2008年03月19日

空前絶後、古今未曾有の快挙!!

青土社(というか編集に関わった郡淳一郎さん)から『足穂拾遺物語』を贈呈いただく。
これは凄い!! 凄すぎです!! 稲垣足穂の新発見文章101編+αに、解題・校異700枚(400字詰)を付した総ページ数456ページという、空前絶後、古今未曾有の快挙、といってもまだ言い足りない今世紀最大の出版企画です。
初出媒体に発表されて以来、これまで著書・選集・全集に一度も収録されたことがなく、しかも、それらの「作品年譜」「初出一覧」「解題」で言及されたこともなかったという、まさに幻の文章ばかりを集めたもの。筑摩書房版『稲垣足穂全集』と雑誌『ユリイカ増刊 総特集稲垣足穂』所収の「新発見作品10編」と合わせると、既発見の足穂作品は全て網羅されるというのです。
『遊』で松岡正剛さんから、また学研発行の『FAIR LADY』で柳生弦一郎さんから、『ゆでめん』で松本隆さんから、足穂という名前を聞き、出会ってから早35年が経ちました。爾来、足穂は僕の永遠の遠國であり夢そのものです。しかし、僕の足穂は、現代思潮社版『稲垣足穂大全』が全てでした。もちろんその後刊行されたあまたの選集、コレクション、単著書、対談集、雑誌特集、また論者による足穂論は集めていますが、その理念・思想において、この大全に勝るものはないと長い間思っていたのです。そんな僕にとってまさに青天の霹靂ともなったのが『ユリイカ増刊 総特集稲垣足穂』でした。そして、この『足穂拾遺物語』。さらにそれをはるかに上回る超サプライズな一冊となりました。
魔術的ともいえる編集の妙には感動の二字しか思い浮かびませんが、『ユリイカ』と同じ羽良多平吉さんのデザインワークが飛び抜けています。かっこいいを通り越して、もはや神々しささえ感じられます。
何はともあれ、みなさんぜひ買いましょう。一家に一冊あって当然という聖書にも匹敵する一冊であることは間違いありません。
なお、本書刊行を記念してイベントが開催されます。関西方面にお住まいの方、ぜひぜひ足を運んでくださいな。
「TAROUPHO LIVRE FRAGMENT」
「稲垣足穂になるのです」
足穂拾遺物語
  
Posted by mirouuru at 23:07Comments(0)TrackBack(0)

2007年08月07日

想像力の立体地図は、本物以上のリアリティ

TUBE GRAPHICS・木村博之さんのインタビュー。「ご尊父は捕鯨船に乗っていたんですよね」と話を向けると、「これ知ってますか」と言って棚に飾ってあったクリーム色の物体を二つもってきた。「クジラの歯です、面白いでしょう」。子供の時にもらったのだという。ご尊父は、アイスランドやガーナやカナリア諸島と遠洋航海に出て、いく先々の寄航場所から、手紙をくれたのだそうだ。それで、そこがどこかを知りたくて、地図を買って調べ始めたのが、地図に興味をもったきっかけだった。郷里の宮城県女川は、金華山沖でクジラ漁をやっていて、小学生だった木村少年は、毎週のようにニッスイの工場で行われていたクジラの解体を見に行っていた。一方で地図に、他方で解体ショーに。その後地図製作とグラフ制作が合体していく木村さんの思考は、すでに少年時代に準備されていたのだ。木村さんの地図づくりのフィロソフィーに共感する。多面的な見方、こっちからみたり、あっちから見たり、俯瞰したり、下から仰いだり…、世界をさまざまな視点で眺めてみる。そして、地図という2次元の世界にそのまなざしを投影していく。それが、木村流立体地図なのだ。単なるアクソメ図ではなくて、想像力の立体地図といったところか。 TUBE GRAPHICS

ところで、木村さんには以前『談』no.48別冊「混合主体のエチカを求めて」で、面白い地図をつくってもらった。ちょうど地球の真裏同士に位置するカリブ海とバルカン半島。一方は海洋、他方は大陸という違いはあるけれども、人種・民族の混交が激しく進みクレオール文化圏を形成しているという意味では似ている地域。魚眼レンズで見てみると、まるで同じ場所が図と地を反転しているように見えてしまうのだ。「あれは面白かったですよ」と木村さんに伝えたら、すっかり忘れておられた。う〜ん、ちょっとがっかり。

  
Posted by mirouuru at 23:29Comments(0)TrackBack(0)

