その他

過去への旅路

更新するのを2ヶ月ちかくサボっていました。忙し過ぎてというわけではなく、更新しようと思う時にかぎって、面白いTVや楽しいライブがあるから。ブログよりもそっちの方へ行ってしまったわけです。誘惑にめっぽう弱い僕。で、本日より過去へと溯りながら、逆更新していくことにします。

誌上キャスティングの巻

TASCで企画会議。『TASC monthly』掲載用の公開対談と講演会、その他フォーラム、サロン、随想のそれぞれの執筆者を10人ほど提案。誌上キャスティングの巻。

やはり最後は運なのか。

某大手企業BNHで、今月からスタートするプロジェクトの打ち合わせ。このプロジェクトのテーマは、僕のライフワークと勝手に思っていることなので、ことのほか力が入る。数年かけて大きなムーブメントをつくり出せるところまでもっていきたいと、これもまた勝手に思っている。まだ水面下で準備中。オフィシャルになったらあらためて紹介したい。夜はエンタメの授業。本日は某大手広告代理店勤務のTKさん。日本で始めてエンタテインメントの証券化を成功させた人だ。講演というのは体験がらみの話の方が面白いと相場は決まっているが、今日の話はまさにそれを裏付けることになった。苦労もあれば、喜びもある。失敗もあれば、成功もある。こういうと勝手なことを言うなと言わせそうだが、その振幅が大きければ大きいほど、話は面白くなるもの。事実、TKさんの話はことの他面白かった。ほんとはこんなまとめはよくないのだけれど、何ごとも努力と実力だけではダメで、成功するためには、あとなん%かの運のよさが必要になる。運をよぶこと、つきを招き寄せること。それができる人間が結局は成功するのだ。

げに恐ろしきはファンという人種。

R大の授業。東方神起のファンである叔母様たちは、タッチをするという目的のために、同じCDを80枚も買ってしまうというおそろしい話しを聞く。1枚につき1回できるからだが、そんなファンが五万といるので、じつは物理的にムリというおちがつく。

モーター・ジャーナリストたちのエクリチュールってどうして…

とある場所で、『engine』の外車特集を舐めるように読んでしまう。モーター・ジャーナリストたちは、みな、特徴的なエクリチュールをもっている。極端にスペックに凝ったりほとんどジャーゴンのような技術周りのネタをばんばん出しつつ、なぜか文体はきわめてカルい。そもそもクルマ雑誌というのが独特だ。タイトルや中見出しは単純にキャッチー。広告がしっかり入っているからゴーカで、みるからに金がかかっているぞという顔をしている。部数はどのくらい出ているのか。そんなにエンスーっているのか。まったく不思議ばっかりの媒体だ。 ずっと昔、編集長の鈴木正文さんにある座談会に出てもらったことがある。おしゃれで、ダンディ、でも、ちょっぴりひねたオヤジだった。全共闘時代には、ミニにのって闘争に行ってたというから笑える。たぶん、中世の騎士道を気取っていたんだろうな。いや、もしかするとドン・キホーテ?

香山リカさんの『文章読本』誕生

香山リカさんから今月2冊ご著書を贈呈していただきました。一冊は『雅子さまと「新型うつ病」』(朝日新書)。
体調を崩して長期療養に入って既に4年が過ぎた皇太子妃雅子さま。香山さんは、雅子さまの「胸のうちは、精神科医としてだけではなく、ひとりの”働く女性”としても痛いほどわかる」と言い、これほど容易に想像でできてしまうのは、「〈きっと雅子さまってこんなことを考えているのね〉と私たちにも共感できるような人だからこそ、彼女は皇室という特殊な空間にうまく自分を合せることができなくなってしまったのではないか。そしていま、同じように仕事や家族と自分自身との折り合いがつかず、悩みつまずく人が、男女かかわらず激増しているのだ……」。そこで、雅子さまについて、また雅子さまの問題をてがかりにして、「新型うつ病」という新しいうつの問題について考えてみようというのです。もっとも、雅子さんが新型うつ病かどうかはさだかではないようです。しかし、雅子さまの問題を通して、この新しいこころの病いについて考えることで、見えてくることは少なくないというのです。
もう一冊は、『文章は写経のように書くのがいい』(ミシマ社)。月刊でも凄いと思っていたのに、近ごろは「週刊香山リカ」というくらいのハイスピードで「サクサク」本を出す香山さんの、まさに「サクサク」書くための文章読本。さて、その極意はというと、「考えすぎず、表現に凝ったりせず、自分で決めた分量を目指して、とにかく前へ前へ」と書いていくこと。あまりこだわらず、サラサラと自分の気持ちの表面をなぞるように書けば、自ずと自分らしい言葉が生まれる。あの谷崎せんせいも「実用的なもの」ほど最もすぐれた文章と喝破したではないか、と香山せんせいも説くのです。帯にある「「目からウロコ」の「書き方」入門、誕生! 」、当たってました。
雅子さまと「新型うつ」 (朝日新書)
雅子さまと「新型うつ」 (朝日新書)
クチコミを見る


