『TASC マンスリー』2021年10月号が発行になりました

『TASC マンスリー』2021年10月号が発行になりましたのでお知らせします。
なお『TASC マンスリー』は、『談』の発行元である公益財団法人たばこ総合研究センターの機関誌(月刊)です。購読等のお問い合わせは、右のメールアドレスまで→info@tasc.or.jp

2021年10月号 no.550.
表紙 嗜好品を嗜む…115
久住昌之 切絵・文
「水菓子という嗜好品」

contents
[随想]植物の不思議に魅せられて…雑賀恵子
[映画と嗜好品 食して、ふかして、飲みほして]男はつらいよ 寅次郎相合い傘…野村正昭
[TASCサロン]優しく冷たい「人それぞれ」の仮面…石田光規

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『TASC マンスリー』2021年9月号が発行になりました

『TASC マンスリー』2021年9月号が発行になりましたのでお知らせします。
なお『TASC マンスリー』は、『談』の発行元である公益財団法人たばこ総合研究センターの機関誌(月刊)です。購読等のお問い合わせは、右のメールアドレスまで→info@tasc.or.jp

2021年9月号 no.549.
表紙 嗜好品を嗜む…114
久住昌之 切絵・文
「サファリという嗜好品」

contents
[随想]贈与は公正ではない…近藤康太郎
[映画と嗜好品 食して、ふかして、飲みほして]クレイマー、クレイマー…野村正昭
[TASCサロン]茶から見た琉球史…武井弘一

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『TASC マンスリー』2021年8月号が発行になりました

『TASC マンスリー』2021年8月号が発行になりましたのでお知らせします。
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2021年8月号 no.548.
表紙 嗜好品を嗜む…113
久住昌之 切絵・文
「夫婦で音楽する楽しさと強み」

contents
[随想]「探究学習」の魅力と課題…本田由紀
[映画と嗜好品 食して、ふかして、飲みほして]ティファニーで朝食を…野村正昭
[TASCサロン]人間はなぜ共食をするのか…原田信男

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『TASC マンスリー』2021年7月号が発行になりました

『TASC マンスリー』2021年7月号が発行になりましたのでお知らせします。
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2021年7月号 no.547.
表紙 嗜好品を嗜む…112
久住昌之 切絵・文
「ドラムのおかず」

contents
[随想]西周のトポス…樺山紘一
[映画と嗜好品 食して、ふかして、飲みほして]見知らぬ乗客…野村正昭
[TASCサロン]よりよく生きるために性格を考えてみる…小塩真司

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『談』no.121 特集◉「複合危機とポスト資本主義」(「ニューノーマル2・0の世界」の第1回)が7月1日(木)に全国書店にて発売になります。

書店発売に先立ち、一足先に『談』ウェブサイトでは、各インタビュー者のアブストラクトとeditor’s noteを公開します。
右メニューバーの最新号no.121の表紙をクリックしてください。

『談』no.121 特集 「複合危機とポスト資本主義」
「ニューノーマル2・0の世界」の第1回

水野和夫(著)、諸富徹(著)、酒井隆史(著)
アルシーヴ社(編集)
■企画趣旨
地球温暖化を中心とした地球環境危機と急激に増大する世界の人口に対応できないエネルギー、水や食糧などの不足というグローバルな資源危機は、同時に起こっているため、合わせて地球環境危機=複合危機と呼ぶべきだろう。現在のところ、その端緒が始まっているだけだ。本格的な被害は、今世紀の中頃から顕著になっていくと予想される。複合危機をいかにして乗り越えるか。そのためには、一刻も早く資本主義を終わらせて資本主義のオルタナティブへソフトランディングさせることだ。ポスト資本主義は、いかにして可能か。

■水野和夫インタビュー
資本主義を閉じるために今できること

資本の論理と人間らしく生活する論理が乖離している現在、資本主義を正しく終わらせる方策を見つけ出すことが急務であり、そのためには、「閉じた経済圏」をつくってヒト・モノ・カネがあまり動かないようにすることだと水野氏は説く。それは、定常社会という新たな社会モデルを構想することである。

水野和夫(みずの・かずお)
1953年愛媛県生まれ。埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。博士(経済学)。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て、内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)、内閣官房内閣審議官(国家戦略室)を歴任。現在、法政大学法学部教授。専門は、現代日本経済論。
著書に『正義の政治経済学』古川元久との共著(朝日新書 2021)、『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』(集英社新書 2017)、『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書 2014)他