2007年08月03日

羽根と魚眼レンズをもつおじさん

吉田初三郎さんという地図製作者を知ってますか。こんなのつくっている人

その初三郎さんの研究家でコレクターでもある藤本一美さんにご連絡。初三郎さんの膨大な地図の中で、「賑わい、活気があってまちづくりにつながってくるもの」をお貸しいただけないかというお願いと原稿依頼。電話に出られた藤本さんは、現在の実際の町と捉えて、「…は絵として面白いのだけれど、今衰退しちゃって、町おこしをしようとはしているんですが」とおっしゃる。いや、そうではなくて、描かれた地図の中にそうした賑わいや活気があふれていればいいので…」とあわてて説明する。それならば目星がつくので、探してお送りしましょうとのご返答。あまりに気軽におっしゃるんで、ちょっと驚く。だって一種の美術作品、大変貴重なもの。それをあっさりと宅急便で送ってくれるという。それを撮影することにする。次に、「住宅地図」の件で、ジオへtel。日本にしかないという「住宅地図」。これを写真にとって紹介しようと思っているのだが、個人情報の取り扱いで心配になり連絡をとった次第。「公共施設なら問題ないので、それが出ているページにされたらどうですか」と。僕らの考えていることと同じ回答がかえってきた。複写掲載許可について恐る恐る尋ねたのだが、それもあっさり「いいですよ」と。逆にありがとうございます、とお礼まで言われてしまった。地図関係の人って、なんでこんなによく言えば親切、悪く言えば無防備なんだろうか。そもそも地図というものが、公共的なもので、アノニマスなものだから、所有権とか個人情報といったものに、あまりこだわりがないからなのか。やっぱり地図関係はどこか少し違いますね。  
Posted by mirouuru at 23:04Comments(0)TrackBack(0)

2007年06月12日

本屋に溢れるおもしろ地図。こんどはこいつを料理しよう。

「city&life」の企画委員会。次号の地図特集をプレゼンする。大量にコピーしたさまざまな地図を(しかもカラーで)持参し次々に拡げて見せながら提案した。やはり、ブツがあると強い。企画委員のみなさん興味深くみておられた。もちろん企画は通りました。これはすごく面白くなりそうですよ、期待してください。話は、今回とはまた違った視点での地図特集もやれるのだはないか。集めた地図で展覧会をやろうとか、話題はすでに次次号に。景観問題にも斬り込みたいと思っているし、いや、その前に海外ネタだ。その仕込みをやらなくちゃ。  
Posted by mirouuru at 23:02Comments(0)TrackBack(0)

2006年12月18日

『談』の表紙を飾った牛腸茂雄さんの作品が好評だ。

『談』の表紙に使った牛腸茂雄さんの写真に感動して、写真をみてもらえないかと若い女性が作品をもって来社。基本はモノクロームのプリント。全体にアンダー気味で、ややソフトフォーカス。風景、人物(顔は避けられている)、モノ、動物と対象は統一されていない。しかし、最初の数点を見て、このひとは写真がよくわかっているひとだなと直感した。聞くと、写真は基礎を少し学んで程度で、独学で覚えたらしい。スナップのように軽やかなフレーミングで切り取られた対象物、よく見ると厳格にトリミングされている。しかも、大型カメラで撮っているという。個人的にかなり気に入ったので、『談』のADの河合千明さんを紹介した。来年グループ展をやるというので期待しよう。ところで、今回の牛腸さんの初期の作品、けっこう評判。とくに若い読者の何人かから、「表紙いいですね」ということばをもらった。1968年のこんな風景が、もうどこにもないからだろうか。夕方、Yの準備会。ひさしぶりに「はげひげさん」こと篠原菊紀教授と同席。ごく最近、氷川きよしにときめくおばさんファンをつかまえてfNIRStationで脳活動調べておもろかったとはしゃいでおられた。そういう先生の方がよっぽどおもろいよ。これから、また1年、廣中直行先生や下斗米淳先生、山下柚実さんらと定期的なディスカッションが始まる。今から楽しみだ。  
Posted by mirouuru at 23:26