文章は写経のように書くのがいい
文章は写経のように書くのがいい
クチコミを見る

おりこうさんの原稿とそうでない原稿は何が違うのか

山崎正和先生と五百旗頭真先生の対談原稿を仕上げる。ポイントは一応押さえられたと思う。対談原稿の場合は、対話のリズムを大切にしている。すると、内容的には、若干軽くなる。リズムをとるか重さをとるか、そのバランスが大事。でも、対話の名手というのは、そんなこと考えずに書いても、ちゃんと小気味よく流れ、伝えたいことはちゃんと伝えられる。今回のお二方の対談もまったくそうだった。おりこうさんの原稿になってしまった。もちろん、それはいいことですが。

不況の波がいよいよここまできたかという事態発生。

『談』の印刷をお願いしている恒陽社さんが東京地裁へ再生法の適用を申請し、昨日保全命令を受けた。負債総額は79億円。日経に出ていた記事によれば、売上は、一番良かった時に140億あったそうだが、その半分にまで落ち込んだらしい。運用に失敗したとかではなく、事業を広げすぎたというわけでもないらしい。いよいよここまできたかという印象。『談』についてだが、とりあえず今月発行は大丈夫。ただ、弊社では『談』の他にも幾つかやっていただいているし、『談』の次々号を来月発行する予定でいる。なんとか、これまでと同じ環境でがんばってほしいと切に願うだけだ。

英と決別する米、田中宇さんはとっくに指摘していたことだ。

「サンデープロジェクト」に08年ノーベル経済学賞受賞したポール・クルーグマン教授が出演。この人、本のタイトルこそ過激だが、意外にものいいは常識的。田原さんの質問にも、当たりえの答えしか返ってこなくて、ちょっと拍子抜け。また、もう一人のゲスト、佐藤優さんは、「オバマの演説で印象に残ったのは、ついにイギリスと訣別することを表明したことだ」と言い放って、田原さんや他の出演者を驚かした。が、このことは田中宇さんが昨年からずっといい続けていたことなので、僕にはちっとも新鮮には聞こえなかった。というより、田中宇さんのキャッチ能力に改めて脱帽。

原稿をどの段階で書き始めるか。

原稿の執筆に入る前に、もう一度いくつかの一般向けのテキストと二つの論文に目を通す。ところが、もう一つの方は、まだ読んでいなくて、いざ読み始めると、ざっくりある。しかも、繰り返しが多いわりに、飛ばして読めない仕立てになっている。昼食と夕食を挟んで、やっと読み終えたが、はたして原稿に役立てることができるのか。疑問。時間をムダにしてしまったわけではないだろうと、自分を励ます。←これを読んでなんのこっちゃ、と思われる人も多いかと思いますが、原稿をどの段階で書き始めるかというのは、じつは最大の問題といってもいいことだといいたいわけです。論文でもインタビュー原稿でも同じだ思いますが、とくに資料ものの場合、ほとんど毎回この問題に直面します。

アセっているはずが、どこかで気を抜こうとしている。

昨夜つくった『city&life』の企画書を読み直しブラッシュアップ。かなりくどい。「つかえねぇ〜」やつがつくったバットな企画書ナンバーワンにえらばれますね、これだと。でも、企画書に常識はないのです。これでいくことにする。次に、テープおこしの続きを読み始める。と、ようやく待ちに待ったKさんのチェックが戻ってくる。なんと、完膚無きまでに変形。別物になっているではないか。やれやれ、他の二人にもう一度見せて、再チェックか。『談』の進行がまたまた遅れる。身から出た錆とはいえ、いくらなんでもこれはまずい。はやる気持ちだけが空回りする。ところが、去年の日記を読んだら、年内にアポとってインタビューまで終わっていたと思っていた『談』のインタビューが、年明けだとわかって、それでまた落ち着いてしまった。どうも、僕の場合、このパターンが多すぎるようだ。

『談』no.82の書評が出ました!