■諸富徹インタビュー 
非物質主義的転回が拓く資本主義の未来

資本主義の非物質主義的転回が望ましい変化であるかどうかは、それが成長に寄与するか否かだけではなく、それが持続可能で公正な資本主義への変化を促すか否かで判定すべきだと説くのは諸富氏である。資本主義の非物質主義的転回によって、成長を維持しつつ生き残る道はあるのか。

諸富徹(もろとみ・とおる)
1968年生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。現在、京都大学大学院経済学研究科教授。専門は、財政学、環境経済。
著書に『資本主義の新しい形』(岩波書店 2020)、『グローバルタックス:国境を越える課税権力』(岩波新書 2020)他

■酒井隆史インタビュー
死してなお世界を支配し続ける資本というゾンビ

90年代猛威を振るったネオリベラリズムは、金融クラッシュの煽りを受けていったんは死んだかに見えた。ところが、2010年代を迎えると不死鳥のように蘇る。しかもより強力になって…。
〈資本〉には、「反生産」という破壊的要素があると指摘したのはドゥルーズとガタリだ。ドゥルーズとガタリによれば、「反生産の装置の浸出こそは、資本主義の全システムの特徴である。資本主義の浸出は、その過程のあらゆる次元において生産のなかに反生産が浸出することである。そして、この反生産の浸出のみが資本主義の至高の目標を実現しうるのだ」。資本主義は死なない。なぜならば、資本主義はすでに十分死んでいるからである。反生産の契機が生産を食い尽くすように、資本主義はゾンビのように死を生き続けるのだ。

酒井隆史(さかい・たかし)
1965年熊本生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。現在、大阪府立大学人間社会学部教授。専門は、社会思想、社会学。
著書に『通天閣:新・日本資本主義発達史』(青土社 2011)、『暴力の哲学』(河出文庫 2016)他

◎表紙・裏表紙は上田碌碌の水彩画、また、ギャラリーでは小村稀史の油彩を掲載

『談』no.120 特集◉無償の贈与…人間主義からの脱却 が3月8日(月)に全国書店にて発売になります。


書店販売に先立ち、一足先に『談』ウェブサイトでは、各インタビュー者のアブストラクトとeditor’s noteを公開します。
右のメニューバーの最新号、no120号の表紙をクリックして下さい。

バタイユは言っている。生の最も根本的な条件は太陽によるエネルギーの贈与である。地球上エネルギーが満ち溢れ、それを成長の糧にして生物が生存可能なのは、太陽が休みなくエネルギーを贈与してくれているからだ。しかも、この根源的な贈与は一方的なものである。地球上の生物はただエネルギーを受け取るだけで何も返すことはない。だから、これは決して交換とはならない一方的な贈与だといえる。太陽こそが純粋に非生産的な消費を行う例外的なものなのだ。そして、この贈与は地球の生物の物質的な起源であるだけではない。それはまた、人間の価値観あるいは道徳的判断の起源にもなっているという。古代において、無償の贈与のような純粋な消費の行為は人間の理想だった。それが、救済という利益と結びついたキリスト教道徳や利益と有用性に価値を置くブルジョア道徳によって価値の転倒が行われ、生産の方にわれわれの世界の価値は移ってしまったのだ。しかし、その根底には非生産的消費に対する欲望が眠っている。
人間中心の価値観から脱却して、人間を超えた視野を獲得しつつある21世紀の私たちのなかに、この古代に起源をもつ無償の贈与が復活しようとしている。再びバタイユの言葉を引こう。「太陽エネルギーは、自己を消失=破滅する(se perdre)エネルギーなのである」。太陽エネルギーの産物である「私たち(人間)」が、供儀やポトラッチなどを通して濫費の方に向かうのも、もとを辿れば、この太陽の贈与に帰着する。無償の贈与。それは人間以後の世界の未来を暗示する。

インタビュー1.〈贈与の経済学〉
「私たちの内部には贈与のモラルが隠れている…楕円構造の二つの焦点」
平川克美(実業家、文筆業)