2006年12月12日

ジェイコブスが出した宿題とは。

「C&L」の企画委員会。3月発行予定の「ジェイコブスの特集」について。それ以外に企画3本プレゼン。ジェイコブスの特集は題して「ジェイコブスの宿題」。
「誌上シンポ」のひとつがジェイコブスの四つの原則を再考しようというものだったが、「ジェイコブスはこう読め」も含めて、これまでのジェイコブス再評価の延長にある。経済学徒としてのジェイコブスという視点は確かに面白いが、全体に新味がないというのが皆さんの共通した感想。日端先生は「五感の人」ジェイコブスの近代都市批判者の側面は一環していて、しかし、それが近代都市を乗り越えようとしている時に有効性をもちうるかというと疑問だという。四つの原則はあくまでも対症療法でしかなく、理想としての都市モデルを提出したわけではなかったとおっしゃる。陣内先生は、理念なき日本の都市の現状を見るとジェイコブスに見習うべきところはいっぱいあるけれども、あまりにもそのギャップが大きすぎる。日本の都市が酷すぎるというのである。林先生は、もう少し新しい視点が出せないと、面白くないという素朴だが一番的を突いた意見。
しばらく三人でジェイコブスを題材にそれぞれの都市論を披露される。これを聞いていたら、いいアイデアが浮かんだ。いっそ三人でディスカッションをしてみたらどうだろうか。その案をもちだすと、三人とも難色を示したが、しつこくお願いしたので、結局やることになった。もちろん安易にそうしたいと思ったわけではなくて、今まさに話し合われたことが、ジェイコブスの今日的な読みであり、また探りたいと思っている疑問への解答であったからだ。
日端先生の理解・評価と陣内さんのそれが、微妙に重なりつつもその着地点には大きな開きがあるように感じて、それもまた興味深かった。林さんがファシリテーターをかってでてくれるというので、これで決り。本年最後の座談会となる(そういえぱ、去年もこのメンバーに小谷部先生が加わって座談会やったなぁ)。  
Posted by mirouuru at 23:00Comments(0)TrackBack(0)

2006年11月15日

『談』の今回のヴィジュアルは加藤泉さんの平面作品

『談』表紙関係の色校正が出た。今号の表紙は牛腸茂雄の写真。中に入るヴィジュアルは加藤泉さんの平面作品。これがすごいインパクト。質感もよく出ていてこれなら直しはいらないだろう。特集の内容をみごとなまでに表象している。デザイナーの河合千明さんのチョイスに頭が下がる。乞うご期待。  
Posted by mirouuru at 23:02Comments(0)TrackBack(0)

2006年06月15日

都市遺産の保存・再生に舵を切った上海

『City&Life』の企画委員会。各地で「安全・安心のまちづくり」の取り組みが進んでいるが、リスクへの過剰反応からか少々ヒステリックになっているようにも思える。そこで、防犯、セーフティ・ネットという二つの切り口から「安全・安心のまちづくり」そのものを原点に立ち返って考えてみようと企画を提案する。日端先生、陣内先生、そして協会の方も、テーマ、内容ともに関心をもってくれた。座談会2本とインタビュー3本。今号とはうってかわって、文字情報中心の読ませる内容。
陣内先生から、先日上海に行ってきたという報告。上海というと中国の中でも急速に近代化を進めている場所。超高層がバンバン建設されて、これがほんとうにあの中国? 目を疑いたくなるほど激変している様子がTVなどで再三報じられている。そういう意味で人々を驚かせてきた上海だが、陣内先生は今回の訪問で、それとはまったく異なる驚くべき事態が進んでいることに驚愕したという。「インダストリアル・ヘリテイジ」という考え方で、近代建築を保存再生するプロジェクトが大々的に行われているというのである。
あの中国がである。スクラップアンドビルドで、なんでもかんでも超高層にしてしまうという日本の状況を横目に見ながら、中国は、リノベーションを主体とした都市再開発にすでに大きく舵をとりなおしているというわけだ。そのいくつかを見学してきたようで、それがあまりにすばらしかったらしく、陣内先生は目を輝かせてわれわれにその新しい上海を語ってくれた。それで、ぜひ上海をとりあげましょうよ、だって。それは、面白いかもしれない。ついに都市開発、建築の分野においても、中国は日本を追い越してしまったようだ。  
Posted by mirouuru at 23:00Comments(2)TrackBack(1)

2005年10月10日

「暴力批判論」を読むデリダ

「個人と対立して暴力を独占しようとする法のインタレストは、法の目的をまもろうとする意図からではなく、むしろ、法そのものをまもろうとする意図から説明されるのだ。法の手中にはない暴力は、それが追求するかもしれぬ目的によってではなく、それが法の枠外に存在すること自体によって、いつでも法をおびやかす。(…)「大」犯罪者のすがたは、かれのもつ目的が反感をひきおこすばあいでも、しばしば民衆のひそかな賛歎をよんできたが、そういうことが可能なのは、かれの行為があったからではなくて、ひとえに、行為が暴力の存在を証拠だてたからである。」(ベンヤミン「暴力批判論」13p)。これをデリダは、次のように読解する。「こうして法権利は、まさしく自分の利益・関心(インタレスト)のために暴力を独占する。(…)この独占がめざすのは、正義にかないかつ合法的なさまざまな特定の目的を保護することではなくて、法権利そのものを保護することである」。この二人の発言から、萱野稔人氏はこう警告するのだ。「国家が他の暴力を取り締まるからといって、それを正義の実現だとかんがえてしまう素朴な発想はやめになくてはならない」と。「国家がまずあるのではなく、暴力の行使が国家に先行する」。デリダの一周忌の言葉にかえて。