毎日新聞の書評欄に『談』no.82の書評が出ました。magazineの欄で紹介されたといことと、TASC/アルシーヴ社両方の名前が出ていたことがうれしい。
三浦雅士さんから朱の入った校正原稿を受け取る。最近はもっぱらWORD書類でのやりとりばかりなので、ちょっと新鮮な気持ちになりました。

ポスト消費社会は、ほんとうはヤバい時代の到来

久米さんの「新日本人」を見る。お金を使わずせっせと貯金する20代の特集。クルマ買わない、酒飲まない、海外旅行しない、でもおカネはためるというのが今時の20代。小・中・高の時に、株価はうなぎ登りに上昇していったバブル世代、反対に小・中・高の時に、株価が下落し続けた新日本人。好況と不況という正反対の社会で育った若者は、消費行動においても全く異なる。消費は美徳とはやし立てられ躍らされたのがいいはずはない。が、消費そのものに意欲がないとなると経済そのものが収縮してしまう。人口縮小と消費の減衰、じつはそうとうヤバイ時代の始まりなのかもしれない。

感染(うつる)んですよ、文体って。

昨日ようやく原稿を書き上げた。斎藤さんに読んでもらう。しばらくして用語統一と合わせてチェックしてくれたのを返してくれた。開口一番「インタビューの前までの文章、○○チックになってるよ」。ぷっふぁ、本当そうなんですよ、すっかり感染ってしまった。○○さんのあの独特の節回しが、かえって内容をわかりにくくしているのであれば、彼の言いたいことを、だれにでも理解できるように書きなおそうではないか。そう宣言して始めたはずなのに…。○○チックだってさ。感染力が強いってすごいですね。ってか感染やすいってことか。

いつまでつづくぬかるみぞ。

あ〜、今度は本文の原稿書き。昨夜からずっとやっているが、まだまだ続きそう。いつまでつづくぬかるみぞ。

今時、400字詰めでっていっても通じませんから

昨日からずっと写真にキャプションをつけている。文章を補足するような、あるいは、ちょっとしたコラムのような長めのキャプション。それを100ぐらいつけている。平均100字あるとすれば、それでもう400字原稿用紙で25枚。切り口がちがうので、1本25枚の原稿をかくより、はるかに難儀で手間のかかる仕事だ。ところで、今時、400字詰めで…、なんてお願いすると、??? という顔されますけど。

雑誌にとって台割りは、じつは1番大事かもしれない。

雑誌にとって台割りは、じつは肝なのだ。ページ数が決まっていて、色数も決まっている。『談』もそうだけど、もう一冊の『city&life』もまるこど一冊特集形式。文章とヴィジュアルのバランスや配置。文章といっても、インタビュー、対談、ルポ、書名原稿、コラムにキャブション、それと編集原稿というのもある。ヴィジュアルといっても、写真にイラスト、地図やグラフ、これらを一つのページにどう布置するか。また、それをどう連続させるか。いわゆる「見せ方」。あ〜でもない、こ〜でもない、しながら、ぺージどりをしていくわけである。そんなわけで、今日はこの台割りを考えていたら1日終わってしまったのであった。

多重化人格なんて誰でもなれます

ある時は原稿の督促、ある時は遅筆の謝罪。同じクライアントの二つの媒体、一方はタカビーの編集者、他方は腰の低いライター。完全に分裂している毎日です。いくらでも待ってあげるからね、と言える編集者、デルハヤで次々と書き上げるライター、に僕はなりたい。

『談』に載った研究者の本が次々にリリースされるのはなぜ?

事務所につくとどっさり郵便物。某版元から献本。あれれ、またしてもぼくの見つけた研究者の著作。この版元の編集者は、ほんとうに次々にぼくの企画を単行本化している。ちょっと多すぎでないの、と思ったけれど、そうやって世に出してくれるのはとりあえずいいこと。ぼくは応援しますからってなんか意固地……。

のど元過ぎればなんとかで……。

農水省の仕事が完成。直接の発注者に印刷所の担当者と納品に行く。担当者の石川さんは、じつは、『談』と『city&life』の印刷担当でもある。いつも、とても丁寧な仕事をしてくれるのだが、今回もウルトラC(死語?!)級の仕事をしてくれて、感謝感謝である。そのかいあって、発注者には大変喜んでもらった。この仕事、いいたいことは山ほどあるけれど、とにかく完成してしまえばOK。のど元過ぎればである。

