃくなったり、大っきくなったり。コピーができたり、なかにはバグもあったり。こういう「入れ子」構造が、まさしく日本的だと思うんですよ。いっけん関係なさそうですが、この「入れ子」は、「侘」「寂」と深く通じあっています。「見立て」を媒介として、ね。こう考えると、腐女子(もう言わないか)の方が、ぼくにはずっと「おたく」っぽく見えたりもする。
今日で展示は終了。合わせて出版された図録(?)『OTAKU』(幻冬社)が参考になるんで、ぜひ見て下さい。
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- 2005年03月13日 15:22
- どーも、編集長、ご無沙汰しています。ご活躍のようで。
ちと、トンチンカンをいうかも知れないけど。先日、犬山市にある織田有楽斎の茶室を見てきました。ワビサビ、ですわ。
で、そのとき思ったのですが、茶室というのは宇宙をつめこんだのではないかと。あの狭い空間に、宇宙をつめこんで、つめこんだといってもカラの空間に最低限の自然を絵や花などで配置する、その宇宙に自分を置いてみる。ま、昔のことだから「宇宙」という概念はなかったかも知れないけど、そういう感覚ね。これは編集長の言葉で思ったのですが、宇宙の「入れ子」じゃないか。そこで宇宙にいる自分を見立てる。するとワビサビなのですわ。で、そういう空間のつくりかたは、もう、やはり細部まで凝りに凝ったオタクです。
と、国宝の茶室を見てきたばかりでヒラメイタもので書きました。おじゃましました。ユリイカ、まだ読んでないけど、買ってみます。
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- 2005年03月13日 15:53
- エンテツさん、いつもどうもどうも
まさにおっしゃるとおりです。「おたく」展に設えられた「おたくの個室」を見て、これこそ現代の茶室だ! って思わず叫んじゃいました。面白かったのは、原寸の「おたくの個室」(といってもスチール製2段ベットをハッポウスチロールで囲んだアートですが)に、実際の「おたく」たちの部屋を取材してつくった、写真による「小っちゃいおたくの個室」が並べられてあったこと。ちょっとクラクラッてきましたが、もう完全に入れ子状態。で、確信しました。これこそ、茶室のなにものでもない。そして、おたくたちこそ現代の茶人にほかならないと。茶人って、もう一つ、一風変わった人っていう意味もある。ハハ〜ンでしょう。おたくを無視して現代の日本を語ることはできないということですね。
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- 2005年03月13日 16:46
- いやあ、この話、考えれば考えるほど、おもしろいっす。仕事がすすまないっす。
家元茶のほうは、茶室やワビサビの形式的解釈と伝承だけで、本来の伝統を失い、茶人の「一風変わった人っていう意味」も含めて、オタクこそが日本の伝統であると。はは〜ん、ナットク!
私は、日本に特有だと思っています。オタクと呼ばれるのを嫌う人はマニアと呼べといいます。マニアとオタクの違い。それは、共有することを求めるかどうかだと思います。オタクは同士を見つけると、その世界特有の親近感をびんびん出して迫って来ます。さっきまで一言もしゃべらなかったのに。まるで前から友達だったみたいに。
「いわなくてもわかってくれるよね」という日本人の「暗黙の了解」が根底にあると思うのですが、どうでしょう。