マルセル・モースが発見し記述したのは、貨幣経済以前の部族社会における経済であり、現在の交換経済ではなく、贈与経済だった。交換経済が市場原理というシステムで動いているとすれば、贈与経済の原理は、全体給付のシステムだといえる。ポイントは、全体給付システム、言い換えれば受領と再贈与の義務の経済が先に存在し、そこから交換経済(返済義務の経済)が分岐してきたということだ。つまり、全体給付システムが先にありきなのである。「贈与と全体給付の経済」と「等価交換の経済」は、贈与のモラルと交換のモラルを生み出した。現代という時代ほど金銭の万能性が強まった時代はない。もはや「等価交換のモラル」しかないようにすら見える。だが、もとより「贈与のモラル」が消え去ったわけではない。あたかも日蝕や月蝕のように、二つの焦点が重なってしまい、「贈与のモラル」が「等価交換のモラル」の背後に隠されてしまっているということに過ぎない。ここでいう二つの焦点とは、楕円構造の焦点であり、私たちの内部には、等価交換のモラルとは別の、「贈与のモラル」があるということなのだ。二つの焦点が程よい距離感で調和する社会。それは、全体給付のモラル、すなわち贈与のモラルを再生させることから始まる。社会原理としての贈与のモラルを解き明かす。

インタビュー2.〈贈与の哲学〉
「私たちは決して贈与から逃れることはできない…「与えの現象学」が示すもの」
岩野卓司(明治大学大学院教養デザイン研究科長・教授。専門は思想史)

人類学者マルセル・モースの『贈与論』が、今日再び読み返されているという。なぜ太平洋や北米の未開部族とか古代ローマやゲルマンの慣習についての研究に注目が集まるのだろうか。それは、モースが社会学や人類学の研究は社会的実践と結びつくべきであり、未開部族の研究も現代社会をよくすることに役立つはずだと考えていたからだ。彼らの贈与の風習は、資本主義が発達した社会では失われているが、私たちの無意識に眠る人類全体の古層に他ならない。経済の歴史をその起源に向かっ遡っていくと、贈与の風習に至るというわけだ。20世紀前半のヨーロッパ社会を生きながらモースは、人間は「経済的動物」になってしまったと嘆く。この「動物」が忘れ去っているのが贈与の風習である。
一方、「所与」や「与件」を「与えられたもの」、さらには「贈与」として徹底的に拘泥した哲学者にジャン=リュック・マリオンがいる。マリオンは、「意識に現れるもの」を「意識に与えられるもの」として「贈与」の視点から読み解いていく。さらには、「事実」といわれるものも、「与えられるもの」という形で考えていくと、実証科学と「贈与の哲学」の基本的なスタンスの違いが明瞭になるという。ただ、何よりもマリオンの「贈与の哲学」に注目すべきは、「「存在論」から「贈与論」へのパラダイム・チェンジの可能性を示唆している点だ。「何かが存在している」から「何かが与えられている」へ。「贈与」や「与え」を通して見ると、世界はまったく違う姿を現わすのだ。

インタビュー3.〈贈与の政治学〉
「贈与のモラル…互酬性の原理とアナキズムの可能性」
山田広昭(東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は、言語情報学)

非中心性、自主的連合、そしてつねにダイレクトに否を表明できる直接民主主義、これらはアナキズムの変わることのない基底である。アナキズムが絶対的自由主義と異なるのは、そこに互酬性の原理が不可欠のピースとして組み込まれているからだ。抗争と意にそぐわない協調と積極的な相互扶助とがないまぜに共存しているこの世界こそ、モースがその『贈与論』の結論として提示したモラル、「階級も国民も、そしてまた個人も、互いに対立しながらも殺し合うことなく、互いに自らを与えながらも自己を犠牲にすることがないようにする仕方を学ばなければならない」が、そのすべての価値を示す世界のあり方に他ならない。モースをアナキズムの文脈へと置きなおすことで、アナキズムの可能性を明らかにする。

◎写真家・坂本政十賜の撮り下ろし最新作「武蔵野・愉悦の光」を同時掲載。

『談』no.119号が12月20日(日)に全国書店にて発売になります。

書店販売に先立ち、一足先に『談』ウェブサイトでは、各インタビュー者のアブストラクトとeditor’s noteを公開します。
右のメニューバーの最新号、no119号の表紙をクリックして下さい。