「SELF AND OTHERS」の映画作家が自殺

映画作家の佐藤真さんが自殺。朝、新聞を開いてこの衝撃的な事実を知りました。「阿賀に生きる」でショックを受けて以来、ドキュメンタリーの分野で常に気になる人の一人でした。
3年前、三鷹市美術ギャラリーで牛腸茂雄さんの展覧会を見た時、そこで上映された映画「SELF AND OTHERS」にくぎづけになりました。というのも、スクリーンに映し出される映像、そのシークエンス、リズム、構成の一つひとつが、なんだか自分が撮影しているような、そんな気分になったからでした。もちろん、ぼくに映画は撮れませんし、撮ったこともありません。けれど、ぼくならやはりこんな風に、牛腸さんと牛腸さんの作品を表現するだろうなあ、とおこがましくも、その時思ってしまったのです。
じつは、ぼくと同姓同名。なんだか不思議な縁を感じました。『談』の表紙に牛腸茂雄さんの作品を使わせてもらったのもそんな背景があったのです。また、昨年「エドワード・サイード OUT OF PLACE」という長編映画を撮られて、がぜん興味が湧き、『談』でもインタビューをしたいと思っていたのです。しかし、それも叶わぬものになりました。ご冥福をお祈りいたします。

10年前「日本のモンマルトル」といわれた大学

クルマでarata coolhandのご自宅へ。イラストの仕上がりを確認するため。彼から、『VIEWS』の96年2月号の「和光学園」の記事を見せてもらった。「小沢健二、小山田圭吾、田島貴男を生んだ〈和光学園〉=インディーズ文化の不思議なパワー」という今なら絶対につけないようなタイトル。しかも、この特集そもそも「Views教育シリーズ」という企画の一つで、「今月は"日本のモンマルトル"を綿密取材」という文字が踊っている。内容はというと、超無名にもかかわらず、パーフリの二人とオリラブのほかにも、渋谷系、インディーズ系、サブカルなどでカリスマと称されるミュージシャンや漫画家、コピーライターなどを多数輩出しているのはなぜ? というもの。arata君がなんでこの雑誌をもっていたかというと、彼も和光出身で、タジブーとはいっしょにバンドをやっていたからだった。そして今彼は、そんなことも縁で、和光大学の広告をつくっているのである。これでまた和光ファミリーが増えてしまった。ちなみに、ぼくは美術史家の松枝到るさんと同期生。妹はタレントの高見恭子さん、妻は女優の佳村萌さん、義理の兄貴はジャックスの早川義夫さんと同期だったんじゃないかな。

結果的には異業種交流セミナーのようでした。

ある集まりがありまして、以下の方々と名刺交換、あるいはご挨拶をさせていただきました。ホスピタリティをご研究されている株式会社商業界代表取締役社長結城義晴さん、メディカルビジネスがご専門の財団法人日本総合研究所研究主幹野崎俊一さん、リーターシップ論のEQパートナーズ株式会社代表取締役社長阿部哲也さん、企業倫理、コンプライアンスのスペシャリスト、ジェイアイ傷害火災保険株式会社企画総務部長渡辺正治さん等々。普段ほとんどお付き合いすることのない分野の先生方。さて、どんな集まりだったと思いますか。とても刺激になったことだけは確かです。

「お帰りなさいませ、ご主人様」の生みの親は可憐なお譲さん社長でした。

「お帰りなさいませ、ご主人様」のフレーズで、またたくまに秋葉原の人気メイドカフェになった「@ほ〜むカフェ」。その創始者で、「萌え〜」カルチャーを牽引してきた河原美花さん。エンタメ論のゲストスピーカー三人目は、川原さんをお迎えして、供給者側から見た「萌え消費」の実態、「萌えビジネス」の面白さをお話しいただきました。河原さんは元JTの社員。OL時代は、クルマでたばこ屋さんを回る営業も経験したそうです。また、チアリーディングをする人でもあり、その方面では知る人ぞしる有名人でもあります。「楽しいは人を幸せにする」をコンセプトに、アイデアを次々に実現化し、テレビをはじめとしたさまざまなメディアから注目を集めるも、今年新たに飲食店の経営に乗り出し、食を中心とした新しいビジネスに挑戦中。河原さん、じつは「@ほ〜むカフェ」をやる前は、萌えもオタクもまるで知らなかったといいます。逆にそれがよかった。アキバ系にどつぷりつかっていなかったからこそ、女の子が喜ぶお店という発想が浮かんだからです。メイドカフェにショー的な要素を持ち込み、関連グッズを販売し、メイドさん自らが歌って踊れるユニット「完全メイド宣言」をつくっては、CDデビューまでさせてしまったのですから。とにかく、何もないところに種を蒔き大木に育て上げる名人です。そして、今年5月イタリアンレストランを祐天寺にオープン。オタクのアキバからマダムの祐天寺へ、急転直下の転身は、周囲も驚いたとか。何が彼女をそうさせたのでしょうか。そこには、彼女のある秘密があったのです。川原さんの体験的ビジネス論。それはそれは面白くもためになる話でした。どんな話かって? それはここでは言えません。だって高い授業料を自腹で払ってきている学生さんに申し訳ないですから。いずれ何か別の機会に紹介しましょう。ブログで、インタビュー、なんていう企画もあるかもよ。