  
Posted by mirouuru at 23:56Comments(0)TrackBack(0)

「暴力批判論」を読むデリダ

「個人と対立して暴力を独占しようとする法のインタレストは、法の目的をまもろうとする意図からではなく、むしろ、法そのものをまもろうとする意図から説明されるのだ。法の手中にはない暴力は、それが追求するかもしれぬ目的によってではなく、それが法の枠外に存在すること自体によって、いつでも法をおびやかす。(…)「大」犯罪者のすがたは、かれのもつ目的が反感をひきおこすばあいでも、しばしば民衆のひそかな賛歎をよんできたが、そういうことが可能なのは、かれの行為があったからではなくて、ひとえに、行為が暴力の存在を証拠だてたからである。」(ベンヤミン「暴力批判論」13p)。これをデリダは、次のように読解する。「こうして法権利は、まさしく自分の利益・関心(インタレスト)のために暴力を独占する。(…)この独占がめざすのは、正義にかないかつ合法的なさまざまな特定の目的を保護することではなくて、法権利そのものを保護することである」。この二人の発言から、萱野稔人氏はこう警告するのだ。「国家が他の暴力を取り締まるからといって、それを正義の実現だとかんがえてしまう素朴な発想はやめになくてはならない」と。「国家がまずあるのではなく、暴力の行使が国家に先行する」。デリダの一周忌の言葉にかえて。

  
Posted by mirouuru at 23:56Comments(0)TrackBack(0)

2005年01月18日

『デザイン史学』を贈呈していただく

マサチューセッツ州立大学ダートマス校美術芸術学部美術史学科助教授・サラ・ティズリーさんより、『デザイン史学』デザイン史学研究会 誌第2号を贈呈していただく。先日、弊社にデザインジャーナリストの渡部千春さんと来社されたおり、日本の近代建築、とくに民家に関心があるというから、僕の関心領域でもあるのでお話をさせてもらった。そのお例にと送っていただいた。彼女の論文「近代日本における建築と家具設計の家計-木檜恕一の場合」が収録されている。戦前日本のデザイン界に大きく貢献した家具デザイナー木檜恕一が、住宅建築改良の提案を通して、建築業界とどのようにつきあっていたかを明確にする試みとある。はずかしながら僕は木檜という人物をよく知らなかった。この機会にじっくり読んで勉強してみようと思う。

  
Posted by mirouuru at 20:54Comments(0)TrackBack(0)

2004年10月31日

「疾風迅雷」展と石毛直道講演会

昨日のつづき。
銀座グラフィック・ギャラリーで「杉浦康平さんの展覧会「疾風迅雷 雑誌デザインの半世紀」を見る。会場に入ると、『パイデイア』『エピステーメー』『遊』『銀花』などが並んでいる。『銀花』以外はほとんど所有している(別のBlogで以前に紹介ずみ)。偶然会場にいらしていたモリサワの池田さんに自慢した。巨大なエピステーメーの模型(実物よりはるかに大きいからモックアップとはいわないか)の展示が眼を惹いた。B1を見ると、『噂の真相』の休刊カウントダウンの表紙が順番に並んでいる。こうして系統づけて見直してみると、個人的には『噂の真相』が最も面白かったような気がした。杉浦さんのデザインは、社会やジャーナリズムといったものとの方がより共振するのではないか。ものすごいエネルギーがほとばしっているように見えたのだ。
夜は、塩事業センターの石毛直道講演会「塩味の民俗学…しょっぱいはおいしい」を聴講する。石毛先生とは、過去に、雪印の『SNOW』誌の連載企画で約3年近くお世話になり、また玉村豊男さんとのロング対談、さらには、『談』で樺山紘一さんとの対談、芳賀徹さんとの対談などにご参加いただいた。今回は、塩の味についてお話されるというので出向いたわけだ。
  続きを読む
Posted by mirouuru at 14:48Comments(0)TrackBack(0)