大気化学者パウル・クルッツェンと生物学ユージン・F・ステルマーは、私たちがもはや「完新世」ではなく、人間活動が地球の生態系や気候に重大な影響を与える「人新世」という新たな地質年代を生きていると唱えた。人新世のアイデアは、地球環境への人間の影響力を重視するが、そもそも人間は、地球環境に深く依存していたのではなかったのか。そうした考えは、人間と地球環境の切り分け、すなわち人間と自然の分割がほとんど意味をなさない、曖昧なものではないかという議論へ発展していく。自然と人間という二元論が意味をなくす。人新世では、自然と人間の二元論が消滅するだけではない。自然科学と人文科学という学問の二分法もまた意味をなさなくなってきているのだ。
今日、人文科学は、人間を超えた視野を獲得し、西洋思考に潜在する人間中心主義を脱中心化しつつある。人新世のアイデアは、こうして、地球科学、考古学、自然人類学、歴史学、文化人類学、生物学、さらには文化表象など、人間と自然のかかわりすべてを対象とする学問へと思考の方向を大きく転換させようとしている。新たな自然学の誕生だ。


インタビュー1.〈人新世の哲学〉
「脆さと定まらなさ、自己・他者・ものたちのある場所」
篠原雅武(京都大学総合生存学館〈思修館〉特定准教授。専門は、哲学、環境人文学)

ハンナ・アーレントが『人間の条件』で問うたことは、人間そのものというよりは、人間の条件をめぐるものであった。では、人間の条件とは何か。人間の営みを支え、成り立たせているものであるが、アーレントはこれを、人間の内面性とは独立の世界、つまりは事物性のある世界として考えようとした。その観点から見れば、カンタン・メイヤスーやティモシー・モートンらの思弁的実在論、あるいはオブジェクト指向存在論で展開しようとする新しい実在論を先取りするものと考えることもできるだろう。
アーレントの問題関心である「人間的なものと自然的なものが区別されつつ切り離されないものであること」を人新世という文脈においてどう考えたら良いのか。すなわち、人間と自然という問題系を踏まえ、そのうえでアーレントが思考する「人間の条件」について、篠原先生にお聞きします。


インタビュー2.〈時間スケールと自然環境〉
「人新世と10万年スケールの森の歴史」
林竜馬(滋賀県立琵琶湖博物館研究部主任学芸員。専門は、微古生物学、古生態学、森林環境学)

歴史時代の植生を、長期的な時間スケールにたって、“人新世”的な状態と見るならば、現在の里山の変化はその“人新世”的な森と人との関係が再び変容し、現生的な森の姿へとたくましく遷移している過程とも捉えられる。人新世は、現在そして未来の人と地球について、人間自身の問題として考えていくうえで、きわめて有効な概念枠だといえるだろう。人新世を手がかりにして、人間と森、環境、世界の歴史的かかわりについて林先生に考察していただきます。

インタビュー3.〈物質代謝論の射程〉
「人新世と脱成長コミュニズム」
斎藤幸平(大阪市立大学大学院経済学研究科・経済学部准教授。専門は、経済思想、社会思想)

環境危機での批判理論の役割は、分析を通じて環境危機の歴史的・社会的原因を概念化し、新しい社会のビジョンを提示することに他ならない。マルクス主義も「物質代謝の亀裂」論と人新世の分析を融合し、資本主義の矛盾として、地球温暖化、砂漠化、種の絶滅といった問題に取り組んでいる。ところが、人新世をめぐる一部の議論は、人間と自然の「ハイブリット」や「一元論」を強調することで、環境危機の社会的原因の所在を曖昧にし、近代主義的な技術信奉によって、不都合な真実を隠蔽しているのである。今必要なことは、人新世の議論をより生産的な方向性へ軌道修正することである。それはとりもなおさず、マルクス主義をエコロジカルな観点から読み直すことだ。新世代のマルクス研究者・斎藤先生と考えます。

◎写真家・新井卓の撮り下ろし最新作「渚にて」を同時掲載。

『TASCマンスリー』2020年9月号が発行になりました

『TASCマンスリー』2020年9月号が発行になりましたのでお知らせします。
なお『TASCマンスリー』は、『談』の発行元である公益財団法人たばこ総合研究センターの機関誌(月刊)です。購読等のお問い合わせは右のメールアドレスまで→info@tasc.or.jp