若い時の体験が、結局今の自分をつくっている

BERGへ。中学のポン友である小沢君、桑山君と数年ぶりに会う。小沢君は新宿のTAKASHIMAYAのリニューアルが一段落してやっと時間がとれたとやってきた。彼は、インタリアデザイナーであり、また池尻大橋のタイ式マッサージの店NAAMのオーナー(奥さんと共同経営)でもある。桑山君は、映画のプロデューサー。昨年から撮影に入っている後藤俊夫監督作品『BEAUTY』で再びロケ地長野へ行くという。じつは、彼には、僕の授業で一度しゃべってもらおうと思っていて、連絡をしたのだった。しょんべん横丁の大黒屋へ移動。いつものことながら、話は昔話に。高校一年の夏のことだ。中学を卒業して高校が変わってもよく会っていたぼくたちは、もうひとり大塚君を加えて、大阪の親戚のうちに二泊三日の小旅行をした。時は70年、そう万博見学に行ったのだ。アメリカ館の月の石は見ずに、三菱未来館の四谷シモン作のマグリット人形とそのまったりとした空間に驚いたり、ニュージーランド館や地方自治体館といったハズしたところばかりを見て回ったぼくたち。その後の人生がすでに暗示されているような選択。ぼくたちは、はじめてホルモン焼きをごぢそうになり、銭湯の電気風呂にびっくりしたり。いやはや愉しい旅でした。大阪のあのディープな雰囲気がやみつきになり、奇妙きてれつなイベントをみると血が騒ぐのも、たぶんあの万博見学のおかげだと思う。 若い時の体験が、結局今の自分をつくっているのだなと実感した一夜でした。

ブレを見越したうえで論旨を適確に伝えられるのがプロだ。

話を聞いている限り論理的で論旨も明快なのだが、いざ文字にするとかなりはちゃめちゃということがある。とはいえ、これはこの人だけではない。かくいうぼくも、自分のテープ起こしを聞くと、けっこうむちゃくちゃにしゃべっているのである。しかも、ぼくの場合、熟語や固有名詞に自信がない時だと語尾をごまかすので、いよいよ聞き取れないらしい。
座談会、インタビューの原稿をまとめる時、いつも感じるのは話し言葉と書き言葉の落差。論脈はとりあえず無視して、話している時のリスムや感情をできる限り活かすか、逆に論旨が適確に伝えられることをいの一番に考えるか、迷うところであるが、本来はやはり100%後者をとるべきなのだろう。論旨をきちっと伝えたうえで、前者の見られるようなブレ、ゆがみ、脱線をもうまく取り込めたら、きっといい原稿になるのだろうし、それが可能な人間が、本当の意味でのライターなのかもしれない。ぼくなど、まだまだひよっこというべきか。ぼくは、いったいいつプロになれるのだろうか。

突如、大先生の玉稿がやってきた

ある著名な先生から突然原稿が送られてきました。どこかで出版できないかというご相談。心当たりがないわけではありませんが、その前に原稿に目を通す必要があります。読まずに、紹介するなんてできませんから。この先生とは一度ご一緒に本をつくらせていただきましたし、ある雑誌で連載もやっていただきました。無体なことは言えません。しかし、しかし…、読むのとってけっこう大変ですよ。ましてや、大先生の玉稿。誰か代わりに読んでくれません?

文字量がどんどん増えていく。

ずっと原稿書きをやっている。『談』のインタビュー原稿は通常30枚前後。ところが、最近、少しづづ長くなっている。今号は、平均して50枚を越えてしまいそうないきおい。「いきおいって」ってあんたねぇ。長けりゃいいってもんじゃないんだよ、とおしかりの声が聞こえてきそうだが、編集者自らそれをやってるだから話にならない。でも、落とすには惜しい話がおおすぎる。しかたなくて、いやだからこそ、文字数が増えていくわけなのだよ。これは、うちの仕事全体にいえることだけど。『 city&life』の最近の文字の多いこと!! 『ひたち』もよ。

