直販をお願いしている青山ブックセンターが全店閉店というニュース。これは一大事です。青山店や新宿ルミネ店では、人文書のコーナーに常に平積みしてもらっていました。71号がもうすぐ発売されるという矢先、さてどうしよう。
「en」9月号の「〈信ずる〉ってなに?」の原稿執筆をお願いするため。ゲーデル問題から始まって……、おっと、これは内緒ですね。面白そうなので、アップしたらご案内します。小島さんは、10日の日に、MHET(メディアと経済思想史研究会)で「経済行動と自己責任」というテーマで報告をされたのですが、その時の司会が稲葉振一郎さんだったとのこと。じつは、稲葉振一郎さんにも小島さんの次に原稿をお願いしていまして。なんとも奇遇ですね。ところで、小島寛之氏の最新刊『確率論的発想 数学を日常に活かす』(NHKブックス)は、『談』no.67のインタビューがきっかけで生まれたものです。
確率的発想法~数学を日常に活かす
確率的発想法~数学を日常に活かす
小泉義之さんの文章には、いつも度肝をぬかれますが、『レヴィナス 何のために生きるのか』(河出書房新社)で、こんな言葉に出会いました。「…〈食べ物を〉〈食べ物はないか〉という語は、〈お前が食べ物だ〉と聴き取られ、〈私が食べ物である〉と引き受けられる。この出来事こそが、言葉の受肉である。自分のために生き、身体的な主体として生きることは、驚くべきことに、同時に、他者のための食べ物になりうる肉体を養い維持することでもあるのだ。私は、自分のために生きながら、他者のために生き始めてしまっているのだ。この出来事こそが、言葉の受肉である」。『談』no.53「食の哲学」で考察した食べることの底の抜け方を、小泉さんはこんな風に表現するのです。これは食べることが、日常の食べることが、徹頭徹尾、匿名的な行為でしかないことを示唆しているといえませんか。エンテツさんのスローガン「快食は快便なり」を、編集子は「…→快食→快便→快食→快便→…」という無限循環と理解していましたが、これって身体の匿名性のことだったんですね。匿名性の考察が、突如エンテツ流食の哲理と重なりあってしまったのです。
レヴィナス?何のために生きるのか
レヴィナス?何のために生きるのか
匿名性について金融・財務のコンサルタント・木村剛さんのBlogで議論が展開していたことを知りました。5月8日土曜日からの新企画「BLOG of the Week」上でのこと。
「さて、栄えある第1回「BLOG
of the Week」において私が選んだのは、「技術系サラリーマンの交差点」さんによる「ネットでの匿名と実名」というタイトルの考察です。これは3月16日に私が「blogの未来は参加者が創る」という「ゴーログ」を掲示したところ、それに対してトラックバックしていただいたものです。
じつは、「技術系サラリーマンの交差点」さんは、この件に関して、「私がネットで実名を名乗る理由1」「私がネットで実名を名乗る理由2」「私がネットで実名を名乗る理由3」というエッセーを既に書いていらっしゃいまして、その集大成が「BLOG of the Week」にえらばれた「ネットでの匿名と実名」というブログなのです」
さまざま人がトラックバックしていますが、全体としては常識的な意見が多いようです。
「さて、栄えある第1回「BLOG
of the Week」において私が選んだのは、「技術系サラリーマンの交差点」さんによる「ネットでの匿名と実名」というタイトルの考察です。これは3月16日に私が「blogの未来は参加者が創る」という「ゴーログ」を掲示したところ、それに対してトラックバックしていただいたものです。
じつは、「技術系サラリーマンの交差点」さんは、この件に関して、「私がネットで実名を名乗る理由1」「私がネットで実名を名乗る理由2」「私がネットで実名を名乗る理由3」というエッセーを既に書いていらっしゃいまして、その集大成が「BLOG of the Week」にえらばれた「ネットでの匿名と実名」というブログなのです」
さまざま人がトラックバックしていますが、全体としては常識的な意見が多いようです。
さて、どちらをとるべきか。編集の仕事の一つに、対話を原稿に起す作業があります。ちゃんと本数を数えたことはありませんが、1月に1本まとめたとしても、すでに200本以上はやった計算になります。ちりも積もればなんとやら。我ながらよくやったものです。で、いつも悩むのが、これ。「役に立つお話にするか、読んで楽しいお話にするか」。『談』は雑誌の性格上、優先順位で言えば「役に立つお話にする」ことが一番。話題性や驚きや話手の個性を犠牲にしても、情報の鮮度、濃度、確度を生かすように心がけてきました。しかし、時にはそうした約束事をあえて破ってでも面白いお話にしたくなることがあります。続きを読む
科学的な根拠とは何を指しているのでしょうか。たとえば、血糖値が高い、体脂肪率が高い、BMIが高い。そうした数値によって、人々は健康かそうでないかに振り分けられ、揚げ句の果てに病気のらく印を押されてしまいます。この場合の数値が、科学的な根拠だとされています。しかし、そうでしょうか。それはただの数値でしかないのです。もっと言えば、何かを意味する記号ですらない、ただ差異があるというだけを記しているにすぎないのです。そんなことをあらためて考えさせられたのは、小泉義之さんの『ドゥルーズの哲学』(講談社現代新書)を読んだからです。
ドゥルーズの哲学―生命・自然・未来のために続きを読む
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「はてな」は「2ちゃんねる」と「関心空間」の中間ぐらいに位置しているという意見があります。→「2ちゃんねる」は歌舞伎町、「関心空間」は白金台。なるほど、これは言いえて妙かも。ところで、「はてな」的なBlogコミュニティが今増殖中。主婦層を中心に女性ユーザーが急速に増加、そのすそ野は拡大しています。→フルルkansai
melma!blog blogに限りなく近いこんな日記サイトも→ 。
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