2020年9月号 no.537
表紙 嗜好品を嗜む…102
久住昌之 切絵・文
『ライブの意味』

Contents
[随想]カラッポの美学―手放すこと・その前・その後……古谷嘉章
[映画と嗜好品 食して、ふかして、飲みほして]聖なる酔っぱらいの伝説……野村正昭
[TASCサロン]AIによる紛争解決支援……平田勇人

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『談』no.118号が8月28日(金)に全国書店にて発売になります。

書店販売に先立ち、一足先に『談』ウェブサイトでは、各インタビュー者のアブストラクトとeditor’s noteを公開します。
右のメニューバーの最新号、no118号の表紙をクリックしてください。

人間以後の「人間の条件」を考える
人間以後の〈人間〉、もしくはポストヒューマニティ  。「超人類」という言葉と共に登場したこの言葉を昨今よく耳にするようになりました。一見センセーショナルにも聞こえますが、その含意は、いたって真っ当です。高度の情報技術によって人間が有限性を超越する可能性を多幸症的に思い描くことでもなければ、逆に、生命科学による介入が人間性を脅かすといたずらに警告することでもありません。『ポストヒューマン  新しい人文学に向けて』(フィルムアート社)の著者R・ブライドッティによれば、「ポストヒューマニティ」は人間という存在をこれまで規定してきた諸前提、すなわち西洋、白人、男性中心主義的な人間観を厳しく批判するための概念であり、いささかも気を衒った言辞ではないと言っています。現代のグローバルな地政学的状況のもとでは、そうしたこれまでの人間理解を破棄し、新たな視点から描き直す必要がある。まさにそのための概念が「人間以後の〈人間〉」であり「ポストヒューマニティ」だというのです。
『談』は、これから3回にわたって「人間以後の〈人間〉」もしくは「ポストヒューマニティ」について特集します。今号はその第1回「成熟の年齢」です。

〈未成熟な大人〉
「ある日気がついたら前より少し大人になっていた」という他ないような経験が成熟であり、その意味で成熟は、回顧的・事後的発見というプロセスをたどるものです。成熟には、ある種の困難さがつきまとう。けれども、まさにそれこそが成熟というものの本質であり、それゆえにあえて困難な成熟の道を選ぶ必要があるというのです。あえて困難な成熟の道を選ぶこと。それはいかにして可能か。『困難な成熟』の著者内田樹氏が論じます。

〈ライフ・ヒストリー・ストラテジーから成熟を捉える〉
ヒトは他の動物に比べて離乳は早いけれど、大人としてのからだができあがるのは著しく遅いうえに、社会的な技術を習得するのにも長い時間がかかる生きものなのです 。一筋縄では理解できない生きものであるヒトにとって、成熟とはどういう意味をもつのでしょうか。自然人類学、行動生物学の研究者、総合研究大学院大学学長・長谷川眞理子氏が考察します。

〈複数種的視点からみた成熟〉
マルチスピーシーズ民族誌/人類学は、人間と特定の他種との3+n者の「絡まり合い」とともに、複数種が「ともに生きる」ことを強調します。人間中心主義的視点から脱して、マルチスピーシーズ民族誌/人類学の視点に立つと、人間を含めた生きものの成長および成熟は、どのように捉えられるのでしょうか。立教大学異文化コミュニケーション学部異文化コミュニケーション学科教授でマルチスピーシーズ民族誌/人類学を研究する奥野克巳氏が検討します。
写真家・新井卓の撮り下ろし最新作「路上で」を同時掲載。

『TASCマンスリー』2020年8月号が発行になりました

『TASCマンスリー』2020年8月号が発行になりましたのでお知らせします。
なお『TASCマンスリー』は、『談』の発行元である公益財団法人たばこ総合研究センターの機関誌(月刊)です。購読等のお問い合わせは右のメールアドレスまで→info@tasc.or.jp

2020年8月号 no.536
表紙 嗜好品を嗜む…101
久住昌之 切絵・文
『髪の毛を嗜好品にする』

Contents
[随想]会社員が消える働き方の未来図……古谷嘉章
[映画と嗜好品 食して、ふかして、飲みほして]ムッソリーニとお茶を……野村正昭
[TASCサロン]日本演劇におけるトランスジェンダー……吉田弥生

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