『ユリイカ』別冊「稲垣足穂』特集に出てくるKさんのこと

渋谷の紀伊国屋書店で『ユリイカ』別冊、『稲垣足穂』特集を購入。青土社の郡さん渾身の編集。これまでにない特集になっていて面白い。で、びっくりしたことがひとつ。足穂の資料の収集家として登場するKさんがパテェ映写機を畳に並べている写真が載っていた。それで思い出した。僕が学生時代につくっていた『三番館』というミニコミで足穂特集をやった時のこと。生前足穂のうちに遊びにいった谷利男君に寄稿してもらった。その原稿に、足穂の桃山のご自宅でこのKさんと会った話が載っているのである。谷君と何度か会った時にも、パテェ映写機をかかえてやってきたKさんのことを、楽しそうに話してくれた。あ〜、あのKさん、こんなかたちで再会することになるとは。ところで、谷君その後ぜんぜん会っていないけれど、今もどこかで、やはり足穂しているのじゃないかしら。ちょっぴりなつかしい。なんといったって彼は、いろんな意味で足穂してましたから。いや、松岡正剛さんにいわせれば、それは足穂じゃなくて三島だろ、か。
この足穂特集、ブックデザイン(書容設計と明記されている)は羽良多平吉さん。これがまたものすごくいいのだ。円錐形のオブジェをアイコンに使ったのは、足穂ファンにはすぐに頷けるところだが、にくいのは、ところどころにつく写真の captionがちょっぴり傾いているところ。おもわずうなってしまった。これ、完全にチョコレットの世界ですよ。表紙にタイトルが載って目次裏から始まってしまう小品「タッチとダッシュ」の展開なんて、もう カッコよすぎ!!

今さらながら、他人を評価するなんて難しいぞ。

成績をつけるのは難しい。ぼくの担当した某大学では、成績評価調査制度を実施している。成績評価に対する学生からの問い合わせに応えるもので、つけた成績に対して、ちゃんとその理由を説明できなければいけないのである。要するに、説明義務の責任があるのだ。当然といえば当然である。しかし、他人を評価し成績をつけるということは、いうほど簡単なことではない。ましてや、学校の成績である。その人の将来にも影響を与えかねない。責任重大だ。考えてもいただきたい。自分の部下でも、また逆に上司でもいい。評価のための指標があり、それに則って客観的につければいいといわれたとしても、ハイそうですか、あなたは○、あなたは×、なんて簡単に決められるものではない。とくに、日頃顔をつき合わしている者であれば、なおさらだ。付き合いが深くなれば困難さの度合いはさらに大きくなる。あ〜難儀やなぁと思いつつも今日中に提出しなければならないので、とにかくやるしかないのだが。しかし、評価される方は、もっといやだろう。「あんなにまじめに出席していたのになにこれっ!?」なんていわないでね。レポートを一番重視するって最初にいっておきましたから。

コンテンツの重要さは当の編集にも求められている

某大学院の前期最終講義。本来は先週で終了の予定だったが休講したため、補講期間中の1日を最終日にした。前回に続いて地域活性化策としてのコンテンツづくりということで、『C&L』のネタを交えて話す。約3カ月間の集中講義。エンターテイメントとは何かから始めて、「消費社会」、「あそび」、「表象文化」、「データベース消費」、「テーマパーク」、「コンテンツ・ビジネス」、「映像・音楽・プリント・メディア」、「萌え」市場、そして、地域産業論へ。かなり大雑把ではあったし、シラバス通りにはぜんぜんいかなかったが、やりたいことはできたように思う。肝心のビジネス論への展開が弱く、文化論になってしまったことが悔やまれる。まぁ、はじめての試みだったし、こんなもんかなとは内心思っているけれど。マーケットを切り開いていくためには、なにごとであれ新しいモデルが必要。それをどう案出し構築していくか、編集においても事情は同じだろう。エディトリアル・プランニングの世界にも新たなビジネス・モデルが求められている。初心にかえって、自らの仕事に活かしていこう、と新たな決意に燃えるぼくでした。

絶版、廃刊なのに、新刊のように見えるところがWebのいいところ?!

『C&L』の企画にあたっての資料を読み直す。サイトウ商会がWebマガジン「日刊! ニュースな本棚」で、広田照幸さんのインタビューをやっていた。教育社会学が専門。教育の方面から、安心・安全について書いた論文のあることを知ったからだ。石田英敬さんのHPにアクセスして偶然『世界』の目次で発見した。インターネットがあったからこそ始めて出会えた人だ。ところでサイトウ商会って『 N I』誌の編集者サイトウさんじゃん。いい仕事しているなぁと感心していたら、「日刊! ニュースな本棚」は、昨年末に廃刊になってました。もったいない!

ひさしぶに単行本の編集の仕事が舞い込む

昨日、朝日出版社の赤井茂樹さんに10年ぶり(もっとか)でお会いした。髪を短くされて、貫禄がついた感じ。最近手掛けられた書籍のいくつかを見せてもらう。ジョン・R・サールの『マインド 心の哲学』とか岡崎乾二郎さんと松浦寿夫さん対談『絵画の準備を!』とかオスカー・ブルニフィエの『子ども哲学』とかをもらう。で、要件は編集部であげたいくつかの企画を一緒にやらないかというお誘い。企画書に目を通すと金○○彦さんとか保○○○さんとか、島○三さん、○○○一郎さん、○田○さん、岡○○二郎さん、池○裕○さんとか知ってる名前、魅力的なテーマが目白押し。とりあえず金○さんはちょうど『談』でやろうと思っていたのでタイアップみたいにやれるし、島○さんは以前インタビューの連載をやって新しいアイデアを披露してもらっていたし、ぜひぜひご一緒しましょうということになった。順調にいけぱ、今年の末ぐらいからリリースされることになるかも。でも、ほんとのことを言うとですね、シノさんの一連の写真集がよかったなぁ、なんてもちろんウソですよ。
帰宅後、韓国vsトーゴ戦を見る。韓国は入れなきゃならない場面ではちゃんと入れる。そして当然のように勝利する。2対1。結果を出すのだ。強いなぁとつくづく関心。

けっこう自分もオタクだった

まんが、アニメ、ゲームというオタク文化についてあらためて考えています。ゲームはほとんどやってこなかったし、アニメは「ガッチャマン」ぐらいまで、まんがも週刊誌、月刊誌共に買わなくなってからウン十年はたってます。これじゃオタク文化なんてとても語れる身分じゃないなと思いつつ、それでも、コミックスはいくつか読んでるので、さて何を買ってるかなと調べてみました。とりあえず雑誌連載中やシリーズ企画で最新巻が出れば必ず買うものを挙げてみますと、『20世紀少年』、『バガボンド』、『PLUTO』、『REAL』、『さよなら絶望先生』、『鋼の錬金術師』、『ONE PIECE』、『ホムンクルス』、『ディスコミュニケーション』、『NANA』、『のだめカンタービレ』、『DEATH NOTE』、『げんしけん』、『フラワー・オブ・ライフ』、『大奥』、『HEAVEN』、『月館の殺人』、『百鬼夜行抄』『カムイ伝』など。他に、すでに連載終了のものや再発され文庫化されたもの、単発ものを月にウン十冊は買います。山本直樹、古屋兎丸、松本大洋、植芝理一、矢沢あい、佐々木倫子、萩尾望都、岡崎京子、諸星大二郎なんかは無条件で出れば買っちゃうし。つげ義春、つげ忠男、鈴木翁二、岡田史子、つりたくにこなんて旧『ガロ』、『COM』系の作家のものも集めていたりして。なんだよ、けっこう読んでるじゃん。「よく本読む時間ありますね」とか言われることがあるんですが、じつは本じゃなくて読んでるのはまんがばっかり。ある意味ぼく自身がオタク。あらためて考えるまでもなく、自分のことを考えればいいのかなんて思ったら、ちょっとばかばかしくなりました。

芸といえないものでも、身を助けることがある

兼任講師をやっている某大学院の懇親会に参加。大学の方針、現状、課題などについて話し合う。MBAコースを設置するところが増えて、言い方は悪いが、激しい学生の取り合いが起こっているらしい。しかし、MBA、アメリカではこれを持っているのといないのでは所得もグ〜ンと変わってくるようだが、日本ではかえって向かい風になることもあるとか。転職を考えているんじゃないかとかへんな噂をたてられたり。有職者の受講生には会社に内緒できている者も少なからずいるらしい。脚光を浴びるMBAだが、企業環境の違いもあってアメリカのようには全くなっていないのが現状のようだ。ところで、ここのMBAの特徴として経営のプロフェッショナルを育てるというよりは、ジェネラリストを育てることをめざしているという話を聞いた。はは〜ん、それで自分が呼ばれたのか。なんとなく理解できた。思えば、高辻先生が以前文理シナジー学会の事務局長にぼくを推薦してくれた時もそうだった。専門性に特化していなくて、境界領域に身を置き、その各分野間の仲介と各分野同士の融合をはかるような立場で仕事をしてきたことに興味をもったのだろう。専門性をもたない、というかもてない身にとっては、総合性で勝負するしかない。それには、編集という仕事はうってつけかもしれない。「芸は身を助ける」というが、「浅く広く」がその芸になるとは。かえって「芸が身を滅ぼす」ことにならないよう気をつけましょう。

楽しい再会

今福龍太さんと打ち合わせ。最後に今福さんにお会いしたのは港千尋さんの『瞬間の山』の出版記念パーティー以来だから5年ぶりだ。この間にも原稿依頼をしたり、ブラジル取材の相談にのってもらったりメールや電話では連絡をとってはいた。なので、まぁおひさしぶりです、ぐらいの感じかな。今年、札幌大学から東京外国語大学に異動されたが、奄美自由大学の活動はあいかわらず続けられているようで、札幌、東京、奄美と日本縦断の旅はいまだ継続中とのこと。移動の人は健在だ。今回今福さんにお会いしたのは、ある媒体で1年間連載をお願いするため。すでに快諾をいただいている。実際にどう展開させるか、コンテンツについての打ち合わせが今日の目的。とはいえ、今福さんのご自宅から近い辻堂の「鮨tro気仙」という創作鮨の店。地元相模湾で朝穫りされた鯵や気仙沼から直送されたあいなめ、トロ、岩のりの天ぷら、河豚の唐揚げ、鮪かま焼きとか、当然鮨もたっぷりいただき、肝心の打ち合わせはどこへやら、限りなく雑談に近くなってしまった。まぁこれもお決まりのコースですが。というわけで、楽しい再会となりました。ついでに、ここのご主人出身が気仙沼。そこで、宮城の伯楽星の吟醸をいただいたが、これはとても美味かった。ぼく、すっかり、日本酒好きになっています。

読めなくなり書けなくなること

連載でやっているインタビュー原稿に着手。もう一度前回、前々の原稿を読みなおす。ところが、全然頭に入ってこないのだ。何度か読みなおそうとするがやはり入ってこない。やれやれと思いながら、今度はテープお越しを読むが、やはりダメ。文章は単なる文字のつらなりにしか見えない。どんどんスルーしていく。しょうがないので、著者の本を開く。インタビューに関連する箇所を読んでみる。やっぱりダメだ。もうこうなったら、頭に入ろうが入るまいがかまわず、その文字の集合体をとにかく目で追うことにした。とにかく文字を入力し続ける。繰り返し繰り返し入力する。これは食にたとえるならば、咀嚼というより丸飲みする感じ。時々こんなことになる。それでも、そうやって飲み込んでいくと、ある瞬間、ふっと視界が晴れてくることがある。つまり、読めるようになるのだ。こうなるとしめたもので、原稿を書くぞという気持ちがわき上がってくる。今日も、ちゃんとその瞬間はやってきた。さあ、がんばって書くぞ。

執筆にどれだけの時間をかけているのか

20枚(400w)程度なら、対談でもインタビューでもほぼ一日でやってしまう。けっして早いほうではないが、著しく遅いというわけでもない。まあふつうだと思っている。しかし、これが60枚とか70枚になると、単純に×日数というわけにはいかなくなる。じつは、今回対談をまとめるのに、5日を要してしまった。もちろん、一日中机にはりついているわけではない。しょっちゅう机を離れては、散歩したりまんが読んだりはしていたのだけれど、とにかく気分的には5日かかったのである。原稿の内容や質は、数量に比例するわけではない。短くても長くてもいいものはいいし、よくないものはどんなに長くてもダメ。そんなことはよくわかっている。僕のいいたいのは、単純に長さの問題だ。長い原稿は、僕の場合予想以上に時間がかかってしまうのだ。いや、時にどんどん遅くなって、予定より倍も3倍もかかってしまうことだってざらにある。これは、いったいなぜなのか。集中力が途切れるから? 邪魔がはいるから? おなかがすくから? 飽きるから? etc etcどれもあたっているけれど、どうもそれだけでもない気がする。さて、みなさんはどうですか。原稿執筆にどのくらいの時間を費やしているんでしょうか。一度、こんなテーマでとこか特集組んでくれないものでしょうかねぇ。
Monthly article
訪問者数



『談』とは
 
●最新号

No.109
〈ポスト真実〉時代のメディア・知性・歴史
 
●バックナンバー
No.93以前のバックナンバーにつきましては、アルシーヴ社(03-5779-8356)に問い合わせください。

No.108
おいしいってなに?……ひとは食をどう表現してきたか

No.107
老い衰えゆくからだ……話す・動くから考える

No.106
人と動物……動物は動物なのか

No.105
科学を科学する…領域を超えて

No.104
恐怖の報酬…「怖いもの見たさ」の謎
 
 
●別冊

Shikohin world 酒

Shikohin world たばこ

Shikohin world コーヒー
 
『談』アーカイブス